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第五章 たった一言で

 



「うわ~、大きい……あれがランドラードの町なんですね。それに夕日に照らされた海がとても綺麗……」

 山の中腹から目的地である町を見下ろし、ユリアがため息をつく。ランドラードは海に面した港町であり、巨大な城壁に囲まれた、この大陸でも有数の大都市である。ユリアは足を止めその風景に見惚れていた。

(ユリアの方が綺麗だ、なんて言ったら臭すぎるかな……)

 ユリアのそんな姿を見つめながらアレスは思う。ユリアの腰まで伸びた銀色の髪が、風と夕日により輝いてなびく。宝石のような赤い瞳をキラキラさせながら、町の姿に見惚れる横顔はこの世のものとは思えない美しさを持っていた。思わずこのまま時間を止めてしまいたくなる。この世のどんな美しいものを並べ立てても、ユリアの前では霞んでしまうな……とアレスは考えていた。

「ヨリもこっちへいらっしゃい? 綺麗だよ」

 少し離れた所にいたヨリをユリアが手招きして呼ぶ。

「……うん」

 ヨリにはいつもの元気がない、リノとの事がまだ割り切れていないようだ。無理もない、物心ついた時から、人目を避けるようにユリアと町を転々としていたヨリにとって、リノは初めての友達だった。短い交流ではあったが、特殊な環境で過ごしていたリノには何か近しいものを感じていた。友達になってほしいと言われた時、実はヨリも飛び上がりそうになるほど嬉しかったのだ。

「ホントだ、綺麗だね」

 少しだけ、ヨリの顔に笑顔が戻る。ユリアはそんなヨリを無言でそっと抱き寄せた。遠くを見つめる姉妹の銀髪が共に風になびく。

(暗くなってしまう前に山を下りたい……とは言えないな。今のヨリに無理はさせたくないし)

 アレスはそんな姉妹の姿を黙って見守っている。夕日に照らされる姉妹の姿はとても儚げで、声を掛けただけでも溶けて消えてしまい、これまでの数か月間は寂しい自分の夢だった。という事にでもなってしまいそうな、そんな不思議な不安が胸に広がる。

 無言で姉妹を見守るアレスにユリアが笑顔で手招きをした、アレスもそれに笑顔で答え近づいていく。三人は寄り添い合って遠くの町を見つめていた。そう、これは夢でも何でもない。それはアレスにとって守るべき幸せな現実だった。



 結局三人は下山途中で夜を迎えてしまう。火をおこし、見張りをしながら朝を待つ。現在はアレスが焚火の前に座っている。ユリアとヨリは荷物を枕にして小さな寝息を立てており、その寝顔を焚火の明かりが弱く照らす。アレスは剣を失っており(最初の守り神との戦いで折られてしまった)今襲われてしまうと非常にマズい状況なのだが、何故だか不安はあまりなかった。思い返せばこの山に入ってから、守り神以外の魔物とは遭遇したことが無い。それは守り神が排除していたからなのか、リノの加護だったのか。この山は何かに守られているような、そんな感覚をアレスは感じていた。

「火の番変わりますよ? アレスさんも休んでください」

 ユリアが起きてきてアレスの隣に腰を下ろした、ヨリを起こさないよう近くに寄り小声で会話する。

「ありがとう、でもまだ大丈夫だからユリアの方こそ休んでてくれ。あんな凄い事をしたんだから疲れてるだろ?」

 凄い事とは先の戦いでの同化の事である。魔物の気配を探ったり、傷を治したりしているだけでもアレスにとっては信じられない事だが、同化現象は更に理解を超えていた。それでも他の二つの能力より、体に負担がかかるであろう事くらいは察しが付く。

「私の事なら心配いりません、あれは見た目ほど大変な事ではないんです。実際に戦ったアレスさんの方が負担は大きいはず。だから、ね? 休んでください」

 相手の体を気遣っていたのはユリアも同じだったようだ。

「それでもやっぱり……こういう事は俺にやらせてくれないか? 情けない話だが、剣を折られてしまっては、もうこんな事でしか君達の役に立てないんだ」

 まるで二人の従者であるかのような事を言い出すアレス、役に立てなければ共にいる事が許されないかのような口振りだ。それを聞いたユリアは低く、ほんの少しだけ怒りを込めた声で会話を続ける。

「アレスさん、あなたは少し良い人すぎます。私もヨリもあなたの事が心配なんですよ?」

「俺は良い人なんかじゃない、買い被りだよ。君たちと共にいるのも、君たちを守りたいのも自分の為なんだ」

「一体どうしてですか? 私たちはあなたに何もしてあげられない。いつもお世話になってしまっているばかりです……」

 それを聞いてからユリアは少し俯いてしまう。自分はアレスに一切正体を明かしていない、なのにアレスの胸の内を聞くような事は卑怯だと気付いたからだ。しかし時を巻き戻すことは出来ない、投げ掛けてしまった言葉を無かった事にも出来はしない。

「君たちは……俺を笑わせてくれたんだ」

「笑う?」

 そう、と言ってアレスはユリアに微笑む。そして焚火の方を向き直し言葉を続ける。

「俺はね、君たちと出会うまで、楽しかった記憶が全く無いんだ」

 そうしてアレスはユリアに語りだした。自身の生まれを、どんな生き方をしてきたのかを、父ロアンの事を、その父を目の前で失った事を、それでも心は大きく動かなかった事を。

