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第16話 怒れる刃

 夕餉が終わり、チラチラと燃える焚き火を囲んで、ゆったりと過ごす憩いの時間。焚き火の仄かな光が、周囲の闇の呑まれた草木を、赤みを帯びた色に染めていた。

 メリッサとマリアは、相変わらず夫人の横で、彼女の冒険話を聞かされていた。

 夫人の話がひと段落したところでクロードが声をかける。


「失礼します。紅茶が入りました」


 クロードが、ティーカップを手渡してゆく。夫人が紅茶を一口飲むと、上機嫌でクロードに喋りかけた。


「夕食はヘルマンとクロードが作ってくれたのよね? 美味しかったわ。やっぱりメリッサちゃんの所に依頼を出すのが一番ね。冒険の警備もばっちりな上に、美味しいご飯も作ってくれるんですもの」

「有難うございます」


 ニコニコと嬉しそうに話す夫人に、クロードは微笑み、軽く礼をする。


(あいつ、いくら顧客である夫人が相手とはいえ愛想が良すぎるだろ。まるで別人じゃないか)


 自分との扱いの違いに対して、不満を心で吐きながら、メリッサが眉を潜めてクロードをじっと見た。確かに、お客様には“懇切丁寧に”だが、自分にももう少し優しくてもいいだろと思う。


「片づけに戻りますので、失礼します」

「ありがとぉ」


 会話が終わり立ち去ろうとするクロードをメリッサが呼び止めた。


「この後のことなんだが、2時間交代で見張りを立てるぞ。私とクロード、ヘルマンとマリア、ヴァルとロゼッタとアル。この3組で交代だ」

「では寝る場所の準備を―――」


 クロードの言葉に、マリアが話に加わる。


「それについてはもう出来てるわ」


 マリアが指を指す方を見ると、乗ってきたバスの天井が先ほどより高くなっているのに気づく。天井が伸びて2階が出来ており、その2階の外壁はテントのような伸縮性の素材が覆っている。


「ほお」


 バスに現れた2階を見てクロードが頷いていると、その視線に気付いたマリアが付け加える。


「あ、そっちじゃないわよ。男性はあっち」

「ん?」


 マリアの指さす先を見ると、布と骨組みで出来た小屋があった。


「む、あれは……」

「ああ、あれはテントって言うのよ」

(それぐらい知っている)


 無表情のまま、内心むっとするクロードに、マリアは気にせず続けた。


「凄い仕掛けよね。従来のテントと違って、スイッチ一つで組み上がっちゃうのよ」


 テントは新品で、それだけ見れば野営には十分すぎるほどいいものであったが、バスの設備を見た後では見劣りがした。


(我が、あのような狭い小屋で、しかも下郎どもと詰めて寝るのか……)


