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執事な吸血鬼は伯爵令嬢を逃がさない  作者: 佐崎咲
第二章 伯爵令嬢と伯爵令嬢
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10.父と母

 父の部屋には主の気配を感じない。

 父がほとんど不在で、ギルバートと私が必要な書類を取りに来るだけだからだ。


 私も時々父の代わりに仕事をしなければならないときに、封蝋やなんかを取りに来ることがある。

 嫌いな父の部屋に長居はしたくなかったから。なるべく見ないように、必要な用事を済ませて去っていた。

 だから、こうしてじっくりと部屋を見回すのは初めてのことかもしれない。


 父の部屋には人間らしさが窺えるものが何もない。

 日記なんてつけるような人でもないし、家族の思い出の品を飾るような人でもない。

 邸の主の役割として持っているだけの部屋。そう感じられた。


 ギルバートの背中に薬を塗り終えた後、すぐに父の部屋に向かった。

 初めて父に『お願い』をするために。

 いつ帰ってくるかもわからないのに、こんなところで待っていなくても、とは思う。

 けどここに入るのも最後かと思うと、なんとなくぼんやりとソファに座りこんでしまった。


 ミシェルは帰るなり閉じこもってしまったそうだ。

 私を部屋から出した犯人を捜すようなこともしていないようで、ほっとした。

 もうそんなことは忘れてしまっているのかもしれない。


 私は父の執務机に座り、なんとなく引き出しを上から順にパカパカと開けた。

 筆記具、書類、仕事をするためのものが入っているだけの、つまらない中身。

 けれど右の引き出しの二番目を開けた時、中で何かがカラカランと音を立てた。

 引き出しの底で転がっていたのは、銀の指輪だった。

 真ん中に涼やかに輝くダイヤが嵌まっている。

 細さからいっても女物だ。


 まさか、と思いながらその指輪を手に取る。

 周りが少しだけ傷ついているのは、持ち主がそれなりの時間指に嵌めていたからだろう。

 内側にざらりとした感触があった。指で撫でて確かめ、はっとして覗き込めばそこには文字が掘ってあった。


 イニシャルだ。

 私を産んだ母の。


 何故父が、ぞんざいに扱い死なせた母の指輪なんて持っているのだろう。

 たまたま入れっぱなしになっていただけだろうか。


 いや。そうじゃない。

 この引き出しだけ、取っ手が他のものより装飾が剥げている。

 この引き出しだけ開けた時に突っかかりがある。


 まるで、何度も何度も開けてはその中身を確かめてでもいたかのようだった。


 父はこの指輪を眺めては母を思い出していたのだろうか。


 母を大事に思っていたのだろうか。


 そう考えてから、一人で首を振った。

 それなら母の妊娠中に他の女の元へ通い、子供をつくるわけがない。

 それとも母を失ってからその大切さに気が付いたとでもいうのだろうか。


 わからない。

 初めて父を、わからないと思った。

 今まで父を理解しようと思ったことなんてなかったから。


 ミシェルのことで思い知った。

 父のことも。もしかしたら、義母のことも。

 家族は誰もがそれぞれの方向を向いていると思っていた。

 だけど、やっぱり家族から一番目を背けてきたのは私だったのかもしれない。


     ◇


 静かにドアが開いて、酩酊した父が顔を出した。


「なんだ、シェリア。こんなところで何をしている」


 顔の赤さとは裏腹に、その口調は意外にもしっかりとしていた。


「珍しいのね。夜のうちに帰ってくるなんて」


「まあ、今日はな」


 父の目が、床を向いた。


「母の命日だから?」


 問えば、再び父が顔を上げた。

 そこに驚いたような色はない。

 ただどこか、諦めたような、そんな力のない目だった。


「そう言えば、そうだったな」


 お酒の匂いに混じって、何か甘い匂いが香った。

 見れば、父の手には小さな花瓶に活けるほどの花束があった。

 まるで、これくらいなら義母に見つからないだろうというような、隠し持って家に上がれるような大きさだった。


 私の視線を追いかけるようにして、父が自らの手元に視線を落とす。まるで、今気づいたとでもいうように。


「ああ。これか。たまたまな、もらったんだ。ついでだから、そこらに適当に活けてもらってくれ」


「わかった」


