第40話 2人の在りし日(1)
フェネクスことジーグリンデは、ゆっくりとその過去と語り始めた。
自分とヨハンが如何にして、不死鳥石を集めることになったかを――
今から80年以上前、私は各地を転々としながら、行った先々で病人や怪我人に治療を行う流れの医者、いわゆる放浪医をしていた。
当時は、フローラ・ナハトガルという名前だった。
ある時、流浪の旅の中で、イゴという名の村に立ち寄った。
イゴ村は、都市からは遠く離れた山々に囲まれた小さな村で、村に来る道中でこの村については良い村だと聞いていた。
豊かな自然と肥沃な土地の中、村人は決して裕福ではないが自給自足で不自由なく暮らす村だという。
しかし、私が村に着いた時、村には活気が無く、家の外に出ている人が見当たらなかった。それは村に伝染病が蔓延していたからだった。
村人の症状を見るに、都市で少し前に流行った病気だとすぐに分かった。治療法も見つかっている。しかし、彼らにはその治療をしてくれる医者がいないのだ。
イゴ村には医学の知識を持つ人間自体がいなかった。その為、怪我人や病人が出ると山を幾つも越えて医者の所に行く必要があった。
私はすぐに彼らの治療に掛かった。幸い、付近の山で治療に必要な材料は手に入ったので、治療は難なく成功し、数日後には村から感染者はいなくなった。
私は、いつも立ち寄った先では二ヶ月ほど滞在する。治療の経過を見る為、また、人々の生活を観察して、その土地の人々に合った健康に暮らせる方法を啓蒙する為だ。
イゴ村でもいつも通り、仮の診療所を構えて、村人たちの病気や怪我を治療しながら過ごした。
この村での生活は色んなことがあった。
収穫を手伝ったり、祭りに参加したりもした。葬儀もあったし、出産に立会い赤子を取り上げたこともあった。
そして、初めて名付け親にもなった。
村人は私に優しく、客人ではなく村人として私を迎え入れてくれた。各地を転々とする中で、医師として歓迎されることはあっても、共同体の一員として迎えられることは無かった。だから、この村での生活は居心地の良く、気付けば半年も滞在していた。
時間の経過を認識し、また流浪の旅に戻ろう、そう考えていた時だった。
村人全員が私の前にやって来て言った。
私にこの村に留まって、この村の医者になって欲しいと、村人全員に頭を下げられ懇願された。
初めは断ろうと思った。しかし、私はこの村の暖かさが気に入っていた。村人たちを好きになっていた。
彼らと別れ、ここを立ち去ることを考えると胸が締め付けられる。
――流浪の旅の中で初めての気持ち
私の口は自然と返答していた、イゴ村に残ると。
それから数年の月日が流れ――……
「こうしてヨハンとジーグリンデは、別れ離れになった家族と再会し幸せに暮らしましたとさ……」
「ヨハンは幸せになれて良かったね、フローラ先生」
陽だまりの中、診療所の庭のベンチに腰を掛け、私の膝に乗っている幼い子供に絵本を読み聞かせる。
この絵本の主人公と同じ名前で、私がこの絵本からとって名付けた、“ヨハン”という男の子。彼は私の膝の上で満足そうにニッコリ笑った。
絵本の中のヨハンも、ハッピーエンドを迎え、幸せそうな笑顔を見せている。
「ふふ、そうね。でも絵本のヨハンは、どんな時も泣かないで頑張ったから幸せになれたのよ」
私が微笑みかけると、膝の上の男の子ははにかんだ。
「ああ! またヨハンが先生に絵本読んでもらってる。ずるい!」
診療所の庭に女の子の声が響いた。声の方を見ると近所のエミリーだった。エミリーは、私たちに駆け寄ってきて言った。
「ヨハン、またその本を読んでもらってるの? 何十回目よ」
エミリーは少し呆れているようだ。
「うん。だって、この本の子、僕の名前と同じだから。この本大好きなの。」
拙さが残る喋り方で、上機嫌にヨハンが答える。
