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第20話 レマール湖の怪

 メリッサとクロードが階段を登り切り、村の中心の広場に着いた時、夫人やヘルマン達もちょうどそこにやって来るところだった。少ししてマリアも戻って来た。

 全員集まってから、メリッサは村の漁師から聞いた話をした。

 ただ、その話も水獣に関する有力な手掛かりには成り得ず、よりいっそう水獣の不気味さが増しただけだった。


「もう行くしかないわね。行ってこの目で見るしかない!」


 夫人が目を輝かせながら声を上げる。


「しかし奥様……何も対策がないのでございますよ……危のうございます」


 夫人とは対照的にジョナサンの表情は暗い。


「ジョナサン、危険を冒すから冒険なのよ。それに、これ以上聞き込みしても、対策なんて思いつかないわ」

「はい、今、シャルちゃんいいこと言ったよぉ」

「でしょ~」


 ヴァルの妙な合いの手はさておき、確かにこれ以上、情報収集をしても無駄であろうとメリッサも思った。


「メリッサちゃんもいいわよね?」

「はい、かまいません。私も夫人の言うとおりかと」


 メリッサの言葉の後にジョナサンの溜息が聞こえ、メリッサは少し罪悪感を覚えた。


「じゃ、そういうことで出発!」


 夫人は意気揚々と湖に続く道を歩き始めた。警護対象がどんどん先に行くので、メリッサ達は慌てて追いかけるのだった。



 レマール湖の湖畔までは、村の結界の範囲内だったため、特にクリーチャーを警戒することなく辿り着けた。

 湖畔はとても静かだった。メリッサ達以外の人影はない。


「ふふふ、まずはあそこに行くわよ」


 湖に着くと、夫人が指をさして言った。夫人の指した先、今いる場所から少し離れた湖の畔に、小屋らしきものが浮いている。しかし、小屋というには簡素な造りである。屋根も平らで、窓や扉はあるが木の板を並べて作った“箱”といった風体だ。


 夫人に従って、浮く箱のような小屋に向けて歩く。

 湿り気のある砂時を歩きながら湖を眺める。

 実際に湖畔に立って目の前でレマール湖に臨むと、先ほど石の階段の上から見た景色とはまったく違った。今は霧も出ていない。

 パノラマで広がり、迫るような自然の風景に圧倒された。


「おお~絶景かな、絶景かな」


 ヴァルが首を大きく左右に振って、湖を見渡した。そして、すっごいなぁ、湖でっかいなぁ、とはしゃぐ声を上げて歩き出した。巨大な湖やそれを囲む山々の織り成す景色に、ヴァルだけでなくメリッサ達も湖に見とれながら湖畔を歩いていった。

 気付けば、浮かぶ小屋のすぐ近くまで来ていた。


 小屋は近くで見るとかなりの大きさで、二階建てほどあるだろう。小屋というより家といっていい大きさだ。ただ、外見はあばら家といった質素な装いである。


「こちらでございます」


 ジョナサンが、小屋に外付けされた階段を案内する。

 彼に続いて、全員階段を昇り、扉を開け小屋の中に入った。


「うわあ、すっごい!」


 入った途端、ヴァルが歓声をあげた。皆の眼にも、白く巨大なものがはっきりと映る。

 それは新造したばかりといった純白の大型船だった。

 建物内の空間の殆どを埋め、圧倒的な存在感を放っていた。


 しばし呆気にとられていたが、視線をずらしてみると、建物の中は大きな空洞になっており、床は水面であることに気付く。

 正に箱。湖面に浮かぶ大きな箱だった。その中で船も浮いているのである。そして、人が行来できるように、鉄骨で組まれた手すりつきの足場が張り巡らされている。屋根にはレール式のクレーンが見えた。

