最終話 愛するあなたへ
剣と剣がぶつかり合う音が、なおも響き続けている。
メリッサはあれから1人で、オディールの猛烈な攻撃を受けていた。
腕の感覚が薄れてきた、剣を持ち上げる腕自体が鉄か何かになってしまった様に重い。それに体中が痛い。切られもしたし、打撃も数発喰らった。
何度も意識が遠のきそうになるのを、歯を食いしばってなんとか耐えていた。
「その剣が持つ魔力がオディールと同じ性質なのを利用して、彼女の纏う熱気を防いだのは称賛するよ。でも、純粋な白兵戦になったとしても、オディールは強い。君如きじゃ相手にならないさ」
ジャンが余裕の表情で語る。
彼の言う通り、魔力に関係なく、今は純粋に剣だけの勝負となっている。メリッサにとっては、自分の土俵だ。しかし、先ほどから一方的に攻められていた。それは、オディールの攻撃が恐ろしく速く、そして重いからだった。そんな熾烈な攻撃を受けて、致命傷を避けるのがやっとであった。
ただ、メリッサは防戦一方の戦いの中で、少しずつオディールの攻撃に慣れてきてもいた。
もともと、白銀の腕手で剣を振るう身である彼女は、剣の腕は相当に高い。それだけ研鑽も積んだ。フェネクスをも超える力を持つオディールの攻撃を、何とか防いでいられるのもメリッサの技量故だった。
(慣れてきたが、問題は反撃の時まで体力が残っているかだな……)
嵐の様な攻撃の中、メリッサの瞳の火は消えていなかった。
「頑張るねぇ、ほんと……」
これまで余裕な態度で戦いを眺めていたジャンの顔が、不満げな表情に変わってゆく。腕を組み、指で腕をトントンと何度も叩いた。
何故、最強のオディールが人間一人を簡単に葬れないのか。力は明らかにこちらが上だ。確実にダメージを蓄積させているし、あんなボロボロなら直ぐにでも止めを刺せるはず。でも、出来ない。何故だ。ジャンの苛立ちは募る。
この時、ジャンは重要なことを見落としていた。いや、正確には分かっていなかった。
それは、オディールが剣術を知らないということだった。彼女を創ったジャンが剣術を知らないため、当然、生まれて間もない彼女も剣術など知らない。そんな知識を組み込まれていないのだ。
オディールの攻撃は、威力も速さも凄まじい。しかし、そんな攻撃であっても、何度も繰り出せば目は慣れる。その為、武術に心得がある者ならば、相手が慣れる前に片を付けるか、攻撃に緩急をつけて慣れさせないようにする。それが、剣術などの武術における技の1つだ。
しかし、オディールにそれが出来ない。結果、メリッサの目を慣らし、戦闘を長引かせる結果となった。
理解が出来ないジャンの苛立ちは沸点を迎えた。
「オディール! 何やってるんだ、さっさとそいつを殺せ!」
ジャンが怒号を発した。そこにはさっきまでの余裕に満ちた表情は何処にもない。眉間に皺を寄せた険しい表情だ。
だがこの時、ジャンは判断を誤った。
ジャンの怒りの声に反応し、オディールが思い切り剣を振り降ろした。彼女に感情はないが、ジャンの指示によって目の前の敵を早く殺せる攻撃を選んだのだ。
その大地を切り裂く程の一撃を、メリッサは剣で受ける。
メリッサは体制を崩す。そこにすかさず、オディールが剣を横に薙いだ。
(やはり、機械だな。正確に私の隙をついてくる……しかし、お前の攻撃は正確すぎるんだ……)
刃の迫る瞬間、鋭く光るメリッサの眼。
メリッサはバランスを崩したのではなく、崩す振りをしていたのだった。
瞬時に姿勢を沈み込ませ、真横から来る剣を躱す。
すると、空振りしたオディールに、一瞬の隙が生まれた。
「はああああああああ!」
やっと来た勝機。
メリッサは全身の力を爆発させて地面を蹴った。
そして、繰り出した。
オディールの顔に目掛けて渾身の突きを繰り出したのだ。
固い物を破砕する音が辺りに轟く。
メリッサの一撃はオディールに命中し、その装甲を貫いた。
「……くっ、駄目か」
メリッサの口から言葉が漏れた。
彼女の視線の先では、突き出した剣がオディールの腕を貫き、顔の寸前で切っ先が止まっていた。
オディールは、咄嗟に右手を犠牲にして、メリッサの突きを止めていた。
「はは……はははは、一瞬、ひやっとしたが、無駄な足掻きだったね。その程度の攻撃でオディールはやられな―――」
そこで男の声が、ジャンの言葉遮った。
「その程度で終わるならな」
声の主は颯爽と駆け、メリッサ背後から彼女の剣を持つ腕を掴み、止められた剣を更に押し込んだ。
オディールの顔の半分に、剣が突き刺さる。
「いくぞ! メリッサ! 我に残こる全魔力をくれてやる! 思い切り振り抜け!」
クロードの叫びと共に、メリッサの掴まれた腕を通して、持っている剣へと魔力が流れ込む。
剣が白い光を帯びる。光の剣は、その刀身を拡大させ、光の大剣へと変わった。
「はあああああああああッ!」
2人の声が重なる。
光の大剣を、オディールの頭からつま先に向かって一気に振り降ろした。
灼熱の白い業火が、切った先からオディールの体を消滅させていく。
振り切った後には剣の熱でマグマの様に煮えた土しか残っていなかった。
