5話目
思いがけないクレハの発言に、シャルロットは思わず二の句を失ってしまった。と言うよりも、理解が及ばない方が先だろう。すぐに馬鹿馬鹿しいと否定しようとする。ありえない、常識的に考えろ、もう私に関与するんじゃない。だが、心の中の別の自分がその判断を否定する。
(待って、あまりにおかしすぎるわ。この人とは今日出会ったばかり、それにしては私の周囲に詳しすぎる。それにこの本、見たこともないものだし、新しい物じゃない。かなり古いものだわ。インクの香りも違うのに、記されているのは私たちの国の言葉。常識外の出来事だとでも言うの……?)
あまりに長い沈黙に、一人残されたクレハは気まずそうにシャルロットの顔を覗き込む。それに気が付いたシャルロットはハッとした表情でクレハの顔を見ると、表情を精神力で何とか戻し、クレハに問いかける。
「……これが、私のこれからの運命を表す物だとして、何だって言うのよ? そもそもこんなの見せられたからって言って、私に何かできるの?」
「ああ。アンタに、いや、アンタにしかできないことがある。この話の主人公のお前だったら、この物語を変えられるんだ!」
熱くなったのかシャルロットの肩をつかんで力説するクレハ。その剣幕についついシャルロットは押されてしまっていた。
「わわ、分かったから! は、離してちょうだい……」
「あ……わ、わるい。」
「ふぅ……で、私ならこの物語を変えられるって話だけど……そこまで焦ること? この話の通りなら別にお婆ちゃんのお見舞いに行かなければいいだけじゃない。それか、先にこのオオカミを殺しておきましょうか。うん、それの方が早いわね。」
「ちょちょ、待って待って! 何でそう物騒なんだ!? 確かにそうすれば早いだろうけどさぁ……」
「お見舞いは行っておきたいから、狼を先に仕留める方向で行きましょ。任せて、家は猟師が仕事だし、それに優秀な猟師を知っているの。あの子に任せればオオカミなんて怖くないわ。」
あの子、それはルディの事を指すのだろう。本人がいないからかルディの事を自慢げに話していた。その様子を見たクレハは納得したようなできないような、何とも中途半端な表情でシャルロットを見ている。
「ん……まぁでも、何が起こるかは分からないからお見舞いに行く日はアタシもついていくよ。多分アンタのおばあさんのお見舞いさえ無事に済めば大丈夫だろうし。」
「え? 何でそうなるのよ?」
「うーん、うまく言えないけどさ……運命ってそう簡単に変わらないんだよ。変えるために何か行動しても、なんやかんやで補完されちまうんだ。で、結局は同じ運命をたどる。主人公のアンタか、それに準じる誰かが意識的に変えようとしないと変わりにくいんだよ。」
クレハの言葉にシャルロットは昔読んだ本を思い出す。人の運命は変わらない、変わったと感じてもそれはもとよりそう言う運命だっただけだ。そう書かれていた気がする。
(でも、それって後出しじゃんけんみたいな論よね。もし、この人の言う通り私の運命を変える事が出来るなら、またとないチャンスのはず。)
ふとそう考えたシャルロットはあることに気が付く。
「ところで、何であなたが付いてくるのよ? 危険があるかもしれないって言うのに。私は見ての通りただの女の子だから、あなたのことは守れないわよ?」
シャルロットはクレハに対し確認するようにそう言った。その言葉に少しきょとんしたクレハだったが、すぐにその表情を笑顔にした。そして何を思ったのか突如笑い出した。
「ちょ、な、何笑ってるのよ!?」
「アッハッハッハ! いや、悪い悪い。何だかんだ優しいんだなって思ってね。それに、人にこうして心配されたことなんてなかったからな。」
「べ、別に優しくはないわよ。死なれちゃ困るから確認しただけだし……」
少し照れたように弁明を重ねるシャルロット。その様子を微笑ましそうにクレハは見ていた。
「アタシが付いていくのは本当に運命が変わったかどうか見るためだよ。この本の持ち主はアタシだしね。それに、こう見えて腕には自信があるんだ。オオカミ程度に引けは取らないよ。」