 クロードは自分の目じりが引きつるのを感じた。


「では、見張りに備えて、私は先にお休みさせていただきます。お休みなさいませ、ポンパドール夫人、お嬢様、それとクロード」


 マリアは笑顔でお辞儀をすると席を立った。バスへ向かう最中、クロードの横を通り過ぎる。その瞬間、彼女はクロードだけが聞こえるように囁いた。


「お嬢様との見張り、ゆめゆめ変な気は起こさないように……」


 すれ違う前に見えた、美しい微笑を湛えていた女神の様な雰囲気とは真逆の、死神の如き禍々しい気迫がひしひしと伝わってきた。

 その時、クロードは背筋に汗をかくのを感じずにはいられなかったのだった。



 ♦  ♦  ♦



 闇の中で焚き火の光が、煌々とその周囲だけを照らしている。先ほどまでの人が出す賑やかさがなくなり、虫の音や草が風に揺れる音がよく聞こえる。

 見張りについたメリッサとクロードは、特に会話をすることもなく、火を囲んでいた。

 メリッサは、先ほどから拾った木の枝をナイフで黙々と削っている。一方、クロードは持ってきた本を読んでいた。

 見張りの交代までは、あと1時間半ほどある。


「よし、できた」


 メリッサが突然声を出した。


「おい、クロード」

「……なんだ、鬱陶しい」


 クロードが面倒臭そうにメリッサへと目線だけを向けると、顔の近くに何かが差し出された。メリッサは、先ほど削っていたものだ。

 焦点を差し出されたものに合わせると、それは木ででき剣だと認識した。


「なんの真似だ?」

「剣の稽古だ。これからは、色々危険だからな、最低限自分の身は自分で守れないとな」

「くだらん」


 一蹴するとまた本に目線を戻してしまった。


「こら、本に戻るな。やるぞ」


 クロードからは返事がない。


「無視するな! や・る・ん・だ! ……あ、そうか、悪魔様は剣なんて握ったことがないのかぁ、やったことがないなら怖くて仕方ないものなぁ。それとも普段見下してる私に無様にあしらわれるのが怖いのかぁ」


 メリッサは勝ち誇ってにやついた。


「ち、安い挑発だ。しかし、我が貴様にあしらわれる? それを恐れるだと? その認識は不快だ」


 クロードは本を閉じると立ち上がり、差し出された木剣をひったくる様に奪い取った。


「よかろう。貴様が3回は転生できるほどの時間、剣術の研鑽を積んだ我の力量を身をもって知るがいい」


 クロードが木剣を構える。メリッサも木剣を構えて、クロードを見据えた。

 クロードの構えに隙は無く、覇気すら感じる。その静かな覇気が彼の言葉が嘘ではないことを物語っていた。


「ゆくぞ!」


 クロードが一気に距離を詰める。


「くっ」


 メリッサも身構えたところに、クロードの木剣が振り下ろされた。それをメリッサはひらりと躱す。

 立て続けに、剣は右から左からとメリッサに襲いかかるが、彼女はダンスのステップでも踏む様に軽々と避けた。

 回避行動を取る中で違和感が生じる。


(ん? 構えから只ならぬものを感じたが……)


 構えた時は、吐いた言葉に嘘がないと思えるほどの実力があると思ったが、太刀筋の方は――はっきり言って太刀筋が甘い。


(手を抜いているのか……)


 メリッサは戸惑った。

 正直、クロードの腕前は、剣術を少し出来る人間のそれ程度だ。これは、反撃して良いのだろうか。それとも、こちらの攻撃を誘い出す策なのか――考えを巡らす。

 彼女の思惑とは他所に、ぬるい剣撃は続く。それをまたひらりと避けた。


(……反撃してみるか)


 今度は避ける度に、隙の出来たクロードの胴や脚などいたるところに、木剣を撃ち込んでゆく。

 メリッサの予想以上に、あっさり攻撃が決まった。

 まるで子供と大人、圧倒的な光景である。

 身体のあちこちに痛みを覚えるクロードだったが、それ以上にその心理状態の方が深刻な状況だった。


(な、なぜだ! 我の剣が一向に当たらん!)


 メリッサの剣の動きは見えていた。次に何をすればいいかも容易く考え付いた、しかし……


(体が……体が追いついて来ぬ!)


 クロードは、体が思ったと通りに動かないことに焦った。その焦りから振りが大きくなる。そして、大振りの刃は当然の如く、軽く躱された。

 メリッサは、その躱した態勢から身を低くして、がら空きになったクロードのふくらはぎに脚払いを喰らわせた。


(しまった!)


 クロードが、後ろに腰から倒れ、尻もちを着く。ヒュッと空を切る音とともに、木剣がクロードの眉間に突きつけれた。

 クロードの息が上がっている。無様だ。悔しさと怒りでかき乱される心をぐっと抑えて、冷静に分析する。


(くそ、我の武術の知識や経験はあっても、憑依した体では思考に動きが追い付かないということか……)


 見て分かるほど悔しそうな顔をして、メリッサを睨む。

 おのれ、人間ごときが。そう心の中で吐き捨てたところで、メリッサから言葉が掛けられた。


「なんだ、クロード、お前……弱いな」


 メリッサはにやりと笑った。普段見下してくるクロードを、軽くあしらった優越感によって、彼から受けたストレスが少しだけ晴れた。

 しかし、その言葉は失言だったとメリッサは後悔することになる。


「……なに? 我が弱いと申すのか?」


 クロードの首を垂れて、地面を見つめる。


(……弱い、我が弱いだと……)


