5.城前の決戦
というわけで、こっそりギルバートにドレスを持って来てもらった私は早速着替えの準備を始めた。
まだミシェルは邸内にいるだろうけど、今から着替えておかないと間に合わなくなってしまうから。
ミシェルも前回のパーティで懲りたかと思ったのに、それでもまたアルフリードのパーティに行きたがるとは。
どうあっても私の上に立ちたいのだろう。
ドレスを手にして、くるりとギルバートを振り返った。
「ちょっとあっち向いててね」
「かしこまりました」
返事を受けて、再びギルバートに背を向ける。
寝衣に手をかけてから、確認のためちらりと振り返ればギルバートが「ふむ」というように顎に手を当てじっとこちらを眺めていた。
「おい」
「口が汚いですよ、シェリア様」
誰のせいか。
「あっち向いててねって言ったじゃない!」
「シェリア様が後ろを向かれたのでよろしいかと」
んなわけあるか!
「ちゃんとそっち向いてて! わかった?!」
「ハイハイ」
なんで私が我儘言ったみたいになっているのか。
まったく……。
ギルバートが背を向けたのを確認してから、私もくるりと背中合わせにして、寝衣を脱いだ。
侍女を部屋に呼び込むことができない以上は、コルセットを締めたりドレスの背中を上げたりはギルバートにも手伝ってもらわないといけないけど、できるだけ肌は見せたくない。
普段からミシェルにあれこれされているおかげで、ある程度は一人で着られるようになっていてよかったと心底思う。いや、これもミシェルのせいなんだけど。
「ギルバート、背中をお願い」
シンプルなドレスにしておいてよかった。ごわごわと生地の多いドレスだったらもっと手間取っただろう。
「これでよろしいですか?」
「ええ、ありがとう」
ギルバートの背後にあった鏡で全身をチェックし、ふうと息を吐く。
そこで気づいた。
「ん? 鏡?」
はっと息を呑む。
「鏡!」
丸見えじゃないか。
お互いに背中を向けていても、ギルバートの目の前には鏡があったわけで、そこにはうんしょうんしょと一人でせっせとドレスを着る私の後ろ姿があったわけで。
いやいや、映ってないよね? 映ってなかったよね?
まさか黙って見てるとかそんな性根の腐ったことは。
「シェリア様も十七歳。成長されましたねえ」
「うるさい!」
やっぱり見てたのか!
ぐうう、と羞恥に震える拳を握り締め、私はそれを紛らすように叫んだ。
「次、髪お願い!」
どすどすと足音荒くドレッサーの前に座った私に、ギルバートはさも楽しそうに「かしこまりました」と答えた。
何でも卒なくこなすギルバートは、髪もあっという間に綺麗に結い上げてくれた。それがまた何とも腹が立つんだけれども、だからこそ助かっているのは事実で文句を言えないのがまた悔しい。
その間に私は自分で化粧をした。
侍女たちがやってくれるほどではないけど、まあまあ失礼のない程度には出来上がった。
そろそろミシェルも行った頃だろう。
うちの馬車はミシェルが使うだろうからと、別の馬車を頼んである。
会場にさえ着いてしまえば、こちらのものだ。ミシェルが強行しようとする前に、ミシェルを再び馬車に押し込めなければ。
全然お留守番をしないアクティブな執事は、私と一緒に馬車に乗り込んだ。
いつもなら誰も見ていない馬車ではだらりと頬杖をついて過ごすのに、ギルバートはぴしりと背筋を立てたままだった。
今日はうちの馬車じゃないから、これでも気を張ってるんだろうか。
けど馬車ががたんと揺れ、壁に背がぶつかった瞬間、ギルバートが思わずというように顔をしかめたのを見逃さなかった。
「ギルバート? 背中、どうしたの? どこで痛めたのよ」
そう言えばさっきも痛そうにしていなかったか。
「シェリア様の人使いが荒いものですから。筋肉痛でございます」
ふっ、と横目に私を見たギルバートの視線にカチンとくる。