五歳になったばかりのヨハンは、私があげたこの絵本がお気に入りで、彼は診療所に遊びに来ては、この本を私に読んでくれるようせがむ。
「もう読み終わったんでしょ? 私も先生のお膝の上がいい、ヨハンどいて」
「えぇ、やだよぉ」
「順番よ!」
エミリーがヨハンの服を引っ張る。すると、ヨハンの服の一部が破れてしまった。
「うぅ、ひどいよぉ・・・・・・うわぁん」
ヨハンは泣き出してしまった。
「ヨ、ヨハンが悪いのよ。先生を独り占めするから」
引っ張るのを止めたが、エミリーはそっぽを向いてしかめ面をしている。
やれやれ、困った子供たちだ。
私は泣きじゃくるヨハンを膝の上から下ろして立たせると、かがんで彼の顔を見つめて言った。
「ほらほら、ヨハン、服が破れたぐらいで泣かないの。絵本のヨハンは簡単に泣かないわよ? 服は先生が縫って直してあげるわ」
私の言葉に、ヨハンはしゃっくりをしながら、堪える様に泣くのを止めた。
「エミリー、乱暴は良くないわ。そんなんじゃ、あなたのお姉さんみたいな素敵な女性にはなれないわよ。ちゃんとヨハンに謝りなさい」
「う・・・・・・ご、ごめんね、ヨハン」
エミリーがしゅんとしながら、ヨハンに謝る。こうして、仲直りするのはいつものことだ。
「ひっく・・・・・・ひっく・・・・・・い、いいよ」
「仲直りね。さて、ヨハンの服をさっと直しちゃいましょう」
ヨハンとエミリーのやり取りを見届けると、私は裁縫道具を母屋から持ってきて、傍らで二人が見つめる中、破けた服を修繕した。
じっと私の手元を覗く2人の眼差しが、くりっとしていて可愛いらしい。
穏やかで、幸せな時間だ。
修繕し終わる頃、わらわらと村の子供たちが診療所に集まってきた。
「おおい、ヨハン、エミリー、山に行こうぜ」
「木苺が沢山なってるところを見つけたんだ」
ヨハンより四歳年上の、フレッドとリックがやって来た。彼らの後ろには、村の子供たちが見える。
「フレッド、リック、みんなもこんにちは」
私が子供たちに挨拶をすると、元気な挨拶が返って来た。賑やかだが、楽しい。
「みんな待ってるぞ、行こうぜヨハン」
フレッドが促すと、ヨハンが何か言いたげに私を見上げる。
「いってらっしゃいな、ヨハン」
「・・・・・・先生も一緒に行こう」
そう言って、ヨハンの円らな瞳が私をじっと見つめた。子犬の様なキラキラした目だ。私はこの目に弱い……
「ダメよ、ヨハン、先生は診療所を留守にできないのよ」
エイミーがヨハンを諭す。
普段から、診療所の近くの空き地などで遊ぶ時は、子供たちは私を誘ってくれる。一緒に駆けっこやままごとなど、色んな遊びをしたものだ。ただ、子供ながらに弁えている様で、診療所を長く空けることが無いように遊びの誘いには気を使ってくれている。
「そうだけど・・・・・・」
急患があった場合を考えると診療所を離れたくない。しかし、ヨハンのいじらしい態度を見て、私の心は容易く塗り替えられてしまった。
どうも、この子には甘くなってしまう。名付け親故の贔屓だろうか……でも、やっぱり可愛いな。
「そうねぇ、そういえば山で薬草を摘みたかったのよね。手伝ってくれるかしら?」
私が笑顔でそう言うと、ヨハンの顔が一気に明るくなる。
「先生も来てくれるの? やった!」
「先生、俺たちも手伝うよ」
「フローラ先生には、俺たちの秘密基地を教えてあげる」
ヨハンだけでなく、子供たちが皆はしゃぎ出した。
こうして、診療所の玄関に張り紙をしてから、子供たちと並んで山へと向かった。
「甘くて美味しいわね、この木苺」
私の口の中に、木苺の甘味と微かな酸味が広がった。山の中を歩き回った体には、木苺の甘味は染み入るように美味しかった。
子供たちと沢の近くの洞穴に円になって座り、皆で集めた木苺を食べる。
「美味しい木苺もご馳走になったし、薬草もみんなのお陰で沢山採れたわ。ありがとう」
「へへへ、先生は特別さ。この秘密基地も教えるのは先生だけだぜ」
フレッドが得意げに笑い、他の子も、うんうんと頷いた。
