3.対価という名のお仕置き
「さて、と。邪魔者はいなくなりましたので心置きなくお話を聞かせてもらうこととしましょうか」
ぼすん、と私をベッドに置くと、ギルバートはその向かいに椅子を持って来て座った。
優雅に足を組み、その上に指を組み、全身で「逃がしませんよ」と言っている。
「だから言ってるじゃない。ギルバートとの契約を破るつもりなんてないって。ただ……、ちょっと心の整理がしたくて、あの家を離れたかっただけよ」
ギルバートがちゃんと言わせてくれないだけ、聞いてくれないだけだ。
しかしギルバートの憮然とした顔は変わらなかった。
「結局家を出たいということに変わりはないじゃありませんか」
「だから、そうしようと思ったんだけど行く先がなかったの! 家を出ることと契約のことは直接関係ないでしょ? どっちみち十八歳になったら結婚してあの家を出て行くことになってたんだし」
「アルフリード殿下ですか? けれど殿下はもう新しい婚約者を決めてしまった。だからやぶれかぶれになっているのですか」
「……何言ってるの?」
「言葉の通りですよ」
黙り込み、しばらく考える。
「さっきのパーティの後にアルフリードと話してたことを言ってる? 結果としてアルフリードは婚約者をエレーナ様と決めたんだし、どこまで本気かわからない言葉を本気にしても仕方ないと思うけど」
「ほら、これですよ」
銀物眼鏡をくいっと押し上げて、はあとため息を吐く。
え。何よその呆れっぷり。すんごい腹立つんですけど。
別にかまととぶってるわけじゃない。
え~、私のこと好きだったの? 全然気づかなかったあ~!
とかじゃないよ。
本当に、アルフリードのあれは別に恋とかそういうのじゃないと思う。
大体、そんな雰囲気になったことなんて一度もないっていうのに。そんなの傍にいたギルバートが一番よく知ってるじゃないかと言いたくなる。
「私だってアルフリードのことは好きよ。けどお互いに、友人としての好きだと思うのよ。アルフリードだって言ってたじゃない。私が死にそうにないからとか、楽しそうだからとか。あんなの、いちいち本気で受け止めてたら精神摩耗するわよ」
「本気で好意を告げたら友人でさえいられなくなるからですよ。王族は心で結婚するわけではありませんしね。だからこそ心は誰にも明かさずそっと蓋をして大事に置いておきたいのですよ」
まるで王族のことをよくわかっているかのように語る。
いや、ギルバートもこの城の当主ということはそれなりの地位なわけで、同じような思いを味わったことがあるのだろうか。
そういえばギルバートは、吸血鬼になる前は何をしてたんだろう。
うちに来る前は何をしてたんだろう。
当たり前のように執事をしているから、元々そうだったのだろうか。
何歳の時に吸血鬼になったんだろう。
っていうか、そもそもギルバートって何歳なの?
ユリークは人よりも成長が遅いようなことを言っていた。
でもギルバートは元々は人間で途中から吸血鬼になったわけで。
もしかして、吸血鬼になってからまったく歳をとらなくなるとか? そうだとしたら、見た目通りの年齢ではないということになる。
出会った頃からギルバートが年を取っているかと言うと、毎日一緒にいるからよくわからない。
十年近くも傍にいるのに、私はギルバートのことを何も知らない。
こんなに立派なお城があるのに、出会ったあの時、何故行き倒れるようにして項垂れていたのだろう。
確か、着ていた服は上質なものだったように思う。
何もかもに恵まれているのに、欲しているものだけが手に入らない。
そうしてうらぶれているように見えた。
何でもできる万能執事、いや万能吸血鬼のギルバートが探していた私の力って、何なんだろう。
ずっと気になっていた。
けれど力が使えなくなるからと、決して教えてはくれなかった。
「シェリア様。今、面倒になって現実逃避していたでしょう」
はっ。
「いや、ごめん、そうじゃなくて、ちょっといろいろ気になって」
「問い詰める私を目の前に別の考え事とは――随分と余裕ですね?」
ギルバートの灰色の瞳が鈍く光る。
座ったままなのに、何故か距離が狭められたような気がして思わず身を引いてしまう。
するとまたギルバートの眉がぴくりと吊り上がった。
「ほら、あなたはすぐにそうやって逃げようとする。だからこの手の内に閉じ込めておきたくなるのですよ」
いやいやギルバート、何その病んでるっぽい発言は。
なんかちょっと怒りだしてからおかしくなってないか?
