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第二章 笑わない少年



 早朝、とある町の外れにある空き地、そこで一人の少年と男が剣を打ち合っていた。男の相貌は黒い短髪に強靭な体躯、顔や上半身には無数の古傷が走っており歴戦の戦士といった印象を与える。二人が握っているのは訓練用の木剣だ。だが双方の表情は命のやり取りでもしているかのように険しい物だった。

「やぁ!」

男と打ち合っていた黒髪の少年は、小さな手で握った木剣を上段に構え切りかかる、男はその剣を片手で難なく受け止め押し合うような形となった。しかし男は急に剣を引いてしまう、全体重を剣にかけて押し切ろうとしていた少年は、バランスを崩し大きく前に転んだ。

「自分の体を敵に委ねる愚か者がいるか! 立てアレス! もう一本だ!」

 アレスと呼ばれたうつ伏せで倒れ込んでいる少年に、男は厳しい声をかける。

「はい……すみません、父さん」

 少年は息を整えながらゆっくり立ち上がり再び木剣を構え切りかかる、この親子にとってこれは特別な事ではない、毎日当たり前のように繰り返される日常であった。


 父親の名はロアン、母親の名前は分からない。アレスが物心つく頃には既にロアンと二人であった。ロアンはアレスに厳しかった、ロアンがアレスに声を掛けるのは叱る時か何かの指示をする時だけ、アレスも返事以外はしない、まともに会話をするのは剣の訓練時のみである。この訓練すらアレスは何の為にやっているのか分からなかった。

 アレスにはロアンから愛されていたという記憶はない、ただ機械的に生かされ、訳も分からず強くなることを強いられる。訓練用の木剣とはいえ当たれば痛みはあるし怪我もする、怪我の痛みにアレスがうめき声をあげていても、ロアンは黙って薬を渡してくるだけであった。アレスにとってロアンとの関わりとは、常に痛みを伴うものだった。


 ロアンは傭兵をして生計を立てている、大金を得る代わりに戦場で命を懸けて戦うのだ。通常ならば傭兵の寿命は短い、大抵はすぐに戦場で死ぬか、運が良くても大きな怪我を負うものだからだ。だがロアンは強かった、恵まれた体格に天才的な剣術の技、少年時代から戦場を駆け、数多の死線を潜り抜けてきた。いつしか彼の名は上がり、『鬼人』の名で恐れられるようになる。

 ロアンはアレスを連れて世界中を流れる、国から国へ、大陸から大陸へ、戦の気配があれば何処にでも向かった。アレスにとってそれがあまり良い環境ではない事はロアンにも分かっていた、だが彼は知らないのだ、戦場で剣を振る以外に生きていくすべを知らない……悲しい男であった。


 アレスには家を持ってどこかに住むという経験が無かった、物心付いた時には父と母がいて、帰るべき家がある。それは当たり前と言われる事、その当たり前をアレスは知らない。唯一の肉親から与えられるものは傷と、薬と、叱責のみである。

 ロアンにはアレスへの愛がないのだろうか? いや、そうではない。接し方が分からないのだ。ロアンも親の顔は知らない、幼い頃に傭兵団に拾われ、小さな頃から剣ばかり振って生きてきた、親しい人間は遥か昔に全員死んでいる。彼もまた愛情に飢えていた。

 ロアンから見て、息子、アレスに剣の才は一切感じなかった。だからこそ訓練の時間を長く取り、厳しく指導をしていた。自分にはこれ以外の生き方を教えてはやれない、だがこの世界でこの子が長く生きていくのは難しい、自分が傍にいてやれる間に、少しでも強くしてやりたい、自分の命と愛する者を守ることが出来る男にしてやりたい、その気持ちがロアンの指導に熱を入れさせた。

 アレスを誰かに預けるという選択肢が浮かんだ事は何度もあった。それが一番アレスの人生の為には良いという事も痛いくらいに分かっていた。だがロアンにはそれが出来なかった。それは親としての責任を感じていたからなのか、息子を愛していたからなのか、それともただの我儘なのか……本人にも答えは分からない。


 アレスは笑わない少年になっていた、機械的に父親に従い、剣を振る毎日が彼から笑顔を奪い去る。無言で渡される最高級の傷薬や包帯は、父親からの不器用な愛情。だが幼い少年の心にその愛情は一切届かない。そんな環境でアレスは育った。


 数年後、アレスは15歳になっていた。身長も伸び背中には剣を背負う、立派な一人の男へと成長を遂げる。この頃にはロアンに連れられ戦場を経験するようにもなっていた。そんなある日……彼の運命は大きく動き始める。


「鬼人、ロアンだな? ククク……手合わせ願いたい」

 人気の無い暗い森の中、次の戦場への移動中に、謎の男に呼び止められる二人。その男は2メートル近い身長を持つ大男で、ウェーブのかかった青く長い髪を垂らし、爬虫類のような眼をギラつかせる。漆黒の鎧に身を包み背中には大剣を背負っていた。楽しくて仕方ないと言った様子で笑みを浮かべている。

「荷物を預かれ」

「はい、父さん」

 二人は冷静である、珍しい事では無かった。ロアンの名は有名だ、戦場で討つことが出来れば、大きく名を上げることが出来るというのにも関わらず、完全な一対一の戦いに拘り、戦場の外で決闘を申し込んでくるような戦闘狂。そのような者はこれまで何人もいた。

「アレス、よく見ておきなさい」

「はい」

 このやり取りもいつもの事である、謎の男は背中の大剣を構えると大きく名乗りを上げる。

「我が名は『カーマイン』! いざ、尋常に勝負!」

 剣を抜きながら、カーマインと名乗った男の方へ歩いて行く父の後姿を、アレスは何も考えずに、無言で見つめていた。いつもの日常であるかのように。


 ここから先の事をアレスはあまり覚えていない、はっきりと覚えているのは……

「ガッ……ハ……」

 深手を負い膝をつく父の姿、父のこんな姿を見たのは生まれて初めての事だった。血を流し、傷口を抑えるロアンにカーマインが高笑いをしながら話しかける。

「ハァーハッハッハッハ! 鬼人の名に恥じぬ、素晴らしい強さだったぞロアン! ここまで楽しめたのは久しぶりだ! これでこそわざわざ探し求めた甲斐があったというもの!」

