第18話 トリネ村
昨晩遅くまで、クリーチャーの群れを相手に逃走劇を繰り広げていたのに。朝早く目が覚めてしまった。
メリッサは、ベットから上体を起こし、カーテンを小さく捲った。
窓の外に目をやると仄かに明るくなっている村の景色が映る。日が出たばかりといったところか。まだ鳥の声も聴こえない。
何気なく外を眺めていると、宿の近くの開けた場所に人影が見えた。クロードだ。彼は剣を振っている。稽古をしているようだった。
「あいつ……」
メリッサはベットから起きると、まだ寝ているヴァルやマリアを起こさないように、静かに着替え、部屋を後にした。
宿の1階へと降りて、外に出ると涼しい風が頬を掠める。朝方のひんやりする清涼感に背筋をピシッと引き締められる気分だ。
数分も歩かずに、クロードを見つけ、メリッサは近付いていった。
「はっ、はっ、せい」
クロードは額に汗をかきながら、夢中で剣を振っている。
「クロード、休める時に休まないと身体がもたないぞ」
メリッサが声を掛けた。
しかし、クロードは彼女を無視して剣を振り続けている。その表情にはどこか鬼気迫るものがあった。まるで何か振り払おうと足掻いているように感じる。
メリッサの脳裏に、昨夜のクロードの怒り狂う様が浮かんだ。
「おいっ、無視するな」
メリッサは音量を上げて声を出した。
「ちっ」
クロードは舌打ちをすると、面倒臭さそうに剣を降ろした。冷めた視線が彼女に向けられる。
「休息なら取った。それに、我がどうしようと貴様には関係ない」
「関係なくはない。お前がそんなに剣にやっきになってるのは……その……昨日、私が言ったことが原因なんだろ?」
クロードが憤怒する原因となった自分の言葉を思い出し、胸がちくりとした。自分の些細な鬱憤を晴らすために、気安く心の傷に触れてしまったと後悔の念で良心が痛んだ。
「だから……えっと……浅慮な言葉を掛けて、すまなかった」
目をそらし、もじもじと言葉を探りながら謝る。
「ふんっ、何かと思えば、くだらん。貴様は関係ないと言っている」
クロードの表情は冷めたままだ。
彼は持っていた剣を真っ直ぐメリッサに向けた。
「現状、我が弱いのは事実。貴様が何を言おうと、それは変わらぬ。そして、例え仮初の身体であろうとも弱いことは許せぬ、故に鍛錬をするのだ。何が悪い」
メリッサは言葉が見つからず沈黙する。
「弱い者は群れて、他の者に頼って生きなければならぬ。そんな生き方など反吐が出る。強さが全て、強さこそが絶対の価値。故に弱者に価値などない。弱者は所詮、強者に支配され、搾取されるだけの存在だ。貴様ら脆弱な人間どもは、そうやって群がって生きるしかないのだろうが、我は違う。一緒にして考えるな」
黙っていたが、クロードの言い草に、メリッサは軽く怒りを覚える。反論の言葉が、衝動的に口をついて出た。
「寄り添いあって生きることの何が悪い。みんなそうだ、それぞれが弱いから信頼し協力しあって生きている。回収班の皆もそうやって色んな危機を乗り越えてきたんだ」
クロードの冷めた目が、メリッサをじっと見る。が、すぐに彼女に向けていた剣を肩に掛けると、嘲笑して言った。
「ふふ……それだ。その信頼こそが我が最も嫌悪するもの、弱さの象徴、弱き者が唱える常套句よ」
ふと彼の表情が厳しくなり、目は一層凍てつくように冷たくなった。
「信じれば裏切られるのだ。裏切られ全てを失う。だが、強ければ他を信じなくてよい、そして全てを手中に収めることができる」
悪魔というのは、皆こんな価値観なのだろうか。しかし、メリッサは、目の前の男が悪魔である以前に、彼の目に宿る深い孤独に憐憫を感じずにはいられなかった。
「強すぎる力は、持ち主を孤独にするぞ。そして限界がある。だから、理想や想いと同様に、力もまた他者と共有すべきなんだ。共有される力に限界はない。それが信頼だ。それに……」
――強さなどあっても、本当に欲しいものなんて手に入らない。
一瞬、メリッサの脳裏に自身の暗い過去が蘇り、言いかけた言葉を呑みこんだ。
「……ふんっ、くだらん。お喋りが過ぎたな。貴様と問答などしても無駄だ、さっさと去れ」
クロードは、再び剣を振り出した。もはや語る言葉などないとばかりに。
メリッサはそれ以上何も言えず、とぼとぼと宿に戻っていったのだった。
♦ ♦ ♦
「では皆さま、出発致しますね」
ジョナサンが運転席から振り返り、快活のよい声を発する。
村に到着した後、ヘルマンが負ぶってジョナサンを宿まで連れて行ったのだか、ベットに寝かせても朝まで起きることはなかった。老人にはスリルがありすぎたようだ。ただ、今はぐっすり寝たからなのか、元気な顔をしている。
「よぉし、今日も冒険に出発!」
ポンパドール夫人は、疲れなど微塵もないといった感じで、昨日と変わらず高いテンションだ。
ヴァルとアルレッキーノが大きな欠伸をしている。メリッサも微かな眠気を感じ周りに見えないように小さく欠伸をした。隣を見るとクロードと目が合った。
