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執事な吸血鬼は伯爵令嬢を逃がさない  作者: 佐崎咲
第二章 伯爵令嬢と伯爵令嬢
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11.最後のお願い

「シェリア。こんなことを語った後で信じてはもらえないかもしれないが。私もエリザベスも、おまえが産まれたことを何よりも喜んだ。おまえを初めてこの手に抱いた時、私が選択しかけたことが誤りであったとわかった。それもまた事実だ」


 不器用な人なんだと思う。

 だからこれまで口を閉ざしてきたのだと思う。

 妻の命日の感傷と酔いとに任せて、本来なら娘に告げるべきではないようなことまで、正直に話してしまう人だから。

 私は小さく息を吐き出して、顔を上げた。


「お父様。お願いがあるの」


 父の目を真っ直ぐに見れば、戸惑うようにその瞳が揺れた。

 何かを紛らわすように、父は苦笑した。


「初めてだな。おまえが私に何かを頼むのは」


「私の結婚を早めてほしいの」


 端的に告げた私に父は眉を上げ、それから言葉を失った。


「今の話を聞いたからじゃないわ。ただ、私がこの家にいると全てが歪んでしまう。私がいない方が平和になる。そのことに気が付いただけよ」


 父にいらぬ命だったと言われ、いじけているわけではない。

 悲劇のヒロインに浸っているわけでもない。


 ただ、この家で異質なのは私なんだと、以前からうすうす感じていた。

 だって、父と義母とミシェルは、ちゃんと親子だ。

 私はただ先にこの家にいたというだけ。


 義母とミシェルだけでなく、父までもが私のせいで苦しんでいるのだ。

 私だって、実の母の死期を早めてしまった自分が恨めしいとも思う。


 別にむやみに罰されたいわけじゃない。

 ただ、どうせ出て行くことになっている私がさっさと出て行けば話が早いじゃないかと思っただけだ。

 何よりミシェルは暴走することもなく、穏やかな日々が過ごせるだろう。


 けれど父は、眉を寄せて首を振った。


「それはできない。簡単に話がつく相手ではない。この話は私だけでは決められない」


「そう」


 どこかでその返答は予想がついていた。アルフリードから王室が絡んでいると聞いたから。

 それなら――。


「シェリア」


 父のいやに強い声に、私の思考は妨げられた。


「おまえのせいではない。私がずっと逃げていたからだ。ミシェルにもレリアーナにも、この邸と財産をくれてやれば償いになると思っていた。だがそうではないな。この家のことは私の責任だ」


「そりゃそうよ。お父様がクソなのは変わらないわよ。別に私も、全てが私のせいだなんて思ってないわ。お腹の中にいたときのことを言われてもね。」


 言葉ほど簡単に割り切れることでもなかったけれど。

 あくまで強気で言った私に、父は苦笑した。


 父もわかってはいたのだろう。

 義母もミシェルも、父がきちんと向き合っていればこうはならなかっただろうことは。

 私と二人を繋ぐのは、父だけなのだから。


 だけどアルフリードが言っていたように、義母にだって、ミシェルにだって、それぞれの理由があるだろう。

 誰も悪くない、なんてことはない。

 でも私に誰かを責めることもできない。

 私も家族のことを何にも見ていなかったのだから。


 ただ。


「お義母様のことは、きちんとお父様が向き合うべきだと思うわ。家同士の約束を果たしたらあとは好きにしろだなんて思っているなら、飼い殺しもいいところよ」


 義母は結婚した以上は、この家以外に居場所はないのだ。

 父が亡くなった母ばかりを心に抱いて義母を見なくても。たくさんの使用人に囲まれていながらも味方を感じることはできず、どんなに居心地が悪くても、ただひたすらに黙って時を過ごし、自分の存在意義がわからなくなっても、この家にいるしかなかった。


 それは自由ではないと私は思う。


 けれど義母が真に何を望んでいるのか、それは本人にしかわからない。

 誰も話をしていないから。


 ミシェルのこともそうだ。

 父は言われるがままにドレスを与え、次期当主の座を約束することで尊重しているのだと示しているつもりなのかもしれない。

 けれどただそんなものを与えられるだけで放置されたミシェルは、フォローもしない父から愛を感じられていただろうか。ただ重みに潰されまいと必死に抗っていたように見える。