 クロードの脳裏に、古い記憶が蘇る。




 ―――お前が弱いから悪いのだぞ。




 ―――弱者は、這いつくばり、強者を見上げ、搾取されるだけの存在だ。




 彼を囲み、罵倒し、嘲笑する人々。

 体の自由も奪われ、踏みつけられ、反抗することも、言い返すこともできない。

 力ない自分が惨めだった。弱いことがいけないのか、弱いからこんな目に遭うのか……

 様々な負の感情が胸の中で荒れ狂う――悔しさ、憎しみ、そして怒り。


 クロードがゆっくりと立ち上がると、護身用の真剣に手を掛け、抜刀した。


「我が弱いと申すか!」


 クロードが怒声を放つ。眉間に深い皺が寄り、見開いた目は、血走って怒りの炎で燃えている。表情だけでなく、身体全体から怒気が噴き出した。


「はああああああ!」


 突如、咆哮を上げて、握った真剣をメリッサに振り下ろした。


「お、おい、クロード落ち着け」


 メリッサも咄嗟に持っていた木剣で受けようとするが、真剣の斬撃の前には、簡単に切断される。

 木剣を斬った剣先が、メリッサの二の腕をかすり、血が滲んだ。


「やめろ、クロード!」


 メリッサの言葉は、クロードには全く聞こえていなかった。


「はああああ!」


 怒声を上げながら、振り切った剣を薙ぐ。

 メリッサは、後ろに退いて避けた。クロードは後退するメリッサを追いながら、振り回す様に怒涛の連撃を彼女に浴びせた。

 早い連撃にメリッサは腰の剣を抜く暇がない。怒りで剣速が上がったのか、先ほどの木剣の時より躱すのが紙一重になり、何度も空気を断つ音が耳をかすめる。

 嵐のような連撃が、一瞬、大振りになった。

 メリッサは、飛び退き、木剣の残骸を投げ捨てると腰の剣に手を掛けた。


「我が弱い訳がないんだ!」


 クロードの振り下ろした剣を、メリッサは抜きざまに受ける。キンっと甲高い金属の衝突音がして、火花が散った。


「弱い訳がない! 我が弱いなど許されない!」


 怒りに我を忘れたクロードの言葉は、叫びに近いものだった。

 メリッサの構えた剣に、何度もクロードの剣が叩きつけられる。もはや剣術などではなく、怒りに任せて、鉄の塊を振り回しているだけだった。しかし、メリッサはそれを受けるので精いっぱいである。


「やめてくれ、クロード。冷静になるんだ!」


 やはりメリッサの言葉は意味をなさない。クロードは相変わらず怒り来る牡牛のように迫る。

 しかし、体力には限界がある。クロードの身体は、もともとそんなに体力はない。息が上がりはじめ、一撃が甘くなった。


「いい加減にしろ!」


 メリッサは甘くなった一撃をいなすと、クロードの腹部に蹴りを入れた。

 重い音がして、クロードが後ろに軽く飛ばされ、膝を着く。


「はぁ、はぁ、我が……弱いなど……」


 膝を着いた姿勢のまま、地面を見つめ肩で息をしている。


「はぁ、はぁ……おい、少し冷静に」


 止まったクロードを見据えながら、メリッサも上がった息を整えるように努めた。

 いったいどうしたんだ……弱いと言ったのがそんなにまずかったのか? メリッサは考えながら、呼吸を落ち着かせてゆく。

 大きく吸った息をふうっと吐いた時だった。メリッサは足元に異変を感じた。土がこんもりと盛り上がっているのである。


「ん?」


 突然の変化に目が留まる。


「これは……」


 メリッサがじっと見ていると、盛り上がった土の一部が崩れ落ち、その中から赤い宝石のような煌きが覗いた。 

 メリッサは即座に飛び退き、土の中から覗く赤い輝きに、躊躇なく剣を突き立てた。


「クロード! バスに行け!」


 メリッサが叫んだ。彼女の声には切迫さが満ちていた。

キレる悪魔ですね。

まぁ、クロードにも色々あるんですよ。

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