第24話 突破口
まだだ、まだ終わらんよ。
だいたい、はじめに立てたの作戦って上手くいきませんよね。
でも、次回、巨大魚との決着つけます!
その音は鋭く、そして大きく、雷の様にメリッサ達の耳を貫いた。
ビシッ ビシビシッ ビシッ
軋む音は更に連続して鳴り響く。
音の出所は、氷漬けになった巨大魚だった。
軋む音が、2、3度鳴る頃には、メリッサ達も目の前の変化に気付かざるを得なかった。
「不味いぞ……」
巨大魚の氷全体に、ひびが入っていく。
メリッサの顔から血の気が引いた。氷は自然に割れようとしているのではない、内側から割られようとしているのだ。
――あいつは生きている。
メリッサ達全員がそれを確信した。
「船を動かしてください、ジョナサン!」
メリッサが叫ぶと同時だった。
何かが砕ける大きな音が辺りに轟いた。
止まったはずの怪物が解き放たれた合図。
氷を砕き、弾き飛ばし、動き出したのである。
巨大魚は氷から飛び出し、湖面の氷を砕いて水中に飛び込んだ。
水しぶきを上がり、大きな波が立った。
巨大な口が凍った水面を砕きながら、メリッサたちに迫る。
しかし、船はまだ動かない。
ジョナサンが大急ぎで操舵室に向かっている。
「みんな何かに捕まれ!」
メリッサが叫んだ。
衝突する、誰もがそう思った時だった、船が右に旋回し始めた。ジョナサンが何とか間に合ったようだ。しかし、旋回して回避するには時間が足りない。
目の前まで迫る巨大魚。
「クリスタル・ウォール!」
マリアが詠唱と伴に杖を迫る巨大魚にかざした。船にぶつかる寸前のところで、巨大魚は薄いエメラルド色の大きな壁に阻まれた。
ズンッと重い衝突音が響く。
クリスタル・ウォール、物理的な攻撃を防ぐのに特化した強力な防御魔法で、本来は2、3人の術者で発動させる高等戦術魔法である。人間が開発した防御魔法の中でもトップレベルの防御力を誇るが、広範囲に展開するほど術者の消耗が激しく、長時間の展開は至難となる。
巨大魚はその魔法の壁に阻まれながらも、前進をやめようとしない。
「くっ……もう、もたない!」
マリアが呻く。
船の2倍近くもある巨体を受け止めるため、広範囲に術を展開したことで、マリアの魔力は一気に消耗した。壁のエメラルド色が薄くなってゆく。
「うらああああ!」
その時、雄叫びと伴に人影が甲板から跳躍した。一瞬のことでそれが誰なのか、メリッサは視線が追いついていかなかった。
人影が空中から巨大魚の背中に着地して初めて、それが誰なのか捉えることが出来た。
「ヘルマン!」
メリッサの声を背に、船から巨大魚の背中に着地したのは、大剣を持ったヘルマンだった。
大剣を落下のスピードに乗せて、巨大魚の背中に突き立てた。剣の切先が突き刺さる。しかし、剣は鱗に刺さっただけだ。
「ちっ、なんて硬さだ。だが、もう一丁いくぜ! はあああ!」
ヘルマンが再び雄叫びをあげると、大剣の真中に埋め込まれたクリスタルが、うっすらと輝き、大剣からキーンと甲高い音が響き出す。すると、剣がめり込み始め、その刺さる深さを増していった。
剣が硬い鱗を貫き、肉に到達すると、巨大魚は激痛に身をばたつかせてもがき出した。ヘルマンも振り落とされまいと、刺さった剣を握り締め体重を掛ける。
巨大魚のもがき方が更に激しさを増す。
「はあああ、せいっ!」
ヘルマンは振り落とされる寸前で、深く刺さった剣を振り切った。すると巨大魚はたまらず身体を捩って、突進の進路を曲げたのである。
マリアのクリスタル・ウォールも巨大魚が身を捩るのと同時に消えてなくなり、巨大魚の突進は船の旋回するのとは逆方向に逸れた。
船尾を掠めるかたちで間一髪、激突を免れ、巨大魚は船から離れて行った。
「ヘルマン、捕まれ!」
ヘルマンは、運よく氷の塊の上に投げ出されていた。メリッサは急いで縄の着いた浮き輪を投げ、何とか船の甲板に引き上げた。
メリッサは、甲板に上がったヘルマンの無事を確認すると再び湖を見渡した。
巨大魚が再び突っ込んでくることを警戒してだ。
