第51話 使命を胸に
「マヌディブロス!」
咆哮するクロード。漆黒のオーラが衣服の右腕部分を弾け飛ばして溢れ出すと、巨大な手の形を取って指を広げ、オディールの放った炎の波を受け止めた。
「ちっ、何とか自分の魔力にならないかと思ったが、こんなことで使うことになるとは」
「……え?」
メリッサには、クロードが言ったことが一瞬分からなかった。が、理解してはっとした。
「はああぁぁぁ、はっ!」
クロードが叫びと共に拳を握る。その動きに合わせて、漆黒の手も包み込む様に炎の波を握り締めてゆく。手の中に納まっていなかった炎は、吸い込まれるように徐々に小さくなってゆき、しまいには完全に拳の中に納まって消えた。
「ん? 何が起こったんだ?」
目の前の不可解な現象に、ジャンが怪訝な表情を浮かべた。
「クロード、お前、夫人の邸宅で練った魔力をずっと保持していたのか?」
「そうだ。やはり貴様の魔力は……相性が……最悪……だ」
苦々しい表情を見せて振り向いたクロードが、そのままばたりと倒れた。
まさか、鉱山の時の様に体に限界が。
メリッサは慌ててクロードの傍に行き、跪いた。
「おい! クロード!」
破れた服から見える右腕は、酷く焼け爛れている。鉱山の時の様に魔法を使った反動にも思えたが、この前とは違う。今回は吐血していないし、激痛でもがき苦しんでもいない。
しかし何より違うことが。それは、心臓の鼓動が聞こえないのだ。
「おい、クロード! クロード!」
メリッサは、何度も何度もクロードの名を叫んだ。しかし、彼の意識も鼓動も戻ることは無かった。
「どうやら、そこの彼はイレギュラーだったみたいだね。まさかオディールの攻撃を防ぐなんて……でも、もう彼は駄目だ。どうやったか知らないけど、拒絶反応を示すほどの強大な魔力を長時間自分の中に入れていたようだし、彼の体はもうボロボロ。多臓器不全になる程にね。力の代償ってとこかな?」
ジャンが、全てを見通しているかの様に得意げにペラペラと語る。悔しいことに、彼の言っていることは当たっていた。
思い返せば、クロードが見慣れない手袋をしていたのも、爛れた体を隠すためだったのだと今なら合点がいく。
「うぅん、イレギュラー君が何をやったのか大変気になるな……だとすると、焼き払っちゃうのは不味いな……よし!」
顎に手を当て、ブツブツと独り言を漏らしながら考えていたジャンであったが、おもむろに手の平をポンと打つと、さらに冷酷な命令をオディールに下すのだった。
「オディール、そこに倒れている男以外を消し去ってくれ。男は僕のラボに運んで」
その命令にオディールは、地面に降り立つとゆっくりと歩み出した。冷酷な命令には、冷酷な手段を以ってそれを遂行する。彼女は手段を決めたのだ――クロード以外を近接戦で抹殺することを。
「くそっ、させるか」
メリッサは立ち上がり剣を構えると、オディールに向けて駆け出した。
一気に距離を詰めて剣を振り降ろす。しかし、剣の切っ先がオディールの間合いに近づいた瞬間、メリッサは咄嗟に飛び退いた。彼女は“ある異変”に感づき、反応したのだった。
その異変は彼女の剣に現れていた。見れば、剣の切っ先が炉で熱せられた様に赤くなり、ぐにゃりと曲がっている。
あのまま突っ込んでいたらと考えると、メリッサは背筋が冷たくなった。
すぐに曲がった剣を投げ捨てつつ、辺りを見回した。
他に武器になるものは……何か策は……目を左右に動かしながら、次の一手を考える。何かないか……
その視線を外した一瞬で、今度はオディールがメリッサへ迫った。
メリッサは咄嗟に、足元に刺さっていた一振の剣を抜いてオディールの一撃を受け止めた。
手に取る刹那、剣だという認識はあった。しかし、それが先の戦闘でジーグリンデの手から離れて地面に突き刺さった剣だったとは、敵の刃を受け止めてから理解した。
「これは……」
ジーグリンデの剣であったこと、そして、鉄を溶かすほど高熱を放つオディールと目の前で剣を交えていることに、メリッサは驚いた。
何故そうできるのか、それをメリッサが考える間もなく、オディールは次々と攻撃を繰り出してきた。メリッサは、その攻撃全てを手に持った剣で何とか弾く。
オディールの猛攻は、剣の残像が出来る程に速く、そして一撃一撃が重かった。メリッサは慣れない武器で、凌ぐのがやっとだ。
オディールが上段から剣を叩きつけると、ひと際大きな金属のぶつかる音が響いた。
「ぐっ」
メリッサは、この攻撃を防ぎはしたが姿勢を崩した。そこへ鋭い蹴りが襲う。左脇腹に強い衝撃を受けたと思ったら、体ごと跳ね飛ばされ、一直線に岩へと叩きつけられた。
「がはっ」
彼女の口から血が噴き出す。視界にはチカチカと星が舞った。
そこに間髪入れずオディールの追撃。
衝撃によって意識に靄が掛かるが、それを振り払って即座に我に返ると、メリッサは迫る刃を剣で受けた。
(くそっ、何て重い一撃だ!)
