2.闇の王者たち
退魔師。
その言葉に、私の胸の中に冷やりとしたものが流れ込んだ。
ヴルグの私への態度から、私は敵で、ヴルグにとってよからぬ力を持っていることはなんとなく感じ取っていた。
だから私ならミシェルを助けるにも役に立つだろうとついてきたのだが。
今までそうしてうすうすと感じてはいたものの、それなら何故ギルバートがそんな力を欲しているのかがわからなかった。
だけど、言葉にして言われて、なんとなくわかってしまった。
人狼の男に殺意を向けられたことよりも、そのことの方がショックだった。
ギルバートも実は私を殺そうと狙っていただとか、ヴルグたちに味方するだろうとか、そんな誤解は微塵も浮かばなかった。
だけどそっちの方がよかったかもしれない。
「人の国の王との盟約があるだろう。人を害することは許されない」
ギルバートの銀の瞳は鋭く細められていた。
人狼たちの言動を注視するように。
「だが王よ。退魔の娘は別だ。その力を向けられれば、我々は塵となって消え果てるのだから。そうならぬよう我々は自らを守ろうとしているのに過ぎない」
その言葉に、私はやはり、と思ってしまった。
でも認めたくなかった。
ギルバートがその力を望んでいたことを。誰にその力を向けるつもりだったのかを。
「おまえたちが力を向けられるようなことをしなければいいだけの話だ。人の国の王との盟約は双方が守るもの。人もむやみに我々を害してはならないのだから。そのために人の国の王と掛け合い、私と退魔師の娘は婚約を結んでいるのだ。管理は私に託されている。おまえたちが騒ぎたてることではない」
管理という機械的な言葉を選び、ギルバートは無自覚に私の胸を刺す。
気づきたくはなかった。
ギルバートの望みも、自分の気持ちも。
こうなることがわかっていたから、ギルバートは全てを伏せていたのかもしれない。
私の胸はもうぐちゃぐちゃだ。
いろんな感情がないまぜになって、処理が追い付かない。
そこに新たな声がかかった。
「あらあら、ご一族勢ぞろいで。さすがは内輪で群れるのが大好きなオオカミさんねえ」
「ああよかった、間に合った!」
空から降って来た声は、エヴァとユリークのものだった。
大きな黒い翼を背にしまい、地に降り立ったエヴァにヴルグが「あ、あの女!」と声を上げた。
「短期留学生ってやつだろ。だけどいつもと匂いが違う。おまえ、誰だ?」
エヴァはちらりとヴルグを見て、それから横目でギルバートを睨んだ。
勝手に姿を借りられたことを怒っているのだろう。
ヴルグは代表格の男をぐいっと退けるようにしてエヴァに近づき、訝しげに眉を顰めた。
それからギルバートを見て納得したように頷く。
「ああ、なるほどなあ。そういうことか。ずっとシェリアの傍にあった匂いはこっちの執事のだ。短期留学生が傍にいるときもシェリアにずっとひっついてる匂いが変わらなかったから混乱したけど、その女の姿に化けてたわけか。そんで普段は身を隠してシェリアの傍にひっついてたんだな。なーるほどな、やっとスッキリしたぜ」
匂い一つでそこまでわかるものなのか。
心底侮れないと、思わず一歩引いた。
込み上げかけていた涙もついでにひいた。
それに気づいたヴルグが、くるりと私に顔を向けた。
牙が覗く口元がにたり、と吊り上がり、私はぞっとしてまた一歩退いた。
それを庇うように、ギルバートが私の前に進み出た。
見慣れた背中にほっとする。
だけど。
ごちゃごちゃした胸はよりいっそう苦しくなった。
「一応知らせは入れておきましたが。わざわざ二人で駆け付けなくとも私一人で十分でしたのに」
束の間、ギルバートが執事に戻った。
銀縁眼鏡をかちゃりと押し上げた姿に、先程までの底冷えのする冷気がやや鎮まったのがわかる。
「そうじゃないよ、僕たちはギルを止めに来たんだよ」
ユリークの言葉に、静かに動向を見守っていた人狼たちが「おおっ」と歓喜の声を上げた。
「あなたは現王の代理ですな。さすが話がわかる。さあ、我々と一緒にその退魔師の娘を始末しましょう」
代表格の男がユリークに手を伸ばす。
けれどユリークは、きょとんと首を傾げた。
「そんなことはしないよ。僕、シェリアが好きだもん。シェリアに何かあったら僕だって黙っちゃいないよ」
混沌とした胸に一滴の清涼剤が落とされたようだった。
きゅんとするユリークの言葉に、思わず心と頬が緩んだ。
「私たちが手を出すまでもないことはわかってるわよ。危ないのはあなたたち」
エヴァがぷらぷらと人差し指を人狼たちに向ける。
「は……? あなた方まで何を。いつでも我々を消せるその娘を放っておくというのですか。危険は排除しなければならない。そうでなければ、安心して人間ばかりのこの世で暮らすことなどできない」
代表格の男の言葉に、人狼たちが無言で同意を示すように、ざっと一歩を詰めた。
「ああ、それだよ。あんまりそういうことを言ってギルバートを怒らせたら、狼たちが一族郎党殺されかねないから、そのときは止めようと思ってきただけだよ」
困ったように言ったユリークに、人狼たちはざわついた。
「なんですと……?」
代表格の男の横で、ヴルグもユリークたちを、ふうん、と見回した。
「なんだ。おまえら吸血鬼はこの女を放っておくっていうのか?」