しかし、巨大魚は船から少し離れたところにいるのが見え、安堵の息が漏れた。
巨大魚は入り江の中を、蛇行し、不規則な進路で泳いでおり、闇雲に泳ぎ回っているといった感じである。
「あいつ、こちらの位置が分からないのか?」
メリッサの独り言にクロードが答えた。
「そのようだ。あれを見てみろ」
クロードが顎で示す方向に、先ほどまで巨大魚を閉じ込めていた氷山があった。巨大魚が飛び出したところに目をやると、巨大魚に生えていた触手が、氷に残っている。
「あいつ、氷から抜け出すときに、触手を引きちぎったのか……」
「そうだ。今、やつは触手の感知能力が無い。そして、本体にある目は水上のものは上手く見ないのだろう。だからああして、闇雲に泳いで探しているんだ」
「なんて執着心だ。しかし、危機的状況は変わらずだな……」
メリッサの表情が曇る。入り江の入り口は氷で塞いでしまった為、すぐには通れない。また、巨大魚の目を封じたとはいえ、いずれはこちらに気付くだろう。巨大魚を仕留めるはずの入り江は、一転、絶壁の崖に囲まれた檻になってしまった。
「何か手は無いのか……」
メリッサは甲板を見渡し、必死に頭を巡らせた。しかし、危機的状況をさらに深刻なものにする情報だけしか目に付かない。
「ああ、ピンチだぁ! 攻撃方法が残ってないよぉ!」
ヴァルが頭を抱えて、声を上げる。
弾薬も魔力も底を尽きていた。
(弾薬……魔法……剣……)
ヴァルの言葉に、クロードも考えを巡らせながら、視線を動かす。
動かした視線の中に、妙なものが目に留まった。
ヘルマンの剣だ。正確には、ヘルマンの大剣に付着した乳白色の液体だった。
巨大魚に突き刺した際に、付着した体液であろう。
クロードは、ヘルマンの剣に近づくと、付着した液体の一部を指ですくって、匂いを嗅いでみた。
(これは……)
「おい、どうした?」
ヘルマンが声を掛ける。
「これを嗅いでみろ」
クロードから指についた妙な液体を差し出され、ヘルマンは嫌そうな顔をしながら渋々匂いを嗅いだ。そして匂いを嗅ぐや否や、表情が一変した。
「おい! アル! 成分分析できるか!」
ヘルマンが珍しく興奮気味な声を出す。
「へ? へえ。簡単なものならできやすよ」
「それでいい。この剣についた液体を急いで分析してくれ。主成分だけ分かればいい」
「へい! 分析キットを取ってきやす」
アルレッキーノは駆け足で操舵室に行き、数十秒後に息を切らせて、トランクを持って帰ってきた。すぐにトランクを開け、慣れた手つきでトランクの中の機械を調整してゆく。そして巨大魚の体液を分析機にセットした。
「すぐ出ますからね。あと一分ほどお持ちを」
皆が黙って見守る中、少ししてピーというアラームが鳴った。
「できやしたね。えぇと、なになに……」
記号が羅列された細い紙が、トランク内の機械から排出される。アルレッキーノはその紙を真剣な表情で読み込んでいった。
「で、どうなんだ?」
ヘルマンが答えを促した。
「あの液体の主成分は、“ジシオール酸”ですね」
「やはりか。ということは、あれと同じだ、クロード」
アルレッキーノの答えを聞いて、ヘルマンがクロードと顔を見合わせる。2人がにやりと笑った。
「おい、全然分からないぞ」
「そうそう、私たちにも分かるように説明してちょうだい。なんかすっごく楽しそうなことしようとしてるのは分かるんだけど」
メリッサがクロードに詰め寄ると、ポンパドール夫人も目を爛々とさせながら、クロードを見た。他の皆からも視線がクロードに集中する。
「失礼しました。ご説明いたします。先ほど調べたのは、あの魚の体液です。そして、分析の結果、体液の主成分は“ジシオール酸”でした。これは皆さんが野営した際に食べた、バジという魚が体内にもつ不凍液と同じ成分です。おそらくあの魚にも不凍液が流れているのでしょう。だから氷結魔法でも凍らなかったのです」
クロードの目が光った。
