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第50話 業火の黒鳥

 爆音と同時にメリッサ達の近くの岩が形を変えた。音の発信源では、空から叩き落されたジーグリンデが岩にめり込み、大きな窪みが出来ていた。

 空中で弾かれたのか、彼女の持っていた剣は空を舞って、メリッサから数メートルの所に突き刺さった。

 弾かれた剣、それが2羽のフェネクスの決着を物語っていた。


「ジーグリンデ……」


 重力に押さえつけられながら、ヨハンが弱弱しく呻く。

 ジーグリンデは立ち上がることはなかった。不死鳥の回復力を持ってしても、すぐに動けないほどのダメージを負っている。


「さて、準備は整った。これでオディールも完成される!」


 ジャンは待ちきれないといったふうに、声を弾ませ、子供の様にはしゃいでいる。


「……させるか……あれは我の獲物だ……貴様になど……」


 クロードがふらつきながら、ゆっくりと立ち上がった。姿勢は低いが、2本の脚と剣を杖にして辛うじて。

 それには、ジャンも驚いたのか、目が少し見開いた。


「あれ、この超重力で動けるの? 驚いたな」


 クロードは体を引きずるようにして歩きだす。

 厳しい形相で、ジャンの方に向けて、1歩、また1歩と確実に歩を進める。

 そして、10歩ほど歩いたところで立ち止まり、彼の視線が足元の地面に向いた。


「ここか…………ふんっ!」


 突如、地面に剣を突き刺した。すると、三人を縛っていた重力がぴたりと消えた。


「あ、見破られちゃったか。付け焼刃のトラップじゃこれくらいかな。もう準備は終わったし、どうでもいいけど。オディール、もういいよ」


 オディールが動けないジーグリンデの目の前に降り立った。そして、ジャンの言葉と同時に持っている剣をジーグリンデに突き立てたのだ。

 オディールは剣を刺したまま、ぴたりと動きを止めた。


「ああ……そんな……」


 その光景を前にヨハンは立ち尽くしてた。

 もう重力の束縛はないのに声が出ない。喉が貼り付いてしまったかのようだ。

 心だけが、彼女の名前を強烈に叫んでいた。

 ヨハンだけでなく、メリッサもクロードもその場に立ち尽くし、時間が止まったような静けさが、一瞬流れた。


 少しして、オディールが再び動いた。剣を刺したままジーグリンデを持ち上げ、振り払う様にして、刺さっていた彼女を投げ捨てた。

 ジーグリンデは、どさりと力なくヨハンの目の前に転がると、傷だらけの純白の鎧が、一瞬で元の看護服に戻った。


「ジーグリンデ!」


 初めて声が出た。

 ヨハンは血相を変えて駆け寄り、彼女を抱き起す。彼女の体は傷だらけで、至る所から血が流れ、看護服が真っ赤に染まっている。特に胸に空いた刺し傷は深い。


「そんな……き、傷が塞がらない! ジーグリンデ! ジーグリンデ! しっかりして!」


 不死鳥であるジーグリンデの傷はいつもすぐに塞がった。しかし、再生が起こらないのだ。ヨハンは腕を彼女の血で真っ赤に染め、半狂乱になりながら呼びかけた。


「あはは、そりゃあ治らないよ。だって彼女の魔力の根源を貰ったんだから。さ、オディール、おめかしの時間だ。君の成長を見せておくれ」


 ジャンが目を輝かせて見つめる先で、オディールが悠然と岩の上に立っていた。黒い甲冑は至る所に切り傷がついており、今までの戦闘の凄まじさを物語っていた。


 ドクンッ


 空気が鼓動するのが聞こえた気がした。

 次の瞬間、オディールの背中から、青い炎の翼が消えた。傷はたちどころに修復され、黒い鎧に入った青いラインの装飾が、血が流れ込む様に赤へと変わってゆく。

 そして、オディールの最後の変化を見た時、ジャンが感嘆の声を漏らした。


「おお……なんて……なんて美しい……」


 オディールの背中に、赤く燃え盛る炎の翼が発現する。二枚ではなく、四枚の紅蓮の翼。その翼を広げ、岩の上に佇んでいる。


「あはは……あははははは、なんて美しいんだ!」


 ヨハンの、甲高い笑い声が響く。


「素晴らしい! 僕はついにやったんだ! あはははは、ついに、ついにあのソロモン王すらも超えたぞ!」


 目を大きく開き、感動に打ち震えながら、空に向かって両拳を突き上げて歓喜の感情を爆発させる。

 その様は、まるで信仰の対象を前にした狂信的な信者のだった。


「ははは……さて、生まれ変わったオディールの力を試したいところだが……」


 ジャンが物色するようにメリッサ達を見回す。


「はぁ、やれやれ、君らぐらいじゃ試すどころか目安にもならないな……ん?」


 下等な小動物でも見るかの様な侮蔑の視線を向けて、落胆したとばかりに頭を横に振る。その動きの最中、ジャンは何かに気付いたのか、ぴたりと動きを止めてしばし考えに耽った。そして、何かを思いついたのか、顔を上げ、不敵な笑みを見せる。


「どうやら、丁度いい試験材料が向こうから来てくれたよ。さっきも言ったけど、君たちのおかげで僕が更なる高みに上れたから、その礼にオディールの成長を見せてあげるよ。さぁ、オディール」


