第34話 忌まわしき記憶
黙ったままの二人を乗せた馬車が目的の場所に到着した。車内の空気は重い。
「……クロード、着いたぞ」
遠慮がちなメリッサの呼び掛けに、クロードは思考の世界から抜けて我に返ると、「うむ」と小さく返事をし、彼女に続いて馬車を降りた。目の前には、宿の看板が並ぶ宿屋街が広がっていた。ただ、どこの看板もすでに明かりが消えている。
夜も大分遅い、ほとんどの宿が今日の宿泊の受付を終えて店終いをしたのだろう。
灯りが少なくなった宿場を、メリッサ達は無言のまま歩いた。
数分の後、まだ明かりの灯る宿を見つけ、その前で足を止めた。宿は2階建ての一般的な価格帯のものだった。
「すみません」
メリッサを先頭に宿の扉を開けて中に入る。
「はい、いらっしゃいませ」
小太りな中年の男性が笑顔で迎えてくれた。
「2部屋、空いていますか?」
「2部屋ですね。セミダブルとシングルの部屋が1つずつ空いてますよ。2部屋で1万6千ギグになります」
宿の主人に言われて、自分の財布を開けるメリッサ。彼女の顔が、紙幣を数えるうちに青ざめてゆく。
「おい、どうした? さっさと払え」
クロードが後ろから急かす。
「……ない」
「ん?」
クロードはよく聞き取れず聞き返す。
「足りないんだよ! 1万ギグしかないんだ!」
「なに?……そうか、では貴様は野宿だ。我一人分の宿賃は足りよう」
「おい、ちょっと待て。なんでそうなる。お前は仮にも使用人だぞ。それに私は女性だ。そんな中、どうしてお前だけが宿で寝るんだ? 私が宿に泊まるのが道理だろう!」」
「ふざけるな! なぜ高貴な我が、宿を目の前にして野宿など!」
「これは私の金だ!」
先ほどまでの寡黙な空気とはうって変わって、喧しくいがみ合う2人。
「ちょっと、入り口で騒がないでください。他のお客様もいらっしゃるので」
宿の主人が仲裁に入ろうとするが、二人は止まる気配がない。
「お前があの時ワインなんて頼むからだ!」
「貴様とて飲んでいただろう!」
「わ、わかりました! 1万ギグでいいです。1万ギグで、セミダブルの部屋に2人泊まっていいですから! ちょ、騒ぐなって言ってるだろ!!」
♦ ♦ ♦
「どうしてこうなった……」
ベットに腰かけ頭を抱えるメリッサ。
口論の末、宿主が見るに見かねて妥協案を提案してくれた。正確には、有無を言わさずメリッサの手から1万ギグを奪い取ると二人の背中を押すようにして、このセミダブルの部屋に押し込んだのだが。
その直後、退路を断つように、別の旅行者が来たようで、空いていたもう一つの部屋も埋まってしまった。
(くそ、なんで、セミダブルのベットがあってソファーがないんだ! 床で寝るか……いや、何故私が金を払ってそんなことしなければならない!)