ひと時の間、辺りが静けさに包まれる。
「……そ、そんな……そんな馬鹿な……」
口を開いたのはジャンだった。
「そんな馬鹿なことがあってたまるか! オディールは僕の最高傑作なんだぞ! 最強なんだぞ! なんでお前らみたいなゴミにやられるんだ! 嘘だ、こんなことがあるわけない、全部嘘だ!」
目は吊り上がり、顔を高揚させ、子供の様に地団駄を踏む。貴公子と言われた優雅さなど微塵もない。只々、喚き散らしている。
「ふざけるなよ、ゴミども! 1度ならず2度も僕の邪魔をして! 絶対に殺してや―――」
突然、ジャンの虚像がぱっと消えた。
「はぁ、はぁ、ちっ、黒幕は逃がしたか……」
その様子を見て、メリッサは荒い息を付きながら悔しさに表情を歪ませた。しかし、もうジャンを追う余力は残っていなかった。そもそも、彼がどこからこちらを見ていたのかも分からない。
今は偽物のフェネクスを破壊できたことで満足するしかない、そう気持ちを切り替え、メリッサは目の前のクロードに顔を見る。
「ふふ、お帰り、クロード。死んだかと思ったよ」
「我は、そう簡単に死なぬ。くくく」
2人で小さな笑みを交わす。言わずとも、お互いに表情から達成感と連帯感が感じ取れた。
小さな笑いが漏れる妙な可笑しさを含んだ空気の中、突如、メリッサの持っていた剣が、白い光の粒子を霧散させて溶ける様に消えた。
「フェネクスの奴、あんな状態でもギリギリまで、魔力作った剣を具現化させていたようだが……もう限界のようだな」
「それは本当か、クロード!」
メリッサは急いで振り返った。少し離れた所で、ヨハンの腕の中で動かないジーグリンデが目に入る。
メリッサは、2人の傍に向かおうと足を踏み出す。しかし、脚が縺れて躓く。もはやメリッサの体力の限界を迎えていた。
「ちっ」
舌打ちするクロードがメリッサを支えた。彼女に肩を貸すと、2人でゆっくりヨハン達のもとへと歩き出した。
ヨハンの腕に抱かれ、横たわるジーグリンデの顔は眠るように安らかだった。ただ、先ほど消えた剣と同じように、体が光の粒子となって、少しずつ空中に溶けている。
ヨハンの横に腰を降ろしたメリッサとクロードは、彼女のその姿に、最期を悟った。
「ジーグリンデ……いつも僕のことを考えてくれて、優しく、時に厳しく、僕を育んでくれたね。君の愛情は、僕をいつも満たしていた。ちゃんと分かっていたよ」
ヨハンはジーグリンデの髪を優しく撫でながら、ゆっくりと彼女に語りかけていた。
「君は僕だけを生かしたことも、不老不死にしてことも、悔やんでいたね。それに、自分の懺悔に僕を付き合わせているって気にしていたね」
ヨハンの声は小さくも優しかった。眠る前の子供に絵本を読み聞かせる様に。
「でも、僕は君のことを恨んだことなどないよ。それどころか、一度も君のもとを離れたいなんて思ったことがないんだ……だって……」
彼は一度目を閉じた。今までの思い出を噛み締めるように。そして、目を開き、愛しみに満ちた眼差しをジーグリンデに向ける。
「だって、僕にとって君は、父や母であり、姉弟あり、師であり、そして帰る処だったから」
微笑みながらそう言うと、髪を撫でていた手を止め、その手でぐっと彼女の手を握った。
「覚えているかい? 僕が子供の頃にした約束を。僕が医者になった理由でもあるね」
――僕が医者になって、先生が病気になったら治してあげる。
「あの時の約束……それが今果たせそうだ」
そう言ってヨハンは、眼を瞑り、ふうっと深く息を吐いた。するとジーグリンデの手を握っている彼の手が、じんわりと緋色の光を放つ。なんとも暖かく優しい光だった。
ジーグリンデの体から出ていた光の粒子が止まった。すると、彼女の目がゆっくりと開いた。
「ヨ……ハン……ヨ…ハン、だ……め……こんな」
開いたばかりの目は涙で潤み、途切れ途切れの言葉で必死に何かを訴える。そんな彼女の訴えに、ヨハンは小さく首を横に振って応える。
「あなたの……言葉……ちゃんと聞いていたわ……私もあなたと離れたくないってずっと……思ってた。今もそう思ってる」
まるで少しずつ覚醒するように、ジーグリンデの言葉に力が戻ってゆく。
「あなたは、私の全てなの!」
彼女の目から零れた涙が頬を伝う。
「お願い、1人にしないで。こんなこと言える資格がないって思って、ずっと、ずっとずっと言えなかった。でも、私はあなたを愛しているの! 一人の男性として、愛しているの!」
ジーグリンデの感情の籠った言葉に、ヨハンは照れくさそうに、しかし嬉しそうに、顔をくしゃくしゃにして笑って言った。
「ふふ、嬉しいな…………ジーグリンデ、僕の初恋の人……僕も君を誰よりも愛している――」
言い終わらないうちに、ヨハンの体は灰となって風に飛ばされていった。
遠い昔に貰った魔力の根源を彼女に戻し、彼は空へ散っていったのだった。
ジーグリンデは、手に残った僅かな灰と小さな不死鳥石を強く抱き締めながら、泣いた。
不死鳥の生まれて2度目の涙は、嗚咽の声と共に乾いた大地に吸い込まれていった。
エピローグへ続きます。