 大剣を地面に突き刺しカーマインは語り続ける。

「どうだロアン、我に仕えてみないか? それだけの剣を消してしまうの惜しいぞ、金も女も好きなだけくれてやる! さらに腕を上げることが出来ればいつでも再戦に応じようではないか! 悪い話ではないだろう?」

 カーマインを無視して、瀕死のロアンはアレスの方に振り返る、こんな時でも無表情な息子の瞳を見つめて。

「アレス……俺のようにはなるなよ……父は、お前を……」

 言い終わる前に、カーマインの大剣がロアンの首を跳ね飛ばした。それでもなお、アレスの表情は崩れない、父が今まで他人を同じように切り殺すところを見続けてきたからだろうか? 自分と父の間に愛が無かったからだろうか? アレスは無表情のまま、涙だけが頬を伝っていた。


 カーマインはロアンに止めを刺すと大剣を背負い満足そうに帰っていく、棒立ちで涙を流すアレスのすぐ横を、まるで姿が目に入っていないかのように無視して通り過ぎていく。アレスもまたカーマインの事は目に入っていない、ただひたすらに父の亡骸を見ながら涙を流している。

(父はお前を……なんだったんだろう……)

 その言葉だけが頭の中を回り続ける。今のアレスには、決してたどり着けない答えであった。




 一夜にしてアレスの人生を変えたその日から4年以上が経った、現在アレスはウォーレンというそれなりに大きな町に滞在している。彼は父と同じ傭兵にはならず『戦士ギルド』という組織を利用して日々の糧を稼いでいた。

 戦士ギルドというのは民間からの様々な依頼を受け付け、仕事を探している戦士に斡旋する機関だ。依頼の内容は買い出しから護衛、魔物の討伐まで多岐にわたる。戦士達への斡旋所は飲食店も兼ねておりアレスもよく利用している。受け取った金をそこでそのまま酒代につぎ込んでしまう者も多い。

 時刻は昼前、アレスは昼食と仕事探しを同時に行う為に斡旋所を目指して歩いていた。目的地に着き、入り口のドアを開けた瞬間、甲高い大声が耳に飛び込んでくる。

「だぁから何でアタシじゃダメなんだよ!」

 小さな女の子が受付で何やら揉めている、ここからでは後姿しか見えないので顔は分からない。銀色の髪の毛をショートカットにしていて、男女の見分けがつかないが、スカートを履いているので恐らく少年ではなく少女だろう。ベルトの脇には手帳ほどの大きさの赤い本がチェーンで引っかけられている。

(魔導書? あの子あの歳で魔導士なのか)

 俺もあのくらいの頃にはもう剣を握らされてたな、と考えながら、相変わらずの無表情でアレスはカウンター席に座り昼食を注文する。少女は相変わらず受付と揉めていた。

「何度も言ってるじゃねーか……こっちにも一応信用ってもんがあるんだ、そりゃあ誰でもいいって依頼は沢山あるが、流石にお嬢ちゃんみたいなの送ったらこっちが怒られちまうよ」

「こっちも何度も聞いてんジャン! アタシじゃなんでダメなの? ちゃんと説明してよ!」

 少女はヒステリックに自分の背丈ほどもあるテーブルをバンバン叩く、目は鋭くツリ上がっておりそこから覗く赤い瞳がギラギラしている、戦士として認めてもらえないのが悔しくて仕方ないようだ。

「フン、もういい!」

 これ以上続けていても無駄だと悟ったのか、少女はイラついた様子でふん、ふん、と一歩一歩を力強く踏みしめながら斡旋所を出て行ってしまった、台風はようやく去ったようだ。


「おまちどーっ」

 斡旋所が静けさを取り戻してから数分後、アレスの元に料理が運ばれてくる。クラシスという魚のステーキだ、彼の大好物である。

 アレスはクラシスを食べながら壁の張り紙を見て都合の良い依頼がないかを厳選する。下級の魔物退治でもあれば儲けものだ、魔物退治の依頼は危険が大きいため報酬が高い傾向にある。アレスの実力ならば低レベルの魔物などはほとんど苦にならない。誰かと組んでいるわけでもないので報酬は独り占めだ。

(めぼしいものは特になし……か)

 食べ終わり料金を払うとそのまま斡旋所を後にする、何となく町の中央へ歩きながらぼーっと空を見上げた。

(こんな事をしていていいのだろうか……これでは何年経ってもあの男には……)

 ふと、そんな考えが頭をよぎる。現在のアレスの目的は復讐だ。いや、目的というより生き甲斐に近い。自分自身でも驚くほど、恨みの感情は持っていなかった。父は騙し討ちにあったわけでも、毒を盛られたわけでもない。正々堂々とした一騎打ちに敗れ死んだのだ。剣を振るう事を生業にしている以上負けて死ぬ事への覚悟など誰もが最初に決めている。

 では何故復讐など考えているのか? アレスにはそれ以外に"何も無い"からである。愛する者もいない、愛してくれる人もいない、恨まれもしなければ誰を恨んでもいない。何の為に生きているのかさえ分からない空っぽな自分が怖いのだ。父の復讐というのは今のアレスにとって最もそれらしい目的だった、何かのために走っていなければ不安になってしまう。それだけの為ににアレスは復讐を考えるようになっていた。生きていく、ただそれだけのために。


 視点は変わり、ここはウォーレンの町中央広場、ベンチや花壇が並ぶ町人たちの憩いの場だ。先ほど斡旋所で大暴れしていた少女が腕と足を組んでベンチに腰掛けていた。怒りが収まらないのか上に組んだ右足の先をパタパタと貧乏ゆすりさせている、ついでにほっぺたもふくれている。

