第19話 漁師と医者と女神
ちょっと長いですが、ご容赦ください。
トリネ村は、山の斜面に出来た村である。段々畑の様に、各家々が斜面に並ぶ。村の中心には石段が通っていて、そこから家々に続く道に広がっており、ちょうど木の幹から枝が分かれる様な構造である。そして、階段を下りきれば、山のふもとにレマール湖が目の前にある。
昨晩到着したときは、もう日が暮れていて宿に直行したため、村の様子は分からなかったが、自然に囲まれ、天気が良ければ湖を一望できる喉かな村だ。
今、メリッサが達は、宿を出たところにある村の中心の広場にいた。
「宿の主人が言っていた漁師に聞き込みにいくとしよう」
「漁師さん達の家は、ここから階段を下って、東の方ですよ」
メリッサの言葉に、マリアがにこやかに答える。
「では、クロード行くぞ」
「なぜだ?」
「おい、お前は秘書だろ。主人に同行しろ」
メリッサが、隣のクロードを睨む。
「私もお嬢様に同行します」
マリアが二人の間に割り込む。
「え、でも……」
「同行しますね?」
笑顔なのだが、ただならぬマリアの気迫に、メリッサは頷いてしまう。
「良かったな。では、マリアが行くなら、我は宿で待機していよう」
「いいから、来い!」
悪魔をふらふら1人にさせておけるか。メリッサは、向きを変えて宿に帰ろうとするクロードを引っ張っていった。
水獣については、メリッサとクロード、マリアの三人で村人に話を聞きに行くことになった。三人以外は、夫人が村周辺を散策したいと言い出したので、警護の為に付いて行くこととなった。
漁師たちが住む村の一角へと石段を下って行く。
先ほどからクロードに斜め後ろを歩くマリアの視線が刺さっていた。
(この女の敵意はなんなのだ、まったく……)
クロードは、マリアの槍のような視線を気付かない振りをして、黙ってメリッサの後に続いた。
「しかしマリア、聞き込みぐらい私とクロードだけでも事足りたぞ」
メリッサの言葉に、マリアの眉がぴくりと動く。
「いいえダメです!」
「え?」
意外な大きい声に、メリッサはびっくりして足を止めた。
視線の先でマリアの顔が少しずつ険しくなってゆく。
「クロードは今回が初めてのお仕事ですし、お嬢様は、失礼ですが、少々世間知らずです。こんな二人に聞き込みなんて、正直荷が重いです」
マリアに半人前扱いされ、メリッサは憮然とする。しかし、言われたことを自分でも実感しているので、悔しさはあっても反論がでない。
「それに、お嬢様は我が社の長なのですから、本来、聞き込みなどは他の者がやるべきです。にもかかわらず、お嬢様が自分で情報を得たいとおっしゃるから―――」
マリアが早口でまくし立てる。
メリッサは、またマリアのお説教スイッチを押してしまったことに気付き、荷が重いと言われた悔しさから後悔へと感情が変わる。
クロードに助けを求めるように視線を送るが、マリアの言葉など聞こえてすらいないといった様子で、黙って先を歩いていた。それは無視をしているというより、巻き込むなといった雰囲気だ。
「……薄情者め」
メリッサは恨めしそうに呟いた。
マリアの説教がヒートアップしそうなところで、漁師のものらしき家がメリッサの目線に入る。
「あ、あれは漁師の家じゃないか? 漁師達もいるみたいだし、早速聞き込みにいこう」
メリッサは白々しく棒読みの言葉を発すると、その場から逃げるようにそそくさと民家に向かっていった。
家の前までくると、そこでは数人が網の修繕をしていた。
「こんにちは。お仕事中に失礼します」
メリッサの声に、修繕中の網に向かっていた全員の目線がメリッサに向く。
「ん? 昨日都会から来たって人達かぁ。どもども、こんにちは」
