第15話 働かざる者食うべからず
バスが停車したのは、ごつごつとした岩に囲まれ、地面には背の低い雑草がまばらにしか生えていない荒れた平地だった。適度な大きさの岩々が身を隠すのに都合がよく、野宿には最適な場所といえた。
バスから降りるとメリッサは、大きく深呼吸をし、縮こまった体をぐっと伸ばす。最後に休憩を取ってから長い間座席に座りっぱなしだったため、体中に血が通いだすような感覚が心地よく感じる。草木と土の香りが涼しげな空気に乗って、鼻孔を通り抜け、頭の中がすっきりした気分だ。
「では、各自、野営の準備に取りかかってくれ」
メリッサが声をかけると、警備会社の面々は返事をして、四方に散っていった。
日没まではもうすぐだが、夕日がある内には野営準備は完了するだろう。メリッサが頭の中で時間の算段をしていると、唯一近くに残ったクロードが質問してきた。
「野営の準備とは何をするのだ? 皆、缶のようなものを持っていったが」
「あれはクリーチャー避けの特殊薬剤だ。野営地を囲うように地面に吹きかけるんだ」
「脆弱な人間らしい姑息な手だな」
「こ、姑息……クリーチャー避けといっても、正確には、匂いや熱などを遮断して、こちらの存在を認識しづらくするだけだ。野営のようにあまり動かない時にしか効果がない。だから移動中の車などに吹きかけても意味がないんだ。」
「なるほど、そう便利なものというわけではないのだな」
「ただ、野営には効果的だ。なんせ、これで火も焚けるし、料理もできるからな」
メリッサは、くるりと向きを変えバスの方を向く。
「さて、クロードと私はバスに積んだ荷物中から焚火用の薪と道具を持って行くぞ。荷物は、ジョナサンに聞けば分かるはずだ」
「なぜ我が? 貴様だけでやれ」
「いいから来・る・ん・だ」
そう言うとクロードの手を掴み、バスの荷物を出し入れしているジョナサンの近くまで引っ張って行った。
焚き火用の燃料についてジョナサンに尋ねると、愛想よく道具一式をまとめた袋を手渡してくれた。
「こちらでございます」
「ありがとう」
にこやかに答える老紳士から差し出された薪の束をメリッサが受け取り、クロードに手渡す。
クロードは渋々袋を受け取りながら、ふとジョナサンの足元に目をやった。いくつかの大きなトランクが彼の足元に置いてある。
「それは?」
クロードが尋ねる。
「そいつは、俺が持っていく」
背後からした声に振り返ると、クリーチャー避けを散布し終わったヘルマンが立っていた。
ヘルマンはその大きなトランクたちを軽々と抱え上げ、歩いてゆく。クロードは、彼の後ろ姿をじっと眺めていると、へルマンから背中越しに声が掛かった。
「おい、薪、早くしろ。働かない奴に飯はないぞ」
「そうだぞ、クロード」
「そうだ、そうだ」と尻馬に乗った感じのメリッサのしたり顔が腹立たしかったが、食事がないのは困る。このヘルマンという男なら、本当に食事を用意しないだろうと思い、素直に薪を持って彼の後に続いた。
ヘルマンとクロードが、野営地の中心に戻ると、マリアやヴァル達が薬剤の散布を終えて戻っていた。夫人とマリアは組み立て式のリクライニングチェアに腰かけゆったりと談笑している。その横では、アルレッキーノがヴァルとロゼッタにせっつかれながら椅子を組み立てていた。
「アル、早くしてよぉ。疲れたよぉ」
「そうだよ、お兄ちゃん。疲れたよ」
「はぁ、そんなに早く座りたいなら自分でやってくれない? あとロゼッタは座らないだろ」
アルレッキーノがため息つく。
「あ、差別だ。シャルちゃんたちには一生懸命、椅子を組み立てたのにねえ、ロゼッタ」
「差別だねえ、ヴァルちゃん。ひどいよ! お兄ちゃん」
「ああ、はいはい、ちゃんと組み立ててるでしょ」
ブツブツと文句を言いながら組み立て続けている。
野営というには何とも雰囲気が異なる。レジャーでキャンプに来たようだ。
ヘルマンは担いでいたトランクを地面に置いた。その一つを開き、中から大量の部品らしきものを取り出し組み立て始めると、ものの数分で調理台が出来上がる。
他のトランクも同じように中の部品を組み立て、コンロが出来上がり、あっという間に簡易のキッチンが完成した。
(随分と便利な道具が多いのだな)
クロードが感心していると、大きな箱をもったジョナサンとメリッサがやってきた。
「ヘルマンさん、食材はこちらをご使用ください」
「美味い食事を頼んだぞ、ヘルマン」
「わかった」
ヘルマンが渡された保冷機能のある箱を開ける。ひんやりとした冷気が洩れ、魚や野菜など鮮度が保たれた食材が顔を覗かせた。
食材を黙って一通り眺めると、メニューが決まったのか小さく頷き、横につっ立っていたクロードに声をかける。
「クロード、手伝え」
「なに? 我が料理をするのか?」
「そうだ」
無言の圧力が反論を許さなかった。クロードは箱から取り出された食材を受け取り、ヘルマンの指示に従いぎこちない手で調理を始めた。