「あー腹立つ、野生動物の駆除くらいアタシにも出来るっての。チビだからって馬鹿にしてサ……」

 一人でぶつぶつと呟き続けている、彼女の怒りは相当深いようだ。側を通る人間全員に眼光をプレゼントしている。本人にそんなつもりはないのだが、いかんせん生まれ持った目つきが悪すぎる。

「あれ? あのオジサンなに張ってんだろ」

 中央広場には大きな掲示板が存在する、そこには町のニュースや尋ね人、求人など様々な情報が並んでいる。少女もこの町で宿を取るようになってからたまに覗いていた。ちょうど今新しい張り紙が増えたようだ。いつまでもここで不貞腐れていても仕方がない、少女はベンチを滑るように降りると軽い足取りで掲示板の前まで進む。

「なになに? 北の遺跡塔での遺品の回収……」

 遺跡塔とはこの時代の技術では作ることが出来ない古代の建造物である、謎の壁画や古い時代の道具などが見つかる事があり研究の対象とされている。

「フーン……塔に向かった学生がもう何日も帰ってきてないのか……」

 何処かの国に仕えるような学者ならば、強力な騎士団や傭兵に護衛を依頼できるのだが、金のない学生ではそうはいかない。大抵戦士ギルドに安めの料金で護衛依頼を出すことが多く、今回もそのようであった。斡旋所の受付が彼女に仕事の紹介をやたら渋ったのにもその辺に事情の一つがありそうだ。

 紹介した戦士が護衛の役目を果たせず、依頼主を死なせたばかりで、今は戦士ギルドへの風当たりが強いのだろう。


「どれどれ報酬は……1万ディーナ!? やっす!」

 1万ディーナは町の宿一泊分程度の金額である、命を懸けるにはあまりにも安すぎる額だ。

(悪いけどこれじゃ誰も遺跡塔なんか行かないよ……)

 しかし依頼主の名前を見て彼女は考え込む、そこには女性の名前があった。亡くなった学生の母親だろうか、または恋人か、護衛を雇って遺体の回収に行けるだけの金など無く、誰かの善意に期待して張り紙を出したのではないだろうか。

(どうせ他にやること無いしな……深入りしない程度に様子を見てくるか……)

 少女はよしっ! と気合を入れると町の北門に向かって全速力で走り出す、入れ替わるように広場に入ってきたアレスがその姿を見送る。

(あの子はたしか斡旋所で騒いでた……)

 目的に向かい、まっすぐに走るその姿に興味を引かれた。

(掲示板を見ていたな……)

 相変わらずの無表情で掲示板の張り紙を確認、何となく察しが付いた。

(あの子が向かって行ったのは北門の方角、北の遺跡塔……か)

 気付けばアレスも北に向かっていた、何か大きな存在に吸い寄せられるように……


 

 ウォーレンの町の北には平原が広がっている、夜になれば魔物がうろつくこの平原も、今の時間ならば鳥や虫たちの楽園だ。時折サーっと駆け抜ける風が気持ち良い。遠くを見れば山がハッキリと見える。

思わず昼寝でもしてしまいたくなるような誘惑に抗いながら、一人の少女が北の方角へ元気よく走っている。ギリギリ肩に付かない程度の長さの髪と、ベルトに短いチェーンで引っかけられている赤い魔導書がポンポン跳ねる。

「はぁ……はぁ……よぉーっし着いた!」

 一旦足を止め呼吸を整える、そしてゆっくりと目の前の建造物を見上げる。

「でっか~」

 高くそびえ立つ塔がそこにはあった、普通の建物の十階分程度の高さはありそうだ。高さだけでなく面積も大きい。1階部分の外には、何かを飲み込もうとしている巨大生物の口のように、ぽっかりと入り口が開いている。塔の入り口の壁に手を当て、彼女は目を瞑り、何かを探り始める。

(当たり前だけど、やっぱうじゃうじゃいるな……)

 少女には魔物の気配を探知できる能力があった。

(お姉ちゃんなら詳しい数とかまで判別出来るんだろうけど)

 少女の姉もまた同様の能力を持っている、何故こんな事が出来るのか、少女には分からない。過去に姉に聞いてみたことがあったが笑顔ではぐらかされてしまった。

(入り口付近は安全そうかな?)

 入り口から中を覗き込んでみる、まっすぐな通路が奥まで伸びており突き当りで左右に分かれている。あまり素直な構造にはなっていないようだ。

(迷ったら帰れなくなりそう……ほどほどにして引き上げなくちゃ)

 少し戸惑った後、恐る恐る塔の内部に踏み込んでいく、昼間だというのに中は薄暗くかび臭い。そのまま奥まで歩き足を止める、最初の分かれ道だ。

「う~ん……よし! 左」

 大した理由もなく左を選択、彼女は探索が少し楽しくなってきていた。ぐるっとカーブした通路を進んでいくと最初の階段が見つかる。

「なんだよらくしょージャン! このままてっぺんまで行っちゃお!」

 少女は気が大きくなり駆け足気味に階段を上がっていった。


同時刻、塔の入り口に黒髪の剣士が立っていた、アレスである。例の張り紙と少女の事が気になって追いかけてきていたのだ。

(ここか……あの子も来ているのか?)