「父さんの仇を討つために旅をしてるなんて言ったけど、本当はどうでも良かったんだ。でも……それだと俺には何も無いんだよ。生きる意味が何も無いんだ、自分の命に何一つ価値を感じない。空っぽなんだ俺は」

 焚火を無表情に見つめながら、感情の籠ってない声で自身の過去を淡々と語るアレス。ユリアはそんなアレスを初めて見た。出会ってからの彼はいつも笑顔だったからだ。

 アレスはそこまで語ると再びユリアの方を向き、優しく微笑む。

「でも、君たちに会えた。君たちといると俺は笑顔になれる。心が満たされるんだ。生きていたいって思えるんだ。君たちに何かしてあげたいって思うんだ。ずっと傍にいたいって……そう思うんだ」

 いつの間にかユリアは涙を流していた。その涙を拭うこともせず、まっすぐにアレスを見つめ口を開く。

「私も……同じですよ? 自分が生きてる意味なんて分からない、ヨリとあなたがいなかったら……自分の命の価値なんて、すぐにでも消えてなくなってしまう」

「ユリアも……?」

「ええ、そっくりなんです。無理に目的を定めていた事も同じ……私は故郷を探しているってあなたとヨリには話したけど、戻るつもりなんてなかったんです。戻ったところでもう意味なんて無い、何処にあるのかだって本当は覚えているんです。でもそれを言ってしまえば……あの子に知られてしまう……本当の事を言うしかなくなってしまう……だから知らないふりをして……ずっとあの子を騙して……出来る限り人目を避けて、ただ生きてきた……」

「故郷を探すふりをしていたのは、ヨリのためか……?」

「そう思いますか? だったらアレスさんの方こそ、私を買い被っていますね。自分の為なんです、弱くて卑怯な自分の為」

 涙を流しながらユリアは自嘲気味に笑い、話を続けた。

「あの子は強い子です。どんな過酷な宿命にもきっと抗っていける。でも私はダメ……あの子の笑顔を見ているだけで、全てを忘れて……普通の人間として二人で生きて行けたらって……そう思ってしまう。本当は伝えなければいけない事が沢山あるのに……せめてあの子が大人になるまでは、何も知らないでいてほしいって……先延ばしにして逃げ回っているんです。現実からも、あの子からも」

 勿論姉妹が普通の人間ではない事は、アレスにはもう分かっている。いや、そもそも『人間という種族』ですらないと言われても納得してしまうだろう。一体何処に魔物の気配を感じ取り、傷を癒し、他人の体に憑依する事の出来る人間などがいるのか。


 アレスは近くで眠るヨリの顔を見る。あどけない少女の寝顔がそこにはあった。こうして見ていれば何の変哲もない普通の少女である。いつも元気いっぱいに駆け回り、時には泣き、太陽のような笑顔で笑う。ユリアがヨリに何を隠しているのかは分からないが、それをヨリに伝えてしまえば、その『真実』はきっとヨリの笑顔を曇らせてしまうような事なのだろう。ユリアはそうなる事を恐れているようだった。そして、ヨリを騙している自分を責めてもいるようだった。


 ユリアの涙は止まらない、心は強い感情に支配され、声もだんだん大きくなっていく。

「孤児院に入ったばかりの頃は、人前でも平気で力を使っていました。でもそれは許される事じゃなかった……おかしい子供だって言われるんです。銀色の髪に、赤い瞳を持っている人間も見たことないって……お前達は化け物だって、他の子に石を投げられた事もあった……」

 少しためてから、ユリアは続けた。

「アレスさん……私は……私とあの子は――」

「もういい」

 人間じゃ、とまで言いかけた所でアレスがその言葉を遮る。そして優しくユリアの涙を拭きながら話しかけた。

「君たちの正体なんて俺にはどうだっていいんだ。それよりも、そんな風に泣かれてしまう事が俺には耐えられない。だからもう何も語らなくていい」

「アレスさん……」

「ユリア、俺は君が好きだ」

「……え?」

「だから過去の事なんて本当にどうだっていいんだよ、大切なのはこれからだから。ユリアの事が好きだから、傍にいさせてほしいんだ」

「え、あ……えっと、その……」

 泣き腫らした顔を真っ赤にして顔を逸らしてしまうユリア。

「迷惑だったかな?」

 慌てふためくユリアの様子を見て少し意地悪な笑顔になってアレスが尋ねる。

「そ、そんな事ないです! 私もアレスさんの事が大好きですよ!」

 思わず立ち上がって大声で返事をしてしまう、ユリアの声が暗い山中に木霊する。

「う~ん……お姉ちゃん? なんか……言った?」

 ヨリがむくりと起き上がり、目を擦りながら声を掛けてくる、そこには顔を真っ赤にして立ち尽くす姉の姿があった。

「ヒィ!? ヨヨヨ……ヨリ? 何でもない、何でもないのよ? さ、さぁもう寝ましょう! 明日にはランドラードに着かなくちゃね!」

 ユリアはそう言うと横になって、二人からは顔が見えない方向にゴロンと向きを変えてしまう。一方ヨリはそのまま立ち上がると、アレスの隣までゆっくりと近づき腰を下ろす。

「アレスも疲れてるでしょ、代わるよ」

「うん? 俺はまだ大丈夫だよ」

「昼間あんな凄い戦いしたんだからそんなワケないじゃん、いいから寝ておきなよ」

 姉妹揃って同じような事を言うものだな、とアレスは考える。なんだか妙に嬉しくなってしまい思わずヨリの頭を撫でる。

「な、なんだよぉ……いきなり……」

 ヨリは気恥ずかしそうにしながらも逃げようとはしない。頬を少し赤らめて、俯きながらただされるがままになっていた。



 翌朝、日の出とともに三人は下山を開始する。天気は晴れ、運が良い事に今日も霧は出ていなかった。三人は早々に山を下り広い平原に出る。ここまでくればランドラードはもはや目と鼻の先だ。この分なら昼までには余裕を持って到着できるだろう。