誇るように胸を張ってそう言うクレハ。実際立派なその胸がたゆんと揺れるその様子を、シャルロットは半ば妬まし気に凝視していた。
「ん? どうした?」
「……別に。」
突然不機嫌になったシャルロットの様子にクレハは困惑していたが、すぐにどうでもいいと判断したようだ。スッと立ち上がるとシャルロットに右手を差し出した。
「え、何?」
「何って、エスコートだよ。この国じゃあ立ち上がる女性の為に手を貸すんだろ? いい習慣だよな。」
シャルロットはクレハのその言葉に思わず幼馴染の姿を重ねてしまう。二人でいる時には必ずレディーファーストと言って手を貸してくれたりする幼馴染の事を思い出した。
「ん……ありがと。」
「どーいたしまして。アタシはしばらくの間この教会にいるからさ。なんかあったらここに来てくれよ。」
「分かったわ。すっかり話し込んじゃったし、私はもう帰るわよ。」
笑顔で手を振るシャルロットに別れを告げてシャルロットは寂れた教会を後にした。手には売り切れだったパイの材料代わりに買ったホットケーキの材料が入った袋がある。辺りはすっかり夕焼けに包まれていて、地味な色合いの街並みは今や茜色の装いを見せていた。道行く人々も仕事帰りが多いのだろうか、疲れたような顔を見せながらもどこか達成感のある表情が多い。
そんな人々の中を歩くシャルロットの表情は、しかしどこか暗い物であった。無言で俯きながら道を行く。考えているのは先ほどの不思議な話である。赤ずきんをかぶった少女が狼に食べられる話。あの話に出てきた狼の事が気にかかるのだ。
(あの話の狼……もしかしたらあの時のバケモノと同じなのかしら。だとしたら、危ないのは本当に私だけ? ルディに狼を何とかしてもらおうとか考えていたけど、お願いしてもいいのかしら……)
十年前にこの街を襲った狼のバケモノ。死体も見つからなかったのでその正体は分かっていない。分かっているのは人並み外れた人外の存在であろうという事、そして多くの人の命を奪ったという事だ。人々の体と心に深い傷を刻んだ当時の事件は、当然シャルロットの心にも、そしてルディの心にも大きな傷を残している。ルディは狩人なのに獲物を仕留める瞬間に手元が震えてしまうのだ。
シャルロットは血が苦手になった。おかげで猟師の仕事は手伝えず、精肉などの調理も避けていた。本当は夕食も自分一人で作ってルディや両親に食べさせたいと考えているのに。
ふと顔を上げて周りを見渡した。街の中心から少し外れたこの場所は、民家が建ち並ぶ静かな場所だ。子供たちだろう、にぎやかな声がどこからか聞こえてくる。まさに平和な日常だ。だが、シャルロットはひしひしと感じていた。自分がその日常から少し外れかかっていることを。内心ではうすうすと分かっていた。外れかけたその運命はもう戻らないことを。
頭を振って内向的な考えを否定する。早く帰ろう。夕焼けの雰囲気も相まって少し感傷的になっているだけだ。早く帰って家族に会えば忘れるはずだ。そう考えたシャルロットは足早に帰路へ着くのだった。
*
街はずれの自宅へ到着したシャルロットは、大きな安心感を得ながら玄関の扉を開いた。
「ただいまー。」
「おぉ、おかえりシャルル。」
シャルロットの言葉に反応したのは父親だった。リビングの暖炉の前で椅子に座っている。シャルロットは買い物袋を台所へ置いてリビングへ向かった。
「遅かったじゃないか、何かあったのかい?」
「ううん。少し話をしていたら遅くなっちゃっただけ。」
「そうか、それならいいんだが……」
年頃の娘を持つ身として父親は心配なのだろう。安心したような顔を見せるその顔は娘想いの父親の顔だった。シャルロットは心配性の父親の姿に苦笑しながら街では得られなかった安心感を得て、心が満たされるの感じた。
だが、続く父親の言葉によって、再びその心はかき乱されることになる。
「なぁ、街ではルディに会わなかったか? 昼頃に分かれてからどこに行ったか分からないんだ。」
――続く