第三話 心配と疑問。一日の終わり。
次に意識が戻った時、目の前には天井があった。そして、横からアリアナが俺の顔を覗き込んでいるのが分かった。
「よかった……気づいたのね」
そう言うと、アリアナが俺の額に手を重ねた。その手に青白い光が少しずつ集まっていくのが見えた。
よく考えると、頭の後ろから程よく硬い感触が伝わってきてるけど、これって、アリアナの膝だよな?ってことは、俺は今膝枕されているのか。
そんな風に呑気に考えていた。まだ意識がはっきりとしていないのもある。
「うん。大丈夫そうね」
「何がなんだ?」
「あなたの体調のこと。なんの説明もなしにいきなり魔法を使っちゃったから。もし、何か問題があったら大変だなと思って」
そのあと、一呼吸置いてから、だるくないか聞いてきた。
「大丈夫だと思います。少し、頭がぼやぼやとしているだけで」
その返答を聞いて安心したのか、アリアナは微笑を浮かべて言った。
「なら大丈夫。多分、あなたが生きた時間の記憶を一瞬で取り戻そうとしたからだと思うわ。もう少し時間を置けば頭の中が整理されて、思考もはっきりとするから」
「そうなのか……」
「そうよ。とりあえず、このまま寝ていると、体が変に機能して、もっと頭がぼやぼやしてくるわよ」
――多分、膝枕をやめた方が良いんだろうな。
そう思って、アリアナに頭をぶつけないように気を付けながら、俺は立ち上がった。立ち上がった時に少しくらっとしたけれど、頭の中では、それがいつものことだと言うのが分かっていた。どうやら、俺は低血圧らしい。
「それじゃあ、これからの話はまた明日きちんとするから。今日の内は夕食を食べてから寝た方がいいわ」
「分かった」
まだきちんと考えることができないでいる。
今日あった不思議なことの数々に理解が追いついていないと思うし、アリアナが言ったように、記憶の整理が間に合っていないのだろう。
そういえば、
「アリアナさん」
「何?」
「俺に向かって小鳥が飛んでくる前に言っていたことって、あれってどう言う意味ですか?」
「え?何にも会わなかった?」
僕の言葉に、アリアナは心底驚いているようだった。
小鳥が飛んでくる前に、アリアナはこう言ったはずだった。
『あなたは記憶の中で彷徨うかもしれませんが、それでも心の中では『生きたい』と願い続けてください』
そう言ったはずだった。
でも、俺がいたのはどこかの劇場。その客席だった。そして、俺はただただ映像を見せられただけ。
俺以外の生き物は全員映像の中だけにしかいなかった。
同じことをアリアナにも説明すると、なぜか難しい顔をされた。
「おかしいわね。確かに、その様子だと、私が使った魔法は正しく発動したみたいだけど、普通なら、何かしらの攻撃を受けるはずなの」
「攻撃?」
彼女の言っていることがよく理解できなかった。
その反応を見て、「ひとまず、席について頂戴」と、俺に言った。俺が膝枕されていたのはテーブルのすぐそばだったので、席に着くまでに時間はかからなかった。
テーブルの上には、さっきまであったはずのティーセットとクッキーがなくなっていた。代わりに、新しく入れ直された紅茶のポッドと、空のカップとソーサーがあった。
空のカプに紅茶を入れながら、アリアナが話し始めた。
「私があなたに掛けた魔法は、あなたの記憶を強制的に呼び覚ますためのものなの。あなたの場合は事故に遭って、その衝撃から来る痛みや苦しみから、今までの経験や記憶を守ろうとあなたの頭が記憶を一時的に思考の奥底に押しとどめていたの」
「つまり、事故にあった時に、俺は自分の記憶を一時的に封印したんですか?」
「そう言うこと。おそらくだけど、一種の防衛本能と同じなんでしょうね。あなたの場合は体を防衛することができないと頭で分かっていたから、普通はすることのない記憶の方を防衛したんでしょうね」
そこまでは理解した。
「それじゃあ、さっき言っていた攻撃ってどう言うことですか?」
「記憶の場合、ほとんど防衛されることなんてないの。それって、記憶を防衛しなきゃならないような事態になっているって認識するの」
そこまで言って、アリアナは「ここまで言ったら分かる?」とでも言うかのように俺を見てきた。それに対して肩を竦めると、諦めたように話し始めた。
「例えばだけど、自分が何かを守らなくちゃいけない時に、その守ろうとしているものを奪おうとしている人がいたら、あなたはどうする?」