(バイバイ、リノ。いつかまた、絶対会おうね)

 山のふもとから山頂付近を見上げ、ヨリは初めて出来た友達に別れを告げる。再会の約束が果たされるのが何十年後になるかは分からないが、いずれその日は来る。その時にはヨリを迎えに行くと彼女は手紙に書いていた。ならば寂しがることは無いのだ、いつかまた必ず会えるのだから……

「ヨリー! どうしたぁ? 足でも痛いのかぁ?」

 途中で立ち止まって、山へと振り返っているヨリを心配し、アレスが遠くから声をかける。

「ごめーん! 何でもなーい! すぐ行くよー」

 そう叫ぶとヨリは全力でアレスの方へと走り出す、明るく元気いっぱいの、いつものヨリへと戻っていた。

「ヨリ……なんだか元気が戻ったみたいだな」

 走って追いかけてくるヨリを見つめながら、嬉しそうにアレスは隣のユリアへと話しかける。

「うふふ~、うふ、ふふふうへへへ……そうですね……私もアレスさんの事が大好きですよぉ?」

 気味が悪いほどの笑顔を浮かべたユリアがアレスに耳打ちする、言葉のキャッチボールが成立していない。アレスの告白が余程嬉しかったのかユリアは寝起きからずっとこんな調子である。妹が友との別れを通じ、一人の人間として成長しているという時になんという奴だ。ニヤニヤしながら常に何かを小声で呟きアレスを見つめている。

(これは俺のせいなのか……?)

 ユリアと両想いだったことはアレスとしてもとても嬉しいのだが……雰囲気と勢いで告白してしまった事をほんの少しだけ後悔した、ほんの少しだけ。

「ごめんね二人とも、ちょっとだけリノの事思い出しちゃってた」

「気にしないでいい。リノちゃんとはヨリが一番仲が良かったからな」

「そうよぉヨリ……気にしないで~、ふふ、ふふへへ」

「……ねぇねぇアレス」

「どうした?」

「お姉ちゃんやっぱ朝から変だよね? 山の中でやばいキノコでも食べたのかな?」

「すまん……これは多分俺のせいだ……」

「え? なんでアレスが謝んのサ」

「あ~……え~とだな、もう少ししたら詳しく説明するよ、ヨリにも無関係じゃないし」

「きゃー説明!? 詳しく説明しちゃうんですかー? きゃー」

「????」

 こんな調子で三人はランドラードへと歩を進めていく、長い道のりではあったが、ようやく一息付けそうだ。



「よっしゃー! とうちゃーく!」

 町へと入りヨリが手を振り上げ勝利の声をあげる。苦労して入手した通行証も無駄にならずに済んだ。復活してからのヨリは以前にも増して元気いっぱいである。

「ふー、流石に今回の旅は疲れたな。落ち着いたら剣を買いに行かないと……」

 ウォーレンの町からここまではかなりの距離がある、それに加えあの登山と守り神との戦いだ、町へ到着し気が抜けた瞬間に疲れがどっと来る。どれだけ旅慣れていてもこの瞬間は体が怠いものだ。

「宿の部屋取ったらサ、みんなでご飯行こうよ! アタシ魚料理が良い! 港町だしきっと凄く美味しいよ!」

「ヨリ! お魚もいいけど、この町には様々な大陸の名物料理のお店が集まってるらしいわよ? もう少し悩んでみても良いんじゃないかしら? このお店とかどう? 南国料理だって!」

 入り口で受け取った町の地図を見ながらユリアが目をキラキラさせている。地図には飲食店や旅人用の店などが色分けされて分かりやすく描かれている。しばらくの間退屈することは無さそうだ。

「ユ、ユリア……まずは宿を頼むよ。少し……休みたい」

 アレスは既に限界が近かった。昨夜はほぼ寝ずの番であり、日が昇る少し前に、ニヤニヤしながら起きてきたユリアにようやく見張りを代わってもらった。しばし横になることは出来たが仮眠程度である。その仮眠すらもユリアからの熱い視線が気になってしまい寝つきは悪かった。

「そうでしたね。アレスさんには昨夜ほぼお世話になってしまいましたから……昨夜……昨夜……くふ、ふふ、へへへへ」

「あ、お姉ちゃん元に戻っちゃった……」

 こうして三人は宿へ向かう、こういった町の宿泊費はただでさえ高めなので料金表を見て三人そろって固まる事にはなってしまうのだが……



 そしてその日の晩、ヨリは宿のベッドの上で目を覚ました。

「ん……あれ……アタシ寝ちゃってたんだ……」

 部屋を取ったら昼食を食べに行く予定だったのだが、ヨリは部屋に辿り着いた途端ベッドに倒れ込み眠ってしまっていた。窓の外は既に真っ暗だ、これでは飲食店のほとんどは閉まっているだろう。やっているのは酒場くらいか。

