第41話 2人の在りし日(2)
ある日のことだった。一人の村人が倒れ、診療所に担ぎ込まれた。意識は混濁し、酷い熱と咳、手足の痙攣も見えた。
初めは風邪による重度の症状だと思ったが、私の見立ては大きく外れていることをすぐに思い知った。
聴診器を当てようと彼の服をはだけると、彼のみぞおちから左脇腹にかけて、皮膚が石化をしているのが見えた。文字通り石になっているのである。
「こ、これは……」
私は絶句した。
――こんな症状の病は今まで見たことがない。
でも、傍観しているわけにはいかない。まずは熱冷ましと鎮静剤を投与し、彼を眠りにつかせた。
ほっとしたのも束の間で、同じ症状の患者が更に数人担ぎ込まれた。そして翌日には患者は倍に増え、三日後には村の八割の人間がこの謎の病に侵されたのだった。
五年前の流行病と違い、治療方法も分からない病に対して、私一人では限界があった。
それでもなんとかしなくちゃ……私は必死に治療に当たった。
一週間が経ち、ほぼ全ての人間が発病した。
未知に病に私は無力だ。
日に日に弱っていく、大好きな村に人たちを見ているしか出来ない。
私が絶望に打ちひしがれた、そんな時だった。
村にある集団が訪れた。それは白衣を着た集団だった。
突如としてやって来た彼らは、村の空き地に、てきぱきとテントを立てて、様々な機材を設置していった。
「あの、すみません。あなた方はいったい……」
私が声を掛けると、指示を出していた男が私に気が付いて振り返った。
「ああ、あなたはこの村の医者ですね? 我々は、ガルディア国軍第八特別医療班です。この村に新種の伝染病蔓延が観測されたため、感染拡大防止と患者の救護の為に派遣されてきました」
男の説明を聞いて、私は嬉しさとほっとしたのとでその場にへたり込んでしまった。
「ああ、よかった……」
安堵の言葉が口からこぼれる。
「大変でしたね。でも我々が来たからには大丈夫、安心してください」
マスクで口元は分からないが、男の目がにっこり笑う。追い詰められていた私には、彼の笑顔が、絶望の闇の中に差す一筋の光明に見えた。
「私は、ミハエル・ハイマン、この医療班の班長です。ミハエルと呼んでくださいドクター」
ミハエルは手を私に差し出す。その手を掴み、起こしてもらう。
「あ、ありがとうございます。私はフローラ・ナハトガルと申します。私のこともフローラとお呼びください」
自己紹介が済んだところで、別の医療班の人間がやって来てミハエルに報告する。
「班長、仮設病院の設置、完了しました」
「ご苦労。ああ、紹介しておきましょう。彼は副班長のマルコス・フェリデン。私でも彼でもいいので、御用の際は何でも言ってください」
私も会釈をして自己紹介をする。
「フローラ・ナハトガルです。フローラとお呼びください。よろしくお願いします」
「あ、はい。よろしくお願いします」
マルコスは無表情でペコリと頭を軽く下げた。あまり人の目を見るのが得意な人ではないようだった。
「すみませんね、愛想がないやつで。では、患者を仮設病院に移してくれ、マルコス。フローラには、患者たちのところに案内を頼んでいいですか?」
「はい、分かりました。ついて来てください」
こうして医療班と私の村人たちへの看病が始まった。
医療班が来て二日後、私以外の全ての村人が発病した。
発病した村人は、テントで作った架設の病院に移し、医療班と私で懸命に看病をした。
医師の数が増え出来ることは増えたし、医療班が持ってきた薬や設備は大いに役に立った。が、彼らの力をもってしてもこの奇病の治療方法は見つけられなかった。
村人の病は、日に日に進行の度合いを増した。特に石化はそれが顕著だった。初めは体の一部分だったものが、手や足など体の至る所に現れ、大きくなっていったのである。
最初の発病者が出てから二週間が経とうとした時、ついに犠牲者が出た。
彼は、ほぼ全身が石化し、死に至った。
そして、そこからは日を追うごとに死体の数が増えていった。
「……先生……ごほ、ごほ」
「ヨハン、痛む?」
私は寝そべるヨハンを横向きにすると、背中を擦ってやる。
この奇病は、子供たちだけ何故か進行が遅かった。なので、子供だけ別のテントに隔離して、そこに寝かせていた。
しかし、遅いというだけで、進行していないわけではない。顔や手足など、体の石化がちらほら見える。私はそれを見るたび、無力な自分を悔いた。
「絵本を……読んで」
朦朧とする意識の中、弱弱しくヨハンが言う。
「……私も・・・ごほ、ごほ……読んで欲しい」
隣のベットのエミリーも小さな声を出した。
「分かったわ、いつものあの絵本を読んであげるわね」
私はヨハンのお気に入りの絵本を持ってくると、読んで聞かせた。本を読んでいる間、ヨハンたちの顔は苦しさを忘れ、安らかだった。ひと時の穏やかな時間が流れる。
少し前なら当たり前の時間だったのに、今は随分昔の様な気がした。
私がそんな気持ちを抱きつつ、絵本を丁度読み終えようとした時だった。
「うぐ……がぁ、ああああ!」
ヨハンが苦しそうにもがき出した。
「ヨハン!」