 答えて、私は父の部屋の一日中閉め切られているカーテンを開け放った。

 夜の闇を映す窓の前には、空のままの小さな花瓶と、小さな額に入れられた絵があった。

 額の中で佇んでいるのは、記憶にあるよりも若い姿の母。


 父は、日の当たる、けれど誰の目にもふれはしないこんなところに、ずっと母を置いていたのだ。


 私は窓辺の花瓶を手に取り、それから扉の前で固まったままの父の手から花束をそっと受け取った。

 水をもらい、花を活け、父の部屋に戻る。

 花は余ることもなく、花瓶の中ですかすかになってしまうこともなかった。まるで最初からこの花瓶に活けるつもりだったように。


 父は執務机に座ってぼんやりとしていた。

 その背後の、元あった窓辺に再び花瓶を置く。


 絵の中の母が着ているドレスと同じ、かわいらしい黄色い花だった。絵の中の髪に挿したらとてもよく映えそうだ。

 この花はこの季節にはあまり見ない。まだ少し先にならないと出回らない。

 探し回るか、置いてある店を知っていなければ、手には入らないだろう。


 たまたまもらったなんて。嘘だ。


「何故、お母様がいながら他の女の元へと行ったの」


 初めて問いかけた。

 心の中で疑問に思っているだけでは答えは得られないから。


 父は私が口を開いたことに驚くように、目を見開いた。

 それから手を組んで机に肘をつき、しばらく黙り込んだ。


「これまでおまえが思っていた通りだ。クソだからだ」


 私が父をどう思っていたのか、どう見ていたのかなんて、わかっていたのだ。

 何も見ていないと思っていた。何もわかっていないと思っていた。

 だけどそれは全て私の思い込み。もしかしたら、そうあってほしいという願望でさえあったのかもしれない。


「お母様を愛していたのに、何故?」


 もう、今ならわかる。

 この人は未だに母のことが忘れられていない。

 立派に引きずっている。

 だから夜な夜な酒におぼれるのだ。

 だけど、だからこそ何故。

 膨れ上がった疑問は大きくて、口に出さずにはいられなかった。


 父は逃げるでもなく、はぐらかすでもなく、じっとそこにいた。

 けれど父が口にした答えは、私には理解できないものだった。


「愛していたからだ」


 答えになっていないじゃない。

 眉を寄せた私に、父は静かな目を向けた。

 最初から酔ってなんていなかった。そうわかるほどに、苦悩に満ちた目を。


「おまえは生まれるはずじゃなかった子供なんだ。エリザベスは体が弱かった。無事に子供は産めないだろうと言われた。だがエリザベスは、たとえ命を落としたとしても産むと言い張った。だから私は子供が欲しいなら他に作ればいいと言ったんだ」


 静かに紡がれた言葉に、私は目を瞠った。

 握り締めた拳がふるふると震えた。


 私のせい?

 私を産みたがる母の命を守るため?


「エリザベスに死んでほしくなかった。子供なんかより、エリザベスの方が大事だった」


 だから、金に困っている男爵家に年頃の娘がいると聞いて、援助を申し出る代わりに養子がほしいと頼んだ。

 だがその娘は未婚で、適当な相手もいなかった。

 だからあなたが父親になってくれるのなら承知しましょうと、その娘は答えた。

 そうしてミシェルが産まれたのだ。


 父の目には、話したことを後悔するような苦々しさが滲んでいた。

 あまりに正直すぎる話だった。

 だから死ぬまで一人抱え込んでいくつもりだったのだろう。


 私の胸には自分でもわからない何かが渦巻いて、だけど体はひんやりと冷えていた。


「おまえは奇跡的に生まれた。エリザベスも生きながらえた」


 だけど、結局はその無謀な出産が元で、母は命を縮めることになったのだろう。


「だから私を見なかったのね。お母様を奪った私が、憎かったから」


 喉元になにか塊があるみたいで、とても苦しかった。


「違う。そうじゃない。おまえがあまりにエリザベスに似ていたからだ。だからまっすぐに見ることができなかった」


 すまなかった。

 父は小さくそう言った。


 その謝罪の言葉はあまりに虚しかった。


 命を失った母の代わりに、その命を奪った私がどんどん成長し、母に似ていく。それは父にとっては不条理に感じたことだろう。


 子供なんかより、という父の言葉が、父の気持ちの全てを言い表していた。 


 この家がガタガタと崩れて歪んでいったのは、私の誕生が始まりだったのだ。

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