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第10話 マリアさんが見てる

 ビル群の足元、舗装された道を人や車、馬など様々なものが行き交う。それらが発する混ざり合った音を、クロードは車窓から外を眺めながら聞いていた。


「随分と人間の世界も変わったな」


 きょろきょろと目を動かして呟く。


「おい、あれは何だ?」


 そして、目に留まったものを指差し、質問する。


「はあ……あれは飲み物を自動で販売する機械だ」


 メリッサの声に疲れが混じっていた。

 クロードは、何でも理解納得しなければ済まない性格のようで、車に乗ってからずっと彼の質問責めが続き、質問の度に答えさせられるメリッサの方は、辟易していた。


 クロードが退院したのは、メリッサと取引した翌日のことだった。今は病院から、メリッサと伴に送迎用の馬車に乗り、グレンザール警備会社の事務所に向かっているところである。


「それにしても巨大な建造物が多いな、それに随分と栄えている」


 クロードが見ているこの街は、商業都市ロウラム。

 中心部に企業のビル群が並び、外延部に農耕地がある自給自足型の大都市である。首都に次ぐ人口の多さで、国内の商業の中心といえる要所であった。

 コンクリートで舗装された道は、街を格子上に仕切る様に綺麗に整備されていおり、合理的なものを好む商人の思考を体現した様なきっちりした街並みである。


「おい、この馬車と違って、馬もなしに車輪だけで走っているものがあるな。あれは?」

「あれは、自動車だ。魔力を動力源として走る。交通手段や運送用など業務用を中心に大型の物が殆どだな」

「小さいものもあるぞ」

「ああ、あれはここ数年で実用化された小型自動車だ。企業や富裕層だけが有している。まだまだ庶民には手が届かない代物さ」

「なるほど。最先端の技術のようだな。では、自動車とやらは、どのようにして動力源の魔力を車輪の回転運動に繋げているんだ?」


 メリッサも詳細に理解している訳ではないので、はっきりとは答えられず、口ごもる。


「なんだ、分からぬのか? 貴様ら人間の技術だろうに。まったく貴様は愚図だな」

「な、なんだと?」


 不遜な罵倒に、メリッサのこめかみ辺りがぴくぴくと震える。


「事務所に帰ったら資料がある。ちゃんと答えるからな!」


 メリッサは、半分ムキになって啖呵を切った後に、曖昧な回答でお茶を濁すことの出来ない自分の性格を恨めしく思った。


「それよりも、もうすぐ事務所に着く。皆には悪魔ことは秘密だからな。事前に言っておいたように、私の話に合わせろよ?」


 メリッサが声を潜めて言った。


「分かっている。不本意だが、協力すると約束したからな」


 程なくして、馬車はグレンザール警備会社の事務所の前に止まった。馬車から降りると、クロードは警備会社の社屋を見上げ、じっと眺める。

 5階建てといったところか。周りの建物と比べて一際高いと言うわけでもない。外観も他の建物と同じような灰色で、新しくも古くもない建物だ。

 クロードの後ろでは、メリッサは御者に運賃を渡す。はずんだチップに、御者は意気揚々と来た道を帰って行った。


「お嬢様、お帰りぃ~」


 1階の扉が開いて、弾むような声と一緒に給仕服のヴァルが出てきた。まるで主人の帰りを喜ぶ子犬の様に、メリッサに駆け寄りざまに抱き付くと、見上げて屈託の無い笑顔を向ける。


