第14話 出発の時
空に淡く雲が掛かり、薄紙から透ける照明の様に、ふんわりとした日差しが空気に色味を付けている。夜更け過ぎに降った雨は止み、しっとりと道を濡らして所々に光の粒を残していた。
ポンパドール侯爵邸は、微かな朝霧に包まれて、煌びやかなその外観が幻想的な雰囲気を帯びている。そんな侯爵邸の一室に、メリッサ達は通されていた。
全員、準備万端だ。装いも鉱山で支給された制服と違い、それぞれ使い慣れた装備を身に付けている。
ただ、クロードだけは執事服であった。一応、防具も勧められたが、デザインが気にくわず「我にはその様な無粋なもの不要だ」と、突っぱねて普段の執事服にしたのだった。
豪華な丁度品に囲まれた部屋、柱に備え付けられた大きな柱時計がカツカツと規則的な音を立てている。メリッサは、時計に目をやった。部屋に通されてから十分ほど経っていた。
「お待たせ。さぁ、出発よ!」
突然、音を立てて勢いよく扉が開き、カーキ色の探検用の服を着たポンパドール夫人が勇ましく現れた。いかにもといった探検家ルックだ。
「奥様、そのような大声で……お慎みください」
夫人の後ろで、ジョナサンが苦い顔をしている。ジョナサンの言葉は耳に入っていないのか、夫人は声のボリュームを落とさず快活な調子で話を進めだした。
「みんな、外に車を用意したからそれに乗ってちょうだい!」
冒険を前に興奮気味の夫人に促され、一同はエントランスから外に出た。
すると全員の目に、強烈な自己主張をする大きな物体が飛び込んで来た。それは、どぎついピンク色だった。
芝や木々の緑と灰色の砂利の美しい調和が取れた庭に、不釣り合いのピンク色をした大型のバスが止まっているのである。
メリッサ達は絶句した。
「どう? かっこいいでしょ? この冒険用に特注で作成したキャンピングバス。『ワイルド・キャット7号』よ!」
夫人が胸を張って得意げに、紹介する。
「すっごぉい! かっこいい!」
1人だけ違う意味で言葉を失っていたヴァルが、目をキラキラさせてはしゃぐ。
ヴァルは、玄関の大理石でできたステップを飛び降りると、キャンピングバスに向かって一直線に走り出した。そして、楽しそうな奇声を上げながら、あらゆる角度からしげしげとキャンピングバスを観察し始めた。
「え、えぇと、今回、我々の方で車は不要というのは、これがあったからなのですね?」
メリッサが、言葉を発することを思い出したように、口を開く。
「そうなのよ。さぁ、こんなところで突っ立てないで、乗ってちょうだい。中はもっと凄いから!」
運転席とは反対側の搭乗口から、夫人に連れられて乗り込むと、そこには車内とは思えないほど広い空間が広がっていた。通常のバスのように10人が掛けられる座席が並んだその後ろには、邸宅と同様に、高級なそうなソファーやベッドなどの家具が設置されていた。
「トイレや冷蔵庫なんかもあるのよ」
夫人の言葉にメリッサは息をのんだ。
驚いて言葉にならないが、このキャンピングバスが贅だけではなく、機能的にもトップクラスの優れたマシーンであることは分かった。
「すっげぇ……でも、外観と違って中は随分シックな色調なんですね」
アルレッキーノがキョロキョロしながら、関心していると、後ろにいたジョナサンが少し小さな声で話しかけた。
「奥様は内装もピンクを基調とするつもりだったのですが、私がなんとか説得して、この色に致しました……」
ジョナサンの声がきこえた数名から、乾いた笑いが漏れる。
「ごほんっ、では皆さま座席にお座りください」
ジョナサンの言葉に従い、それぞれ座席に座った。運転席から全員が席に着いたことを確認すると、ジョナサンは、魔力を注入して魔導エンジンを起動させた。
大型車特有の重いエンジン音が足元から響いてくる。発進準備は整った。
「さぁ、冒険の始まりよ! いざ、幻の水獣を求めてレマール湖へ、しゅっぱぁぁつ!!」
夫人が、拳を突き出し勇ましく出発の号令を掛けると、どぎついピンクのキャンピングバスは、その大きな車輪を回転させ、颯爽と走り出した。
♦ ♦ ♦
建物しか目に入らない街の風景は、田畑が広がる農耕地の特有の景色に変わっていった。車や人々のから発せられる音も徐々に少なくなり、代わりに草木の騒めきや鳥の鳴き声が増えていく。太陽が空の頂点に来る頃には、人の営みがまばらにも見える農耕地を抜け、土の道があるだけの草原を走っていた。
運転席越しに、正面のガラスから外を熱心に眺めているクロードを見て、隣のメリッサ話しかける。
「どうした、クロード」
彼の視線の先には、城壁らしきものがあった。青々とした草に囲まれた1本道は、その城壁に設けられている門に続いている。
クロードは、正面に見えている城壁を熱心に見ているようだ。
「あれは結界線だ」
国内において、人が居住する場所は結界で覆われており、メリッサたちが住む都市は、農耕地区とともに、ひとつの大きな結界の中に入っている。そして、城壁に見えていたものは、結界線と呼ばれる物理的に人の生活圏を防御する壁であり、また、結界を発生させる装置でもあった。