私は急いでヨハンを押さえつけると、持っていた鎮静剤を彼に注射する。
なおものた打ち回る彼を私は抱きつくように必死で抑えつけた。
私の腕の中で、ヨハンがもがく。
必死に、必死に抑えた。
「くっ……ヨハン……」
薬が効いて、ヨハンから力が抜けた。
病気は子供たちの小さな体を確実に蝕んでいる。見回すと、いつも光る様な笑みを浮かべていた子供たちの顔は、今では生気の薄い、痩せこけた顔ばかりになってしまった。
胸が握りつぶされる様に痛い……
私は居た堪れない気持ちに、テントの外に出た。ぐっと目頭が熱くなるのを感じて、涙を堪えているとミハエルに呼び止められた。
「フローラ、ちょっといいですか?」
「……はい」
神妙な面持ちのミハエルに声を掛けられ、彼の後に続いて、医療班の宿泊用のテントに入った。中には私とミハエルしかいない。
ミハエルは私に椅子に座るように勧めると、お茶を出してくれ、一息つくと、ゆっくりと喋り始めた。
「今日の時点で、村の人間の2割が死亡しました……症状の度合いから見て、あと数日で6割が死亡し、1週間後には村は全滅しているでしょう……」
ヨハンの言葉が私の胸にぐさりと刺さる。
「残念ですが、治療法はまだ見つかりません」
「そう……ですか」
「しかし、医療行為ではないのですが、治療法になりうる手段があります……」
「え……ほ、本当に!?」
私は驚いてミハエルを見た。
「ただ、それには貴方の協力が必要なんですよ、フローラ」
「私に出来ることならなんなりと!」
私は縋る様な視線をミハエルに向けると、ミハエルは真面目な顔で小さく頷き、口を開いた。
「まずは私の質問に答えてもらえますか?」
「え? ええ……」
「貴方は、ソロモン王が作ったとされる伝説の人工生命体の一体、フェネクスですよね?」
突然とんでもない質問をされて、私は一瞬固まった。彼の言葉に、普段聞きなれない単語が並び、質問を理解するのに少しの間を要した。
「えっと……ミハエル、何を言っているの?」
「貴方がフェネクスであるなら、村の人を、子供たちを助けられるんですが……」
何故、彼は知っているのだろうか……何か目的があるのだろうか……
今言った彼の言葉は確かに、私にとって縋りたくなる希望の糸だ。でも、ここでフェネクスであることを認めるのは、何故だか大きな不安があった。
――彼を信じていいのか
私は何も言えず黙ってしまった。
しかし、ミハエルは視線を外さず私の返答を待った。彼の目には全て分かっている、その上で聞いている、そういう意志が見て取れた。
――誤魔化せない。
「……ええ、そう。私は人間じゃない。人工生命体のフェネクス……」
「……やはりそうでしたか。貴方の力があれば村人の病気を治せるかもしれません」
「待って、ダメよ。確かに私は治癒の力を持ってはいるけど、この力を使って救えるのは一人だけ。村の人全員なんてできない」
「でしょうね。そうでなければとっくに貴方は村人を治癒している」
「じゃあ、どうやって……」
「不死鳥石、あれを使います」
「え?」
私はミハエルの言うことに付いて行けなかった。
そんな私の反応は予想通りだったのか、ミハエルは微笑むと、ゆっくりと説明を始めた。
「フェネクスが生み出すという不死鳥石を人工的に作り出します。あの石はフェネクス、あなたの力が凝縮されている。その力を使い村人を治癒します」
「……そんなことが可能なの?」
「可能です。私はもともと錬金術が専門でしてね。不死鳥石についても色々調べ、製造できないか研究したことがあるんですよ。研究の結果、製造の理論は出来ています。あとは貴方の力があれば可能なのですよ」
「で、では、村の人が助かるのね?」
私の声は弾んだ。
「ただ、石の製造には媒介が必要になるんです……」
ミハエルの表情が曇った。私はそれを見て、心がざわつく様な不安が沸いた。
「媒介って、何が必要なの?」
「大変言いにくいのですが…………人間の魂です」
私は言葉を失った。
「そして、不死鳥石にできるのは、穢れのない子供の魂だけです」
「そ、そんな! あの子たちを……駄目よ! そんなこと!」
私は思わず席から立ち上がり、ミハエルを睨みつけた。
「冷静に考えてください。生き残っている村人を救うには、あの子供たちを全員、石に変えるしかありません。このままでは全滅を待つだけです。十数人の子供の命で、大勢の人間の命が救われるんです」
「でも……そんなのって……」
「あなたも医者なら、命の取捨選択をしてきたことぐらいあるんじゃないですか? そしてその場合、医者が取るべき答えは、“より多くの命が救われる方”のはずです」
ミハエルの真剣な目が私を真っ直ぐ見つめる。私は何も言い返せなかった。
「時間がありませんが、今日1日考えてみてください。明日の朝、協力してくれるのかどうか返事を聞きます」
私は、一言も発することなく、ふらふらとミハエルのテントを後にした。
頭の中で子供たちの顔と村の人たちの顔が交互に浮かんだ。胸が張り裂けそうな程に苦しい。そんな心の激痛に苛まれながら、私は夜通し考えを巡らせた。