「ふふ、ただいまヴァル」


 そう言ってメリッサはヴァルの頭を撫でると、彼女が表情がさらに嬉しそうなものになった。そのにこにこした笑顔に、撫でたメリッサの表情もほころんだ。


「そうだ、ヴァル、紹介しよう。今度、うちで働くことになったクロードだ」


 紹介されたクロードは、無表情でヴァルを見る。


「ヴァルはね、ヴァルっていうの。よろしくねぇ」


 ヴァルがメリッサから離れ、クロードにもにっこり笑いかける。が、これといって興味がないと感じで、クロードは小さく頷き、「うむ、よしなに」と言っただけだった。


「なんか暗いやつだなぁ。それに妙な言葉使い」

「ま、まぁ、彼も退院したばかりだしな。彼についての詳しいことは、夜にでも皆を集めてから話すよ」


 怪訝な顔をするヴァルに、メリッサが苦笑いを浮かべて取り繕う。

 あまり喋るとぼろが出そうなので、早々にその場を切り上げようと、メリッサはクロードに呼びかけた。


「では、クロード、お前の部屋まで案内しよう。ついて来てくれ」


 メリッサはクロードをつれて、ビルの側面についた階段の方へ歩き始めた。後ろではヴァルが手を振って、2人を見送っている。

 階段を数段上がったところで、クロードが口を開いた。


「おい、1階が事務所とやらではないのか?」

「1階は、警備会社とは別に、うちで経営する喫茶店なんだ。半分趣味みたいなものだが、茶葉や料理はこだわっているからな、なかなか評判がいいんだぞ」


 階段を上りながら、メリッサが得意げに話す。


「それに、何かと情報が集まるし、実益も兼ねてるんだ」

「なるほど、警備会社といい喫茶店といい、魔導遺産に関する情報収集をするための隠れ蓑というわけか」

「そうだ。白銀(はくぎん)腕手(かいなで)は秘密組織だからな。他の回収班もそうだが、白銀の腕手の仕事とは別に、表の稼業を持っているんだ。」


 階段を上ると、グレンザール警備会社の看板が掲げられた玄関が待っていた。派手ではないが、彫刻によって装飾された扉が見える。メリッサが扉に近づくと、ひとりでに開いた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 扉の向こうで待っていたマリアが、メリッサ達と迎え入れる。


「私が帰ったのがよく分かったな、マリア」

「馬車の音がしましたから」


 玄関の扉を潜りながら、メリッサがマリアと言葉を交わす。クロードも、メリッサに続いて玄関を通ると、辺りを見回した。

 玄関の先には通路が続いており、その先は少し開けた空間になっているようだった。


「その方が、新しい使用人の方ですか?」


 マリアが、クロードを見る。


「ああ。クロードだ。詳しい紹介は、後で皆の前でするから。クロード、マリアだ。分からないことは彼女に聞くといい。ちなみに彼女は、うちの会計と事務を行ってくれているんだ」


 メリッサの紹介に、マリアが微笑みながら軽く会釈をすると、クロードも無表情だが会釈を返す。

 しかし、会釈の後、一瞬、クロードは見た。マリアの視線が自分の足先から頭の上までをじっと値踏みするように動くのを。

 すぐにマリアの表情は美しい微笑に戻っていたが、目が笑っていない。クロードは背中に悪寒を覚えた。


(なんだ、この異様な威圧感は……)


 2人の間に流れた不穏な空気など気付く様子もなく、メリッサが呑気に話し掛ける。


「では、クロード、お前の部屋に案内しよう」

「あら? ご案内でしたら、私が致しますが?」


 マリアが首を傾げる。


「いや、今後について話しておきたいこともあるし、私が案内するよ」

「そうですか……」


 瞬間、クロードには威圧感が更に強くなった気がした。


「では、私は業務に戻りますね」


 マリアは、にこやかに一礼すると向きを変え歩き、通路途中の扉を開けて室内に入っていった。


「どうした? 暑いのか? クロード」

「いや……なんでもない」


 通路を抜けると少し開けた空間になっていた。ソファーや机がいくつか置いてあり、ラウンジとして使用するのだとメリッサが説明する。

 ラウンジの奥に上階へ繋がる階段があった。2人はその階段を上り、3階に行く。


「3階は、共同スペースだ。主に食堂がある。4階と5階は、私や使用人達の居住用のスペースだ。4階は男性、5階は女性で、それぞれに一部屋与えている。クロード、お前の部屋は4階の3号室だ」


 通路沿いにいくつか扉があり、メリッサの説明どおり、各使用人の部屋が並んでいるのが分かる。その中の1つの扉の前でメリッサが止まった。


「ここだ」


 真鍮のドアノブを回して、扉を開く。中はベットに机、クローゼット、風呂にトイレも備えており、なかなかの設備といえた。広さも1人で暮らすには十分な程だ。


「どうだ? ゲストルームとして作ってあるから、そこいらのホテルと変わらないレベルだぞ」


 メリッサが自信ありげに鼻を鳴らす。


「狭いな。寝台も寝具も安っぽく寝心地が悪そうだし、家具もおもちゃだ。風呂に至っては、小さすぎて水槽か何かかと思ったぞ」


 部屋をざっと見回して、淡々と文句を垂れる。それを聞いて、メリッサのこめかみが、またぴくぴくと引きつった。


「まあ、しかし、我慢してやるとしよう」

「くっ……それはどうも」

「それより、娘、我が新しい使用人とはどういうことだ? なぜ、貴様に仕えねばならん」


 クロードの眉間に皺が寄った。

 その威圧にメリッサは少し気圧され、口ごもりながら言い訳をならべる。


「えっと……回収班の仕事をするからには、表の仕事での役割は必要だ。そうでなければ、お前を近くに置くことを皆に納得させられなかったんだ。あの鉱山の一件で、既に怪しまれているし……」