一番近くに座っていた恰幅のいい男が振り返り、にこやかに返事を返してきた。
「皆さんのお話を伺いたいんですが」
「なんでしょうかね?」
なんとも気さくで話し易い雰囲気だ。他の漁師たちも人が良さそうである。メリッサは話の本題に入ることにした。
「レマール湖の水獣についてなんですが」
メリッサの言葉をきいた途端、漁師たちの顔が曇る。
「あぁ、あんたらも水獣が目当てかい……」
「皆さんは水獣を見たんですよね。出来ましたら、見た時のことを教えて頂けませんか?」
男の声色に陰りが見える。メリッサは、その変化に気付いたが、何とか情報を得られないかと頭を下げ、誠意を見せる。
「いや、すまねえなぁ……あの化け物については、思い出したくもないんだ……仲間もやられちまって」
真面目なメリッサらしい真摯な態度であったが、それでも男は目を逸らし口をつぐむ。心なしか手が震えている様に見え、恐ろしい体験をしたことが容易に想像できた。
(やはり、簡単には話してくれないか……)
メリッサはどうしたものかと頭を捻った。そんな中、おもむろに、マリアが男に近付きしゃがみ込むと、男の手を両手で包み込むように握った。
「大変な思いをされたのですね……お仲間も失われたとか、さぞお辛いでしょう。どうか私にも、その心の重荷を分けてもらえませんか?」
男と同じ高さで、慈愛に満ちた視線を向け、そして、握った男の手を自分の胸元に置いた。
「え……あ……はい」
マリアの華の香りのように漂う色気に中てられ、漁師の男は酒でも飲んだように、高揚し表情が蕩けている。
「皆さんも、なんでも私に話してくださいね」
他の漁師たちにも、笑顔でお願いする。満開の華が咲いたような美しい笑顔に、漁師たちも手を握られている男と同じように惚けて、コクコクと黙って頷いた。
そこからは男は饒舌に語り始めた。
「あの怪物に遭遇したのは、1か月ぐらい前のことさ。あの湖の真ん中くらいに、三又岩っていう三本の角みたいな尖った岩が湖面から出てる場所があるんだが、そこがいい漁場なんだ。おらたちは普段そこで漁をする。んだから、その日もそこに漕ぎ出したんだ」
ペラペラと話している漁師の近くで、呆然と立っているメリッサの肩にクロードが手を置いた。メリッサが振り向くと、クロードがじっとメリッサを上から下まで品定めするように見てから、憐みの混じった目を向けた。
「まあ、なんだ……気にするな」
「うるさい! ……おい、やめろ、私をそんな目で見るな!」
悪魔に憐みを向けられ、女としてのプライドが余計に傷ついた。
一方で漁師の話は続く。
「ちょうど三又岩に差し掛かった時だ。霧が出てきたんだぁ……今日みたいに、霧はたまに出るんだけどよ、あの時の霧は、なんていうか……纏わりつく感じだったな。周りがほとんど見えなくなってな。急いでランプを点けてよ、そんな時あいつが現れたんだぁ……霧の中に、でっかい影があってな、水中から首を擡げてるようだった」
「おらも……その影が見た」
「おらもだ」
周りにいた漁師たちも、そうだと言う。
「その影が見えた時はぶったまげたなあ……でも、突然、ボンって船に何かがぶつかる音がして、ランプが割れて、船の底にこんくらいの大穴が開いたんだ」
そう言って漁師は、両手で握り拳大の穴を作って見せる。
「おらは慌てて、穴を塞ごうとしたんだ。でも、塞いでいる傍から、ボン、ボンって穴が増えるんだ。もう船がダメだと思ったよ。んで、仲間の船に乗せてもらおうと考えて、沈み始めた船を必死に漕いで、近くにあった仲間の船に近づけて、飛び乗ったんだ」
漁師の手が震え始めた。額には汗もかいている。
