第22話 作戦会議
洞窟内に、入り口以外の穴は無く、そこから差す僅かな光と船の照明だけが微かに岩壁の輪郭を浮かび上がらせていた。
洞窟は島の中身をくり抜いたようなドーム状をしており、狭い入り口に反して、それなりの広さであった。
「こいつは酷えな……」
エンジンの格納されている機関部のハッチを開けて、アルレッキーノが顔をしかめて苦々しげな声を漏らした。
機関部の開けられたハッチからは、黒く焦げ臭い煙がぼわっと漂い出た。
「アルレッキーノさん、直りますかね?」
「どうなの、お兄ちゃん?」
ランプを持って近くにいるジョナサンとロゼッタが、心配そうにアルレッキーノの横顔を見る。
「どうやら駆動の中枢部分は外れてるみたいだからね、やられたパーツを交換すれば何とかなるさ」
アルレッキーノが笑って見せると、ジョナサンの顔が明るくなった。
「おおっ! 助かった」
「流石お兄ちゃん!」
ロゼッタも明るい声を上げた。
喜ぶ2人を尻目に、アルレッキーノは近くの無線を握ると、艦橋にいるメリッサ達にこの朗報を伝えた。
「お嬢、エンジンはパーツ交換でなんとかなりやすぜ。40分ほど時間をくだせえ」
『わかった。よろしく頼むぞ、アル』
アルレッキーノは、無線を切ると、壊れたエンジンの修理に取り掛かった。
一方、メリッサは、ポンパドール夫人を含め警備会社の面々と船の一室で、今後の動き方について話し合っていた。
「凄い記憶力だ、クロード。今回は助かったよ」
メリッサは、素直に賞賛の言葉を送ったのだが、メリッサの方を向いたクロードの表情は明らかに勝ち誇りつつ、劣るものを見る侮蔑の表情だった。腹立たしいことに夫人からは見えない。
本当に、本当に腹立たしいことこの上ない。
「ほんと、有能ねえ。うちの秘書に欲しいくらいだわ」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
夫人の賛辞に、クロードが優雅に軽く礼をする。
(おい、私も褒めただろ。何で主人の私には、礼が無いんだ!)
扱いの違いに苛立ちながらも、メリッサはこの後のことについて話を進めた。
「アルがエンジンの修理を終えれば、船を元のスピードで航行させて、岸まで逃げ切ることが出来るわけだが……問題は、洞窟の出口で待ち構えられたらすぐに捕まってしまうということだ」
ロゼッタの索敵で、あの魚は洞窟の近くで待ち構えているのは分かっていた。
メリッサの話に、皆が唸る。
「あ、そうだ。大型獣用の麻酔銃を持ってきてるんだけど、眠らせたりできないかしら?」
「残念ですが、あの固い鱗の前では針が刺さらないでしょう。それに、例え刺さっても、魚のあの大きさですから麻酔の量が足りるか、そもそも効くかも不安です」
夫人の提案に、メリッサは首を横に振った。
「そう……せめて、あのお魚さんの気をそらせればいいんだけど……あのお魚さん、好きなものとかないのかしら」
夫人が艶やかな唇のすぐ下に指を置いて、う~んと首を捻る。すると腕組みをして立っていたヘルマンが口を開いた。
「好物は分からないが、あいつ、魚として妙な点があるぞ」
「妙って、あんな触手の付いたでっかい魚、妙な点以外ない気がするよ」
ヴァルが渋い顔をしてヘルマンを見る。
「いや、妙ってのは、獲物の捕らえ方だ。何故、触手で攻撃する前に、水中から直接喰いついて来なかったんだ? 食いついて来たのは触手が船に絡みついてきてからだ。普通の魚ってのは、水面に餌がいたら、そのまま喰いつくだろ?」
「そりゃあ……触手の攻撃で弱らせてから食べるからじゃないの?」
ヘルマンの質問に、ヴァルは頭を捻りながら答えた。周りの人間もヴァルと同じ答えを考えた。
さらにヘルマンの話は続く。
「デカいこの船ならまだ分かるが、漁師たちの小さな船にそんな必要があるか?」
「むう……じゃあ、船が食べ物じゃないって分かってて、船の上の人間だけを狙ってるとか? ほら、水鉄砲で船から落として食べるんだよ」
「それなら、人間を直接触手で絡め取った方が早い」
「えぇ……もう! ヴァル、分かんない! うああん、シャルちゃぁん!」
ヴァルが頭を抱えて悲鳴をあげると、夫人に抱き着いて顔を埋めた。
「あらあら、よしよし」
夫人がヴァルの頭を撫でる。アルレッキーノがいたら、羨ましがる光景だ。
するとおもむろにクロードが言った。