グルグルと考えを巡らす。ある一点を考えないようにするために思考するのだ。
部屋に付いている風呂場から響いていたシャワーの音が止り、ドアが開いてクロードが出てきた。
「お、おい、クロード! なんて恰好で出てくるんだ!」
慌ててメリッサは背中を向けた。顔が真っ赤になり、声が上ずるのが自分でも分かった。
それもクロードは腰にタオルを巻いただけの状態で出てきたからだ。
「ちっ、うるさい生娘め……」
「い、いいから早く服を着ろ」
これ以上騒がれては敵わないとクロードは服を着だした。
彼の引き締まった体を、シャツが衣擦れの音を立てて包んでゆく。
メリッサの頭の中に、一瞬見たクロードの筋肉質な裸体と背中越しに聞こえる着替える音が、ぐるぐると渦巻いた。
さっきまで一生懸命考えないでいたことを、嫌でも考えてしまう。
――異性と1部屋で夜を明かす、しかも同衾で……
心臓がバクバクと暴れる音が何もしていなくても聞こえる。
(お、落ち着け! 別に同室だからって、ど、同衾だからって、すぐそういうことになるわけじゃ…………でも、マリアが男は獣だって言ってたしなぁ……)
「おい」
「ひゃい!」
突然クロードに声を掛けられて、メリッサから変な声が出る。
気付くとクロードはベットの反対側に腰を掛けていた。
「妙な声を出すな……お前も風呂に入ったらどうだ?」
「い、いや、私はいい」
「不潔な奴め」
「ふ、不潔はどっちだ!」
「む? 何を訳の分からないことを言っている」
クロードが怪訝な顔を向ける。言ったことの支離滅裂さに気づき、メリッサは更に赤面した。
「……ふん、好きにしろ。我は寝る」
そう言うとクロードは、メリッサに背中を向けて横になった。
部屋を再び、深夜の静けさが包んだ。
「……はあぁぁ」
大きく溜息を着くと、メリッサも横になった。
頭の中を埋め尽くしている無駄な思考を一刻も早く捨て去りたかった。その為、強く目を閉じ、眠ることに集中するのだった。
カチ カチ カチ カチ カチ
時計の音が耳に付く。
床に就いてから一時間程、メリッサの希望とは裏腹に、一向に眠気はやってこない。
取り留めもない思考をただ繰り返すだけで、意識は冴えたままだ。
もうクロードは寝てしまったのだろうか。背中合わせの状態で寝ているので、音しか分からないが、寝息は聞こえない。
「おい、娘、起きているのだろ?」
メリッサが様子を伺う最中、突然、クロードが声を掛けた。
「え……あ、ああ」
驚きはしたが、努めて平静を装って返事をする。
「エレーナとかいったか……あの者が貴様に言った『呪われた血』とはどういう意味だ?」
「え? ああ、あれか……」
メリッサの心臓がドクンと大きく脈打った。
蘇る苦い気持ち。
心臓を手で握られた様な息苦しさが襲ったが、メリッサはとつとつと言葉を紡ぎだした。
「……私は呪われた血と呼ばれるような存在なんだ。私のせいで父を死に追いやったんだからな……」
「父親? ロバートという男のことか?」
「そう。ロバート・ソル・グレンザール。先代の第4回収班の班長で、私を引き取って育ててくれた養父だ」
メリッサの声には、懐かしさと悲しみを帯びていた。それは、ただ故人を語るというだけのものではない、悲痛なものがあった。
「私は父に引き取られる前は、アラハ教団という、所謂、邪教の組織にいたんだ。
教団は、聖戦と称したテロ活動で、自分たちを弾圧する政府を打倒し、アラハ教による国を作ることを目的とするような、危険な思想の宗教組織だった。
私は物心付いた時から、教団にいて、そこでは“救済の天使”などと呼ばれていた……。
私はとてつもない破壊の力を持っていた。敵を破壊し、教徒を救済する力。
唯一神アラハ・バーラが遣わした、天使として扱われていたんだ」
「ふっ、“呪われた血”の次は、“救済の天使”か。随分と二つ名の多い人生だな」
クロードが小さく笑い、仰向けになる。シーツが擦れる音がした。
「ふふ、そうだな……組織内の皆が私にかしずき、どんなことも意のままになった」
小さく自嘲気味に笑う。ただ、空気が和んだわけではなく、その後の言葉は、言い淀んだ。
「…………ただ、初めから力を持っていたわけじゃないんだ。破壊の力は、教団の行った様々な薬物投与や、魔術実験によって作られたんだ。毎日毎日、薬や魔術で体を弄られる、地獄の日々だったよ……」
悪夢のような記憶が蘇った。メリッサは、両腕で自分を抱き、自分の意志に反して震える体を必死に抑えた。
深く呼吸をして、何とか震えを落ち着かせると、またゆっくり喋り出した。
