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執事な吸血鬼は伯爵令嬢を逃がさない  作者: 佐崎咲
第一章 伯爵令嬢と吸血鬼
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6.彼に支払う対価

「お帰りなさいませ、シェリア様」


 玄関の扉が開いた先で、執事姿のギルバートが何気ない顔で出迎える。

 代わりに扇子から小さな黒いコウモリはいなくなっている。


 ギルバートの七不思議のうちの一つだ。

 彼は一体いつのまに早変わりしているんだろうか。


「……ただいま。喉が渇いたわ。お茶をお願い」


「かしこまりました」


 いつものように告げると、口の端を吊り上げるような笑みを浮かべ、慇懃に一礼する。

 顔を上げるとさらりと流れた黒髪の合間に灰色の瞳が光る。


 無駄な色気が漂うこの姿は、当然見る者を惹きつける。

 けれど家の人たちはみんな、ギルバートがどこか冷たいものを持っていることを感じているのか、必要以上に踏み込もうとはしない。

 家族にしても、どこか不気味だけれど、ただ執事として万能が故に雇い続けている。そんな感じだった。


 私室に入ってまもなくして、ギルバートがノックもなく勝手に入ってくる。

 手には茶器の載ったお盆。

 何故か彼は私の世話は人には任せない。あれだけ人使いが荒いのに。そして全然私を尊重しようともしないのに。ノックもせずに勝手に入ってくるのがいい例。

 ギルバートが何を考えているのかはいつもわからない。


「お茶をお持ちしました」


 そう言っておかれたカップは何故か二つ。

 手慣れてもはや洗練された仕草でお茶を淹れ、椅子を引き「ふう」と満足そうなため息を吐き座る。ギルバートが。


「ああ、こうしてお茶を飲んでいる時間が一番休まりますねえ」


 優雅にカップを口に運ぶ。私が頼んだのに。


「ちょっと。制服から着替えたいんですけど」


「どうぞ? 私は気にしませんので」


 ずずっ、じゃない。


「だから。何で私の部屋でくつろいでるのよ」


「シェリア様がお茶を淹れろとおっしゃられたので、ついでにいただいているのです。一人分淹れるよりも合理的でしょう?」


 何でもないことのようにそう言い、銀縁眼鏡を押し上げる。


 すごいな、と思う。この神経が。

 この家にも、私にも、仕えているという意識がないからなんだろう。


 なんかもうこの面の皮の厚い執事のことを気にしてるのが腹が立ってきた。

 どうせあっちは私のことなんてただのエサとしか思っていないのに。


 面倒臭い、本当に着替えてやる。

 くるりとギルバートに背を向け、制服のボタンを外し始める。


 ――本当に脱ぐわよ?!


 ちょっとは焦ってみなさいってのよ。

 そう思ったけど、ブレザーを脱いだところでちらりとギルバートを眺めやれば、にこにこと笑みを浮かべてこちらを見ている。

 考えてみればギルバートが失うものは何もなく、私ばかりがデメリットをこうむるんだな。


 やっぱやめよう。自棄になりすぎていた。

 ギルバートの向かいの椅子を引き、座ろうと椅子の背に手をかける。


「やめてしまわれるのですか。久々にどれくらい育ったか確認しようと思いましたのに」


 灰色の瞳が本当に残念そうに曇る。


「なにその親父発言。引くんだけど」


「おやおや。シェリア様ともあろうものが、一体何を想像なさったのでしょうね。こちらの――コレのことですよ」


 そう言ってギルバートは椅子の背に伸ばした私の手をぐいと引き、二の腕に、つ、と指を這わせた。

 ブラウス越しに触れる指先のぬくもりが、柔らかな二の腕を撫でる感触が、とてつもなく――。


「ちょ、ちょっと! その触り方くすぐったい、やめて!」


 ギルバートの口の端に妖艶な笑みが浮かぶ。


「――だいぶ育ってきたようですね。色も、形も。あと少しと言ったところでしょう。私の見立ては正しかった」


 意味深な言い方をするな! と言いたい。


 ギルバートが触れているのは、私の二の腕の下あたりにある、薔薇の模様のアザ。幼い頃は薄いピンクのようだった気がするのに、近頃は赤く色づいている。成長するに従って大きくなってもいた。

 おかげでドレスは二の腕が隠れるものしか着られない。肩を出すのが流行りの時期は時代遅れと揶揄されて苦労もしたけれど、今は再び袖ありが流行っているから助かる。


「ねえ、このアザって何なの? 十八歳になったらどうなるっていうの?」


「ですから私がそれを伝えれば、あなたは力を失ってしまわれます。本来であれば、お母様から聞いていたことでしょうから、私としては感謝するばかりですがね。まあ、お母様がご存命でいらしたら、今の状況に腰を抜かしているところでしょうが」


 ギルバートの灰色の瞳が、銀縁眼鏡の奥で微かに笑った気がした。


「そりゃ、吸血鬼なんかと契約してると知れたら誰だって驚くでしょうけど」


 ギルバートが二の腕に触れていた指が、つ、と手首へと這っていく。

 思わず肩がぴくりと揺れる。


「本日は新月です。いつものご褒美をいただいてもよろしいでしょうか」


 冷たい灰色の瞳が、妖艶に笑うように私を見ている。


「その言い方はやめて。私を守ってくれている『対価』でしょう。とはいっても、対等とはとても思えないけどね。危険な目に遭ったことなんてないし、守ってもらった覚えもないもの」


「危険を感じないにこしたことはありませんからね」


 そう静かに嗤ったギルバートの目は透き通るような灰色に凪いでいた。

 頷く代わりに、これから始まる行為から目を逸らすようにふいっと顔をそむける。


「いつも言ってるけど。我を忘れたら、遠慮なく張っ倒すからね」


「ええ、そうしてください。本懐を遂げる前にあなたに死なれてしまっては困りますから」


 手が引き寄せられ、喋り続けるギルバートの吐息が指先に触れる。

 びくりと肩を揺らした直後、指先にツキリと痛みが走る。


「っ……!」


 指先に傷がつけられたのだ。普段はしまわれている、彼の鋭く長い爪で。

 それからすぐにじんわりと温かいものが滲みだしたかと思うと、温かい舌がそれを舐めとる。二度、三度と舌が這った後、我慢ができなくなったかのように突然すごい力で吸われ始める。

 ギルバートの唇の端からちゅうちゅうと音が漏れ、首から頭へと熱が一気に這い登る。


 ただの食事だ。

 それなのに、何故こんなにも胸が苦しくなのだろう。

 そこには意味などないのに。

 それ以上でもそれ以下でもないのに。

 私がお茶を飲むように、スープを飲むように、ギルバートも喉の渇きに従っているだけなのに。


 はっと気づくと、私が羞恥を堪えている間にギルバートが私の指を吸う力は痛いほどに強くなっていた。


「ちょっと、ギル……」


 止めなければ、と思うのに、何故だか声に力が入らない。

 それでもギルバートは、二度、三度と強く吸い上げた後、きゅぽん、と音を鳴らして自ら唇を離した。

 息を止めてしまっていたせいで荒い息を吐き顔を上げれば、そこには恍惚とした顔があってさらに首が熱くなった。


 本当に、無駄な色気を放つのはやめてほしい。


 ――毎度毎度、心臓に悪いわ。


「ご馳走様でした」


 そういってぺろりと舌なめずりをしたギルバートを、ぎっと睨む余裕さえ、私にはなかった。

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