 何のためらいも無く侵入していく、そのまま進み分かれ道へ。

(まずは右から行ってみるか)

 こちらは右ルートへ進んでいく。左ルート同様すぐに階段へたどり着き、アレスも二階へ上がる。

 階段を上るとこれまでの狭い通路とは一転し、広めの部屋に出た。部屋に入るや否やアレスは剣を構える。

「スケルトン!」

 そこには人間の骨が五体、剣や槍、弓などの武器を持って立っていた、下級の魔物、スケルトンである。

「コカカカカカ」

 スケルトン達は顎の骨で音を立てながら一斉にアレスに襲い掛かる。アレスは手前の一体を一撃でバラバラに破壊、そのまま走って集団から離脱、壁沿いを回り込むように走り、少し離れた位置で弓を引き絞っていたスケルトンに接近し切り倒す。

 残りの三体がそれぞれの武器を振りかざし襲い掛かるが、アレスは剣を横に構え大きく薙ぎ払う、一振りで残りの三体を全て破壊する。最初にこれをやらなかったのは大振り後の隙を弓で突かれないようにする為だ。一対多数での戦い方もロアンにきっちりと仕込まれていた。

「ふぅ」

 一息ついて剣をしまい部屋を見回す、次へ向かう通路があるようだったがそこは石の扉で閉ざされてしまっていた。それと付近の壁から先端に持ち手の付いた謎の棒が突き出ている、どう見てもレバーだ。アレスはそのレバーを何の躊躇もなく下ろした、それによって扉が開くことなど誰にでも察しが付く。

 レバーを下ろすとガコン! という何かの起動するような音が聞こえた後、ゴロゴロと何か巨大なものが転がる音が聞こえてくる、しかしこの部屋では何も起こらない。

「う~ん、何だったんだ?」

アレスはそのまま考え込んでしまうが答えは出ない、異変は別の場所で起こっていた。


 少し時間を遡りこちらは左ルート、二階へ上がってきた少女はまた狭い通路を歩いている。

「ずっと同じような道が続くなぁ、魔物も出てこないし」

 飽きて来ているようだ、しばらく歩いていると遠くで何かが動いているような音が聞こえ始める。

「ン? なんだろ」

 足を止めて耳を澄ませるとゴロゴロと何かが転がる音が聞こえてくる。それも音はだんだん大きくなってくるようだ。

「ま……まさか……」

 そのまさかであった、少女が後ろを振り返ると巨大な丸い石が凄い勢いで転がってくるのである。悲鳴を上げ全速力で走り出す。

「あんなもん何処にあったんだー!」

狭い通路に少女の涙交じりの叫び声が木霊した。


(さっきの分かれ道は左が正解だったのだろうか?)

 アレスは未だに二階の部屋から先に進めずにいた、石の扉の前で腕組をしている。一旦戻ってみようかと思い始めたところでガコンという音がして目の前の石の扉がゆっくりと開き始めた。

「よく分からないが、これで良かったのか……」

 不審に思いつつも進めるものならば先に進む、石の扉を抜けた先にはまた階段がありアレスは三階へ到達する。三階は先程と同様、広い部屋になっていた。部屋の中央には長い槍を持った古い甲冑が安置されている。それ以外特に目に付くものは無く、部屋の奥には四階へと続く階段が見えている、今回は魔物も扉もないようだ。

 安心したような、拍子抜けしたような複雑な気分になるがまだ学生の遺体も少女も見つけてはいない、アレスは気を入れ直し四階の階段へと歩を進める。


 そして視点は再び左ルートへ、通路の途中で少女が仰向けに、大の字で転がり大きく何度も呼吸をしていた。

「ハァー……ハァー……冗談じゃないぞ……」

 ようやく呼吸が落ち着いてきた、つい先ほどまで大岩に追いかけられ全力疾走していたのだ。まだ二階だというのに既に汗びっしょりである。

「なんなんだよこの仕掛け作った奴は……絶対性格悪いぞ」

 少女を追いかけていた大岩は、カーブの途中の壁に空いていた穴から塔の外へ放り出されていった、そのおかげで現在休むことが出来ている。壁の穴を見ると、元々壁であった場所が何らかの原因により壊れた……というより最初から岩を外に出すために空けて作られているようである。侵入者を抹殺する意図はあまり感じられないが"してやられた"という感覚は拭えない。製作者のほくそ笑んだ顔が目に浮かぶようである。

「あー腹立つ! 絶対てっぺんまで登りきってやる! 次妙な仕掛け見つけたらアタシの魔法でぶっ壊してやるからな!」

 いつの間にか目的が変わっていた、塔の製作者は少女の中では既に勝たねばならない敵である。呼吸を整えた少女は勢いをつけて飛び上がるように立ち上がると、次の階段を目指し歩き始めた。

 また大岩に追いかけられるのはゴメンだとばかりに壁や床、天井に至るまでをツリ上がった目でにらみつけ、警戒するのを忘れない。通路を進んでいくとようやく三階への階段が見える。少女はまた何かあるのではないかと一歩一歩慎重に階段を上っていく、この塔の中で自分以外はすべて敵である。


 階段を上りきると広めの部屋に出た、少女にとっては塔に入って初めての通路以外の空間である。そこで少女は二体の大きな影を目にする。

「あれは……ランドベアー!」

 二本足で歩き回る、体毛の赤い、熊のような姿をした魔物と遭遇する。その体格は大人の男よりも更に一回り大きい、それが二体である。少女がその魔物を見たのは初めてであったが、本で見たことがあったので存在を知ってはいた。名前を憶えていたのはたまたまだ。

 ランドベアーは部屋の中央付近に一体、さらに奥側にもう一体といった配置だ。魔法を扱う少女にとってこれは幸運だった。発動までの時間を稼げるからである。

 少女は腰から下げた赤い魔導書を左手で掴むと、その表紙に描かれているルーンに右の手のひらを触れさせる。そして右手を近くのランドベアーに向け声を発した。

「ファイア!」

 少女の右手に一瞬だけルーンが出現し高速の火球が発射される、火球はランドベアーの一体を捉え、その衝撃と爆風で壁まで吹き飛び激突、意識を失わせる。

「ゴアアー!」

 奥にいたもう一体が、少女に猛スピードで接近し勢いを乗せた爪を振るう、少女はその攻撃をランドベアーの足元付近に飛び込むように回避した。後ろに避ければそのままの勢いで追撃され、横に避ければ仕切り直しになるからである。体格差が大きい場合足元付近に潜られるのは非常にやり辛い。少女をそれを経験や知識ではなく感覚で理解していた。