 今日のミシェルの口ぶりからは、自分の出生が父にさえ心から望まれたものではないと思っているように聞こえた。


 だからミシェルはいつも焦っているのだ。

 次期当主として広く人々に認められなければならないと。

 誰かに認められ、そして愛されなくてはならないと。

 飢えた子供と同じだ、と思う。


 私が与えた影響ばかりではない。

 この家全体が見えぬところで互いに影響しあって、今のこの家族を作っているのだと思う。


 ただ、私にはギルバートがいた。

 常に傍に寄り添ってくれる存在がいるだけで、心が穏やかでいられた。強くあれた。

 すれることなく、日々前を向いて、自分が好きな自分でいられたのは、ギルバートがいたおかげだと思う。


「飼い殺し、か――」


 父は呟いたまま言葉を継がなかったけれど、その瞳はいつものようなうつろではなかった。

 父にしかできないことが、この家にはある。

 私にしかできないことが、あるように。


     ◇


 部屋に戻るとギルバートが優雅にお茶を飲んでいた。


「あなたは毎度毎度……。ひとの部屋で何してんのよ」


 呆れたように言ったつもりが、気づけば笑っていた。

 父とのハードな話を終えた後に、いつもと変わらないギルバートの姿を見るとほっとしてしまう。

 ギルバートは何かに気付いたように片眉を上げたけれど、そのことには触れなかった。


「シェリア様が後で話があると仰っていたのでお待ちしていたのですよ」


「その私のお気に入りのお茶と私が明日食べようと思っていたクッキーを食べて待たなくてもよかったと思うんだけど」


 正直を言えば、先程は地に落ちそうなくらいに落ち込んだ。

 一時は全ての元凶が自分だったのだと思うほどに。

 だけどこの部屋に帰ってきたら、なんだか固く強張っていた心がほぐれていくような気がした。


 お腹の中にいてどうにもできなかった時代のことをあれこれ考えたって、「合理的ではありませんね」とギルバートなら冷笑するだろう。

 私は私にできたはずなのにできなかった、家族と向き合うということに関してだけ反省すればいい。


 何もかもを割り切れるわけじゃないけれど、それでも私にはギルバートがいるから。

 ギルバートは私にとっての日常だ。

 当たり前にそこにいてくれることが、私に大切な何かを取り戻してくれる。

 私は確かにギルバートに救われてきたのだと、奥底から実感した。


「で? お父上とのお話を受けて、改めて私に話とは何でしょうか」


 私がぼんやりと物思いに耽っている間にも、目の前でクッキーはぼりぼりと吸血鬼の腹に吸い込まれていく。

 クッキー、お茶、クッキー、お茶、エンドレスだ。


「ああ、うん。それなんだけど、当てが外れたのよ。本当はこの家を出て行こうと思ってたんだけど」


 クッキーを掴みかけていた左手は空を切った。


「――今、何と?」


 ギルバートがカップを置く音がカチャリと響く。

 なんでそんな怖い顔してるのかわからなくて、私は戸惑った。


「契約のことは忘れてないわよ? だけどこの間熱を出したとき、もう私の力の目覚めが近いって言ってたでしょう。だから、今の私なら契約を果たすことはできないかな。家を出る前にちゃんとしておいた方がいいと思って」


 何を言い出すのかというように私をじっと見つめるギルバートに問えば、顰められた眉がすっと戻された。

 だけど平静に戻ったのではない。さらに怒りに油を注いだのだと彼の冷ややかな口調からわかった。


「なるほど。全て片を付けて、全てから逃げ出すおつもりですか?」


 銀縁眼鏡を押し上げ、ガラスの向こうの瞳がぴたりと私に向けられる。

 蛇に睨まれた蛙ってこういう気持ちなのかな、と思った。


「ギルバートから逃げるつもりじゃないよ。だけどあれは『十八になったら』じゃなくて、『私の力が目覚めたら』、ってことだったでしょ?」


 結婚を早めることはできなかった。

 だけどできれば私はやはり、早くこの家を出たい。

 ミシェルときちんと話すと言ったのは本心だ。だけど今はまだ割り切れないものがあるし、頭がごちゃごちゃしていて無理。

 一時的にでもいい。この家から離れて、冷静になって一人でいろいろと考えたい。

 でもそれにギルバートを巻き込みたくはない。

 その先がどんな道になるともわからないのだから。


「ですから、さっさと契約を果たし、自由になりたい。つまりはそういうことでしょう」


 そう言われれば、そうとも言えるかもしれない。

 おそるおそる頷けば、ギルバートの灰色の瞳が部屋に灯した光を受けて、銀に光った。


 何故だろう。

 何故かギルバートは、怒っている。

 静かに燃えるようにふつふつと。

 契約はきちんと果たすと言っているのに。


「わかりました。あなたが勝手にどこかへいなくなるくらいなら、私がここから攫ってあげますよ」


「え?」


 私の小さな呟きは、ギルバートが立ち上がってたてた椅子の音に紛れて消えた。


「私の家にお連れしましょう」


 にっこりと、吊り上げるように口元を笑ませたギルバートの背から、ばさりと黒いものが広がった。

 コウモリの、黒い皮膜のような翼。


「ちょっと待って、ギルバート?」


 私の制止の声はギルバートには届かなかった。

 ギルバートは問答無用とばかりに私の腕をとると、私が痛いと喚くのも聞かずに窓へとつかつか歩み寄った。


 破かんばかりに乱暴にカーテンを引き、両開きの窓を開け放つ。


「しっかり掴まっていてくださいね」


「だから待ってって……!」


 喚く私の口元に、ギルバートが指を一本立てた。


「喋ると舌を噛むかもしれませんよ」


 低く嗤ったその顔は、いつものギルバートではなかった。

 そんな冷えた笑みは見たことがない。

 思わず口を噤んだその時、窓の桟に足をかけたギルバートが夜空へと身軽にその身を躍らせた。

 その腕に私を抱えて。




「きゃあああぁぁぁぁぁぁ!!!」




 落ちる!!!!!






 黙るとか無理。


「ご近所に迷惑ですよ」


 一瞬沈んだ後、ギルバートの背で黒い羽がばさりと羽ばたく。


 今、絶対わざとだよね?


 落ちる!! って、今絶対わざとやったよね?!! もっと早く羽ばたけたよね?


 悲鳴を噛み殺してぐっとギルバートの顔を見上げれば、小さく口元を吊り上げて笑っていた。


 くそぅ……。


 後で絶対に、仕返ししてやる。



 これがギルバートの仕返しなのかもしれないけど。

 なんに対して怒ってるのかは、後でちゃんと聞こうと思う。

 とりあえず今はギルバートに全身の力でもってしがみつくほかはなかった。

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