第44話 夜を進め
出立予定時刻の5分前。
明かりは消え、夜の闇と静寂が街を包んでいる。
メリッサ達は再び、ポンパドール夫人の邸宅の庭にいた。
「すみません、夫人。グリューエン先生たちを保護してもらったばかりか、車で輸送までして頂けるなんて」
庭に停まった大型バスの前で、メリッサは夫人に挨拶をしていた。
カシメル地方に行くにあたって、メリッサは白銀の腕手の本部に、輸送用の大型車を手配するつもりであった。しかし、夫人の厚意で、レマール湖に行くときに使った大型バスで送ってくれることになったのだった。
「いいのよぉ、乗りかかった船だし。いや、面白そうだからかしらぁ」
「あははは……」
夫人はこの状況でも相変わらずだ。メリッサは苦笑いを浮かべた。
「奥様、カシメル地方の近くまでですからね!」
近くにいたジョナサンが話に割り込むようにして、夫人に釘を刺す。
「分かってるわよ。流石に私も立場があるから、あそこには侵入しないわ。だから、ごめんなさいね、メリッサちゃん。近くまでしか送ってあげられなくて」
「いえ、それで結構です。ありがとうございます。このお礼は必ず」
メリッサは深々と頭を下げる。
「ふふふ、相変わらず真面目ね。さて、準備はいいかしら? そろそろ出発しましょうか」
バスはカシメル地方へ向けて走り出した。
♦ ♦ ♦
「おい、カシメル地方とはどんなところなのだ?」
走るバスの中、隣の座席のクロードがメリッサに話しかけてきた。
「なんだ、昨日からずっと黙っているから、徹夜の警備で疲れているのかと思ったよ」
「ふん、あれしきで。それよりカシメル地方だ。明らかに貴様らの反応からして、普通の場所ではないようだが」
「そうだな。確かに普通の場所ではないな」
メリッサは腕を組むと、自身の知識を整理しながらゆっくりと説明し始めた。
カシメル地方は、ガルディア国と隣国のパルスタン王国及びシーナ共和国の、3国それぞれに接する地域である。鬱蒼とした森林と中央にカラコム山があり、良質な材木や地下資源が採取できる。しかし、この土地が原因で何度も紛争が起こっているのである。
ソロモン王の死後、国が幾つにも分裂した際、この地域も付近のどの国に属するか選択を迫られた。この時、カシメル地方の領主は、自身の民族と同じガルディア国への従属を選択しようとした。
しかし、領民の8割が領主とは異なる民族であったため、ガルディア国への従属を知った彼らは、自分たちの民族と同じであるパルスタン王国に助けを求め、パルスタン国側はこれに応じて派兵を行った。これに対して、領主側はガルディア国に派兵を要請したのである。この結果、第1次カシメル紛争が勃発した。
その後、幾度も紛争が勃発したが、両国は領有権を主張し続け、未だどこの国に属するかは決していない。現在は、カラコルム山を境に土地を二分し、それぞれに軍事基地を置いて、実効支配による睨み合いが続いている状態である。
なお、最近になって国力を増してきたシーナ共和国も、この地域の領有権を主張し出しており、侵攻の機会を伺っているという。その為、カシメル地方の緊張は極めて高まっていた。
「ほう、確かに厄介な場所ではあるな」
「ああ。厳重警戒地域だからな、自国民でもこの地域には入れない。軍によって監視されていて、侵入者には警告なしに攻撃、殺害する」
「だからといって、侵入するのだろ? どうするのだ?」
「今進んでいる街道には、カシメル地方に最も接近する場所があるんだ。そこには街道の横に森が広がっていて、その森はカシメル地方に繋がっている」
「ほぅ、その森を通って侵入する訳か」
「ああ、そうだ。森の入り口までは、このバスでも1日は掛かる。今は戦いに備えて、休んでおくといいぞ……ん?」
メリッサの視線が、ふとクロードの手元に向く。
「クロード、お前そんな手袋してたか?」
白い薄地の手袋がクロードの両手に付けられていた。クロードが着ている執事服に元々付属していたものであったため、違和感はない。しかし、今まで彼がそれを使っていなかった為、今はその変化が妙に気になってしまった。
「……気分の問題だ。特に、理由はない」
何か気に障ることを言ってしまったのか、声の調子が冷めたものに変わった。
「我は寝る。着いたら起こせ」
椅子のリクライニングを倒して、窓の方に向いてしまった。メリッサはクロードの態度に引っかかるものを感じつつも、特に返す言葉も見つらなかったので、考えるのを止めて自身も目を閉じて仮眠をとることにした。
街道沿いにある森の入り口に到着したのは、夜明け前のことだった。
月明かり照らす平野のパノラマ風景は、深夜で動くものがない。それはまるで風景ではなく、精密な絵画を見ているような感覚になる。
