第52話 縁の羽根
……暗い。
……音がない。
……寒さも暑さもない。
……匂いもなく、何にも触れている感覚もない。そこにはただ闇だけが広がっていた。
気が付くと、クロードはその闇の中にいた。体を動かそうとしても、筋肉が動いている感じがしない。いや、体がないのだ。
(ここは……我はいったい……)
何故ここにいるか思い出せなかった。頭の中にぼんやりと霞がかかり、考えること自体が億劫に感じる。
(……死んだのか)
そんなことがぼんやりと頭に浮かぶ。ただ、何の感情も沸いて来ない。
自分が何者なのかも、どんな存在だったのかそういったことが靄が掛かったように思い出せない。いや、思い出そうという気も起らなかった。
自分が止まっているのか、動いているのか、立っているのか、座っているのか、逆さまなのか、何も分からない。ただ、闇の中で自分という意識がそこにあるだけなのだ。
まどろむ様にぼんやりとしていると、突然、闇の中に一筋の光が見えた。
(出口……なのか?)
クロードは無性に、その光の方へ向かいたくなった。
意識をすると、光がどんどんと近づいてくる。自分が進んでいるのかもしれない。
どちらでもかまわない。光の方へ行こう。
近づいているのだろう、光が大きくなって行くが、その最中、クロードの視界を一匹の小鳥が横切った。
(ん? なんだ?)
その小鳥は、淡く紫に輝いていた。
クロードは光に向かうことを忘れ、その小鳥を凝視した。何かが頭の中に引っかかるのだ。この違和感は何だろうか。
小鳥はパタパタと羽ばたき、クロードの後ろに回った。
クロードはそれを目で追いかけ、振り向いた。
(あっちにも光があるな……)
振り向いた先に、小さく弱い紫の光が見えた。小鳥と同じ色の光。先ほど向かっていた光とは対象的に小さく弱い。
小鳥はその紫の光の方へ少し飛んでいき、振り返ってその場で止まった。まるでクロードについてきて欲しいようだ。
クロードは迷った。白い大きな光の方へは無性に行きたいが、小さな紫の光の方では、頭の中で引っかかっていることが何なのか分かりそうな気がするからだ。
迷っていると、少し離れた所にいる鳥から抜けるように一本の羽根が、クロードに向かってヒラヒラと飛んできた。
――僕が先生を治してあげる。
飛んできた羽根から声が聞こえた。幼い子供の声だ。
羽根は溶けるように闇に消えた
(あの羽から声が……)
クロードは気になって、小鳥の方へ近づく。すると小鳥はまた、紫の光の方へ飛んでクロードと距離を取った。羽ばたきの中で、もう一本羽根がクロードのもとへ飛んできた。
――ありがとう……心が暖かい……何故この子といるとこんな気持ちになるの……
今度は女の声だ。戸惑いながらも、幸せを噛み締めているように優しい。
また羽根が来た。
――お願い……この子だけは……この子だけは助かって
また女の声だ。今度は切実に祈るような切迫感を持っていた。
再びクロードは小鳥に近づく。すると小鳥は離れる。そして羽根が飛んできた。
――ごめんなさい……あなたを巻き込んでしまって……ごめんさい……
声には悲しみと懺悔の念が満ちている。
クロードと小鳥の着かず離れずの追いかけっこは続いた。その度に羽根が飛んできて、声を伝える。
――どんなことがあっても生きていけるように、私があなたを育てる。
――甘えることも遊ぶこともさせてあげられなくて、ごめんなさい……
――あなたの日常を奪った私を許してくれるの? ありがとう……本当に……
――あなたは十分1人で生きていけるようになった、それでも私といてくれるの?
――ずっと一緒にいたい。あなたを守る為なら私は何だってする。
こんなこと言えない、いや、言う資格が私にはない…………でも、あなたを世界で一番愛しているわ………
羽根に乗せて女の声が様々なことを語る。
(誰かといたい……誰かを守りたい……)
クロードはゆっくりと反芻する。
(くだらんな。弱者の戯言よ。強者は孤高であり、他人を必要とせん。あまつさえ、誰かを守りたいだと? 弱者どうしが傷を舐め合うような思考の極みだ。我は常に1人で……我は……)
ぼんやりとしていた思考に、突然とっかかりができた。
(我は、何故1人なんだ……何故強者たろうと思う……)
考えた。クロードは猛烈に考えた。記憶を一気に巡る。
自分の不遇な生まれを呪った、生きる為に強くならなければならなかった。
卑しい存在だと罵られた、強くなってそんな声をだまらせたかった。
力を追求し、多くの者が自分の軍門に下った。
自分に仕え、自分の為に戦う者たちができた。
それでも力を求めた……求め続けた、求めた結果、誰も着いてこなかった。
それどころか裏切られ、全てを失った。
何故か…………弱いからだ。
(そうだ……我は強くならなければならない……復讐し、全て取り戻すために!)
ぱっと頭の中の霧が晴れた。
自分が何者なのか思い出し、存在理由がはっきりと自分の中に顕現した。
あとは何処に向かうべきか。
『強すぎる力は持ち主を孤独にするぞ。そして限界がある。だから、理想や想いと同様に、力もまた他者と共有すべきなんだ。共有される力に限界はない』
突然、とある言葉を思い出した。
望まない強大な力を与えられ、その力に怯え、翻弄された娘の言葉だ。
その娘の顔を思い出す。
(ちっ、くだらないことを言いおって……我は群れるつもりはない。我が貴様を利用するのだ。しかし、我が宿願の為、しばしの間、貴様には我の力を共有させてやる)
戻るべき場所も思い出した。
あの娘のいる場所だ。
紫の小鳥がこちらを待っている。
「我が覇道の為、再び戦場へ戻るぞ! 案内せい!」
クロードは小鳥に導かれ、小さな紫の光を目指した。
次回、ついに完結。