「そして、この不凍液、機械油を混ぜると化学反応を起こして可燃性のガスが発生するのです。このことを踏まえて、あの巨大魚を駆除し、生還する作戦を立てました」
クロードの作戦とはこうだ。
まず、機械油を仕込んだ弾丸をヘルマンが先ほど巨大魚に付けた傷から、魚の体内に撃ち込む。そして、ガスが発生したところに火を放ち爆発させるというものだった。
「さすがに硬いあの魚も、体内から爆発すればひとたまりも無いでしょう」
クロードが説明し終わると、メリッサから質問が飛ぶ。
「そんな弾丸なんて用意できるのか?」
「それについては、夫人が持っていらした麻酔銃を使います。そして、弾に麻酔の代わりに機械油を入れます。弾は全部で七発。幸い、この船のエンジン用のオイルは、一般的なものより、ジシオール酸と反応する成分が圧倒的に多い特注品です。小さな麻酔弾でも全弾打ち込めれば、あの巨体を爆破するだけの化学反応を得られます」
メリッサは顎に手を当て、クロードの説明した内容をじっくり考えている様だった。そして、少しの間があって、彼女は納得した様に頷いて言った。
「分かった。では、弾丸の用意はアルにしてもらおう」
「了解です!」
アルが力強く返事をした。
「動いている魚の1ヵ所に7発打ち込むか……ヴァル、出来るか?」
メリッサの言葉とは裏腹に、彼女の口元は笑っている。
「えへへ、任せて。それぐらい余裕、余裕」
ヴァルも微笑で返す。
「ここまではいいとして、最後の火を放つのはどうするんだ?」
ヘルマンからの質問に、クロードは意味ありげな笑みを浮かべて、こう答えた。
「それについては考えがあります。つきましては、ポンパドール様に、お許し願いたいことがありまして―――」
♦ ♦ ♦
クロードが、計画の準備を済ませて甲板に佇んでいる。そこからは、尚も怒り狂って泳ぎ回る巨大魚が見えた。まだ、こちらには気が付いていない。クロードは遠くで大魚があげる水しぶきを見ながら、背後の人間に言った。
「おい、どうして貴様がいるんだ?」
「さっきも説明しただろ。むしろお前が下船するべきなんだ」
メリッサもクロード越しに、巨大魚を見据えていた。
今、クイーン・キャット号には、クロードとメリッサしか乗っていない。他の者は脱出用の手漕ぎボートで、下船していた。
面倒臭そうにため息を着くと振り返って言った。
「あの忌々しい魚を仕留めるのは、我だ。我の立てた作戦が失敗のまま――」
「そんなことは関係ない!」
メリッサがぴしゃりと言って、クロードの言葉を遮った。
「立案はお前だが、私はお前の作戦に賭けたんだ。それに、お前、泳げるのか?」
「……泳げるに決まっていよう」
「嘘つけ。魔法を使って、腕は動かすのがやっとのはず。腕だけじゃない、体もボロボロで体力も
もう限界なんだろ?」
メリッサの指摘は正しかった。クロードは無言でメリッサを見据えた。
「だから本来なら、この役は私一人でいいんだ。それなのにお前がやると言い張るから――」
「もうよい。ふん、そうまで言うなら、馬車馬の様に我を引っ張って泳いでもらうからな」
クロードは再び巨大魚の方に向きを変え、苦し紛れの言葉を吐き捨てた。その背中を、メリッサは苦笑
いを浮かべながら眺めた。
『お嬢様、ヴァル。こちらは配置に付いたよ』
無線が入る。
皆と一緒にボートで下船したヴァルは、崖にせり出した岩に登り、そこを狙撃のポイントにしたのだった。
今、ヴァルがいる岩からだと、巨大魚がまっすぐ船に向かってくれば、傷口をしっかりとらえることが出来た。
「了解した。こちらも準備完了だ。魚が動き出したら、自分のタイミングで狙撃してくれ」
『分かった。でも……お嬢様、本当に大丈夫?』
「心配するな。ちゃんと点火してみせるさ」
『えっと、そうじゃなくて……』
「フフ、私もクロードもこんなところで死なないよ」
『うん……絶対に無事に帰って来てね!』
ヴァルの無線が切れる。
「さて、作戦を開始しようか」
快活のよい声を響かせ、メリッサはクロードと伴に行動を開始した。