 小屋の正体は船のドックだったのだ。


「どう? すごいでしょ? 最新鋭の動力船、クルーザーっていうのよ」


 夫人が得意げな笑みを浮かべる。


「くるーざー? くるーざー号ってこと」


 ヴァルが首を傾げる。


「違うわ、ヴァルちゃん。クルーザーってのは、大型船の種類のことね。この船の名前は、クイーン・キャット号よ!」


「うわあ、うわあ、すごっくかっこいい! かっこよすぎるよ、シャルちゃん!」


 ヴァルが目を輝かせて、ピョンピョンと跳ねた。


「ちょっ、ヴァルちゃん。足場が揺れるから暴れないで……でも、どうやって湖にこんな大きな船を運び入れたんですか? この湖の繋がる河川はさほど大きくないですよね」


 アルレッキーが手すりにしがみつきながら質問する。


「いくつかのパーツにして、持ち込んだのよ。で、このドックで組み立てたの。まぁドックから作る必要があったから、時間かかったけどね」

「一ヶ月そこらでこれ全部ですか……ははは、金持ちすげえ……」


 アルレッキーノが引きつる。


「じゃ、クイーン・キャット号に乗船よ」


 夫人を先頭に、バルコニーから船へと続く足場を伝い、甲板に踏み入る。

 船の甲板は、木を敷き詰めた木目調の床になっていた。床はニスによって光沢を放っている。新品らしい木材とニスの香りがほのかにした。


「みんな乗ったわね。ジョナサン出してちょうだい」

「かしこまりました」


 ジョナサンが、操舵室にはいってゆく。

 すぐにドドドと大きな音と振動がして、エンジンがかかった。


「ドッグ・オープン!」


 夫人が大声で叫び、船の正面の壁を指すと、壁が左右に開いてゆく。いや、壁が開いているのではない、ドック自体が真ん中から分かれているのだ。 

 ドックに張り巡らされた足場も、ドックに引っ張られるように真ん中から二つに分かれた。

 数十秒で、ドックは二つに分かれ、船が湖へ出る道が出来た。


「分割の水上ドックよ。お友達の造船会社の社長に頼んで作ってもらったの。このクイーン・キャット号も彼に頼んだのよ」


 目の前でドックが真っ二つになる、そんな光景にメリッサ達全員が言葉を失った。そして、こんなものを作らせてしまう夫人のコネクションの凄さにも。

 おそらく"お友達の彼"は、いいとこ見せようと相当に見栄を張ったのだろう……

 皆が呆然とする中、完全にドックが開ききったのを見て、夫人が号令を出す。


「クイーンキャット号、発進!」


 スクリューの音を唸らせ、クイーンキャット号はレマール湖へと処女航海を始めた。



 最新鋭のクルーザーは、湖面を滑るように進む。素晴らしいスピードだ。

 船が高速で進むことで吹きつける向かい風が、甲板にいるメリッサ達の髪や衣服を揺らす。美しい絶景に、クルーザーで湖面を疾走する爽快感、普通なら心躍る状況なのだが、今は緊張感が重くのしかかっている。


 目指すべき湖上の岩、三又岩がすぐそこに見えている。漁師の話では、この岩を超えて沖に出ようとすると水獣が出るということだった。岩に近づくにつれて緊張の度合いは増してゆく。