 ヨリは部屋の様子を見回してみる。部屋の壁やテーブルの上に設置されたランプが、部屋中をうすぼんやりと照らしている。ヨリの隣のベッドでは、アレスが上着を脱いだだけの状態でうつ伏せになって眠っていた。余程疲れていたのだろう、熟睡していて朝まで起きる気配はない。三人用の部屋を借りたのでベッドはもう一つあるのだが、そこに姉の姿は無かった。部屋の中にもユリアは見当たらない。

(まぁ大丈夫か、お姉ちゃんだって子供じゃないんだし)

 どちらが姉なのか分からなくなるような事を考えながら、ヨリはベッドから音を立てないようにゆっくりと降りる。いざとなればヨリとユリアは互いの気配を探ることが出来る。便利な能力だ。

 ベッドから降りたヨリは隣で眠るアレスの寝顔を見つめる。何故だか、アレスの事が好きなのか、と聞いてきたリノの言葉を思い出してしまう。そしてその直後に昨晩いきなり頭を撫でられた事も思い出す。嬉しいような恥ずかしいような、むずがゆい不思議な感情が湧いてくる。昨夜のお返しだとばかりに無防備なアレスの頭を撫でてしまう。

(アタシ、何やってんだろ……)

 そう考えつつもヨリの表情はどこか満たされたような、そんな笑顔に変わっていた。どれくらいそうしていただろう、ヨリがぼーっとアレスを見つめていると唐突に部屋のドアが開かれた、そこからユリアが現れる。

「うわぁ! お……お姉ちゃん……」

「ヨ、ヨリ、静かにして? アレスさん起きちゃうから……」

「あ……ご……ごめん……」

 ユリアは宿の部屋に用意されている部屋着に着替えていた。髪の毛は少し湿っている。湯浴みに行ってきたような様子だ。手には何か紙袋を持っている。

「ヨリ、お腹すいたでしょう? 宿の食堂がまだ開いてたから、部屋で食べられるものをいくつか買ってきたの」

「やった、お姉ちゃんだいすき♪」

 ヨリはユリアに渡された紙袋から、ハンバーガーのようなものを取り出すと椅子に座り美味しそうに食べ始めた。ユリアは何故かそんなヨリの額に手を当てる。

「もぐもぐ……ん、まふぁ?(また?)」

「ええ、また」

 そう言うとユリアは目を瞑り精神を集中させる。ヨリの額に当てているユリアの手が緑色に光り、その光は額からヨリの体に取り込まれていく。ヨリにはユリアがこんな事をする理由が分からないのだが、過去に聞いても教えてはもらえなかった。それを聞くとユリアはいつも悲しそうな顔をして、話をはぐらかしてしまうのだ。ユリアはこの妙な行為をヨリに対して定期的に行っていた。数秒で終わる事なのでヨリも大して気にはしていない。ユリアはこの行為をあっさり終わらせると、今度はクシを持ち出し自分も椅子に腰かける、そしてその銀色の長い髪を解かし始めた。

「この宿ね、とっても大きなお風呂があるの。おまけに泡が出てきたりするのよ? お風呂のルーンに特殊な細工がしてあるんだって、やっぱり都会の宿は違うわね♪ 食べたらヨリも入ってくるといいわ。もう何日も髪を洗えてないものね」

「もぐもぐ……ゴクン、ん~髪はどうでもいいけど汗は流したいな」

「髪はちゃんとお手入れしなきゃダメよ? 面倒だからってあまり短く切っちゃうのもダメ、女の子なんだから」

 ヨリは一度髪を大分短く切った事があるのだが、ツリ目なうえに気の強いヨリはどう見ても少年にしか見えないというので、それ以来ユリアに禁止されてしまっていた。その頃からスカートも半ば強制的に履かされている。

「お姉ちゃんみたいな長い髪はアタシには似合わないよ……(また始まったよ、メンドクサ……)」

 最近ヨリの髪は肩についてしまう程度には長くなってきており、ヨリ本人はそろそろ切りたいなぁと思っていた矢先だった。別に長い髪がどうしても嫌だという程でもないのだが、激しく動き回る事の多いヨリには長いと邪魔に感じる事があるのだ。

「ごちそうさま、アタシも風呂入ってくるよ」

 そう言うとヨリは宿の部屋着などを持ってそそくさと出て行ってしまう。面倒な話題は打ち切って逃げてしまうに限る。

「あ、もう、ヨリったら……このままじゃアレスさんにまで男の子みたいに思われちゃう……」

 もう少し大きくなって年頃にでもなれば変わるかしら? とユリアは考える。戻ってきたらもう一度説得してみようと思っていたのだが、お腹が膨れ風呂にも入ってしまうとやはり、眠い。結局そのままヨリを待たずに眠ってしまうのだった。



 翌日、アレスは町の武器屋を訪れていた。守り神に折られてしまった剣の代わりを買う為である。今日はヨリとユリアは一緒ではない、ヨリの希望を聞き、シーフードレストランで朝食を摂った後はそれぞれが自由行動という事になったのだ。