「少しでも守ろうとする」
「それと同じことなの。つまり、あなたの記憶が防衛されている時に、その防衛を解いて記憶を手に入れようとしたら、何かしらあなたに危害を加えようとするということ」
「手に入れようとしたのがあなたであってもね」と、アリアナは付け加えた。
「でも、あなたはなんの攻撃も受けていない。そうよね?」
「はい。……ああ、つまり、本来何かしらの攻撃を受けてもおかしくないのに、なぜか攻撃を俺は受けていない。そこがおかしいと」
「そういうこと」
ようやく、なんでアリアナがあんな顔をしたのか、理由がわかった。
「でも、それって、ただ防衛が僕だから良いと認識しただけじゃないですか?」
「そうね。今まで私が見てきた事例にないだけで、あなたみたいに攻撃を受けずに記憶を取り戻すことのできる人もいるのかもしれないわ」
その後も、時折でも、いや、あっちじゃ……と何かしら呟いているのが聞こえたけど、声がいいさすぎてわからなかった。
俺が紅茶のお替りを楽しみ終わる頃には、彼女も考えることをやめたようだった。
「とにかく、それは私の方で調べておくから。今は夕食を食べてしまいましょ」
そう言って指をパチンと鳴らすと、テーブルの上に料理が出てきた。日本人だった俺のことを考えてか、テーブルの上には箸が用意さえていた。料理は温かい白米とコンクリームスープに温野菜のサラダ、魚のトマトにだった。魚のトマトには、白身魚で有名なタラが使われていた。
「できるだけ胃に優しいものと、日本人の下のあなたが食べ慣れているものにしてみたわ。まだ完全に体調が戻ったわけじゃないだろうから、食べきれなかったら残しても構わないわ」
彼女曰く、とにかく少しでも食べた方が体に良いらしい。
早速温野菜に手をつける。添えてある粒マスタードを少し乗せて食べる。料理人として学び始める前は温野菜は難しいと常々思っていた。生野菜と違って、温野菜は時間が経つにつれて野菜がベチャッとなりやすいからだ。
だが、鍋にクッキングシートを敷き、水を大さじ二杯ほど入れ、そのシートの上に日の通りにくい野菜を下にして入れる。それを弱火でじっくりと蒸し焼きにするのが、一番美味しく温野菜を作るコツだったりする。もちろん、他の調理法もあるけれど、お店で出していた時はサラダとして出していていたから十分だった。ここではどうやっているかを知ることはできないけれど、少なくともきちんと調理法を知った上で調理している人だとわかった。
「そういえば、ここはどこなんだ?」
目の前で、「いつも通り美味しいわね、このコンクリームスープ」と言っていたアリアナはスプーンを口に運ぶ動きを止めた。
そしてその顔は、やっちゃったか? とでも言いたげな顔をしていた。
「そうね、まだ説明してなかったわね。ここは神の世界と呼ばれるところね。まず、あなたが日本人であることを見込んでいうけど、地球以外にもたくさんの世界が存在しているのはあなたも理解できるわね?」
知っているかじゃなく、理解できるかと聞いてきた。もちろん、日本で生きている間に、ゲームやライトノベル、アニメなど、いろいろな娯楽に異世界と呼ばれる概念を使っていることは知っていた。本当にあるとは思ってもいなかったし、今自分が体験していて、信じることができるかと言われたら、答えは否だ。
でも、その存在を知っている以上、そう言うものだと思うしか他にない。
だから俺はうなずいた。
「それじゃあ話が早いわ。全ての生き物は死ぬと同時に魂が神の世界に来るの。そこで、全ての生き物の最終地点である天地に行くの」
天地は天国と地獄の総称だと後から分かった。
「それで、これだとあなたの国でよく言われている輪廻転生が成り立たないと思うかもしれないけど、天地に行く前に、多くの神たちから認められた生き物はもう一度別の世界で生きることができる。それが輪廻転生というわけ」
「それじゃあ、ここは神の世界っていうこと?」
「そういうこと。正確にいうと、神の世界にある施設のうちで一番高いところにある転生者用の施設といったところね。転生前の生き物を私たちは転生者と呼んでいるのだけど、転生者には必ず一人の担当神がつくことになっているわ。あなたの場合は私のことね」
そう言い終わると、アリアナはまた料理に手をつけ始めた。そういえば、一度死んでいるのに食事を取る意味などあるのだろうか?