「……はしたない」
ぼそりと呟いて、クロードは視線を前に戻した。
「え、なっ、しょうがないだろ!」
欠伸を見られてばつが悪い。なんとも不格好な返事が出てしまった。ただ、いつも通りのクロードで少し安心した。
その日の日没までに、目的地のレマール湖に一番近いトリネ村には到着した。トリネ村までの道中は、ポンパドール夫人の期待を裏切り、手に汗握る冒険とはいかなかった。
こうして何もなくたどり着けたのは、運が良かっただけでなく、メリッサ達の十分な警戒と危険なクリーチャーの生息地を避けて通る運行計画のおかげだった。ただ、バスを降りた時には、長時間の警戒によって戦闘とは違った疲れが一同にはあった。
村の宿に入ると、その日は一泊して翌日から情報収集をしようということに決まった。
レマール湖の水獣については、新聞の記事の内容しか知らない。そのため、水獣と遭遇するには、水獣の特徴や行動パターンなどの情報が必要となる。それに、シルエットだけの写真からもかなりの大きさであるので、慎重にことを運ぶべきとメリッサは考えたのだった。
翌朝、メリッサ達は、宿の食堂の長机の前に全員座って、その日の計画を話し合っていた。少し前に宿が提供してくれる朝食を食べ終え、宿の庭で摘んだばかりというハーブのお茶を嗜んだ。ハーブの清涼感が心地よく口の中に広がる。
「村の人への聞き込みは、手分けして行うとして、湖で使う船を手配しなければな」
メリッサが、ハーブティーを一口飲んで言った。
「あ、船ついては、もう手配してあるのよ」
ポンパドール夫人が得意げに微笑む。
「さっすがシャルちゃん! 仕事の出来る女だね」
にかっと笑うヴァルが親指を立てて、その手を夫人に向けた。夫人もびっと親指を立てて返す。にっと男の子のような笑顔をヴァルに向けたが、不意に隣のジョナサンに話を振った。
「船の操縦についても、ジョナサンがやってくれるわ。そうよね?」
「は、はい」
夫人の問いに、返事をしたジョナサンはどこか浮かない顔をしている。
「あら? ジョナサン元気ないわね。水獣に会えるのよ、もっと元気だしなさいな」
出発初日に、クリーチャーが押し寄せる状況でバスを運転したことが、ジョナサンに軽いトラウマを刻んだのだろう。クリーチャーの次は、得体の知れない水獣のいる湖で船を操縦、メリッサはジョナサンが少々不憫に思った。。
「あんたらも水獣目当てなのかい?」
お茶のお代りを注ぎに来た宿の女主人だった。
「“あんたらも”ってことは、我々以外にも来たのですか?」
メリッサが彼女に質問する。
「ああ、そうさ。あの新聞の記事が出てから、何人も水獣目当てでこの村に来たからね。みんな湖に向かって行ったよ」
「それで、その人達は水獣に遭遇できたのですか」
「……それがねぇ」
彼女は溜息混じりに、一瞬、語ることを躊躇ったが、1拍置いて話始めた。
「帰ってきないのさ、湖に行ったきりね。なんでも水獣の写真は高く売れるらしいんだよ。でも、みんな写真を撮りに湖に中の方まで漕ぎ出して、水獣に喰われちまったんじゃないかねぇ」
新聞の記事の写真は、陸から望遠で撮ったもので、水獣が水面から長い首を出していると思われる影が小さく映っている程度のものだった。そのため、水獣の正体が分かる様な写真は、新聞社から懸賞金がかかっていたのだった。
「村の人は、水獣を見たことはないのですか」
「さあねぇ。水獣が出る時は、今日みたいに霧が出る時でね。みんな見たことはないんだよ」
今日は朝から霧が出ていた。この宿の売りである部屋から一望する湖の景色は、見ることが出来ていない。
「漁師のやつらなら水獣について知ってるかも」
女主人が思い出したように言った。
「湖で漁をしてる漁師たちなんだけどね。ただねぇ……」
しかし、再び彼女の表情が曇り、口よどむ。
「漁師たちにも水獣に襲われて帰って来てないやつが結構いるんだ、みんな怖がっちまってね。あんまり喋りたがらないと思うよ」
「そうですか……」
次の聞き込み相手が決まったところで、メリッサはカップに少し残ったハーブティーを飲み干し、席を立った。他の者もメリッサに続いて、次々と立ち上がり、出口の方へ向かい出す。
「ご主人、ありがとうございます。それと、料理もハーブティーもとても美味しかったです」
メリッサは笑顔で、女主人に礼を言って会釈をする。
「そうかい、それは良かった」
彼女も照れくさそうに、顔を綻ばせた。しかし、すぐに神妙な表情に変わり、言葉を付け加えた。
「あんたら、悪いことは言わないから、水獣には近寄らない方がいいよ」
「ご忠告ありがとうございます。でも、大丈夫です。こういうのは慣れていますから」
メリッサは自信に満ちた微笑で答えると、扉から外へと出た。
ついについたよ、トネリ村!
次回はマリアさんの女神オーラが火を吹くぜ!(書いてて意味不明だ)