 一瞬でランドベアーの後ろに回り込み、もたつく相手に手をかざしファイアを発動、あっという間に二匹を片づけた。

「へへ、ヨユーヨユー」

 迫りくる大岩の方が余程強敵だったようだ、少女は満足そうに部屋を突っ切り次の階段へと向かう……がその中央付近で何かを踏む。

「んん?」

 カコン……と少女の足元の床が沈む、何かのスイッチを踏んでしまったらしい。少女はやべっと声を出して身構える。だが十秒経っても二十秒経っても何も起こらない。

「な……なんもなしか……」

足元に気を使いながら再び階段へ向かう、異変は当然もう一人の侵入者の方で起こっていた。


 同時刻、アレスは四階へと続く階段へ向かう為、槍を握った甲冑の横を通り過ぎようとしていた。異変はそこで起こる。突如部屋の床が光り出しその光が甲冑に集まっていく。床をよく見れば古代の文字のようなものが所々に彫られており、光はそこから発生しているようだった。

 光を取り込んだ甲冑は独りでに動き出し、侵入者であるアレスを討たんと槍を向け構える。

「この甲冑……古代の『魔道具』か!」

 魔道具とは武器などに魔法を仕込み特殊な能力を付与された物である。

「まさか空の鎧と戦う日が来るとは……」

 アレスも剣を構え臨戦態勢に、恐らく古代の魔法で動いているのであろうその甲冑は、槍を構えたままじわりじわりと間合いを詰めてくる。剣と槍の戦いというのは基本的には槍が有利である、リーチに大きな差があるので剣側は一方的に攻撃を受けるのだ。

 懐に潜り込んでしまえば終わりなのだが、槍を使う側も当然それは弁えている。常に矛先を相手の体の中心に向ける事を意識していれば、このような事態にはまずならない。剣側は体全体で動かなければならないのに対して、槍側は矛先の向きを少し変えるだけでこの状況を維持できるからだ。

 未熟な使い手であれば槍を長めに持ち、限界までリーチを伸ばし相手を突こうとするので、先端を剣で打ち落とすという選択肢も存在するが、それが通用するのは使い手の実力差がある場合のみである。

 意識や知能があるのか、甲冑は両手でしっかりと槍を握り、矛先をアレスに向けゆらゆらと動かしている。明らかに素人ではない

(下手な魔物よりよほど厄介だな、じっくりやらなければ危険だ)

 アレスは剣を両手で持ち甲冑に対して横を向く形になる、心臓や他の内臓などを一撃で突かれないようにする為だ。その体勢ですり足気味に移動し間合いを詰めていく。

 そして……先に動いたのは当然甲冑だ。槍のリーチを利用し鋭い突きを繰り出す、アレスはそれを回避、避けた直後に突き出た槍を持つ甲冑の腕を狙っていく。甲冑もそれに気付きすぐに腕を引っ込め、体ごと後ろに下がり矛先をアレスに向けた姿勢を維持する。アレスはそこで前に踏み込み、再び相手の間合いギリギリに入りカウンターを狙っていく。突きを回避し、カウンターを狙い、後ろに下がられ、前に詰める。これを数度繰り返したタイミングで状況が変化する。甲冑の後ろに壁が迫っているのだ、既に後ろに逃げるスペースは大分失われている。何処かのタイミングで甲冑は"横に"避けねばらないのだ。

 そしてその時は来る、アレスのカウンターを避け甲冑がアレスの左側に回り込もうとする。

「ずっとここを待ってたんだ!」

 腕を引っ込めた姿勢のまま、横に移動しようとしたために槍の矛先がアレスから一瞬外れる、アレスはここで全力で走り込んだ。懐に飛び込み甲冑の両腕を切り落とし戦闘能力を奪う、そのまま甲冑をバラバラに破壊し決着である。

「室内の戦いで無ければ、勝負はもう少し長引いたかもな」

 剣を背負い次の階層へ向かっていく、古代の戦士もアレスの敵ではなかったようだ。こうしてアレスと少女は順調(?)に遺跡塔を登っていく、知らず知らずのうちに互いの足を引っ張りながらも……



 そして数時間後、ここは遺跡塔最上階。この階には仕切りなどが一切なく、大きく広い一つの部屋だけのようだ。天井はドーム型になっており、そこには巨大な龍の姿が描かれている。大きくぐるっと回った壁にも様々な壁画が描かれていた。

 柱や床などには独特な装飾が施されており、これまでの階層とは別世界のような、神聖な雰囲気を感じさせる。そこは神殿のようでもあった。部屋の隅に存在する武骨な階段だけが妙に浮いてしまっている。そして反対側の隅にも階段がもう一つ、二つのルートのどちらを通っても最上階には辿り着ける構造になっているようだ。

 そんな神殿の真ん中で、一人の青年が佇んでいる。利発そうな雰囲気の若い男だ。青年は何者かが階段を上がってくる音を聞きつけそちらを向く。階段を上がってきたのは一人の剣士、アレスだ。

「こんにちは」

 青年は口元だけで笑みを浮かべアレスに声を掛ける。その声はあまりにも無感情で生気を感じない。

「あなたは……何故こんな所にいるのですか?」

 挨拶を返さずにアレスは問いかける、このような魔物だらけの塔に、武器一つ持たずに人がいることはあまりにも不自然である。右手は既に背中の剣を握っていた。それを見た青年は慌てたような口調で答える。

「待ってください! 僕は怪しい者ではありません! 僕は数日前にこの遺跡塔の調査に来ただけなんです」

 悲しそうな表情で胸に手を当て青年は語り続ける。

「この神殿に辿り着いたまでは良かったのですが……護衛に雇った戦士が魔物に殺されてしまって……魔物だらけの塔の中を下りていくわけにも行かず、ここから出ることが出来なくなってしまったんです……」