「ここまでしか送ってあげられないけど、みんなの無事を祈ってるわ。気を付けてね」
「本当にありがとうございました」
笑顔で手を振るポンパドール夫人に、メリッサが深々と頭を下げる。メリッサ同様に、頭を下げるジーグリンデに夫人が歩み寄ると、ジーグリンデの手を両手で握った。
「これは貴方が持って行って」
そう言って夫人は手を放した。ジーグリンデは握られた手の中に何かがあることに気づき、手を開いて見る。そこには、不死鳥石のネックレスがあった。
「よろしいのですか?」
ジーグリンデは少し驚いた様に夫人の顔を見た。
「いいのよ、この石、いえ、この子は貴方と伴にいた方が幸せだもの。貴方が人ならざるものであっても、誰かを大切に思う心がある。あなたにとって子供たちは大切な人たちなのよね。大切な人のために、自分がどんな目に遭っても何でもしてあげたいって必死になるその気持ち、私には分かるから……」
死の淵にあった夫の為に、藁にもすがる思いで不死鳥石を買った時のことが頭に浮かぶ。
結局、不死鳥石は夫の病を治癒してはくれなかった。
無駄だった。無駄だったが、なぜか手放すことが出来ず、ずっと今まで仕舞い込んでいた。
ただ、なぜ手放せなかったか、理由は今なら分かる。
この石に籠る子供の魂が、この時を――救いが訪れるのを待っていたからだ。
そして、ジーグリンデなら、この子の魂を救ってくれるはずだ。
「この石で最後なんでしょ? あとはこの戦いだけ。全力で戦ってきなさい。そして大切な人たちを救ってあげて」
「……何から何まで、ありがとうございます」
「それと……」
夫人はそう言って、ジーグリンデを抱き寄せ、彼女の耳元で囁いた。
「彼を愛しているのなら、愛しているとちゃんと言わないとダメよ。言える時間は有限なんだから」
「…………はい」
ジーグリンデはもらった不死鳥石を握り締め、メリッサ達と伴に森に入っていった。
♦ ♦ ♦
メリッサ達は、ヨハンに暗視の魔法を掛けて貰い、暗闇に森の中を進んでゆく。
「本当によく見えますね。凄い魔法だ」
メリッサが歩きながら、きょろきょろと周りを見回す。夜だというのに、木の模様や夜行性の鳥や動物の姿など、昼間のようにはっきり見えた。
「目の光を取り入れる機能を強化したんですよ。不死鳥石集めの際に、隠密行動ができて重宝しました。ちょっとした医療魔法の応用ですから、練習すれば誰でもできますよ」
ヨハンが照れくさそうに頭を掻いた。
「でも、光を沢山取り入れられるようになる分、強い光に弱くなりますから、気をつけてください。明るい場所では魔法を解除しないといけません。切り忘れると悶絶しますよ、ヨハンみたいに……ふふ」
「もう、ジーグリンデ、それは随分昔の話だろ。よしてよ」
「ふふふ、あの時のヨハンったら可笑しかったんだもの。部屋に帰ってきて、照明を着けた途端に、ぎゃって言って転がりまわって……くく……ふふふ」
堪えながらクスクスと笑うジーグリンデが普通の女性のように、柔らかい表情を見せた。それがメリッサには新鮮に感じられた。ヨハンの前では彼女も一人の女性なのだろう。
そんなジーグリンデを数歩後ろから、アルレッキーノもじっと彼女を見つめている。
「いいなぁ、ジーグリンデ。凛々しい表情もいいが、あの笑顔はいいなぁ。俺にもあんな笑顔向けてくれないかなぁ」
「はぁ……お兄ちゃんの病気が発症した」
「いいかいロゼッタ。男ってのはな、美しい女性の前ではいつも恋という持病が発症するのさ」
「はいはい。まったく鼻の下伸ばしちゃって……」
ロゼッタはブツブツと呟いた。
「そういえば、アルはジーグリンデに声掛けに行かないね。美人ならすぐに口説きに行くじゃん」
二人のすぐ後ろを歩いていたヴァルが話しに加わる。
「ヴァルちゃん、ジーグリンデさんとヨハンさんを見てみなよ」
ロゼッタにそう言われて、ヴァルは前方のジーグリンデたちに目を向けた。
「そこ、木の根があるから気をつけて」
「ありがとう、ヨハン」
ヨハンがジーグリンデの手を引いて、紳士的にエスコートしている。礼を言うジーグリンデも慈しむ様な微笑をヨハンに向けている。まるで長年連れ添ったカップルのように、歩幅もぴったりだ。
「とってもいい感じでしょ? お兄ちゃんの入る隙なんてないんだよ。だから初めから試合放棄してるのよ」
「なるほどぉ」
「く、くそう。俺にはマリアちゃんがいるからいいの!」
そう言って、アルレッキーノは後方にいるマリアの方を振り向き、縋る様な視線を向ける。少し離れたところに、マリアとヘルマンが歩いていた。
「きゃっ」
マリアが躓いた。
「なんだ、本当に鈍臭いな、お前は」
「うるさいわよ、ヘルマン。私はいいとこの育ちだから、山道なんて歩き慣れてないの!」
「へいへい。先頭集団においてかれちまう、ほら行くぞ」