「ジョナサン、そろそろ三又岩の近くよ。スピードを落としてちょうだい」


 夫人が無線機で、操舵室へ指示を出す。

 徐々に船の速度は遅くなり、徐行の状態になる。スクリュー音も先ほどより静かになった。

 ゆっくりと三又岩の左を通って沖へと進む。


 妙な静けさがあった。

 いつの間にか風も止み、周りの山々から鳥の声すらも聞こえない。

 湖面には船の立てるさざ波だけ。


 ザザン……ザザン…… 


 水の揺れる音だけが、いやに耳に付く。

 メリッサは胸がざわつくのを感じた。

 天気もよく、穏やかな景色のはずだ。村の階段から見た心奪われる絶景の真中に自分はいる。

 しかし、湖の静かな雰囲気とは裏腹に、メリッサの心にはなんとも言えない不穏な空気が立ち込めた。


「特に何も起きないようだが……」


 メリッサが呟く。

 岩を超えてから数分たったが、湖になんら変化はない。なおも船は、ゆっくり、ゆっくりと沖へと進む。


 ザザン……ザザン……


 船上の全員が言葉を発することなく、湖を注視していた。

 静けさと緊張感に満ちた時間がじりじりと過ぎてゆく。

 そんな重い空気を破ったのはヘルマンの声だった。


「全員警戒態勢だ……」


 じっくりと重く言ったヘルマンの声に反応し、メリッサはちらりと彼の方を見た。

 すると異変に気付く。

 おかしい、先ほどよりヘルマンが霞んで見える。

 ヘルマンの後ろに見えるはずの向こう岸は、もはや影しか見えない。

 霧だ。いつの間にか霧が湖に発生しているのだ。


「停船して」


 夫人の言葉に、ジョナサンが船のエンジンを切った。

 漁師の話の通りだった。全員、ほぼ同時に霧に気付き武器を構える。

 霧はさらに濃くなった。5メートル先も見えないほどだ。くわえて太陽光が遮られ、辺りが薄暗くなった。不気味な雰囲気が霧とともに漂う。


 ザザン……ザザン……


 さざ波の音だけは変わらず、聞こえた。


「これが漁師たちの言っていた霧か……」


 メリッサが呟いたすぐ後だった。

 突然、船の前方の霧の中に、大きな影が現れたのだ。

 5メートルはあろうかという巨大な影は、長い首をもたげた竜のようなシルエットに見える。新聞の写真にあった、水獣が水面に首を出している画と重なる。


「きゃあ、水獣よ! 水獣! 案外あっさりと出会えたけど、やったわ。早速、写真を撮らないと!」


 夫人が興奮しながら、ピョンピョンと跳ねる。

 ひとしきりはしゃぐと、近くの道具箱の中から、フィルム式の大型カメラを引っ張り出した。そして水獣の影に向けてシャッターを切った。強いストロボの光が放たれる。


「う~ん、霧のせいで影しか撮れてなさそうね」


 夫人は文句を言いながら、2枚、3枚と写真を撮る。

 夫人が写真撮影に夢中になっていると、突然、クロードが飛び掛る様に、夫人を押し倒した。

 夫人は突然のことにカメラを手放してしまった。

 カメラは空中で何かに弾き飛ばされるようにして、妙な軌道を描いてデッキに落ちた。


「どうしたッ、クロード!?」


 メリッサが、近くにあったランプを持って、クロードと夫人に駆け寄る。

 メリッサの目に妙なものが映る。それは甲板に開いた人の拳ほどの穴だった。近くには、カメラも落ちている。霧の中、ランプでカメラを照らすと、カメラにも同じ穴が開いているのが見えた。


「これは……」


 メリッサの脳裏に漁師の言葉が浮かぶ。


「失礼します」


 突然、クロードが倒れたままの姿勢から、メリッサの腰の辺りに蹴りを入れた。


「ぬあっ!」


 すっとんきょな声を出して、メリッサは蹴り飛ばされた。

 蹴り飛ばされた瞬間、ランプが弾け跳び、肩の鎧に衝撃が走った。

 蹴られた反動で甲板に倒れ込む。

 一瞬蹴られたことに腹が立ったが、すぐに身体を起こし、肩の防具を確認した。

 すると、切り落としたように防具が半円に抉られているのである。

 メリッサは、それを見て初めて自身が水獣の攻撃を受けたことを悟った。そして、それと同時にあれが直撃していたらと思うとぞっとした。

 ただ、すぐにメリッサの意識は別のことに向けられた。防具に触れた手が濡れているのだ。


「これは……水?」

「そうだ……そうでございます。この水獣、高圧力で水を発射しているようでございます」


 立ち上がったクロードが、夫人の手前、執事らしく敬語で説明する。

 水獣の頭が微かに動いた。また、水の弾丸が放たれる。


「はあっ!」


 放たれた水をマリアが障壁で弾く。


「このぉ!」


 ヴァルが狩猟用のライフルを、水獣の頭に向かって連射する。

 大型獣用の弾丸は水獣に効いたらしく、ひるんだ様子で船から少し離れた。


「どおだ!」


 ヴァルが勝ち誇ったようにライフルを頭上に掲げた。しかし、すぐ後の光景に、掲げたライフルはゆっくりと下げられていった。


「嘘……」


 複数の大きな影。

 未だ晴れない霧の中に、水獣の首の影が何本も現れたのだ。

 数えられるだけでも8頭分の首。

 船を半円状に囲むように、水獣たちは群がってきていた。


「一匹だけじゃないのか……」


 メリッサも目の前の光景に、思わず言葉が漏れた。

 再び、八匹の頭それぞれから水の弾丸が放たれる。マリアが船の前半分を覆う広域の障壁を張ってこれを防いだ。


「お嬢様、この範囲の障壁ですと、あまり長くは」


 マリアが障壁を張りながらメリッサに顔を向けた。

 障壁には次々と水が打ちつけられる。


「夫人、すみませんが撤退致します」

「はあ、カメラも壊れちゃったし、しょうがないわよね……」


 メリッサの言葉に夫人は渋々納得する。


「ジョナサン、旋回して、来た方向に戻って!」


 夫人が舵を握るジョナサンに指示を出し、すぐに船は旋回を始めた。

 目の前に迫る水獣たちに、ヴァルとロゼッタで銃撃を加え牽制する。巨体の水獣相手に、銃の攻撃はひるませる程度にしか効果はないが、旋回し逃げる時間稼ぎにはなった。


 完全に船が旋回し、後は高速で離脱しようとした時だった。ガタガタと船が大きく揺れた。

 いつの間にか、水獣の首が蛇の様に、船の後方部に巻きついていたのだ。

 船が引っ張られていて、身動きが取れない。

 しかし、大きな揺れに皆がバランスを崩す中、ヘルマンだけが不安定な船上を後ろへ駆けて行く。


「邪魔だ!」


 そして船に絡み付いていた水獣を、1振り、2振りと大剣で切り刻んだ。

 丸太のような太い首は、甲板に肉片を残して湖に沈んでいった。だが、切られた水獣の首が沈んでいく湖の中には、この時、巨大な影が蠢いているのだった。



レッシー出現!

しかし、まだ本当の姿を隠しているようで……

次回、驚愕の正体が明らかに!

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