6.人と吸血鬼
「好きです。シェリア様が好きですよ。誰よりもあなたが愛しい」
ギルバートの声が耳に降りかかった。
吐息が触れたところから、熱がひろがっていく。
呆然となって力が抜けていく私を、ギルバートはきつく抱きしめた。まるで逃がさないとでもいうように。
「最初はただ私の中の吸血鬼を殺してもらうだけのつもりでした。けれど傍にいるうちに、他の誰にも渡したくないと思うようになりました。だから人の国の王に掛け合いました。退魔師の末裔を影に生きる者たちから守る代わりに婚約者とするようにと」
ギルバートが私の髪をひとふさ持ち上げて、さらりと流した。
まるで慈しむように、何度も、何度も。
「絶えたと思われていた退魔師の血は国にとっても切り札です。しかし国が護衛をつければ、何かがあるのだと言っているようなものですからね。私が婚約という形で傍にあり、その身を守るのは人の国の王にとっても好都合なようでした」
何故だかギルバートの腕の中が心地よくて。
何故だかとても安心して。
ぼんやりしてきてしまうのを紛らわすように、私は慌てて口を開いた。
「お父様とした約束っていうのは? 家の財産を二倍にするっていうのは聞いたけど。他にもあるんでしょう」
この期に及んでまだ秘密にするとは言うまい。
ギルバートは答えてくれた。けれどそれは私の納得のいくものではなかった。
「あなたを守ることですよ」
「それだけ?」
眉を顰めて問えば、顔も見えないのにギルバートが笑った気がした。
「その約束があったから、これまで我慢してきたのです。財産の件など容易いものでしたが、こればかりは何度も危ういところでした。私が欲しいと思ったからお願いしたことですのに、十八歳になるまでは嫁にはやらん、それまでは決して手を出すなと。なんともむごい約束を了承させられてしまったものです」
「え……何それ。それって」
「シェリア様の純潔を守れと。そういう約束ですよ」
一気に頬に血が上った。
勝手に何を約束させているのか、あの父は。
「そういえば、私に男の人が近づかないようにしてたのもそういうこと? お父様との約束があったから」
「いえ? それは単に気に入らないからですよ。私のものに触れるのはなんぴとも許しはしません」
なんだそれは。
単なる独占欲だったとでもいうのか。
この上なく恥ずかしいことを聞いてしまった気がする。
私が悶えている間に、ギルバートはため息を吐きつつ独白を続けた。
「本当にここに至るまで苦労しました。学院に通うようになってからシェリア様の美しさはより人の目に触れるようになり、そればかりか成長するにつれ甘く匂いたつようになり、有象無象が寄ってくるわ、幼馴染だというあの邪魔な王子はシェリア様に気のないそぶりで警戒の外側からやってこようとするわで私の戦いの日々はそれはもう、わが身をほめたたえんばかりのものでしたよ」
「いや、も、ちょ、あの……」
そろそろ許してほしい。
ひたすらに恥ずかしい。
ギルバートは、はああぁぁ、とため息を吐き出しながら私の頭にぐりぐりと頬をすり寄せた。
「やっとこの手に抱きしめることができました。無防備に眠るシェリア様に何度触れたいと思ったことか。いつでも手を出せるのに出せない状況というのはなんとも生殺しで、何度も心が壊死するかと思いました」
「でも、そんなのおくびにも出さなかったじゃない!」
「そうでしょうか。シェリア様が私のことなど何も見ていなかっただけでは?」
う。
それを言われると辛い。
ミシェルのことがあるから。
だけど、と思う。
「それは。ただ血が欲しいだけだと思ってたからよ」
「それは否定しません。私がシェリア様の血を欲するのとシェリア様を欲するのは、元を辿れば同じことですから」
ほら、やっぱり! と声を上げようとしたけれど、ギルバートの笑みを見れば私が思っているのとは違うことがわかる。
「あなたが愛しいからあなたの血を欲するのですよ。特段美味しいと思うのですよ。シェリア様以外の血など口にしたくはありません。最初はこの体を動かすために摂取しているものでしたが、いつからか意味合いが変わったのです。血をいただくときだけ、あなたに触れることが許される。最も近づくことができる。それは私にとっては愛しい時間にほかなりませんでしたから」
私を見るギルバートの笑うような目に耐えがたくなって、思わず顔を伏せる。
「人間に戻ることでシェリア様の血をいただくという甘美な時間を過ごせなくなるのは大変に惜しいですが。正直に言えば、近頃それもなかなかに己を律するのが厳しくなってきていましたから。その上シェリア様から想いを向けられれば私の我慢など容易く打ち破られていたことでしょう。ですから、シェリア様が鈍感であったことには感謝していますよ」
そう言われると複雑だ。
ギルバートの胸の中で、うう、と悔しさに呻けば、くすくすと笑いが返った。
「まあ、それもこれも、十八歳という約束の時までもちませんでしたねえ。これから私の言葉に、指先に、逐一頬を赤らめるあなたを前にしてどう自制すればいいのか。考えるだけで、これまでの苦労なんて比べものになりませんよ」
「え? やだ! ちゃんと我慢して、じゃないと――」
「……じゃないと?」
おや、というように続きを促された声が、どこか楽しげで、私はまた悔しさに、ぐうう、と唇を噛みしめた。
答えない私に、ギルバートはまたも楽しそうにくすくすと笑いながら代わりに続けた。
「ご自分の身が危ないからですか? それとも、私と結婚できなくなってしまうから、ですか――?」
絶対わかってるくせに。
悔しいから答えてやらない。
と思ったけど、ギルバートのくすくすという笑いが、だんだん耳元へと降りてきて、私は耐えられなくなって叫んだ。
「両方!」
腹から笑う声が部屋に響いて、私は恥ずかしさに涙目になってギルバートの背をぎゅっと握り締めた。
「ばか! ばかギルバート!!」
子供みたいに喚く私を、笑うギルバートがそっと引きはがした。
そして何も言わずに、そっと唇を落とした。
「愛していますよ、シェリア様」
「ば……、」
ばか、と言う前に口を塞がれた。
「……、……!!」
苦しくなってギルバートの背中をばんばんと叩けば、やっと解放された、私はぜえはあと肩で息を吐いた。
「返事が聞こえませんでしたが?」
う、と言葉に詰まり、私はわなわなと震えながらも叫んだ。
「私も好き! ばか!」
悔しいから一言付け加えれば、ギルバートは見たこともないくらいに楽しそうに破顔した。
「照れると子供のようになるんですね。初めて知りました。そんなシェリア様も好きですよ」
「う、うるさーい!」
自分でも知らなかった。
人を好きになるとこんなに訳がわからなくなるなんて。
こんなにも胸が苦しくなるなんて。
思いが通じ合ってさえ、自分の心も体も思い通りにならないなんて。
だから、悔しいから私はきっとギルバートを睨んで、背伸びをした。
口元ぎりぎりのところに触れるだけのキスをすると、ギルバートは呆然としてそこを手で触れた。
やってやったぜ。
ふん、と満足して口元を笑ませれば、ギルバートの底知れぬ笑みが返った。
「おや……。覚悟はおありのようですね?」
「え? いやいやいやいや」
ゆらり、と窓を背にして迫るギルバートの影に、私は一歩、二歩とあとずさりした。
「どうなっても知りませんよ?」
その後どうなったのかは、ご想像におまかせします。
ただし、ギルバートはちゃんと約束は守ってくれました。
まだ私は、ギルバートのお嫁に行けるみたいです。




