第42話 2人の在りし日(3)
「考えは決まったようですね」
翌日の朝、私はミハエルのテントを訪ねた。どういうわけか、彼は私が来る時間が分かっていたようで、テントの前に既に立って待っていた。
彼は私の顔を見ると、私が決断したことを悟った様だった。
「もう答えは決まったようですが、一応確認です。協力してもらえますか?」
私は彼の問いに黙って頷いた。
「そうですか……貴女の判断は懸命なものだと思います」
ミハエルが微笑んだ。しかし私には笑みを返す余裕などなかった。
彼の言葉に続けて、私は、協力するための“ある条件”を提示した。
それを聞いた彼の顔が、一瞬、驚いた様な表情に変わった。
「……なるほど、貴女の選択だ。尊重しましょう」
ミハエルは、すぐに真面目な顔に戻り、落ち着いた口調で言った。
その後、彼が歩き始めたので、私もその後に続いた。
彼は何も言わなかったが、行き先は子供たちのいるテントだと分かった。歩いて1、2分の距離だが、私には何十倍にも長く感じた。
ああ、なんて静かなの……静かで、冷たくて……世界が死んだのかしら……
重い足取りで歩む中、鳥の声が聴こえないことに気付いた。鳥の声だけでなく、私たちの足音以外の音が無い。村は静まり返っていた。まるで時が止まってしまったように。
岩のように圧し掛かる重い気持ちを引き摺って、子供たちのテントに到着する。
しかし、私の目はテントより、その隣の更地に引かれた。地面には大きな円の魔方陣が描かれており、それを囲むように見たことも無い機械が何台も置かれているのである。
医療の現場には似つかわしくない、異様な光景だった。
「ああ、あれですか? あれが不死鳥石を作り出す仕掛けですよ。貴方はきっと協力してくれると思っていましたので、昨日のうちに準備をしておいたんです」
私の視線が釘付けになっているのに気付き、ミハエルが説明する。彼の用意周到さに、何か納得できない怒りを覚えたが、今は口を開く気になれず、黙って聞いた。
「では、仕上げと行きますか」
そう言うとミハエルは、副班長のマルコムを近くに呼んで、指示を出した。
「分かりました、その様にします。おい、十三番以外、全てセットしろ」
マルコムは、ミハエルの指示に了解すると、他の班員に号令を出した。
十数名の班員たちがテントの中に入っていく。そして、すぐに子供たちを抱えて出てきた。力なくぐったりとした子供たちが見え、私は思わず目を背けてしまった。
こんなにも哀れな姿になった子供たちにこれから自分は更に酷い仕打ち――命を奪うのかと思うと、心が押し潰されそうだった。
連れてきた子供たちは、魔方陣の中に寝かされ、周りの機械から伸びたコードが手足に繋げられた。
少ししてマルコムがミハエルに報告した。
「準備が整いました」
「分かった。それではフローラ、こちらへ」
私は彼に案内されるまま、魔方陣の目の前まで行った。
「この水晶に貴方の治癒の力を強く込めてください。そうすれば、不死鳥石は完成します」
私の目の前には台座に乗った球体の水晶があった。そして台座からは子供たちが繋がっている機械へとコードが伸びている。どうやらここが力の起点になるのだろう。
私は震える手を水晶に添えた。
水晶の無機質な冷たさが手に伝わる。
再び、横たわる子供たちに目を向けた。1人ひとりの思い出が私の脳裏に走馬灯のように過ぎった。
鬼ごっこをして一緒に走り回ったな……
みんなで、釣りをしに川へ行ったっけ……
秘密基地で食べた木苺、美味しかったな……
命を奪うはずの私の方が、これから断頭台に掛かる気分だ。重く、苦しい。
でも、いや、だから私は子供たちから目を背けず、しっかりと見つめた。
最後の瞬間まで彼らの“生”をこの目に焼き付けるために……
水晶に魔力を込めた。
並んだ装置が大きな音を上げて稼動し、魔方陣が青白い光を上げた。
すると魔方陣の中の子供たちから苦しそうな呻き声が上がった。やせ細った弱々しい手で胸を押さえて呻いている。
目を瞑りたかった。耳を塞いでしまいたかった。
しかし、必死にその衝動に抗った。
彼らの命の炎が消える最後の瞬間まで見届ることが、私に出来る唯一の謝罪だと思えたから……。
魔方陣の光が、一瞬、目も眩む様な閃光になって消え、同時に装置も止まった。
また静寂が戻る。
魔方陣の中には、うっすらと煙が上がっており、中の様子は分かりづらかった。
少しずつ煙が薄れてゆく。
そして、煙が晴れた瞬間、私は目の前の光景に愕然とした。
魔方陣の中の子供たちが、完全に石化した姿で転がっていたのである。まるで村に蔓延している病の終末期と同じ有様だった。
ただ、惨劇はそれで終わりではなかった。
言葉を失い立ち尽くす私を他所に、ミハエル達が取った行動は、常軌を逸していたのであった。
「よし、手筈通りかかれ」
ミハエルが指示をだした。医療班の班員たちは、石化した子供たちに歩み寄ると、採掘場の岩でも砕く様に、手に持ったハンマーと杭で子供たちを砕き始めたのである。
「そ、そんな……な、何をしているの!?」
震える声で私はミハエルに聞いた。
「ああ、言ってなかったですが、不死鳥石は体内で結晶化するんですよ。その際、人体の全部が石に変わっちゃうんですがね。で、完成品を取り出す時は、ああやって体を砕いて取り出すんです。
ちなみに不死鳥石は心臓の付近に出来るんですよ。やっぱり魂って胸の辺りのあるんですかね?」
ミハエルはあっけらかんと答えた。私には、彼が浮かれているようにすら感じた。
この人は、いったい何を言っているの?