この洞穴が彼らの秘密基地。
秘密基地らしく、普段は石や木の枝で入り口を隠してある。入り口は狭いが、中は広がっていて皆で座れた。洞窟は奥に続いており、風が吹いて来ていた。山の向こうに抜けられるのかもしれない。わざわざ確かめたことはないけども。
「あ、これも薬草でしょ? 咳を止めるんだよね?」
ヨハンが足元の草を指して言った。
「そうよ。よく分かったわね、ヨハン」
「えへへ、先生が前に教えてくれたんだよ」
私がそう言うと、ヨハンは照れくさそうに笑った。とても嬉しそうで、こっちもなんだか気分が弾む。
「先生、ヨハンは先生から教わった薬草のこといっぱい覚えているのよ。村の大人より詳しいんだから」
エミリーに言われて、ヨハンは更に照れくさそうに頭を掻いた。
「にしし、ヨハンは先生の言うことなら何でも覚えるよ。だって先生のこと好きだもんな?」
リックがニヤニヤと笑う。
「リ、リック!」
顔を木苺と同じぐらい真っ赤にして、ヨハンがリックを睨む。
「ぼ、僕はお医者さんになりたいの! お医者さんになりたいから先生の言うことをちゃんと覚えているの!」
「あら、ヨハンはお医者さんになりたいの?」
私は赤い顔をしたヨハンを見た。彼は頬を染めながら恥ずかしそうに視線を逸らしていたが、私が聞くと、まっすぐな瞳を向けて言った。
「うん、先生みたいなお医者さんになりたい。それで……それで先生が病気になった時、助けてあげたい」
瞳に強い意志を感じた。この子は子供だと思っていると、時々、ドキッとするような顔をするのだ。
小さくても男なのだと、私は感心した。
「みんなが病気になったら先生が治してくれる。でも、先生が病気になったら、治す人がいないでしょ? だから僕が医者になって、先生が病気になったら治してあげる」
「……ありがとう、ヨハン」
ちょっと、かっこいいと思ってしまった……
いけない、いけない、と私は5才相手に少しときめいた自分を内心戒めながら、にっこりと笑顔を返す。するとヨハンは顔を更に赤くして俯いてしまった。
そんなヨハンの持っている薬草を見て、思い出したようにフレッドが口を開いた。
「先生、そういえば最近、母ちゃんが咳をよくしてるんだ。この薬草、もっと摘んでいっていい?」
すると子供たちが口々に話す。
「うちの母ちゃんもそうだなぁ」
「うちもお父さんと兄さんが咳をよくしるよ」
確かに、ここ最近、診療所に風邪の症状でやって来る人は多い。
咳が酷いのが皆に共通する症状だった
「そうね、このところ咳をする人が多いのよね。季節の変わり目だから風邪だとは思うんだけど」
洞窟の外からカラスの鳴く声がする。山に来てから大分時間が経ったことに気付く。
「さあ、暗くなる前に帰りましょう。この薬草は帰り道にいっぱい生えているところがあるから、そこで摘んで帰りましょう」
私の言葉に従い、子供たちが洞窟を出てゆく。私も彼らに続いて出ようとした時、誰かが私の裾を引っ張った。振り返ると、それはヨハンだった。
「どうしたの?」
「先生……これ、先生にあげる。作ったの」
差し出されたヨハンの手を見ると、紫の綺麗な石に紐を通したペンダントがあった。
「私にくれるの? ありがとう、ヨハン」
「えへへ、お守りだよ。今はまだ先生を治してあげられないから」
ヨハンが無邪気な笑みを見せる。私は、彼から伝わってくる純粋な優しさが、心の深いところをじんわりと温めるのを感じた。
本当に、もお、この子ときたら…‥
洞窟を出てると日が傾き、山を緋色に染めていた。秋の始まる山道を子供たちと歩いて村へと帰る最中、私は幸せを噛み締めていた。
この村に残ることを選んで良かった。
しかし、秋が来て木々が枯れていくように、私のこの幸せも、私の知らないところで枯れ始めているのだった。
これから2話、回想が続きます。
ちょっと暗くなる話ですが、お付き合いください。