「兄ちゃん! これなんかどうだい? 刀身と鞘に特殊なルーンが仕込んである炎の剣だ! 今なら8万ディーナでいいよ」

 武器屋の主人が剣を選んでいるアレスに話し掛けてくる、手に持っている剣は派手に装飾されており刀身からはメラメラと炎があがっている。見た目はかなりカッコよく強そうだ。

「いえ、もう少し安くて丈夫なものが欲しいんですよね」

「へェ……お兄さん結構ガチな人かい?」

 そう、炎の剣はぼったくりである。こういった魔法剣は魔法そのものには大した殺傷能力がないうえに、刀身に余計な細工をしている分切れ味もあまり良くなく耐久性も低い。中には実戦的な魔法が仕込まれた魔道具も存在するのだが、そういったものは非常に貴重であり、使い手に高度な魔力操作も求められるのでこんな所で売りに出されている事はまずない。今アレスが勧められた炎の剣はどちらかと言えば観賞用である。実戦に出る予定のない見栄っ張りが恰好を付けるために買うものなのだ。

「悪かったね、兄ちゃん。若い人だから、てっきり友達か彼女の前にでも持っていくのかと思っちまったよ。本職だったらこれなんかどうだい? ハイメタルの剣だ。切れ味そのものは大したことねーが、耐久性はピカイチだ。値段も5万ディーナでいい。戦場に行くならこいつは頼りになるぜ? 大体剣より先に使い手がボッキリ逝くって評判さ」

 見せられたのはやや大きめのサイズで刀身の黒い剣だった。アレスはその剣を受け取るとしばらく眺めた後で構える。

(たしかに良い剣だな……やや重いが魔物の体に振り下ろすならこれくらいで丁度いい)

 だが一つだけ問題があった。

「主人、その……3万ディーナにはなりませんか」

「ワリィ兄ちゃん、流石にそりゃあ無理があるぜ……」

「ですよね……」

 宿代が想像以上に高くついてしまったので懐が大分寂しくなっていた。町のギルドで稼ぐことも考えたがそれをするにも剣はいる。買って買えないことは無いのだが数日後が野宿になってしまう。次の行き先もまだ決まっていないので出来る限り出費は抑えたかった。

(とはいえ……命を預ける事になる武器に妥協はしたくないな……)

 戦場で武器を失えばそれは死に直結してしまう。以前のアレスならばそこまで気にはしなかったが、今は守るべき二人がいる。ここでケチる事は出来ない。

「この剣を買います、五万ですね」

「へへ、まいどあり! 兄ちゃんさ、金に困ってんだったら旨い話があるぜ? 兄ちゃんが強ければの話だが」

「強ければ?」

 武器屋の主人は、アレスから代金を受け取りながら挑戦的な笑みを浮かべ語る。

「俺の知り合いの金持ちがよ、今腕利きの傭兵を募集してる。町からちょっと離れた所にある古い屋敷を買い取ったらしいんだが、魔物の巣になっちまってたらしい。はええ話がそこの掃除だな。報酬は一日で三十万だ」

「一日で三十万ですか」

「ああ、出発はたしか明日だったかな? 募集はまだかけてるぜ。テストはあるけどな」

「腕試しですね」

「行っても死ぬだけの雑魚は当然落とされるってこった、何なら奴の屋敷を教えてやろうか? 自信があるならだけどな」

「お願いします、この剣の試し切りには丁度良さそうだ」

 武器屋の主人に詳しい話を聞いたアレスはすぐに依頼主の元へと向かう。魔物の巣に向かう仕事というのはとても危険な仕事なのだが、その分実入りはいい。姉妹と出会う前のアレスはよくこういった依頼を探しては優先的に受けていた。彼の実力ならば大抵の魔物は敵ではないので非常に有難い仕事である。

(まさか剣を買いにきたついでにこんな良い話を聞けるなんてな、報酬が入ったらユリアとヨリにプレゼントでも買ってみるか)

 アレスは二人の笑顔を思い浮かべるととても幸せな気持ちになれた。そしてそれをきっかけに一つの決意を固めていた……



 さらに翌日、アレスは町から離れた魔物屋敷に来ていた。

(大した事のない魔物ばかり、これで30万なら安いものだな)

 剣の一振りで魔物数体をなぎ倒す、昨日買った剣はかなり強引な振り方をしても問題なさそうだ。買う時に少し迷ったが、これで五万なら十分だろう。剣の強度を確かめるように、アレスは次々と魔物を切り倒していく。今日は守る必要のない仲間が大勢いるので、何も気にせず最前線に突撃して暴れることが出来た。

 現在この魔物屋敷にはアレスを含めて八人の人間がいる。雇い主である身なりの綺麗な富豪の男と彼に雇われた傭兵七人だ。その七人のなかでもアレスの動きは明らかに抜けている。魔物退治には丸一日使う予定だったのだが、アレスの活躍もあり半日ほどで全滅させてしまった。屋敷の前で富豪の男により傭兵一人一人の名前が呼ばれ報酬の入った袋が手渡される。アレスの名前は最後に呼ばれた。

「アレス君、君の活躍は特に素晴らしかったよ。報酬には少し色を付けておいたからね」

「本当ですか、ありがとうございます」

「ところでなんだが、君は私の抱えになる気はないかね? 月八十万出そう。聞けば旅の戦士という事だが、なんなら家も用意するが……」

「とても嬉しい話なのですが、目的のある旅なので……」

 やんわりと断るアレス、目的があるというのはもちろん嘘だ。

「う~ん、そうか……いや残念だ。君ほどの戦士はそういるもんじゃないからね。もし気が変わったり金が必要になったらいつでも遠慮なく、私の所に来てくれよ」

「はい、それではまた」

 報酬を受け取りランドラードへと歩き出すアレス。

(家か……そういえばユリアも本当は目的のない旅だと言っていたな)