「……そんなある日だ。白銀の腕が教団のアジトに乗り込んで来たんだ。教団が魔導遺産をテロ行為に使おうとしていたらしい。そのアジトは制圧され、その時アジトで私を保護したのが父、ロバートだったんだ。そしてそのまま私を引き取ってくれた。
物心ついた時からの人体実験で感情や心をほとんど失った私を、父は優しく、愛を持って育んでくれた。周りの人間も私を大切にしてくれた。そのおかげで私はゆっくりとだが、人間らしい心が培われていったんだ」
喋りながら瞳の奥が熱くなるのを感じた。目頭を拭いならメリッサも仰向けになった。
「月日が経ち私がやっと人間らしくなって来た時だった。体に異変が起きたんだ。突然、破壊衝動に駆られ、それに抗うと意識を失う。そんなことが何度も起きた。そして日に日に破壊衝動は強くなっていった。
原因は、教団に植え付けられた私の力だった。
白銀の腕手に保護され、発動することがなかったが、私は教団にとって決戦兵器だった。だから教団は、兵器が無効化されないように、不測の事態に自動で発動するような呪いを掛けていたんだ。そして、私が人の心を取り戻し始めたことが、呪いの発動の引き金となった。
力が発動すれば、私は破壊の限りを尽くす化け物に成り果てる。そのことは教団にいた時から知っていたし、それが救済の天使の使命だと信じて疑わなかった。でも、心を持ってからは、そんな力を絶対に使いたくなかった。化け物になりたくない、優しい父や大切な人たちを殺したくないと強く思ったんだ」
メリッサがぐっとシーツを握り締めた。
「……父はあらゆる手を尽くしてくれた。しかし、解決策もないまま破壊衝動は強くなる一方だった。恐らくこれに耐えられなくなった時、私は化け物になると確信していた。
ある時、私の力の発動を抑えることが出来るという男が私の前に現れたんだ。男は、力を抑制したいなら自分の下に来いと言った。
このまま父の傍にいたら、いつか父を殺してしまうと思った私は、そして悩んだ末、その男の下に行くことにした。
父には黙って行ったんだ。もう戻らないつもりだった……
男の下に行ってからの私の記憶は無いんだ……意識を無くされたのだろう。目覚めた時には屋敷のベットの上だった」
胸を締め付けるような苦しみが、更に強くなった。目を閉じ、一度深く呼吸をする。そして、言葉を続けた。
「目覚めてから知ったんだ……父が……父が私を助けに行って…………命を落としたことを……
男は教団の残党だった。父は、そのアジトに単独で助けに入り、応援が駆け付けた時には……」
ぐっと嗚咽に耐え、絞り出すように声を出す。
「私のせいで父は死んだんだ……」
相槌もなく黙って聞いていたクロードが、一拍開けて口を開いた。
「なるほど、それで呪われた血か?」
「……ああ、皆、私が邪教組織から保護された人間だったのは知っていたからな……そんな得体の知れない子供のせいで、父は死んだ。私の呪われた血のせいで……」
沈黙のなか、時計の針の音だけが、部屋に響く。
「……特にエレーナは、父の弟子だったしな、私のことはさぞ憎いのだろう」
「力とやらはどうなった?」
黙って聞いていたクロードが口を開いた。
「目覚めてから、力は症状どころか、自分の中にあることすら感じなくなった。忌まわしい力は消えたのか……鳴りを潜めただけなのか……はっきりと分からないが、今までなんの兆候もない」
「そうか。魔法もその時から使えないのか?」
「ああ。それも含めて、分からないことが多すぎる。あの強かった父が教団の残党如きにやられるとは思えない。私の力がどうなったのか、父の死の真相、あの日何があったのか私は知りたいんだ」
「それが、貴様が我と協力の契約を結んだ動機か」
「そうだ。それに、父が守っていた魔法の秩序を、私も同じ回収班として守って行きたい。死んだ父の為にも……」
「ふん、そんなことは我にはどうでもいい。魔力が回復すればそれでよい。さて、話は済んだ、もう寝る」
クロードは寝返りをうって、また背中を向けた。
メリッサは顔を横に向け、クロードの背中を見つめた。
「……それと……さっきは庇ってくれて…………あ」
言いかけて、メリッサも寝返りをうって背中を向ける。
「……ありがとう」
小さく呟いた。
庇ってくれた時の彼の言動を思い出すと、重くなった心は不思議と軽く、そして、暖かかった。
メリッサは、目を閉じるとすぐに眠りに落ちていった。
え? 前回サービスシーンがあるって言っただろって?
ちゃんとクロードの風呂上がりの半裸があったでしょ、お客さん……ちょ、石を投げないで!
え~ごほん、では次回ですが、新たなテストゥムが登場です。さて、72柱の悪魔のうち、どの悪魔が出るか、お楽しみに。