「恐らく、本体はさほど目が良くないのでは? 少なくとも水面より上にある物は良く見えておらず、あの触手を水面上に出して、目の代わりをしている。ただ、触手自体も人間の目の様にはっきり見えているわけではないのでしょう。だから、船自体が食べられるものかどうかまでは、判断できてはいない。
ですから、触手は何かを頼りに大まかな獲物の位置を捕捉し、水鉄砲で弱らせる。そして溺れた獲物を捕獲する。水面で溺れてたり、血が流れているようなら食べることができるとわかりますからね。
こんなところが、あの魚の生態なのでは?」
クロードの推察に、皆が納得したように頷いたり、声が漏れる。
「ほら! やっぱり水鉄砲で弱らせるんじゃないか。ヴァルの答え合ってたじゃん!」
ヴァルが夫人の胸元から顔を放し、ヘルマンの方に捻ってぺえっと舌を出した。
「確かにそれなら、私たちを追いかけてきた時の泳ぎ方も納得できるわね」
ヴァルの悪態を横目に、マリアが言った。
「私たちを追いかける時にも、触手を水面に出していたのよ。水の抵抗で遅くなるから、泳ぐときにも水面に触手を出すなんて、普通しないわよね。
水鉄砲を打つためっていうのも考えられるけど、届かない距離の時も触手を出して泳いでいたわ。ただ、何を目印に獲物の位置を捕捉しているのかは謎ね」
「視認でないとすると……匂いか?」
メリッサが発言する。
「嗅覚もないとは言えませんが、水鉄砲の様に精度を必要とする攻撃手段を使うのに、嗅覚が主体とは考え難いですね」
「確かにそうだ……他に何かあるか……」
クロードの答えにヘルマンが同調した。
一同は一斉に考え込む。これといった答えが出ぬまま、重い空気が蔓延した。
しばし、無言の時が過ぎる。
そんな中、重い空気に沈んだ思考をリフレッシュしようと、おもむろにヘルマンが煙草を取り出し、火を点けて吸い出した。
「ちょっとヘルマン、煙草はやめて」
マリアがきっと睨む。
「へいへい」
ヘルマンが渋々といった感じで、火の点いた煙草を消そうと近くの灰皿に手を伸ばした。メリッサは、なんとなくその光景が目につき、じっと見つめた。
視界の中心で赤く光る煙草の先端。
…………火…………熱…………
「そうか! あの巨大魚は、いや、触手は“熱”で獲物を捕捉してるんじゃないか?」
メリッサに視線が集中する。
「まず、村で聞いた漁師の話を思い出してくれ。霧の中で水獣に遭遇し、ランプが割れて船底に穴があいた。つまり最初に撃ち抜かれたのはランプだったんだ。
次に私達の場合、水鉄砲が打ち抜いたのは、夫人のカメラだ。あの時、カメラはストロボを焚いて熱を発していた。1発目の水鉄砲は、私が持っていたランプだ」
カメラの話に、蹴られたことを思い出して怒りが再び沸いた。が、今は説明中だ、抑えよう。
「カメラの熱が無くなるとランプ、次に我々の体温を目印に、船が逃げた時は船のエンジンの熱を目印にしたと考えられないだろうか?」
「なるほど……一理あるな」
クロードが呟いた。
こいつ、いけしゃあしゃあと。
メリッサは、クロードに恨めしそうにな目線を向けつつも話を続けた。
「そして、カメラのストロボ、次がランプ、そして我々の体だとすると、より大きな熱に反応するとも考えられる。だから、洞窟を脱出する際に、船のエンジン以上に熱を帯びたものを囮にすれば、あの巨大魚の目を逸らせるんじゃないか?」
「……筋は通っているし、試してみる価値はありそうだな」
メリッサの言葉に、ヘルマンが頷く。また、その場にいた全員が彼女の推察に同調の色を示した。
脱出の糸口が見え、場の空気が一気に明るくなる。後は具体的な策を練るだけだった。
『お嬢、聞こえやすかい。悪い知らせです』
突如、アルレッキーノから無線が入る。
「どうした、アル」
『停止していたエンジンはもう少しで修復できやすが、動いていた第1エンジンの方にも問題を発見しちまったんです』
「何が問題なんだ?」
『第1エンジンも損傷してるんですよ。残りのパーツで応急処置ぐらいは出来ますが、2つのエンジンによるターボで走れるのは、あと5、6分が限界です』
アルレッキーノの説明に、衝撃が走る。
「……そうか、アルは引き続き修復を続けてくれ。出来る限り最良のコンディションで頼む」
『了解しやした」
無線が切れて、再び静かになった。静かで重い空気。
メリッサは、アルレッキーノからの情報を入れて、脳内で脱出のプランを練り直した。
