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企画もの

今日も快速が通過する

作者: 民間人。

 世に恵まれざるものがあるとき、私は動悸が起こることがある。

 それは優しさゆえか恐れゆえか。

 そう問われた時、私は迷いなく、「恐れ」故だと答えるだろう。

 日常に蔓延る病魔は悪意に増して残酷であり、誰をも巻き込むにもかかわらず、誰にも見えず、聞こえず、感じられない。

 つまり、それこそが見る事のできぬ怪異そのものであり、それを知らぬ者は例外なく、世に漠然と「恐れ」を抱く。


 無知ゆえの恐怖。無知ゆえに、私の動悸は抑えられぬ。然らば、全知なるは、死であろうか?或いは、死への無知ゆえの恐怖であろうか?

 二時間の足止めで済めば、十分手早く終わったと思える。全く日本の警察も時刻表も、あり得ないほど優秀であった。

 私は駅のホームから、線路を覗き込む人々の群れを、読書をする傍らで観察していた。電車に飛び込み自殺をした、20代の若者がいたそうだ。


 私が初めて足止めを食らったのは、確か13歳のころに電車が猫を轢いた時だった。当時、轢かれた猫の姿を見まいと、必死に上を向いて歩いたのを覚えている。

 線路を示す点字床に沿って、立ち入り禁止のテープが貼られ、たるんでいる。子供が背伸びをして現場を見ようとするのを、母親が襟を掴んで諫めている。

 彼らの前にはスーツ姿の会社員がいて、彼は何者かに電話をして、何度も頭を下げている。そのすぐ隣にいる初老の会社員は、全く無表情でスマートフォンに耳を当て、情感をたっぷりと込めた声で、謝罪の報告を行っている。彼らはこの事故の時でさえ、会社に振り回されているようだ。

 そうした彼らの前では、若い学生らが「やばくね?」としきりに言い合っているらしい。確かに、そろそろ学校が始まる時間であり学生達はとりあえず学校に連絡することにしたらしい。先ほどの会社員と同じような方法で、ダイヤルを回した。


 彼らのさらに前方に、件の事故車両がある。車内には、現場検証のために閉じ込められた人々がすし詰め状態で押し込まれており、窓には吐息で出来た濃密な結露が貼りついていた。

 こうした熱狂が日常茶飯事であること、それを知るのは長年生きていれば難しくないが、何よりも、それを億劫に、手際よく処理をする車掌と駅員の姿からも見て取れるだろう。警察官の質問に丁寧に答え、防犯カメラの位置を指さし確認したり、非常警笛や非常停止などの適切な行動の有無などを確認されている。

 さて、被害者である人物の様子については、もはや名状すべきではないことは明白である。救急車から下車したレスキュー隊員が担架で運ぶのは、粉々になった後のものや、捥げた諸々などで、彼らも即座に「死亡確認」が取れそうなほどであった。


 こうした緊急の事態に対する処理の殆どが、日常化していること、この異常性を視野に入れる人は、ここにほとんどいないだろう。それほど馴染んでしまった駅舎での光景は、短くないスプラッタ映画を見せられているような、背筋の凍るような、それでいて非現実を客席から眺めるような、そのような気分にさせられる。


 私は一つ、また一つと頁をめくる。朝の喧騒は行列を伴ったままで続き、ホームから覗く駅前広場には、様々な車種の車両が並び、到着している。駅前のベーカリーには人が屯し、コーヒーを片手に朝食を摂る人の姿も見える。


 はたり。私は頁をめくる。非日常は日常の中にある。駅員を怒鳴りつける高齢者の声が響く。自動販売機が冷たい飲み物を吐き出す。酔いどれが青ざめて椅子に座っている。電光掲示板に、既に見飽きた緊急のお知らせが流れては消えていく。


 はたり。私は頁をめくる。警察がこちらにやって来て、状況確認をしてきた。名前は、誰かに突き落とされていた等はないか、そうした事務的なことを尋ねられた。翌日にはこうした回答もまとめて、新聞の、ごく小さな枠の中に納まることだろう。


 朝の匂いから昼の匂いへと町がうつろい始める。車内から解放された人々が、どっと駅のホームへ流れ出る。老婆を労わる若者に、口角が上がる。妊婦は会社員の波に追い出され、学生達が席を占領する。


 私はしおりを挟み、立ちあがった。彼らの前にある車両が入れ替わるのは、それから暫く経ってからだろうか。



 大きく背伸びをして、テレビの前で過ごした体を労った私は、ニュースで今朝の事故の概要を知った。どうやら、珍しく大ごとになる事件だったらしい。自殺者は無職、23歳の男性であり、就職活動の真っ只中だったらしい。この報道がなされた一番の理由は、社会問題に対する問題提起の論題にするためだった。若者はすぐに自殺をすると言う者もあれば、現代は希望を持てない社会だ、と答える街頭インタビューもある。苦境の時期を支えた人々はこの事実を純粋に悲しみ、絶頂の黄金期を生きた人は、未来の明確な希望を持たない若者を非難した。かと思えば、同年代の人々は、明日は我が身と笑顔で答える。彼らは手にたぴおかミルクティーなるものを持っているらしかった。


 私は、その時暇をつぶしに読んでいた本を開く。栞には、淡い赤色のもみじ模様がある。これを取り出して頁をめくると、事故の瞬間の、耳元の衝撃が蘇ってきた。

 巨大な悲鳴、困惑して顔を見合わせる人々、業務のためにホームに掛け出してきた駅員。眼下に広がる非日常の世界より、なお日常的な非日常が、顔を持ち上げたその先にあった。


 金切り声を上げる車輪。吹き飛んだ人、電車を彩った真っ赤な血飛沫、そして、静寂、静寂、静寂……。


 コメンテーターが語るには、先のパンデミックで内定取り消しが盛んにおこなわれたり、就職先を失った学生達の悲惨さは、何よりも「新卒者」でなくなってしまう事にこそあるのだという。

 ごっそりと抜け落ちた一世代と言うのは、非正規雇用に依存せざるを得ない。首尾よく就職できる人は、よほどの実力者か、饒舌家のいずれかであって、その苦痛は、「最悪就職が決まらなくても就職が出来る世代のそれ」とは比べ物にならないという。社会が彼らをのけ者扱いにして嘲笑し、「堕ちた若者たち」は見世物となる。いくら涙で語ろうと、後ろ指をさされた彼らの行く末など、案ずる人はいないだろう。


 私は頁をめくる。紙の擦れる音がする。吹き飛んだ若者は肢体を引き裂かれ、非難を浴びても知る由もない。ニュースはすぐに、次の話題に移っていた。


 カフカの『変身』では、家族の日常はどう変わっただろうか?思い出すだけで、ぞっとする。

 こう嘆いている、私さえも、明日には死んだ若者のことなど、忘れてしまうのだろう。


「なお、現在、電車は通常通り運行しています」


 21時14分。そろそろ、あの駅に快速が通過する頃だろう。

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