 ジャンの言葉を聞くや否や、オディールが岩山の頂に向けて急上昇を始めた。あまりの速さに、翼の残像が赤い線となって見える。

 頂上に着いたオディールは、ぴたりと止まり、山を挟んで反対側の平地を見下ろす。


「さて、こちらをご覧いただこうか」


 ジャンはそう言うと、青くぼんやりと光る大きな板が空中に出現した。すぐに、その板に景色が映りだした。とても高いところから、地上の景色を見下ろしているような風景だ。


「これは、オディールが見ている景色さ。そして、地上にわらわらと虫みたいのがいっぱいいるでしょ? あれはパルスタン王国の軍隊さ。もうなり振り構わず軍隊を導入してきたね」


 映し出された地上には、黒い点がたくさん潜めいていた。5000人はいるだろうか。大砲、ゴーレーム、騎馬などの姿も見える。ジャンの言う通り、パルスタン軍は紛争に発展しても構わない姿勢で、フェネクスの捕獲に乗り出したようだ。この分だとガルディア国の派兵も時間の問題だろう。


「さて、ショータイムだ。オディール、存分に踊ってくるといい」


 次の瞬間、オディールは岩山の頂上から飛び立った。放たれた弾丸の様に地上の軍勢に向って飛翔し、軍隊が展開するど真ん中に着地した。


 それは着地というにはあまりにも激しいものだった。轟音と伴に砂塵を巻き上あがり、その場にいた兵士には雷が落ちたと感じられたほどだった。

 事態が掴めず、歩みを止めてどよめく兵士たち。


 砂塵の中から、2対の翼をはためかせ、人型の何かが悠然と姿を現した。


 そこからは、ただの蹂躙だった。


 パルスタン軍の如何なる兵器も魔法も、オディールには無意味で、一方的に虐殺されてゆく。

 切られ、焼かれ、破壊される。紅蓮の炎に包まれた阿鼻叫喚の地獄絵図は、数分とかからず完成された。


「ああ、素晴らしい。ここまで一方的とは……正規の軍隊も相手にならないな。あははははは、最高だよ、僕のオディール」


 ジャンは映像を見ながら感動に打ち震えているようだった。


「狂ってる……何が試験だ! やめろ! これは只の虐殺だ!」


 メリッサが怒鳴った。

 しかし彼女の声など、ジャンには聞こえていない。


「さて、オディール、もういいよ。最高の踊りだった。ショーの後は舞台の後片付けをしないとね」


 オディールがゆっくりと空に向かって上昇する。メリッサ達の前には、蹂躙した軍隊を見下ろす形で一望している映像が映し出される。


「ま、まさか……止めろ!」


 ジャンの意図に気付き、メリッサが悲痛な声を上げる。しかし、彼女の声は意味をなさなかった。

 目の前の映像の中で、オディールは剣を地上に向ける。すると、剣の先から火球が放たれた。

 火球は真っ直ぐ降り注いだ。

 降り注ぎ、そして地上で弾けた。


「……そ、そんな」

「酷過ぎる……」


 メリッサもヨハンもその映像に、心臓を絞られたような声を漏らした。

 弾けた火球が大爆発を起こしたのだ。

 業火の波が全てを飲み込んでゆく。

 爆音と衝撃波は大地を揺らし、山を挟んだこちら側でも揺れを感じるほどだ。


 炎の放つ煌めきに映像は白一色になっていたが、少しして爆炎が収まると、地上の様子が見えてきた。

 映像の中の地上には、黒煙と焦土以外、何も残っていなかった。


 人も馬も兵器も、全てが消え失せたのである。その光景を見て、メリッサ達はもはや言葉が出なかった。

 しかし、一人の声が、沈黙によって重く停滞した空気を動かした。


「がはっ……ごほ、ごほ……ヨハン、逃げて……」


 今まで意識の無かったジーグリンデが、ヨハンの腕の中で意識を取り戻した。ただ、致命傷を負っているのは明白で、咳をする度に血を吐き出した。


「ジーグリンデ! 良かった、目を覚ました。喋らなくていい、じっとしていて」

「ごほっ、ごほっ、ヨハン……あなただけでも……逃げて……私の剣を使えば……ごほっ」


 ジーグリンデが血に染まった手で、ヨハンの手を掴んで必死に何かを訴えようとする。


「へぇ、まだ生きているんだ。でも、魔力の残滓で辛うじて生きてる感じだね。もう時間の問題だ……でも、オリジナルが死ぬのを待つつもりもないし、もちろん、君たちを逃がすつもりもないよ」


 ジャンは凍てつく様な冷めた目で、メリッサ達を見下ろす。彼の横に、いつの間に戻って来たオディールがふわりと降り立った。


 燃え盛る羽根を広げて堂々と佇む。それでいて、ジャンの一声で即座にメリッサ達を焼失させるという、圧力にも似た殺気を体全体から放っていた。


「……オディール、やれ」


 ジャンの呟く様な命令と同時に、オディールが剣を振るう。振るった剣の軌道から、燃え盛る業火の波がメリッサ達へと押し寄せた。

 ――やられる。

 メリッサが、そう覚悟した瞬間だった。

 彼女の視界を人影が遮った。

 メリッサの前に立ったのは、クロードだった。


ちなみにオディールの名前は、バレエの演目「白鳥の湖」の黒鳥の名前からとりました。

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