「班長、ありました。実験は成功です!」
子供たちを砕く班員から声が上がる。その後すぐに、他のところからも同じような声が次々と上がる。それを聞いてミハエルは、更に嬉々とした表情を浮べた。
子供たちの肢体がばらばらにされてゆく。目の前のおぞましい光景に、こんな表情を浮べられる彼が理解できなかった。
そんな彼への不信感が、ふと私の思考を冷静なものにした。すると、個々の不可解なことがパズルのピースを嵌めるようにくっついていく。
――石化する謎の病
――石化することで錬成する不死鳥石
――用意周到に準備された機材
最悪の仮説が私の中に浮かんだ。
「ミ、ミハエル……まさか……こうなるように全て――」
言いかけた瞬間、私は左胸に衝撃を覚えた。
「うっ」
私は胸を押さえて膝を着いた。
その姿勢からミハエルを見上げると、歪んだ笑い顔と手元には拳銃。その時はじめて私は彼に撃たれたのだと分かった。
「いやぁ、長かったなぁ。やっと石ができましたよ」
ミハエルは醜く顔を歪め、にんまりと笑っている。
「あなたが今、考えている仮説は正解ですよ。石化する病を蔓延させ、患者にフェネクスの力を注ぐように仕向ける、全て私の書いたシナリオです。そして、その通りにことは運んだ」
「な、何故こんな酷いことを……うぐっ」
私の体から力がガクッと抜ける。
「何故ですか……まぁ、折角ですからお話しましょう。私もあなたとのお喋りは好きなんで」
彼は仕事をやり切ったとばかりに、ぐるりと首を回した。
「この国が隣国と戦争をしていて、それが決定打がないまま長引いているのは知ってますね。私は、その決定打になりうる新兵器の開発に成功したんですよ。
それはね、強い魔力を持った石を人体に埋め込み、強力な魔法を使える兵士を作るんです。でも、なかなか人体に適応する石が無くてね。そんな中、唯一適応したのが不死鳥石だったんですよ」
そこまで言って、ミハエルは銃の先を気分よさげに軽く振った。
何がそんなに愉快だというの。
「ただ、この石はとんでもなく希少だ。だから、人工的に量産できないか研究しました。
その結果が、目の前この成果です。いやぁ、理論的には上手くいくと分かっていても、実際に成功すると嬉しいものですねぇ、あはははは」
ミハエルは子供の様に無邪気に笑ったが、私は彼の笑顔に恐怖にも似た悪寒を覚えた。
「おっと失礼、舞い上がってしまいました。でも、舞い上がっちゃうくらい、ここまで大変だったんですよ。不死鳥石に成る前に子供が死なないように抑制剤で進行を調整したり、あなたを説得して協力させたり。
それに、貴方のことは調べ尽していましたが、本当は治癒の力を使える人数に制限が無くて、村人を簡単に治癒してしまうんではないかって冷や冷やでした。まぁそんな苦労も心労も報われましたけどね」
「……そんなことの為に村1つを実験に使ったっていうの? 酷い! あんまりだわ! 人の命を何だと思っているの!?」
「はぁ、それを貴方がいいますか……確かに、状況を作ったのは私ですが、子供たちを犠牲にすると決めて、手を下したのは貴方だ。しかも、その子供の中からも、私情で命の取捨選択した。そんな貴方に命についてとやかく言われたくないですね」
心に痛みが走った。
私がミハエルに出した協力の“条件”、それは、ヨハンを錬成の対象から外すことだった。
私は、医師として最大数の命を助ける為と言いながらも、私情で犠牲になる命を選別したのだ。
「それでも……それでも私はあなたを許さない!」
私は怒りに任せて、目の前であざ笑う男を焼き尽くしてしまおうと、魔力を体に込めた。
しかし、魔法は発現しなかった。
「ははは、無駄ですよ。貴方については調べ尽したと言ったでしょ? あなたを無力化する薬も開発済みでね。さっき打ち込んだ弾がそれです。まぁ、完成したのはここ二、三日前ですがね。これも上手くいったな、流石は私だ。
不死鳥石の錬成にはあなたの魔力は必要不可欠だ。今後は研究室で、金の卵を産む雌鶏になってもらいましょうか、あはははは」
「こ、この……」
私から魔力どころか、力すらもどんどん抜けてゆく。膝をついた状態で、睨みつけることしかできない。
「そんな怖い顔をしないでくださいよ。そうだ、貴方のお気に入りのヨハンって子供、あの子もちゃんと研究室で立派な不死鳥石に変えてあげますよ。あ、サンプルとして、研究材料にするのもいいな……まぁ、無駄死にさせませんから、安心してください」
彼の言葉に、私の中で何かが弾けた。怒りや憎悪とかそう言った感情と呼べる具体的なものではなく、混沌とした激情という炎が私の体の内を支配していった。
(ヨハンを助けなければ!)