ぶっきら棒に言い捨てると、ヘルマンは1人で先に行ってしまった。
「ちょっと」
「ほら、そこ、石が飛び出てるから気をつけろよ」
ヘルマンが振り返ることなく、邪魔な石を顎で指す。その後も逐一、足元にある障害物を彼女に教えたり、どかせるものは脚で払って、地面を均しながら歩いた。
「…………ありがと」
マリアは、ぽつりとヘルマンの背中に言った。
「えぇ……何あの入り難い雰囲気……」
アルレッキーノがげんなりした。
一方、2人の様子を見ていたヴァルの瞳が、何か思いついたのかきらりと輝いた。
「ねぇねぇ、アル? ヴァルもエスコートして欲しいな」
ヴァルはアルレッキーノの横に歩み出ると、彼の手を握り、上目遣いでアルレッキーノの顔を覗いた。つぶらな瞳がキラキラ輝いている。
アルレッキーノからすると甘えてくる子犬を見ている気分だ。
「ねぇ、いいでしょ? いいでしょ?」
「はいはい、分かったから、俺の手をブンブン振り回さないで……ん?」
握られていないもう一方の手に固い感触があった。見ると、機械の手が自分の手を握っていた。
「なんだ? ロゼッタもエスコートか?」
「……べ、別にいいでしょ」
妹の可愛らしい態度に、アルレッキーノに自然と笑いがこぼれる。
「アル、両手に華だね。この女たらしめ」
「ヴァルちゃん、最後の言葉は使いどころがおかしいぞ。ほら、足元には気をつけてください、お嬢さん方」
厳重警戒地域の目の前というには、いささか緊張感に欠く雰囲気で、メリッサ達は夜の森を行進した。ただ、この先の極度の緊張を要する場所に入る前には、これぐらいの弛緩は丁度良かったかもしれない。
1時間ほど歩いたところで、メリッサ達は足を止めた。目の前には、柵が立っており、行く手を阻んでいる。森の中を突っ切るようにある長い柵には、所々看板が付いていて、そこにはこう書いてあった。
『この先、厳重警戒地域につき、許可なき侵入を禁ずる。侵入者には、予告なく攻撃を行う』
この柵の向こうは、カシメル地方だ。否応にも、皆の緊張が高まる。
「さて、ここで俺の出番だな」
アルレッキーノが一歩前に出ると、背負っていた荷物を地面に置いた。荷物はゴテゴテした機械の塊だ。
「ふむふむ、こんなもんかな」
時折、独り言を言いながら、機械についたボタンを操作し始める。少しして、操作を終えて、機械から短い帯状のものを幾つも取り出した。
「さぁ、これを各自、腕に付けてくれ」
アルレッキーノの言うとおり、渡された帯状のものを各自、腕に巻いた。一見、腕時計のようだが、帯に付いている金属のプレートには文字盤がない。
「アル、これって何?」
「ヴァルちゃん、よくぞ聞いてくれた。これはね、対探知結界用ステルス装置とその子機さ」
意味が分からずヴァルは、ぽかんとした表情で小首を傾げる。他の人間もヴァルと似たような反応だ。
「いいかい、このカシメル地方には当然、侵入者を見つけ出す為の探知結界が貼ってあるんだ。この柵を乗り越えたら、軍に簡単に見つかっちまう」
「じゃあ、結界避けの魔法でいいんじゃない?」
「いいや、マリアちゃん、結界避けの魔法ではダメなんだ。そもそも、結界避けの魔法ってのは、探知結界が放つ信号が体に当たって反応する前に消しているんだ。でも、ここの探知結界は、信号を結界内の機械が受信している。だから、もし信号が掻き消されたら、機械の受信が途絶えて、そこで侵入者として探知される仕組みさ。
でも、このステルス装置は、信号を湾曲させて俺たちを避けて通るようにするから、機械の受信も阻害しないんだ」
「なるほどね、厳重警戒地域なだけあって、普通の結界避け魔法なんかは対策済みってわけね。でも、随分と詳しいのね」
「まあね、だってこの仕組み自体を考えたの俺だもん。昔、研究所にいた時にね」
ニヤリと笑うアルレッキーノの横で、ヴァルが湯気を放つ頭を抱えて呻いている。
「うあぁ、アルが難しいこと言うから頭痛い・・・・・・この中に、この中にお医者様はいらっしゃいませんかぁ?」
「あ、はい。えっと、この場合、熱冷ましでいいのかな?」
「あ、真面目に返さないでいいですから。いつものことですので」
ヨハンが戸惑いながらバックの中を漁ろうとしたので、メリッサが止めた。
「まぁ、簡単に言えばこのバンドを巻いてれば、見つからないってことさ。でも親機から10メートルがステルス効果の範囲だから、離れ過ぎに気をつけてくれ」
説明を終えるとアルレッキーノは、再び親機を背負う。
「さて、ここからはカシメル地方だ、みんな気を引き締めて進んでくれ」
メリッサの号令のもと、各自順番に策を超えて、森の奥へと進行を開始するのだった。
カシメル地方は、3国が領有権を主張してる状態です。フィクションですが、モデルとなる土地が現実にもあるんですよ。