 家を持って何処かに定住する、そんな事は今まで考えたことが無かった。しかし家という言葉が今のアレスの心には妙に絡みつく。立派でなくともいい、自分の家というものを持ってそこに帰る事が出来る。

 そしてその家の中には、愛しいユリアがいるのだ。そんな事が現実になればどれほど幸せな事だろう。歩きつつ、ぼんやりとそんな妄想をしながら渡された報酬の中身を確認する。そこには金と、小さな宝石の付いた指輪が入っていた。報酬に色を付けたとは恐らくこの指輪の事だろう。質屋に持っていけばそれなりの金額にはなりそうだ。恐らくアレスの想像以上の活躍を見て、持ち物の中から入れてくれたのだろう。

(指輪か、買いに行く手間が省けたな。しかも狙っていたものよりずいぶん高価そうだ)

 アレスは報酬の袋から指輪だけを取り出すと上着のポケットにしまう。そしてなにやら覚悟を決めたような顔になり宿の部屋へと向かっていった。



 ここはアレス達が借りている宿の一室、現在はユリアが一人で椅子に座り、テーブルの上でなにやら作業をしている。

「ただいま」

 アレスがドアを開け部屋に入ってくる。

「おかえりなさい」

 ユリアは顔だけを横に向け笑顔で出迎えた。テーブルの上にはヨリの魔導書がある。どうやら魔導書のチェーンを新しいものと交換しているらしい。

「ヨリは?」

「まだ出かけています、夕方までには帰ってくると思うんですけど……」

 あの子の事だから……と呟きユリアはくすっと笑う。ユリアが作業しているテーブルを見たアレスが立ったまま話し始める。

「魔導書か……実は今日まとまった金が入ってね、新しいものでもヨリに買ってあげようかと思うんだが」

「それがあの子、あまり新しいものを欲しがらないんですよね。私にももっと甘えてくれていいのに……」

 ヨリの魔導書を見つめ、ユリアは寂しそうにつぶやく。アレスはそんなユリアを見てなんだかとても切ない、思わず抱きしめてしまいたくなるような衝動に駆られる。数秒の沈黙の後に、アレスは意を決したような面持ちで口を開く。

「ユリア、大切な話がある」

「な……なんですか?」

 ユリアは作業の手を止め、座っていた椅子をアレスの方に向けかしこまる。そして胸に手を当て一回深呼吸をした。そしてアレスは上着のポケットから、小さな宝石の付いた指輪を取り出しユリアに差し出すと……

「ユリアさん、私と結婚してくれませんか?」

 こう言い放った、ユリアは硬直している。10秒ほど経ってようやく脳が先ほどの言葉の意味を理解した。

「けけけけ……ケッコン!? 結婚って言ったんですかぁ!?」

「ああ」

 ユリアは椅子から勢いよく立ち上がる、ガタンと音がして座っていた椅子が倒れた。

「結婚……ケッコン? 結婚ってあの結婚ですかぁ!?」

 指輪を持ったアレスの手を握り信じられないといった様子で何度も確認を取る。

「自分でも急だとは思うんだけど、俺は君の事に関しては真剣でいたい。中途半端な状態でいたくないんだ。だから、俺の妻になってほしい」

「つっ!……妻……」

 妻というワードに反応し再び停止する。

「まぁこの指輪は一つしかないから、結婚指輪としては使えないんだけどね。雰囲気だけでもって思って……あれ? 大丈夫?」

「ハッ! だっ大丈夫です! 大丈夫ですよー!」

 ユリアは自分の顔をぱんぱん叩き意識をはっきりさせている、その後ゆっくりと大きく深呼吸をしてからプロポーズの返事をした。

「アレスさん、その……結婚……喜んでお受けいたします……」

「ありがとう……『愛してるよ』、ユリア」

 アレスはそっと……ユリアに指輪をはめた。

 人の心とは、他人からのたった一言で大きく変わってしまう事がある。酷く傷付き、一生かけても治せない心の傷を負う事もあれば、どんな時でも支えになってくれる、お守りのようになる暖かな言葉も存在する。それがいつ、誰から来るかは分からない。今回アレスから送られた一言は、ユリアの心を幸せで満たした。今後決して忘れる事の出来ない、心の奥底に生涯残り続ける、強く光り輝く言葉だった。