私はなんとなく危険を感じて、再度口早に説明を試みた。
「だから、ミシェルから離れようとしただけなんだってば! 私はまだミシェルと向き合えるほど心の整理がついてない。だけどあのままで私が邸に居れば、ミシェルはエスカレートする。ギルバートは契約上、私を守らなきゃいけない。でもギルバートがこれ以上傷つくのは、嫌だったの!」
途中で口を挟ませないよう一息に言い切れば、ぜいぜいと息を切らす私をギルバートはただ黙って見ていた。
「それだけ……ですか?」
ぽかんとしたように、口の中で呟く。
「そうだけど」
何よ、何か文句ある? と次なる言葉を待ち構えていれば、ギルバートは「そうですか――」と心からほっとしたように、顰めていた顔を緩めた。
ふわりと笑むような。
そんな顔は初めて見た。
何故かどぎまぎする。
「吸血鬼の怪我など血を摂取すればすぐに治りますよ」
「え? そうだったの?」
ギルバートが傷ついたことなんてないから知らなかった。
いや、怪我したことを隠されていただけなのかもしれない。
でも血をねだられたことはない。
対価を、と迫られたことならあるけど。
ギルバートは万能すぎて、私に隠し事をするのなんて簡単だから。
私はずっと、その掌の上で何も知らないままお気楽に過ごしてきてしまったのかもしれない。
難しい顔になった私とは反対に、ギルバートはさっきまでが嘘のように、にこにこと機嫌のよさそうな笑みを浮かべていた。
「な、なによその顔」
「いえ? 心配していただくというのも、存外気持ちのいいものだなと思いまして」
「私はギルバートが傷ついても平気でいられるほど鬼畜じゃないつもりよ」
むっとして眉を顰めれば、ますますギルバートの笑みは深くなる。
こんなご機嫌な顔、見たことがない。
さっきとの落差が激しすぎる。
だけどこれで誤解も解けたはずだ。
私はギルバートの満面の笑みに戸惑い、ふいっと顔をそらした。
「そう言えばさっきの対価がまだだったわね。それと、アルフリードのパーティに連れ出してくれた対価も。借りっぱなしは嫌だからさっさと清算しておきましょう。はい、どうぞ」
強引に連れて来られたものの、家を出るという目的は果たされたわけだし。
それで背中の怪我が治るなら、早く治してほしい。
ギルバートは銀縁眼鏡の奥の瞳を細めて笑うと、椅子から立ち上がり私の手を取った。
いつものギルバートの顔だ。
何故だか私はほっとした。
「殊勝なことですね。また何を企んでいるのかは知りませんが、ここはありがたくいただくとしましょうか――」
そう言って、ギルバートは私の手をぐいっと引いた。
「え?」
ベッドに座っていたはずの私の体は自然とギルバートの胸に収まり、驚いて見上げた私の顔にギルバートの端整な顔が覆い被さった。
一音も発する間もなく、ギルバートの冷たい唇が下りてきて、それはすぐに離れた。
柔らかな感触をほんの少しだけ、私の唇に残して。
「身も心も疲れ切っているあなたから血をもらうほど、私も鬼畜ではないつもりです」
シェリア様がどう思ってるかは知りませんが――と口の端を上げて笑い、ギルバートはつかつかと部屋の扉に向かって歩き出した。
「今日はゆっくりとお休みください。私はエヴァとユリークと話してまいりますので。よい夢を――」
最後にこちらを向いた目は、満足げに細められていた。
ぱたん、と扉がしめられると、呆然としていた私はそのままベッドへと倒れ込んだ。
人の唇を勝手に――初めてのキスを奪うなんて。
やっぱり鬼畜じゃないか!
私はお腹の底から込み上げる熱に「うわぁああ!」っと叫び出しそうなのを堪え、顔を覆った。
ゆっくりなんて、眠れるわけがない。
いい夢なんて、見られるわけがない。
結局私は「うわあぁぁぁ」と声に出してしばらくじたばたともがいてから、疲れ果てて眠った。