「……その飛び乗った船で……見ちまったんだ……体中に、船と同じように穴が開いて死んでる……仲間の姿をよぉ」
漁師は自分の体を抱え、ブルブルと震えだした。表情からも、相当の恐怖を味わったのだと想像がつく。
マリアは、再び震える漁師の手を取って、優しく握った。
「き、きっと化け物の仕業だろう……うう……そ、その後だ。乗った船も化け物に転覆させられちまって、おらは湖に投げ出されて……気付いたら、ベットの上だった。こいつらもみんな、似たようなもんさ」
そう言って男は、他の漁師たちの方に顔を向ける。視線の先の漁師たちが、深く頷いた。
「おらは腹をやられた」
視線の先にいた漁師の一人が服をまくり、腹を見せる。そこには生々しい傷跡があった。傷跡は、話にあった通り、何かに穿たれたような跡だった。だが綺麗に縫合してある。
「……ひどい傷。でも、腕のいいお医者様がいらして良かったですね」
マリアが傷を見せた男に近寄り、憐みながら傷をそっと撫で、優しく微笑んだ。慈愛の微笑みを受けた漁師は、頬を赤くして惚けてしまった。至福の表情といった感じだ。それを見て、他の漁師も自分の傷跡を我先にと見せだした。
まるで女神の救済の言葉を待つような漁師たちの期待の眼差しに、マリアが少し困っていると少し離れた所から声がした。
「みなさん、こんにちは」
爽やかで落ち着いた男性の声に、皆の視線がそちらに向かう。
白衣を着た男がこちらに向かって歩いて来た。彼の後ろには、助手らしき女性も見える。
「みなさん、その後、お加減はどうでしょう?」
白衣の男は、漁師たちににこやかに話しかける。
「あ、グリューエン先生、こんにちは。お蔭さんで、すっかり元気ですよ」
「俺もこの通り元気です。その節は本当にお世話になりました」
漁師たちが口々に、白衣の男に礼を述べる。
「そうですか、それは良かった」
白衣の男も自分のことのように嬉しそうに、漁師たちの話をにこにこと笑って聞いている。
「あ、この人が怪物に襲われて、死にかけた俺たちを助けてくれたお医者様だ」
腹の傷を見せた漁師が、白衣の男をメリッサ達に紹介する。
「おや、村の人ではないようですね。どうも、初めまして。ヨハン・グリューエンと申します」
爽やかな笑顔で自己紹介をするヨハン。歳は三十歳後半といったところか。細身ですらっとした印象を受けるが、華奢というわけではない。清潔感があり、好感を持てる人物に感じた。
「初めまして。私は、メリッサ・ソル・グレンザールと申します」
メリッサもにこやかに挨拶をする。
「もしかして、貴方は、放浪医のドクター・グリューエンではありませんか?」
「確かに、そのように呼ばれることもありますね」
「まさかこんなところで、“奇跡のヨハン”にお会いできるとは!」
メリッサが、やや興奮気味に話す。
「あはは、世間ではそんな大層な名前で呼んで頂いているみたいで」
ヨハンは少し困ったように頭を掻く。
「漁師の皆さんを手当てなさったとか。その時のことを教えて頂けますか」
「え? ええ、構いませんが」
ヨハンはそこから、漁師たちを手当てした日のことを話してくれた。
湖の岸に打ち上げられた漁師たちを、偶然、村を訪れていたヨハンが発見した。そして、村人たちと村まで漁師たちを連れてかえり、手当てをしたという。水獣のことについては、彼は何も知らないということだった。
「ほんと、先生がいなかったら俺たち生きてなかったぜ。さすが奇跡のヨハンだ」
漁師の一人がヨハンの背中を叩く。いつの間にか、座っていた漁師たちが、ヨハンの周りに集まって来ていた。ヨハンを中心に、漁師たちが笑顔になっている光景を見るに、ヨハンが彼らに慕われているのが良く分かる。そんな光景に、メリッサも表情がほころんだ。