洞窟から岸までは、全速力でも20分は掛かる。そして、魔法で熱を発する囮を作っても稼げる時間は2、3分だ。その時間では、両エンジンの全速力でなんとか逃げ切れるという程度だ。片方のエンジンになったら、確実に追い付かれる。
あれこれ考えを巡らせても、追い付かれる結果になってしまう。皆が口を開かないのは、恐らくメリッサと同じような考えだからだろう。
考えが煮詰まっていると、ヴァルが言った。
「もうこの際、クロードのすっごい魔法でやっつけられないの?」
「ヴァル、この広い湖じゃ魚の方が有利だ。泳ぎ回って魔法が当たらないさ」
メリッサがヴァルの質問に答える。
「そっかぁ。水の中を動き回るから、ズバッと攻撃が当たらないよね。動きが止まればなぁ」
ヴァルが溜息混じりにぼやく。しかし、彼女のぼやきがクロードにとって思考の起爆剤となった。
ばんっと大きな音をたてて、クロードは机に手を着いた。
「あの巨大魚を迎え撃ちましょう」
クロードの顔には自信に満ちた笑いがあった。
「おい、今、決定的な攻撃が出来ないと言ったばっかりだろう」
メリッサが反論する。
「……ちっ……だから貴様は愚図なのだ」
クロードがメリッサにやっと聞こえる大きさの声で、ぼそりと言った。
一瞬、メリッサは吠え掛かりそうな怒りに駆られたが、皆の手前、奥歯を噛みしめ堪える。しかし、眉がつり上がるのはどうしようもなかった。
クロードは何もなかったように話を続けた。
「相手の動きを止めれば決定的な攻撃は当たります。いや、正確には動けないよう行動不能にして、我々の勝ちです。水の中を泳ぐなら、相手を魔法で氷漬けにしてやればいいのです」
魔法の氷と聞いて、全員の視線がクロードからマリアに集まる。
「ちょ、ちょっと……あんな大きいのを氷漬けって、私の魔法じゃ無理よ。それに、さっきから言う通り、魔法自体が当たらないわ」
マリアは皆の期待の目線から逃げるように、慌てて手を振って可能性を否定した。
「いえ、魔法を使うのは私です」
クロードに皆の視線が戻る。
「そして、攻撃を仕掛ける場所はここです」
そう言って、机上に広げられた地図の1カ所を指さした。
そこは、洞窟から出て、先ほどまで逃げようと定めていた岸とは逆方向の湖の淵にある丸い形をした入江だった。地図で見ると、大きな湖にこぶの様にくっつく小さな円形の入り江である。
「この入江の入り口で迎え討ちます。ここなら狭くなっていますので、全てを凍らせれば避けることはできません」
「ちょっと待って、いくら入江の入り口が狭いからって、そこを全て凍らせるなんて―――」
「クロードなら出来る。それについては私が保証する」
マリアの言葉の途中で、メリッサが口を挟んだ。彼女に全員が目を向けた。
出来ると言い切ったメリッサの瞳はまっすぐで迷いが無い。
「…………」
そんなメリッサの横顔をクロードはじっと見つめていた。
意外だった。
何故、この娘は自分の力を信じてくれるのか。
その悪魔にとって常に力とは、示し、思い知らせるものだった。
誇示して初めて、恐怖や畏怖を刻み付けられるものだった。
信じてもらうのではない、従属をもって信じさせるものだった。
自分の力を、示してもいない力を、期待をもって信じてもらうことなど、初めてだった。
クロードは何か心臓の辺りが微かにむず痒くなるように感じた。しかし、それを感情と呼ぶにはあまりにも微かで、違和感ぐらいにしか感じられなかった。
……ただ、その違和感に悪い気はしなかった。
「お嬢がそう言うんじゃな。わかった、作戦はそれでいこう……」
ヘルマンが口角を少し上げ同意の意志を示した。
「お嬢様が言うなら、大丈夫」
「そうね、メリッサちゃんが言うならね」
ヴァルも夫人も頷いた。
「わかりました……他に作戦もないですしね」
マリアもやれやれといった笑みを浮かべて賛同する。
メリッサの言葉に、その場に何か特別な空気が出来たことをクロードは漠然と感じた。しかし、その感じたものをはっきりと認識する前に、作戦の詳細な説明を求められ、深く考えるのを止めてしまった。
ただ正確には、考えたくなかったのだ。
漠然と感じたそれが、信頼から生まれる強い団結や結束の力であることも、そして、自分がその結びつきの中にいることへの高揚感を感じたことも。
この時のクロードはそれらを知ることを拒否したのだった。
逃げれないなら、倒してしまえばいい。
といわけで次回戦います。