 それを聞いたアレスは剣から手を離す。

「そうだったのですか、疑ってしまって申し訳ありません。私はあなたを探しに来たのです、現在ウォーレンの町では賞金付きであなたの捜索願が出ているんですよ」

 本来は遺品の回収なのだがそれは敢えて伏せた、数日間恐怖に耐え続けてきたであろう彼に対して、既に死んだことになっているなどと、わざわざ言う必要は無いと思ったからだ。

「本当ですか! ああ、よかった……僕は助かったんですね!」

 一瞬でパッと表情を作り替え、嬉しそうな顔になる青年、表情意外に動きはなく、手を胸にあてたままである。その時、神殿に大きな声が響く。

「バッカヤローそいつは魔物だぁ! 離れろォ!」

 アレスが上ってきた階段とは別の階段から現れた銀髪の少女が叫んだ、叫び声に驚いたアレスが少女の方を振り向く、一瞬遅れて少女が叫んだ内容を頭が理解する。

「シャアア!」

 青年の体が緑色に変色し、口は裂ける、爪が太く鋭く変化し、少女の方を振り向いていたアレスに後ろから襲い掛かった。強力な爪を上から大きく振り下ろす。

アレスは少女の声を聞き咄嗟に前に動き出していた為、後頭部への直撃だけは回避した。だが背中を爪で少し抉られてしまう。

「グッ! ……ク……」

 全身緑色の怪人に変化した青年から距離を取り、振り向くアレス、背中からは真っ赤な血液がダラダラと足元に流れ落ちている。

「くそっ! アイツ!」

 階段を駆け上がり神殿に入ってきた少女は、怪人に対して右手を向けファイアの魔法を放つ。だがその攻撃はジャンプであっさりと回避されてしまう。5メートルは飛んでいるだろうか、驚異的なジャンプ力である。ファイアの魔法は怪人がそれまで立っていた床に着弾、大きな音と埃、爆炎を巻き上げる。

「逃がすか!」

 今度は左手を空中にいる怪人に向けファイアを発射、初撃の時点で既に左手も魔導書に触れていた。空中では流石に身動きが取れないはずだと、次弾発射と共に少女は勝利を確信する……しかし……

「シェアアア!」

 怪人の爪がギュルギュルと伸び壁に突き刺さる、そしてすぐに縮み、怪人の体を爪を突き刺した壁へと運んだ。外れたファイアは天井に穴を開け星空を覗かせた。壁に張り付いた姿勢のまま怪人は口を開く。

「せっかく楽にヤレると思ったのによぉ、いいとこで邪魔しやがって! そもそもなんで俺の正体が分かった? 変なのが上ってきてるから珍しい同族かと思ったが、どう見ても人間のガキじゃねェか!」

 やや高い声で、早口気味に怪人は言葉を発する。少女は怪人を警戒しながらも、その言葉は一切無視してアレスに声をかける。

「アンタ、大丈夫?」

「ああ、なんとか動くことはできる……」

「良かった、でもいざとなったら見捨てるから覚悟はしてね」

 そう言ってニッと笑いかける、アレスは意外な言葉を聞き少し呆気に取られてしまう。

「フッ……ハハッ、その時は恨んだりしないから安心してくれ」

 何故か愉快な気分になりそんな冗談で返す、こんな状況だというのに思わず笑ってしまった。アレスにとっては初めての事。

「それよりアイツは何なんだ? 何故正体を知ってる?」

「知ってたワケじゃない、アタシには魔物の気配が分かるんだ」

 とんでもない事をさらりと言ってのける、アレスは少女に少し興味がわいてくる。

「俺の名はアレス、色々聞きたいことはあるけど……君の名前は?」

「アタシはヨリ! まずはアイツを倒すよ! アレス!」

 アレスとヨリ、二人の最初の出会いであり、初めての共闘。互いにとって決して忘れられない、人生を大きく変える出会いだった。


「おいおいおい、俺を無視してくっちゃべってんなよガキ共!」

 ドン! と音を立てて怪人が壁から降りてくる、相変わらず早口で声が高い。

「ウヘヘヘ、でもエサが二匹も手に入ったんだからまぁいいか、しかも片方は若い女だ。やっぱ男はダメだよなぁ、肉はくせーしかてーし……その点お嬢ちゃんみたいなのは柔らかくて美味そうない~い匂いがするんだわ」

 怪人はそう言うと、長い舌でじゅるりと舌なめずりをする。裂けた口からは鋭い牙が見え、牙と牙の間からは涎がボタボタと垂れていた。

「さてまずは……弱ってるテメーから死ねェ!」

 怪人がアレスに人差し指を向けるとギュンと爪が伸びアレスに襲い掛かる。

「甘く見るなよ……」

 伸ばした爪をアレスは剣で切り落とす。

「やるジャン!」

 言うと同時にヨリは怪人に向かって走り出す、敵は遠距離攻撃を行う上に素早く、魔法を当て辛い、ならば近づいた方が良いという判断である。

「接近戦かぁ? いいぜェ来いよ! 直接切り裂いてやる!」

 爪を立て、構える怪人。

(直接殴れるほど近付くワケないじゃん)

 ある程度、間合いを詰めた後に急停止してファイアを放つヨリ、しかしそれでもギリギリで避けられてしまう。

「クソッ! すばしっこい!」

 怪人が避けた先に思わずファイアを打ち込みたくなるが、間違いなく無駄撃ちになるのでここは我慢する。これ以上天井や壁を破壊するのもあまり良い事には思えなかった。

(あれを捉えるには何か策がいるな……)

 ヨリは一旦足を止め思案を始める、怪人も避けた後は距離をキープして様子を窺っていた。

(剣士の方はもう怖かねェ……致命傷じゃねーがまともにゃ動けないはず……問題はあのガキだ、はええし魔法はつええ……)

 一方アレスは大きく呼吸をしながらも剣を構えている、傷のダメージは深い。三者ともににらみ合う時間が続く……最初に動いたのは……怪人である。

(ちっと確かめてみるか)