「放っておくつもりはない。さっきも言っただろう。私の手元に置くのだ。生涯な」
さっきは管理と言っていたのに、途端に甘く聞こえるから困る。
少しの言葉のニュアンスの違いでいちいち振り回される自分に嫌気がさす。それどころじゃないのに。
「我らの意見は合わぬようだな。王とはいえ、信じられぬ。その女が何を企むかもわからん。危険な目は摘んでおくのが我らのやり方だ。そうして人の世で生きながらえてきたのだからな」
ざっとまた一歩が詰められ、辺り中が殺気に染まったのがわかった。
びくりと肩を揺らし、思わずギルバートの服を掴むと、顔の見えないギルバートがにやりと笑ったのが声からわかった。
「数さえ揃えれば勝てると思うのが浅はかなところだな」
「やってみなければわからないだろう!」
「やってみないとわからないのが既に愚かなのよ」
呆れたようなエヴァの声が返り、人狼たちは一層殺気を強めた。
しかし。
その殺気を切り裂くような静かな声が割って入った。
「僕はさあ……」
低くて、でもどこか甘さを残した少年のような声。
今のは誰が喋ったのだろう。
振り向けば、新月の夜と同じ黒の瞳を満月の闇夜に浮かべ、口元を傾く三日月のように吊り上げたユリークの姿があった。
「一族郎党皆殺しとか、無用な殺生は好きじゃないんだよねえ。怯えるがゆえに群れて囲む愚策を弄する知能の低い獣の血なんておいしくもなさそうだしさ。だけどこれはしょうがないかな? 獣も人も吸血鬼も、属する社会のルールから逸脱したらお仕置きを受けなきゃいけないからねえ。そうでないと、学習できないもんね?」
三日月が、満面の笑みに変わった。
誰。
ユリークくん?
さすがギルバートの弟、というべきか。
さすが王と言うべきか。
もう代理じゃなくてユリークが王でいいんじゃないかなと思った。
それくらいに果てのない冷たさと闇で辺りを満たし、この場を一瞬で支配したのがわかった。
人狼たちの耳が一斉に垂れ、逆立っていた毛は萎えて尻尾がくるりと巻かれた。
見たことある。
犬が怯えたときのやつだ。
「ユリーク。殺気を放つのはそれくらいでやめておけ。でないと弱い者から死んでいくぞ」
ため息を吐いたギルバートに宥められ、ユリークは「おっと」と吊り上げた頬を戻した。
それから呆気にとられるように見守っていた私を振り向き、眉を下げこてんと首を傾げた。
「怖がらせてごめんね、シェリア。僕の事嫌いになっちゃった?」
「全然」
迷いなくきっぱりと答えれば、ユリークがぱっと笑った。
「よかった!」
それから笑みを残したまま、人狼たちに再び向き直った。
「そういうわけだから。黙って大人しく、シェリアから身を引いてね? 僕たちも闇に生きる仲間たちを絶滅させたいわけじゃないから」
「シェリアがむやみに人を、私たちを害する人間ではないことも保証しておくわ。なにせ彼女は、吸血鬼と正体を知ってもギルバートを常に傍におき、血を与え、共存しているんだもの。むしろ人間たちの中で最も私達に寄り添ってくれる存在よ。彼女が懸け橋になる。それは私達の希望でもあると思わない?」
さすがエヴァだ。
脅しではなく、きちんと言葉で納得を得ようとしてくれている。
殺意も放たず、押しつけではない彼女の言葉に、人狼たちもようやっと耳を傾け始めたようだった。
「ヴルグ。おまえがシェリアに近づいて何かされたことはあるか」
ギルバートに声を向けられ、ヴルグはやや考えるようにして夜空を仰いだ。
それから「ないな」ときっぱり答えた。
それを受けてギルバートが頷き、人狼たちを見回した。
「シェリアには力のことを伝えずにきたが、これまでの関わりの中で己の力にはなんとなく気づいていたはずだ。だがシェリアは積極的にヴルグを害する行動はしなかった。あれほどうるさく邪魔で、私が何度も消してやろうかと思ったくらいだったのにな」
穏やかではない言葉を交えながらも語り掛けられた言葉に、人狼たちは顔を見合わせた。
「本当に……その娘は我々と――」
端の方からちらと様子を覗う人狼に、私は慌てて頷いた。
「共存を望むわ。あなた方が人を害さない限り、私にどんな力があろうともそれをあなた方に向けることはない。たとえ誰かに管理されていなくても、監視されていなくても、私自身の意思で、それを誓うわ」
はっきりとそう告げれば、人狼たちはざわざわと近くの者たちと話し始めた。
やがて声は収まり、代表格の男が「わかった」と了承を告げた。
「狼の力を持つ我々と、退魔の力を持つそなたは言わば対等だ。我々とて寝首さえかければそなたを害することはできる。――そこの吸血鬼が張り付いてさえいなければだが。不当に人を害さないと信じてもらう代わりに、そなたが我々を不当に害することもないと、信じよう」
「ありがとう。ぜひ、そうしてもらえると嬉しいわ」
寝首をかかれるのは嫌だ。
ヴルグは一人、それでも納得がいかなそうな顔をしていたけれど、「まあいっか。面白そうだしな。生かしといてやるよ」とにたっと笑った。
ギルバートがヴルグに殺気を向けるのをユリークが「はいはい」と宥め、私達はザストロイ家を後にした。
うっかり忘れそうになったミシェルも、しっかり回収して。
ただ私の胸には知りたくなかった真実だけがわだかまっていた。
でもそれを解消できるのは、この場ではなかった。