金属の重い衝撃音が速いピッチで何度も響く。
剣を受ける度に痺れる手。体が軋む音も聞こえる。それでも剣を手放さまいと柄を握り締め、奥歯をぎりっと噛み締めた。
オディールの滅多切りに防戦一方になるが、全ての攻撃を防ぎきれるわけではなく、メリッサは傷だらけになってゆく。致命傷は避けているが、ダメージは蓄積され、メリッサの防具は血に染まっていった。
(絶対に! 絶対に負けない!)
メリッサが一人でオディールを相手に奮戦する中、ヨハンの腕の中でジーグリンデが弱弱しく口を開いた。
「ヨハン……」
「ジーグリンデ、喋っちゃ駄目だ」
「ヨハン、聞いて……クロードさんを……助けてあげて、彼はまだ助かる」
「そんな、君をほってくなんてできないよ!」
ヨハンは、刻々と息が弱くなってきている彼女の傍にいたいと願った。
「あなたは……医者でしょ……助かる命を見過ごしては……いけないわ」
「で、でも」
助かる命がある――つまり、目の前の彼女は助からない――そう彼女自身から告げられ、ヨハンの心は酷く動揺した。それが事実なのも分かっていたが、認めたくなかったのだ。
狼狽え、煮え切らないヨハンをジーグリンデの真っ直ぐな瞳がじっと見つめる。彼女の瞳には力強さがあった。
「……分かったよ」
「そう……偉いわ、ヨハン」
ジーグリンデが微笑む。力強かった瞳が、自愛に満ちた優しいものへと変わった。
「私の……ネックレッスを……使って……これで彼を助けられるはず」
ジャンが、慎重に彼女の胸元のボタンを外すと、素肌の上に紫に光る石が乗っていた。綺麗な石だが、歪な形で、他に装飾もなく、紐を通しただけの簡素なネックレスがそこにあった。
「これは……僕があげた……」
その石は昔に渡したお守りだった。
“紫魂石”、死後の世界へと旅立ちそうになる魂にこの世の方向を知らせ、この世に戻って来る縁になると言われている。しかし、所詮は言い伝え、本当にそんな効果があるのかははっきり分かっていない。
しかし、成長し、“奇跡のヨハン”とまで呼ばれる医者となった今のヨハンには、その石が本当に効果があることも、効果を発揮するための正しい使い方も分かっていた。
「……借りるね、ジーグリンデ」
紐の結び目を優しくほどく。この時、ヨハンの顔は医者としての精悍な顔つきになっていた。
その顔をジーグリンデは暖かい眼差しで見つめる。
もう彼との一緒にいて何十年も経ったが、何故か今、彼が途轍もなく大きく、頼もしく思えた。
「行ってくるね……」
そう告げると、ヨハンは石を握り締め歩き出した。
薄れる意識の中で、ジーグリンデはその愛しい背中を見送った。