出入りは街の行政が管理しており、通行料の支払いと簡単な手続きの後、都市の内外に行き来できる。
「娘、少し黙っていろ。そんなことは本で読んで知っている」
親切心をバッサリ切り捨てられ、メリッサの笑顔がひきつった。
城壁が見えてから数分で、バスは門の目の前まで来た。近くで見る門は、今メリッサたちが乗っている大型のバスをもう一台重ねても、余裕で通れるほどの巨大な建造物であった。
バスは門の脇にある小屋の隣に一旦停車する。運転席のジョナサンが、小屋の窓から顔を出す役人と車窓越しに、通行の手続きを行っている。門があまりにも巨大であるため、クロードの目には小屋が小人の家のように映った。
門を見ていた視線を横の方に移さば、結界線が果てしなく遠くまで続いているのが見える。
結界線をなす壁自体も、門と同様に巨大であるため、こんな大きなものが人が作ったのか思うと関心せずにはいられなかった。
「すごい風景だろ? この壁は、街と農耕地を囲うように立てられているからな。とてつもなく長く大きな壁だ」
窓の外に見える遠くの壁をじっと見つめるクロードを見て、メリッサがまた語りかける。
「貴様が作ったわけではあるまい。何を偉そうに」
クロードが再び切り捨てる。メリッサの顔が再び引きつった。
「しかし、逆に言うと結界を張らなければ暮らせないほど、外界に対して貴様ら人間は脆弱ということだ」
「まあ、そうだな。外界にはクリーチャーがいるからな。そのおかげで我々の仕事が発生するわけだが」
クリーチャーとは、この世界に生息している危険生物の総称である。人を襲うかどうかではなく、純粋な危険性を基準とし、危険性の高い生物を国が“クリーチャー”と指定して発表している。
家畜やペットになる動物はもちろん、普通の野生の動物とも区別されおり、クリーチャーの中には、猛毒を持つものや魔法を使えるもの、小動物から山の様に大きなものまで種類も多岐にわたる。そして、このクリーチャーの存在が、他の街や村などへの移動には障害となる。
そのため、旅行者や行商人などは、メリッサ達のような警備会社や傭兵などの護衛を雇う必要があるのだった。
「この結界線を超えると、クリーチャーのいる危険地帯というわけだ。気を引き締めろよ」
「ふん、下等生物など如何ほどのものか」
クロードは腕を組んで、また窓の外に顔を向けた。
「お待たせしました。出発いたします」
手続きを終了したジョナサンが、再びアクセルを踏み込む。バスは、結界線を越え、外の世界へ走りだした。
壁を超えただけで、景色は一変した。遠くには雄大な山並みが控え、雲の切れ間から洩れる太陽の光に、スポットライトに照らされる様に輝いている。
地形も丘があったり窪地があったりと、うねる海原のように起伏している。その緑の海原のあちこちに石や岩、大木が点在して見えた。結界線の内側は緑に囲まれた人の営みを許す自然の風景ではあったが、外側の景色は、内側とは異なり、人を牙を剥く野性的で壮大な景色であった。
途中休憩を挟みつつ、草原を長い時間進んだ。その間、クリーチャーを遠目に見かけることはあったが、襲撃を受けることはなかった。
「奥様、この分なら日が暮れる頃には、次の村に着きますな。そこで宿を取りましょう」
ハンドルを握るジョナサンが、にこやかに夫人に話しかける。
もう太陽が西の空で赤く輝き始めていた。
「え? 何言ってるのジョナサン。 野宿に決まってるでしょ! 何のためにこのバス作ったの!」
夫人が怪訝な表情でジョナサンを見る。
「しかし、奥様、野宿は危のうございます」
「野宿せずに何が冒険よ。ねぇ、メリッサちゃん」
急に同意を求められ、メリッサは慌てた表情のまま夫人の方を向く。
「あ、はい。そ、そうですね」
なんとも白々しいほどの愛想笑いで誤魔化した。
「おい、いいのか?」
横のクロードが小声でメリッサに言った。
「いいんだ……夫人の依頼はいつもこんな感じだ。それに夫人は、ああ言い出したら曲げない……」
メリッサは諦めにもとれる苦笑いを浮かべた。
クロードが、周りを見渡してみると後ろの席に座っているヘルマンたちも、メリッサと同じような表情を浮かべていた。
「そうそう! 危ないやつはヴァルがやっつけちゃうから安心して野宿するといいよ」
ヴァルがどんと胸を叩いて、任せろとばかりに得意げな顔をする。
「ヴァルちゃんありがとぉ、頼みにしてるわ」
夫人がにっこりほほ笑む。
「シャルちゃんは、ヴァルが守るよ!」
「きゃぁぁ、ヴァルちゃぁぁん!」
ヴァルの演技がかったすかしたセリフに、夫人が黄色い声を上げてかぶりを振った。
いつもながらテンションの高い2人に、やれやれとメリッサが溜め息をついて窓の外に目をやると、沈みきる直前の太陽が、空と大地の境目にオレンジに輝く線を描いていた。
いざ、レマール湖に向かって出発!