私の思考はその一色になる。
次の瞬間、爆発のような大きな音で我に返った。
何が起こったのかと辺りを見回すと、周囲の人間が蹲って呻いている。中には、体の一部が燃えて転げ回っている者もいる。
目の前のミハエルは顔の半分を抑え、跪いていて、私はそれを立って見下ろしていた。先ほどとは立ち位置が逆だった。
「ぐああぁ……こ、この化け物め! まだこんな力を残してたか」
ミハエルが呻きながら私を睨む。その顔は焼け爛れていた。
どうやらこの惨状は私が起こしたようだ。
冷静に状況を把握する間もなく、私の頭の中では衝動が叫び続ける。
――ヨハン! ヨハン!
私は夢中で駆けた。テントを潜り、ヨハンを抱きかかえて走り続けた。
後ろからは、追手の足音が聞こえる。
私は山に逃げ込んだ。
茂みに隠れ、追手をやり過ごす。
――絶対にこの子だけは、死なせない!
この頃には、思考は冷静さを取り戻し、どうやって逃げ切るかを必死に考えていた。腕の中ではヨハンが細く弱い息をしている。
何とかしなければ……
蒼白な彼の顔を見て、あることを思い出した。
(秘密基地だ! あそこなら!)
そこから身を隠しながら、息を殺し、決死の思いで山を進んだ。そして、何とか子供たちと過ごした秘密基地に辿り着いたのだった。
幸い、その付近には追手は迫っていなかった。
入り口を隠している石や木の枝をどけて、狭い小さな穴を潜ると、再び入り口を内側から隠した。
ふうっと溜息が漏らし、僅かな安堵に浸る。しかし、追手がいつ来るか分からない。私はヨハンの息があることを確かめると、彼を背負って洞窟の奥へと歩み始めた。
かなりの時間、洞窟を歩いたはずだが、出口は見えない。
本当に出口があるのか不安になった時だった。背中のヨハンが苦しみ始めた。
「ヨハン!」
私は急いで彼を降ろして、地面に寝かせた。
うなされる様に苦しんでいる。何かしてあげたいが、今は彼の手を握ってあげるだけしかできなかった。
なんて私は、無力なんだろう。
その間にもヨハンの息がどんどん弱くなっていく。このままでは彼の命は……
回復の魔法は、子供たちを石にするのに使ってしまって、当分は使えない。
「もう……これしかないのね……」
私は意を決し、最後の手段を取ることにした。
――私の魔力の根源、その半分を彼に移植する。
成功するかは分からない、成功したとしても彼を不死の世界の住人――人ならざるものにしてしまう。
最悪の賭けだ。それでも、ヨハンに死んでほしくなかった。
その一心で私は賭けに出た――……
洞窟の先に光が見えた。出口だ。
あれからヨハンを負ぶってどれほど歩いただろうか。時間の感覚が全くない。
背中のヨハンは相変わらず意識はなかった。でも、もう苦しむこともなく眠るように静かだ。
洞窟を出ると、そこは草原だった。夕日に照らされ、一面緋色の景色が広がっていた。
「ううん……フローラ先生?」
背中のヨハンが目を覚ました。
「先生どうしたの? 泣いてるの?」
ヨハンの声をきいて私の目からは涙が流れていた。
それが嬉しさからなのか、それとも悔恨からなのか、それは私にも分からなかった。でも、それが生まれて初めて流す涙だったことは確かだった。
暗い話もこれでおしまいです。
また、メリッサたちの活躍に戻ります。
そして、次回から4章突入! お楽しみに!