 怪人はアレスの方にまっすぐ突っ込んで行く。アレスはフゥーと大きく息を吐く、剣を構え直し応戦の構えだ。

「あのヤローケガ人に!」

 それを見てヨリも動き出す、焦ったヨリの姿を横目に見て怪人は確信する。

(やっぱりか! こいつら初対面みてーだが剣士を見捨ててまで俺に勝つつもりはねーらしい、こりゃ使えるぜ)

 アレスの元に到達し爪と剣で一瞬切り結ぶ、やはりアレスの動きは鈍く防戦一方だった。一方ヨリはアレスを巻き込むことを恐れて魔法が使えない、ただひたすらに近付いてくる。ここまで含めて怪人の読み通りであった。

(ケヘヘ……いいぞ、近付け近付け、仲間が死んじまうぜ? まだ殺さねーけどな)

 怪人は十分にヨリが近づいたタイミングで……ターゲットを変える。

「本命はテメーだよぉ! ヒャーハッハッハッハ」

 右腕を振りかざし爪を振り下ろす……だが。

「甘く見るなと……言ったはずだ」

 ヨリを守るようにアレスが割り込む、怪人の爪はアレスの肩から侵入し胸板までを引き裂いた。

「こっの死にぞこないがぁ!」

 再び手を振り上げ、意識を失ったアレスへ止めの一撃を放たんとするが既に決着は付いていた、怪人が手を振り上げたタイミングで、ヨリは怪人の喉元にその小さな手を当てている。そして静かな怒りが込められた声でささやく。

「アンタの声はもう聞きたくないよ」

「ま……待て! やめろガキィィィィィ」

 爆炎と共に、怪人の頭は木っ端微塵に消し飛んだ。




「クソッ……クソッ……血が止まらない……この人死んじゃうよ……」

 萎れたツリ目からぽろぽろと涙を流し、気絶したアレスの傍でヨリが泣いている。薬も包帯も持っていない、それにヨリには手当ての経験も知識もなかった。アレスの服を破き、それを傷口に巻き付けただけでは応急処置にもなっていない。

 アレスを背負って塔を下りる事も難しい、腕力に関しては年相応でしかないヨリが気絶した大人の男を抱え、さらに魔物が徘徊する塔や平原を抜け、町まで帰還するなど現実的ではない。ヨリにはどうする事も出来ず、もはや泣いている事しか出来なかった。


 しばらくの間、その場にへたり込んで泣いていたヨリだが唐突に何かに反応する。

(あれ? これって……)

 とても大きくて、温かい……優しさで出来た太陽のような気配。

「お姉ちゃんだ! お姉ちゃんが来る!」

 不思議な能力により姉の接近を察知する、どうやら夜になっても帰ってこない妹を心配して迎えに来たようである。姉にもヨリの居場所を探る能力がある、そして妹よりもその力は遥かに大きい。

「迎えに行かなきゃ! アレス! ちょっと待っててね。お姉ちゃんならきっと助けられるから」

 ヨリは涙を拭きながら立ち上がると、全速力で塔を駆け下りていく、先程までうずくまって泣いていたとは思えない程の元気さで。彼女にとっての姉とは、それだけの勇気を与えてくれる存在なのだ。




 その五感がまず捉えたのは鳥の鳴き声だ。鳥の種類に詳しくはないがあまり大きな鳥ではない。複数でチュンチュンと鳴いている。視界は暗い……だがそれは恐らく目を閉じているからだろう。暗闇の向こうには確かに暖かな光を感じる。時刻は朝だろうか。

 自分は眠っていたのか、気を失っていたのか……記憶がハッキリとしない、思い出そうにも頭は動かなかった。何よりまだ眠い。背中にはやたら堅いものを感じるが妙な心地良さがある、このまま二度寝してしまうのも悪くはないな、と彼が考えていると不思議な鼻歌が聞こえてくる。

 その声はとても美しく、甘く、優しく、耳だけが幸福な別の世界に飛ばされてしまったかのような、そんな感覚。

 次第に彼の意識は覚醒を始める。重いまぶたをどうにか開くと、眩しい光が飛び込んで来る。何処か建物の中にいるようだった。天井には焼け焦げた穴が開いており、そこから太陽の光と鳥の鳴き声がこの空間にもたらされているようだ。

 彼は仰向けになっていた姿勢からゆっくりと……上半身を持ち上げた。不思議な鼻歌は未だに彼を包み込んでいる。彼は自分の状況を確認するよりも先に、鼻歌の主を目で探していた。そして彼のすぐ隣に、その主はいた。

 彼とは反対の方を向いて何かをしている女性だった。銀色の長い髪が陽光に照らされ、この世のものとは思えない程美しく輝いている。彼はその後ろ姿に目を奪われる、何も考えることが出来ないまま、ただ見入ってしまう。

 その姿をどれだけ見つめていただろうか、ようやく自分が意識を失う前に何をしていたのかを思い出す。そう、ここは遺跡塔最上階、神殿のような空間。咄嗟に自分の体を確認するが、怪人に付けられた傷が綺麗に消えている。自分を取り戻した彼……アレスは、困惑しながらも、後ろを向いたままの鼻歌の主に声をかける。

「あの、すみません……あなたは一体……?」

 その声に気付いて女性は鼻歌を止め立ち上がる。


 そしてゆっくりと……振り返る、朝日に照らされ、長く美しい銀色の髪が輝きながら流れる。そして天使のような微笑みを浮かべながら、彼女はアレスの瞳をまっすぐに見つめ口を開いた。

「おはようございます、私は通りすがりの旅の者です。怪我は治しましたけど、体力の方までは戻せないので、まだ安静にしていてくださいね」

 治した……と言ったのだろうか、アレスは理解が追いつかずに固まってしまう。そんな魔法や魔道具の存在は見たことも聞いた事もない。困惑するアレスに笑顔を見せながら、彼女はゆっくりと近付きアレスの隣に腰を下ろす。