ほどなくしてスープの準備が終わり、食欲をそそる香りが辺りを漂う。ヘルマンが次の指示をクロードに告げる。
「次は魚を捌くぞ、見てろ」
短く言うと、一匹の魚をまな板に乗せる。魚は見るからに脂がのっていて、新鮮な光沢を放っていた。
ヘルマンは慣れた手つきで、鱗や頭を落とし、腹を開いて内臓を取り出す。続けて背びれの少し下の辺りを切り開き、臓器の一部らしきものを取り出した。
「このバジってのは、極寒の湖や川でも凍らずに泳げるように不凍液を作り出す袋を持ってやがる。これを取り除かないと苦味が残る」
太い声でぶっきら棒な説明をすると、クロードの前のまな板にもバジを置いた。自分と同じ様にやれと顎で促す。教えること以外、会話などない。
なぜ、我がこんなことを……とぶつくさ言いながらも、クロードは包丁を動かした。苦戦しながら不凍液袋を取り除く。クロードの手並みを黙って見ていたヘルマンは、クロードが問題なくバジを裁けると分かると、自分の前のまな板に2匹目を乗せ裁き始めた。
始めは嫌々やっていたクロードであったが、もともと知識の吸収に貪欲な性分であるため、次第に料理に没頭していく。それどころか、余計な思考を取り払って無心になれ、心地よいとすら感じた。
無言のまま淡々とバジを裁いていると、調理台の向こうからヴァルが顔を覗かせた。
「お腹減ったよぉ」
ヴァルは空腹を訴えながら、何かつまみ食いできるものはないかと調理台の上を物色しだした。キョロキョロと飛び回っていた目線が裁いているバジに止まる。
「あ、バジだ。ソテーかな?」
「そうだ」
ヴァルがキラキラした瞳を向ける。ヘルマンはそんな彼女には目を向けず、バジを裁き続けながら短く答えた。
「バジのソテー美味しいよね。あ、そうだ、ヘルマン“あれ”をまた作ってよ」
子供の様に小首を傾げて、ヴァルが何やらヘルマンにねだった。
「嫌だ、面倒くさい」
「お願いだよぉ、あれ作ってよぉ。お腹も減ったけど、暇なんだよぉ」
いつの間にかヘルマンの横に回ったヴァルが、ヘルマンの腕にしがみ付き駄々をこねた。腕を掴まれ包丁を使えず、煩わしいといった具合にヘルマンの眉間に皺が寄った。
「……分かった。作ってやる」
ヴァルに根負けして、ヘルマンが渋々承諾した。
クロードは、手を止めて2人のやり取りを眺めていた。無邪気に甘えるヴァルに、何だかんだ言うことをきいてしまうヘルマンのこのやり取りは、警備会社に入ってから何度か見た。無口で強面のヘルマンだが、子供には甘いのだ。
「クロード、お前は料理を続けてろ。ヴァルは機械油を持ってこい」
「はぁい」
甲高い弾んだ返事をして、ヴァルが野兎の様に、荷物の積んである野営地の中心に機嫌よく走っていった。
ヘルマンはヴァルが走って行ったのを見届けると調理台の上で、ヴァルに頼まれたものを作り始める。再び調理台の周りは静かになったと思ったが、少しして、先ほど聞いた軽く弾むような足音が近づいてきた。
「はい、ヘルマン、持ってきたよ」
ヴァルが嬉々とした表情を浮かべてヘルマンに駆け寄ると、機械油らしき液体の入った瓶をヘルマンに渡した。
その時、クロードは残っていたバジを丁度裁き終わったところで、ヘルマンがしようとしている事に興味が沸き、彼の近くに寄って観察を始めた。
「何をするんだ?」
クロードが尋ねる。
「弾け玉を作る」
「弾け玉?」
思い当たらない様子のクロードに、ヴァルが説明する。
「そうだよ。このディゴの実に穴をあけて、中にバジの不凍液を入れるの。そこに機械油を加えて、キーバの葉っぱで実の穴に栓をするの。これで完成」
「これがどうして弾け玉なのだ?」
「この栓になってるキーバの葉に火を点けるの。そうするとちょっとして、パンって弾けるんだ」
ヴァルが楽しそうに語る。しかし、クロードは何故弾けるのか仕組みが分からず、納得いかない顔をしているとヘルマンがそれに気づいたのか、言葉を付け加えた。
「不凍液と機械油の成分が化学反応して可燃性のガスが出る。キーバの葉は導火線というわけだ」
「なるほど、武器に使うのか」
「いや、ガキの玩具だ。このバジの取れる北の地方では、ガキどもがこれを作るんだ」
ヘルマンの言葉の隅に懐かしむような感情が見えた。
ほどなくして弾け玉が完成した。ヴァルはにっこり笑って「ありがと!」と快活に礼を言うと、弾け玉を持って、また跳ねるように走って行ってしまった。
クロードは、渡された弾け玉をヴァルがどう使うか気になって眺めていたが、ヘルマンに料理を続けるように言われて、夕食の準備に戻った。
その後、調理中に、メリッサ達のいる野営地の中心から、パンっと弾ける音とアルレッキーノの素っ頓狂な驚く声が聴こえ、クロードは見るまでもなくヴァルが弾け玉をどう使ったか知ったのだった。
ヘルマンはぶっきらぼうだけど、子供にけっこう甘い。