だけど確かに今日の私は部屋で待っているばかりで、時間が差し迫る中あれこれ動き回ってくれたのはギルバートだ。
私はミシェルが既にやらかしたりしてなければいいんだけど、と頭の中でそればかりを考えていた。
◇
「ですから私がシェリア=アンレーンですと申し上げているでしょう。招待状は忘れてしまいましたの。そのうち気づいた執事が持ってくるでしょう。早く中に入れてくださらない?」
まさか自分が招待された本人だと言い張っているとは思わなかった。
たぶん、最初は体調不良で来られなくなった代わりに来たとか、それらしい嘘――というか実際にそう仕込んだのだから本人にとっては事実か――を言ったのだろう。
けれど私がアルフリードにちゃんと行くと伝えていたから、そんな話は聞いていないと入れてもらえなかったに違いない。
ミシェルならそれくらいで諦めたりはしないだろうとは思ったけど、まさかそこからそっちに方向転換をはかるとは思わなかった。それは無理がありすぎる。
私は淑女の範疇を超えないよう気を付けながら足を早め、急いでミシェルの背に声をかけた。
「ミシェル」
驚いたようにピンクのふわふわ髪が振り返る。
「お姉さま! まさか出て来られるなんて。それにドレスも。――ちっ、一体誰のしわざ?!」
悪い顔も言葉もダダ漏れだ、妹よ。
私は外向けの笑顔を張り付けた。精一杯。
「私が体調不良で参加できなそうだと思ってきてくれていたのね。でも大丈夫よ、もう回復したから。せっかくの殿下のお誘いを無碍にしてはならないとここまで来てくれたのでしょう? ありがとう、もうその必要はないから、あなたは帰っていいわ」
にっこりと笑みを向けてから、ミシェルの格好の異様さに気が付いた。
何故だか胸が盛りに盛られている。
ドレスも見覚えがある。
私のじゃない?
「ミシェル……、その格好、まさか本気で私のフリをするつもりだったの?」
「姉妹なんですもの、同じ格好をしたら他人にはわかりませんわ。私とお姉さまの違いは胸の大きさだけなんですから。背なんてスカートの中でいくらでもごまかせますし」
なんてことだ。
ここまで愚かだとは。
そのためにサイズの合わないドレスを着て、スカスカの胸を埋めるために偽装を詰め込んで、そんな中途半端な仕上がりでこの場に臨んだのか。
似てるわけがない。
せめてカツラをかぶるとか、化粧を私っぽくするとか、もっと似せる努力をしたのならまだしも、決定的に顔が違う。
第一、アルフリード殿下にバレないわけがない。
彼は幼い頃から私を知ってるのだから。
バレないと思ってるとしたら、ミシェルは他人を見くびり過ぎだ。
上から下までミシェルを眺め、顰めた眉を戻せないままでいると、ミシェルは大きくため息を吐いた。
「お姉さまに協力したのは一体誰なの? 家を継ぐ私の言うことを聞かないなんて、使用人としてありえないわ。帰ったらお説教だわ。減給よ!」
「いくらあなたが家を継ぐからって、そんな好き勝手はさせないわよ」
「――そもそもが、お姉さまでなければならないなんてことはないはずなのよ。私たちは姉妹なんだから。お姉さましか入れないなんて、おかしいわ。階段から突き落としてもぴんぴんしているし。いつもいつもお姉さまばかりが運がよくて、何にでも恵まれていて――」
歯噛みをするように口元に手を当て、ぶつぶつと呟き始めたミシェルの言葉に、私は耳を疑った。
「ミシェル? ――今、階段から突き落としたって言った?」
動揺なんてどこかへ消えて、一気に背筋が冷やりと冷えた。
私はそんなことはされてない。
今朝もまさかとちらりと疑って、出かける前に使用人たちを確認したけど、みんな元気に働いてくれていた。
だからやはり思い過ごしだと思ったのに。
そこで気が付いた。
ギルバートだ。
ギルバートが私の代わりに、落ちたのだ。