「ただいまー」

 部屋のドアが勢いよく開かれ、一人の少女が飛び込んでくる。

「ヨリ!」

 ユリアはヨリの元へと駆け寄るといきなり彼女を抱きしめた。

「うわ、なんだよお姉ちゃん」

「ヨリ! 聞いて? 私とアレスさんね……」

 そう、たった一言で……変わってしまう。

「結婚することになったんだよ!」

「…………え?」




 彼女にとってそれはあまりにも唐突であり、言葉の意味すらも碌に理解できぬまま、ただただ喜ぶ姉を眺めていることしか出来なかった。

「ヨリも来たことだし、ついでに提案があるんだけどいいかな? 今後の事についてなんだけど」

「はい! 何でしょうアレスさん!」

 話が進んでいく、彼女に何があろうと、この世の全てから取り残されてしまおうと、時間は待ってはくれない。

「俺たち、晴れて『家族』になったわけだけど……その、何処かで暮らしてみないか? 三人で……」

「何処かで暮らす? 旅を止めるという事ですか……私はいいけど……その……ヨリは、いいかな?」

 二人が何を話しているのか彼女には理解が出来ない。故郷はどうしたのだろう? 父の仇討ちはどうしたのだろう? 分からない、何が起きているのか分からない。

「え……アタシ? アタシは別に……いいよ」

 彼女は止まってしまった頭で聞かれた事にただ頷いていた。

「あのサ、アタシちょっと、外で頭冷やしてきていいかな? びっくりしちゃって……」

 彼女は無表情で、まるで感情も無くしてしまったかのような、そんな声と表情で絞り出すように言った。

「ええ、行ってきなさい。暗くなるまでには帰ってきてね?」

「うん、ありがと。お姉ちゃん」

 そういうと彼女はフラフラと力なく出て行ってしまった。入ってきた時とはまるで正反対、一瞬で人が変わってしまったかのようだった。

「ヨリ、なんだかショックを受けているようだったな。俺と家族になるのが嫌だったのかな……」

 残念そうにアレスはそう呟く、ユリアはすぐにそれを否定した。

「そんな事ありません! ヨリだってアレスさんの事は大好きなはずです! 私たちの事も、旅の事も、急だったので疲れてしまったんですよ。私だって凄くビックリしたんですから……少し時間を置けばきっといつものヨリに戻ってくれます」

「そうだと……いいな」

「きっとそうですよ……それにしても、なんで旅を止めるんですか?」

「ん? ああ、今日の仕事の依頼主にさ、家を用意するからこの町で自分に雇われないか? って聞かれてね。断ったんだけど、なんか……何処かに家を持って落ち着いて暮らすのもいいなって思ってさ。君へのプロポーズが成功したら提案してみようかと思ったんだ。俺たち……ほら、どうしても旅を続けなきゃいけない理由もないだろ? だったら三人でって……」

「いいですね……それが本当に出来たらとても幸せな事だと思います。周りの人達に私とヨリの事……変に思われたりしなければいいですけど……」

「上手く隠していけばいい、俺も協力するし全力で守る。なに、いざとなったら別の場所に移ればいいさ。旅には慣れてるんだから」

「フフ、そうですね」

「住むのに何処か希望の土地とか町はあったりするかな? なんならここでもいいけど」

「そうですね……住むのなら……『ローゼルシア大陸』の何処かがいいですね」

「ローゼルシア……南の方の大陸だね。何故だい?」

「私とヨリの、故郷がある大陸なんです」

「君達の……」

「ええ……いずれあの子に全てを打ち明ける時……やはり故郷が近くにあればと思うんです。あの子も行きたがるかもしれませんし」

「分かった、ローゼルシアだね。丁度ここから船で向かえるし、次の目的地はそこにしよう」

「わがままを言ってしまってごめんなさい、ありがとうございますアレスさん」

「気にしないでいい、それよりヨリがちょっと心配だ。俺、様子を見てくるよ」

「なら私が――」

「いや、ユリアはここで待ってて欲しい。今回の事は俺が原因だから、俺が何とかしないと……それに、俺たちはもう『兄妹』だから」

「はい! そういう事でしたらお願いしますね、あの子の事……」

 部屋から出ていくアレスにユリアは小さく手を振って見送った。そしてため息をつくと、倒れてしまっていた椅子を直しそこに座る。家族……か、と小さく呟いて目を瞑り胸に手を当てる。ユリアの中でその言葉が心地よく響いていた。



 宿を出て、北の方向へ少し歩くと巨大な港に出る。そこには大きな船がいくつも並び、潮風と波の音が、聞く者の心を優しく受け止めてくれる。既に日が沈みかけているからか、人の姿はほとんど見られない。そんな中、遠くの海を見つめヨリは立っていた。