「痛てて。皆さんの運が良かっただけですよ。ああ、そうだ。皆さんにお薬を持って来たんでした。ジーグリンデ、薬を出してくれるかい」
叩かれた背中を摩りながら、後ろにいる助手の女性に振り向いて言った。
「はい」
透き通る様な声で返事をする。そのジーグリンデという助手は、表情は乏しいが、精巧に作られた人形のような麗人だった。医者の助手らしく白が基調の看護師服に身を包み、ヨハンと同じ栗色の髪を頭の後ろで束ねてナースキャップを被っている。奇跡のヨハンの助手だけあって、芯の強さのようなものが感じられた。
ジーグリンデは、鞄から袋を出し、ヨハンに渡した。
「ありがとう」
ヨハンはジーグリンデに礼を言うと、袋から小さな紙袋を取り出し、漁師たちに手渡していく。どうやら紙袋に薬が入っているようだ。
「これは化膿止めですから。一日三回、食後に飲んで下さいね。ちゃんと飲まないとダメですよ」
ヨハンは、漁師たちに手渡しながら薬の説明をする。
漁師たちに囲まれるヨハンをしり目に、メリッサは、ヨハンや漁師たちからこれ以上の情報は得られないと思い、彼らへの聞き込みを切り上げることにした。
「皆さん、先生もお話ありがとうございました」
「いえ、大した情報もあげられず、すみません」
礼を言って立ち去ろうとするメリッサに、ヨハンが漁師たちの輪の中から会釈する。
漁師たちは、マリアとの別れを惜しんでいた。彼女に対して祈るような仕草をする者まで現れ、一種の宗教じみた様相になっている。
「申し訳ありません、お嬢様。私は皆さんともう少しお話ししていきますので、先に戻っていてください」
「あ、ああ。程々にな」
一方、クロードはというと、いつの間にか漁師から借りた湖の周辺地図と睨み合っている。
「おい、クロード行くぞ」
メリッサの声に、クロードは漁師に地図を返すとメリッサの後ろを歩き始めた。
レマール湖は、村から歩いて数分の距離にある。今昇っている村の中心を通る階段から湖を一望することが出来た。
階段を下っていた時は、空は雲り、霧も出ていたため景色らしい景色は見ることが出来なかったが、今は雲も少なくなり、青い色が空の大部分を占めている。霧も消えた。
メリッサは足を止めて、石の階段から湖を見渡した。
彼女の目に雄大な風景が映る。
湖の向こうには、緑を湛えた壮大な山々が連なる。そして、それらの山の群れに囲まれるように、空の青とも違う緑がかった青い湖面が太陽の光を反射させてキラキラと輝いている。山や湖の鮮やかな色彩は、空の透けるような青さと相まって、神々しさすら感じさせた。
メリッサはこの景色に、感動し、暫し見入ってしまった。
「随分と穏やかではないか。あの様な所に、人を襲う水獣が本当に出るのか」
クロードが横に立ち、湖を見て呟く。
「どうだろうな……この景色を見ていると、俄かには信じ難いな。しかし、実際に被害は出ている。その原因が探している水獣によるのかどうかは、行ってみないことには分からないけどな」
「我としては、水獣に期待しているがな。もし水獣が魔界の生物なら、魔力回復の前菜ぐらいにはなるだろう」
「悪魔はそんなものまで喰うのか……」
「たわけ、物理的に喰うわけなかろう。何でも喰う人間の下卑た口と一緒にするな」
クロードは、ふんっと鼻を鳴らして、一人でさっさと階段を上って行ってしまったので、メリッサも彼を追いかける様に慌てて階段をのぼった。
マリアさんの女神オーラ炸裂! 漁師たちには効果覿面だ。
さて、次回はついに湖に出航します。
メリッサたちは、水獣の正体と金持ちの凄さを思い知ることになります。
お楽しみに




