5.アレな王子
私の背後からにょっきりと顔を出し、タダよりも高いスマイルを向けてきたのはこの国の第一王子、アルフリード。
金髪に碧眼の正統派王子様ルックスで、ふりまくスマイルも王子様。
やることなすこと王子様。
なんだけど。
「アルフリード殿下、本日もご機嫌麗しく」
「そんな他人行儀な。私とシェリアの仲じゃないか。幼い頃のように『アル』と気安くよんでくれないか」
敢えて嫌味ったらしく挨拶を始めた私を、王子のキラキラスマイルが遮る。
けど断る。
「アルフリード殿下、本日はどのようなご用件で」
特に用などないのは知っている。ただ暇だから構いに来ているのだ。
彼の目的は、幼馴染ではありながら愛想も何もない私ではないけれど。
私の父方の祖父が公爵で、なんやかやと王家と繋がりがあり、幼い頃は王子の遊び相手としてよく王宮にも連れられていった。
だが彼は一癖も二癖も三癖もあって付き合うのは面倒くさい。そう。面倒くさい人なのだ。
愛想笑いもしない私に答えることなく、アルフリードの顔が私の手にしたサンドイッチに近づけられた。
咄嗟に遠ざけると、さも残念そうに眉を下げる。
「一口くらいいいじゃないか」
「嫌です。午後お腹が空いてしまいます。ただでさえサンドイッチなど腹持ちが悪いというのに。アルフリード殿下もお昼は既に済ませていらっしゃるんですよね? それでもどうしても足りぬと仰るなら、私の午後の腹に代えてこの最後に一つ手つかずで残っているサンドイッチを差し上げますが」
『嫌だけど』の気持ちを隠すことなく前面に浮かべる。
本当は食堂でしっかりしたものを食べたいけれど、ミシェルに絡まれお盆ごとひっくり返されては片づけが面倒だし、何より周囲の迷惑になる。
だから仕方なく人気のないこのような場所まで来て手で守れるサンドイッチを毎日の昼食としているのだ。
学院内でもサバイバルを強いられている私に、アルフリードはキラキラとした笑顔で言い放った。
「ははは。シェリアの食べかけが食べたかっただけだよ。シェリアにお腹の音を鳴らさせたいわけじゃない」
勉学においては成績優秀なのだが、この王子の存在は国にとって有益なのか有害なのか、はかりかねる。
「ところで、さっきもミシェルに絡まれてたようだけど、大丈夫だったかい?」
だって、彼の趣味はそこにあるのだ。
大変残念な王子である。
それを見るためにこんな所までやってきて、物陰に隠れながらこっそりと笑いを堪えて見ていたのだろうことを想像すると、本当にあまりにも残念である。
「ええ。毒にも薬にもならない言葉を吐き捨てて去っていっただけですから。詩の一篇でも朗読して去ったのと変わりませんわ、アルフリード殿下」
「またそんなよそよそしい喋り方をして、怒ってるんだね? だって、私にはあれくらいしか楽しみがないんだよ。ああ、私にもあんな風につまらないプライドを守るための小鳥の囁きを向ける人がいたら毎日が楽しそうなのに」
アルフリードがこんな残念な姿を見せるのは本当にごく一部の人たちにだけだし、第一王子という身分でもあるから、嫌な言葉を向ける人はいない。
王宮内でも派閥争いなどありそうなものだが、第二王子はアルフリードを助け国のために努めると明言しており、たとえアルフリードの身に何かあったとしても王位は継承しないと宣言までしている。
だからこんなところで刺激的な一幕を見て楽しんでいるのかもしれない。
「芝居の一座でもお招きしたらどうですか」
「芝居なんてつまらないよ。現実に勝るものはない。そうだ、彼女は今度お茶会に出るって言ってたね。同じ日にシェリアを私主催のガーデンパーティに招待しよう。そうだな、ごく小規模で、学院に通う者たちを何人か集めて。ねえ、楽しそうだろう? それを知ったらミシェルは何て言うかな。何か新しい暴言でも覚えるかな」
わくわくと話し出したアルフリードを背に、私は食べかけのサンドイッチをそっと包んだ。
立ち上がりかけた私の肩を、アルフリードの手がぐっと抑えつける。
「どこへ行く。」
「いえ、そろそろ授業が始まりますので」
「まったく、そんな誰にも明らかな嘘を表情一つ変えずに言い放つんだから。そんなところもぐっとくるよ」
アルフリードがにこりと浮かべた笑顔にドン引きする。
しかし次の瞬間、アルフリードは「痛っ」と声を上げた。
顔をしかめたアルフリードが手を押さえていた。
その足元にぽとりと落ちていたのは、先程まで私の隣に置いていたはずの、扇子。
「いやあ、驚いた。いきなり扇子が飛んできて僕の手に当たったんだよ」
アルフリードは本当に驚いたように足元に目をやり、ん? と一点にじっと目を向けた。
それから再びふっと笑みを浮かべる。
「どうやら何人もシェリアに触れることは許さないと、嫉妬にかられた風が戒めたようだ」
風?
閉じたままの扇子が風に吹かれて舞い上がるだろうか。
そもそも風なんて、吹いていなかったような。
「これくらいにしておかないと夜道が危険になりそうだ。今日は失礼するよ。あ、でもガーデンパーティの件は本気だから。招待状を渡すからよろしくね」
そう言ってアルフリードは優雅に手を振り去っていった。
私はため息を吐きつつ、落ちていた扇子を拾い上げた。
「もしかしてさっきの、ギルバートがやったの? なんで?」
別にアルフリードは私を傷つけるつもりなんてなかっただろう。守られるような場面でもなかった。
ギルバートもそんなことはわかってるはず。
「私のシェリアに気安く触れるからですよ」
――別にギルバートのじゃないし。
欲しいのは私の血だけなのに大げさな物言いをしないでほしい。本当こういう誤解を招くようなことを言うからギルバートは――と延々と愚痴が湧きそうだったので途中で思考を止めた。
「あんなことしてアルに怪しまれたらどうするのよ」
「別に困ることはありませんが?」
「私が困るわ! コウモリ従えてるとかどんな令嬢よ」
「それはそれで手間が省けていいかと思うのですが。まあ確かに彼はそれくらいで怯みはしないでしょうし、最近美しく咲き誇るばかりか匂いたつようになった花に、周囲も騒がしくなってきましたしねえ。この姿では限界かもしれません。そろそろ別の手を考える必要がありそうですね」
ギルバートは何事かをぶつぶつと呟いていたものの、ふっと思い出したように「それよりも」と継いだ。
「ご本人がいらっしゃらないところでは幼い頃の愛称でお呼びになるんですね。『アル』と」
言っただろうか? だとしたら、無意識だった。
「癖よ」
「先ほどまではきちんと殿下とお呼びしていたのに? 意識していないところでは、まだ幼い頃親しく遊んだ記憶が色濃く残っているということですね」
勝手に分析しないでほしい。
「別に今は王族に対して気を張る必要も、装う必要もないんだから、いいじゃない」
それはもしかして、独占欲とか。
嫉妬とか。
ギルバートが私に近づく男を邪魔にするのを見る度にそう思ってしまって、お腹の底の方がきゅうとなるのをなんとかしたい。
そんなの不毛なだけなのに。
ギルバートは職務に忠実で、その見返りに血を狙ってるだけなのだから。
何度も自分にそう言い聞かせながら、私は再び食べかけのサンドイッチを口に詰め込んだ。