 整った目鼻立ちに綺麗な赤い瞳、まるで物語の中の女神のような、そんな彼女に見つめられアレスは思わず息を呑む。

「昨夜の事を覚えていますか? 妹のヨリがあなたにお世話になったみたいで……ふふ、あの子ったらあなたを助けてって泣いて頼むんですよ? 妹に良くしてくれてありがとうざいました」

「ヨリ……そうだ、昨日共に戦った魔導士の女の子、彼女は無事なんですね。良かった」

「ええ、それはもう。元気いっぱいですよ? 今はご飯を探しに行ってしまいましたけど……戻ってきてあなたが目覚めていたら喜びますね♪」

「私たちが戦っていた魔物がどうなったかはご存知ですか?」

「はい、ヨリが倒したそうです。あなたには大分助けられたと言っていましたよ」

 助けられたのはむしろ自分の方なのだが……と考え、なんと返答するかを一瞬考える、その時ドタドタと騒がしく階段を駆け上がってくる音が聞こえた。

「やっぱりここ何にも見つからないや、アレスが起きたらとっとと町に……ってアレス!」

短めの銀髪にツリ目、赤い瞳の少女、ヨリがやって来る。アレスが目覚めている事を確認すると嬉しそうに駆け寄ってきた。

「へへ、助かったんだ。良かったね!」

 アレスの前で、両手を頭の後ろで組みニカーっと笑う。とても嬉しそうだ。

「ああ、どうやら君達のおかげで助かったみたいだ。でも一体どうやって?」

「へへー、お姉ちゃんはね、触っただけで怪我が治せるんだ。昨夜ここまで来てもらってアレスを治したんだよ」

 確かに先程もそんな様な事を言っていたな、とアレスは考え、隣にいる女性に話しかけようとするも上手く言葉が出てこない。他人と話すことに初めて緊張していた。アレスのそんな様子を見て女性は先に声を掛ける。

「自己紹介がまだでしたね、私はユリアと申します。ヨリの姉です、よろしくお願いしますね、アレスさん」

 ユリアの笑顔に再び見惚れてしまいそうになるが慌てて自分も自己紹介を返す。隣でヨリがアタシはヨリだよ! と言っていたがアレスの耳には入っていなかった。

「私はアレスと申します。詳しい事は分かりませんが、今回は命を助けていただいたようで何とお礼を言ったらいいのか……ありがとうございます、ユリアさん」

 それを聞いたユリアはカラカラと笑って答える。

「ユリアさんだなんてやめてくださいよ~、敬語も結構です。見たとこアレスさんの方が年上ですよ?」

 アレスからはとてもそうは見えないのだが、女性に年齢の話を振るのは失礼だと考え少し悩んだ末に返事をした。

「え~と……じゃあ、こんな感じでいいかな? その……ユリア……」

 試しに呼び捨てにしてみる、何故か彼女と目を合わせるのが気恥ずかしい、自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。

「はい、それで結構ですー」

 ユリアは嬉しそうに答える。二人のやり取りをなんか様子が変だな、と考えながら見ていたヨリが会話に混ざってくる。

「アレスはさ、歳いくつなの?」

「俺はもうすぐ二十になるよ」

「あ、やっぱりアレスさんの方が上じゃないですか~」

「そうだったのか」

 他愛もない話を続ける三人、初対面ではあったが不思議とその会話は盛り上がった。大したことのない言葉のやり取りが心地いいのだ。それもアレスにとっては初めての経験だった。

 この短い時間の中で彼は何度笑顔になったのだろう。アレスの心の中が温かい、幸せな感情で満たされていく。

 姉妹の不思議な能力について、訪ねるタイミングは何度もあった。しかしアレスはそれをしなかった。ヨリは何も知らない様子であったし、ユリアはそういう方向に話が向かおうとするとすぐに話を逸らしてしまう。ユリアにとって、あまり立ち入ってほしくない話題だという事は、人付き合いの経験が少ないアレスにも察することが出来たからだ。何より余計な事に首を突っ込んでこの会話を、ユリアとのひと時を終わりにしてしまいたくはなかった。

「え? アレスも旅人だったんだ」

 ヨリが何やら嬉しそうに聞き返してくる。

「うん、父の仇を探してアテも無くフラフラとしている。出会えたとしても今のままでは万に一つも勝てないだろうけどね」

「お父さんの仇討ちか……立派な目標があるんだなぁ」

 腕組みをしたヨリがウンウン唸って感心する。だがアレスにとっては立派でも何でもない、生きていく理由が何もない為に強引に設定した目標である。そこに熱意などありはしない。

「二人は、何処を目指しているんだい?」

 聞いていい話題なのか不安だったが少し気になったので恐る恐る聞いてみる、このまま旅立たれて二度と会えないというのではあまりにも寂しい。それを聞くとユリアが口を開く。

「私たちもこれといったアテはないんです、私が小さな頃に両親と住んでいた故郷を探しているんですが、手掛かりがなくて……」

 口ぶりから察するに両親は既にこの世にはいないのだろう、思っていた以上にアレスと境遇が近いようだ。三人とも黙ってしまい少し重い空気が流れる。沈黙を打ち破ったのはヨリ……

「ぐぐぅ~」

の腹の虫だった、ヨリは顔を赤くしてお腹を押さえる。

「だ、だって昨日から何も食べてないんだもん!」

 何故かアレスに向かって怒り出す、赤い瞳には少し涙が滲んでいる。

「ふふふ……私もお腹がすいちゃいました♪町に行って何か食べませんか? 『三人』で……」

 そんな提案をユリアが出してくる、異論を唱える者などこの場には一人もいない。三人は町へ向かって並んで歩き出す。先頭にはアレスが、少し下がってヨリが元気に付いていく、一番後ろをユリアが微笑みながら追いかける。

 まるでずっと昔からそうしていたかのように、彼らは歩き出す。三人の物語はこうして始まった……































































































































次回は短めの息抜き回です

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