「ヨリ!」

 アレスが後ろからやってきて声をかける、ヨリはそのまま振り返らずに返事をした。

「ごめんね、飛び出してきちゃって。大事な話してたんでしょ?」

「別に構わないさ、それより悪かったな。急に伝える事になってしまって」

 そこでようやくヨリは振り返った、いつもの笑顔で。

「へへ、ホントだよ。結婚とかビックリするに決まってんジャン」

「認めてくれるのか? ヨリは……俺の事……」

「二人で決めたことなんでしょ? だったらアタシが認めるも何もないよ」

「そうか、そうだよな……」

 アレスはそこで言葉に詰まってしまう、二人はしばし沈黙し見つめ合う。先に沈黙を破ったのはヨリだった、いつもの笑顔で……少しだけ目を逸らし。

「アレスはサ、お姉ちゃんの事、好きなんだ? 本気なの?」

「ああ、勿論だ」

「フ~ン……」

 二人の間に再び沈黙が訪れる。先に沈黙を破ったのは……またもやヨリだった、今度は俯き、表情は分からない。

「お姉ちゃんの事、いつから好きだったの?」

「初めて会った時からだ」

 即答だった、ヨリは恐らく自分を試しているのだ、とアレスは考える。決して彼女の姉への気持ちがいい加減なものでは無いという所を見せなければ、と思い返事に力が入る。

「初めて会った時からって……どういう事? お姉ちゃんの事何も知らないのに好きになったの?」

 ヨリの口調が少し激しくなる、アレスは少し困ったが偽らない事を決めた。

「一目惚れだったんだ」

「一目惚れ? 見た目が気に入ったの? お姉ちゃんの何がそんなに気に入ったの!? 顔!? 体!? 教えてよ!」

 俯いたまま、ヨリの口調はどんどん激しさを増していく。それでもアレスは引かない。真摯に、正直に答える。

「初めて会った時……そうだな……最初に目に入ったのは……銀色に輝く……美しいあの『長い髪』だった……」

 それを聞いた瞬間にヨリは顔をあげる。ツリ上がった目が大きく見開かれ、そこから覗く赤い瞳が揺れている。自身の、肩にギリギリ届くかどうかといった長さの髪を掴み弄りだす、女の子にしてはやや短い、ユリアと同じ銀色の髪を……

「かみ……髪ってコレ? コレが好きなの? そっか……」

 先ほどまでとは打って変わって、小さな、消え入りそうなか細い声で呟くヨリ。アレスはヨリの前までゆっくり近づくと、手を差し出して優しい笑顔で語り掛ける。

「そろそろ冷えて来るぞ? 一緒にユリアの所へ帰ろう? ホラ、手」

 黙って差し出された手を掴むヨリ。二人で手を繋いで宿へと歩き出す。

「そうだ、ヨリ。今日の仕事で結構儲かってさ。少し余裕が出来たんだ。何か欲しいものはないか? 遠慮はいらないぞ? 魔導書でもなんでも――」

「クシがいい」

「ん? クシ?」

「うん……クシが良い、髪を解かすクシ、お姉ちゃんが持ってるみたいなやつ」

「そうか、よし! じゃあ今から買って帰るか!」

「うん、ありがと、アレス」

 いつの間にか、ヨリはいつものヨリへと戻っていた。この後の普段と変わらぬ彼女の様子に、アレスとユリアは安心する。そして次第に忘れていくのだ。この日のヨリの事を……



 数日後、家族となった三人は船に乗り、姉妹の故郷があるというローゼルシア大陸へと向かった。到着したのはローゼルシア大陸の港町、エルネポートだ。

「さて、向かうとしたらここから北か東だな。北には町が、東には村があるみたいだ」

 エルネポートの飲食店で、地図を広げながらアレスはヨリに相談する。エルネポートに住むのもいいのでは? と二人は考えたのだが、旅人が大勢行き交う港町は避けたいと、何故かユリアが言い出したので他所へ向かう事となった。

 現在当のユリアは船酔いでダウンしてしまったので、アレスとヨリの二人で相談しているのだ。

「図書館があるからアタシは町の方が良いんだけど……落ち着いて暮らすなら村とかの方がいいかな? お姉ちゃん人目避けたがるし」

 隣でテーブルに突っ伏し、プルプル震えているユリアを呆れたように見ながらヨリが答えた。

「村か、なら東へ向かおう。『エンデ』という村があるらしい」

「う~ん……見たトコびっくりするくらい周りに何もないね……この村」

「はは、でも落ち着いて暮らすならそのくらいでいいのかもしれないぞ? ダメそうならもっと東に行けば町があるみたいだし……焦る必要は無いからゆっくり探そう、家族三人で」

「へへ……そうだね。じゃあ行こっか! そのエンデの村に!」

 こうして三人はエンデの村へと向けて旅立っていく。

 後にエンデの村でヨリは大きな戦いを経験する事になる。山賊団を一人で相手にし、上級魔族ミノタウロスに立ち向かう。結果的に三人はエンデを救う事になり、村の英雄となるのであった……





「あっ! ここです! この家ですよ!」

 ここはエンデの村の外れ、青い髪を三つ編みにしているエンデ村の少女、レナがとある家を指差し、後ろにいるアレスとユリアへ振り向く。

「フーン、村からはちょっと離れた所にあるんだね」

 青髪の少女の隣を歩いていたのはヨリだ。レナの提案によりエンデの村に住む事になった三人は、村外れの空き家を譲ってもらえることになった。現在の三人は山賊団とミノタウロスを倒し、村を救った英雄である。驚くほどあっさり村に住むことを認められた。

「うわぁ~、お庭もありますね♪ 素敵……私お花とか育ててみたいです」

 ユリアが両手を胸の前で握り、祈るようなポーズで感激する、一目で家を気に入ったようだ。

「ああ、悪くないな。これだけの庭があれば剣を振る事も出来そうだし」

 ユリアの隣でアレスも満足そうにしている。

「エヘヘ、お兄ちゃん達がアレスさんには剣を習うんだって喜んでましたよ?」

「ええ? 俺に? 参ったな……人に教えた経験なんてないぞ……」

「アレスさんならきっと出来ます! 私が保障しますよ♪」

「ヒソヒソ……(それよりレナ、アタシには料理教えてね)」

「ごにょごにょ……(うん、分かってる。二人には内緒なんだよね? その代わり私には魔法を教えて?)」

 こうして、ウォーレンの町から始まった三人の旅は終わりを迎えた。落ち着いた平穏な生活が始まろうとしている。この幸せが永遠に続いてほしい……三人ともがこの時はそう思っていた、少なくともこの時までは……














































































































































次回からは5年の月日が流れ、未来編が始まります。

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