「ちっ、分かった。しかし、勘違いするなよ? 我が貴様に奉仕するのではない、貴様が我に奉仕するんだからな」

「ああ、もう、分かったよ。ちなみに、クロードには、私の秘書として働いてもらうぞ。それと普段はこの服を使ってくれ」


 そう言ってメリッサはクローゼットを開けると、クローゼットの中には、5、6着の服が掛かっていた。どれも新品で、同じものだ。


「なぜだ? 今着ている服が動きやすくていいのだが」


 クロードは、自身の着ている服を摘まんで見せる。


「クロード、それは、病院で患者が着る寝間着だぞ」

「なに? そうなのか? 道理で看護師たちが病院を出るとき妙な目で見ていたわけか……早く言え!」

「鉱山からそのまま搬送したから、服などなくてな。鉱夫の作業着はボロボロだったし、どうせ事務所に直行だから、かまわないかなと」

「まったく、愚図な上に無粋な奴め」


 クロードは、腹立たし気にクローゼット内の服をハンガーごともぎ取った。


「しかし、黒を基調としたこの服、貴様にしてはいいセンスだ。褒めて遣わそう」


 服が気に入った様で、クロードの機嫌が急に良くなる。そんな上機嫌なクロードを見ながら、メリッサは、あることを心に抱く。


(あれが、執事服だということは黙っておこう……)


 彼の傲慢な態度への小さな仕返しだと、内心ほくそ笑んだ。


「鍵はここに置いておくぞ。あと、下着などの衣類は、クローゼットの下の引出しに入っている。他の必需品は、後日、揃えるとしよう」

「おい、すぐに欲しいものがある」

「ん? 何が欲しいんだ?」

「歴史に関する本だ。我が封印されていた間、人間どもの世界がどう変わっていったのか知りたい。とくにこの国についてだ。この国のことを知らねば、擬態も出来ぬ」

「では、うちの書庫に案内しよう。その前に着替えるか?」

「うむ」


 クロードが頷く。


「では、着替え終わったら教えてくれ。部屋の外にいるからな」


 そう言うとメリッサは、一度部屋の外に出て扉を閉めた。

 暫くして、扉が開きクロードが出てきた。


「ふふっ、なんだ、その恰好は」


 メリッサが噴き出す。それほどクロードの恰好が妙だったからだ。シャツはズボンから出ているし、ボタンも掛け違えている。ベストは後ろ前で、上着もよれっと型を崩してしまっていた。まともに着ることが出来ているのはズボンぐらいだった。

 ケタケタ笑うメリッサに、クロードはイライラした様に腕を組む。


「うるさい。この男の体に残る記憶には、このような服の着方は無かったのだ」

「ふふふ……そう怒るな。知らないのはしょうがない。くく、私が正しい着方を教えよう」


 メリッサは、クロードに上着とベストを脱がせ、シャツのボタンを一度全部外すことにした。しかし、外しながらメリッサの顔が次第に赤くなってゆく。


「おい、なんでシャツの下に肌着を着ないんだ? クローゼットの下段に入っていると言っただろ」


  メリッサはボタンを全て外し終えると、後ろに顔を背けてしまった。その姿勢のまま、クロードに文句を垂れる。


「肌着が必要なんて知るか。それより何だ、貴様、無礼だろ。こっちを向いて話せ」


 クロードは目の前でシャツを脱ぎだす。

 向けるか、馬鹿!

 そう唱えながら、メリッサは自分でもわかるほど耳を赤くしていた。

  男性の上半身の裸など別に気にしない。気にしないが、今は目と鼻の先だ。メリッサにとって、眼前で上半身の裸を晒されるのは、さすがに直視出来ないものだった。


「まあ良い、肌着とやらはどれだ? 教えろ」

「わ、わかった、まず部屋に戻れ」


  メリッサに言われ、クロードが後ろを向いて、部屋に戻ろうと扉に手を掛けた。メリッサも、顔を背けていたが、クロードが再び部屋に戻ろうと動いたのを感じたので、彼の後ろに続こうと振り向いて一歩踏み出した時だった。


「そういえば―――」


  クロードが、急にメリッサの方に反転した。


「ひゃっ」


  メリッサが短い悲鳴をあげ、クロードの体にぶつかり、そのままバランスを崩してクロードにもたれてしまった。ちょうど何も着ていないクロードの胸に飛び込んだ形だ。


 (な、なにが起こったんだ……いや、起こっていることは分かるが……こ、この状況は……)


 メリッサは状況を理解しようとするが、理解しようとすると顔から火が出そうなほど熱くなる。ぶつかった拍子にバランスを崩しているのと、沸騰しそうな頭では思考が回らないのとで、クロードから離れるのに数秒かかってしまった。

 それがまずかった。


 バサッ


 書類が落ちる音がした。メリッサとクロードが揃ってそちらに視線を向ける。


「お、お嬢様……」

「はわわわわ」


 顔を真っ青にして立ち尽くしているマリアと頭から湯気を出しているロゼッタがいた。

 散乱した服、上半身裸の男、それに身を預けるメリッサ。

 この後、メリッサはマリアに弁解するのに2時間以上費やすはめになった。そして、クロードはマリアから更に冷たい視線を向けられることになったのだった。


見てます。マリアさんめっちゃ見てます。

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