そんなことを考えた。まあ、生きていた頃に見聞きした設定とかを考慮すると、何も文句を言わずに食べておいた方が良いのだろう。言っても、食べた方が体に良いと言われるだけだろう。
「そういえば、あなたが今いる子の部屋に来る前、多分一面真っ白の部屋にいたはずなんだけど、覚えているかしら?」
「はい。霧が濃くなったりしたところですよね?」
「そう。まあ霧の中はくだんの部屋とここを繋ぐ通路みたいなものだから少し違うんだけど。とにかく、その部屋がなんの部屋かわかる?」
ここまで話を聞いた情報から連想する。
「転生者? が目を覚ます場所ですか? それか、何かの試験をする部屋ですか?」
「正解よ」
正解だったんだ。結構適応に言ったのにな。
「あの部屋はちょっとしたテストを行う場所なの」
「テストって……」
「転生者として神の世界に向かい入れるかどうか、それを決めるのは元いた世界での生き方次第なんだけど、その上で、あの部屋ではその人物が純粋な心を持っているかどうかを見るの」
もしかして、転生者になるための素質って、心がきれいかどうかじゃなくて、純粋な心であるかどうかってことかな?
些細な違いで、自分でも言語かあするのは難しいけれど、そうとしか考えられなかった。
「まああなたの場合は生きていた頃が純粋すぎて、形式上テストを行うだけだったんだけど」
「ちなみに、あの部屋で純粋な心を持っていないと判断されていたら、俺はどうなっていたんですか?」
「そうね。今まで聞いたことがあるのだと、天国に行く者から地獄に行く者までいたわね。まあ、どっちにしても転生することは叶わなかったはずよ」
なぜか胸がほっとした。本当になんでだろう。
そうやって、生きていた頃は考えられないようなゆっくりとした食事をとって、今はさっきの部屋の隣、一時的な俺の寝室にいた。
窓の外を見るのは叶わなかったけど、アリアナが魔法で部屋中に星が見えるようにしてくれたおかげで、退屈はしなかった。
食事中に聞いたことをまとめるとこうなる。
ここは神の世界。
そして、俺は転生者である。
転生者は転生するかしないかを自分で選ぶことができるが、元いた世界に転生することはできない。
そして、転生者は神に選ばれた存在だから、神の加護、いわゆるスキルなどのギフトをもらえるらしい。
そういえば、転生先を自分で選ぶことができるって言ってたっけ。
でも、転生するときは生物学的に同じ生物じゃないといけないんだよな。
そんなことを頭の中で整理する。
流石に退屈しないとは言っても、今日は色々とありすぎて疲れてきた。いつか眠らなきゃいけないなら、今寝てしまおうとシーツとマットの間に潜り込む。
そういえば、転生するかどうかと、どういきたいかだけ考えておいてとアリアナに言われたな。
もちろん、第二の人生を歩めるなら転生したい。
でも、元の世界に残してきた妻と娘が心配だった。多分、生きていけるとは思う。近くには妻と同性で、ものすごく信頼のできる親友がいる。それに、たくさん遺産は残したつもりだからお金には困らないだろう。そういえば、妻も昔いた職場に戻りたいと言っていたから、もう少し子供が大きくなれたら復帰できるだろうし、そうなれば尚更お金の方は安心だろう。
だけど、心配なのはそこじゃなかった。
俺が死んだことで、妻が悲しむんじゃないかと思うと不安でしかたなかった。
娘も同じ。今は分からなくても、いつか理解してしまう。それが申し訳なかった。
レストランの方は正直どっちでもよかった。
俺は一回の料理人なだけだから。それに、調理できるのは俺以外にも数人いる。だから、少し忙しくなるだろうが問題はない。
――明日。起きたらすぐに、妻と娘がどうしているか、アリアナに聞いてみるか。
そう心に決めた。