4話目
作者名を少しだけ変えました。
「え……ど、どうして、私の名前……」
「アンタは結構有名人らしいな? 少し街で聞き込みするだけでいろんな話が聞けたよ。まぁ、そんだけ特徴のある見た目なら当然、っていうか、それすらも当然か。だって、主人公なんだからな。」
シャルロットの問いかけに答えているようで答えていない曖昧な返答を返す謎の女性。意味の分からない言葉を連ね立てる。
「ちょっと、私の名前を知ってどうしようって言うんですか? 意味の分からないことも言うし……これ以上付きまとうなら警察呼びますよ?」
それ以外の対応などないとばかりに不信感をあらわにするシャルロット。しかしそれもむべなるかな、目の前の女性は怪しすぎた。先ほどシャルロットに話しかけたときはあからさまな片言であったのに、今現在はまるで母語の如くの流ちょうな言葉遣いだ。なまじ言葉が直接意思を運ぶだけにシャルロットの警戒心は跳ね上がる。
しかし、その警戒心は女性の発する言葉によって驚きに代わることになる。
「怪しむのは仕方ないけど、聞いてくれ。このままだとアンタ、死ぬぞ。」
「……え?」
目の前の女性から発せられた「死」の言葉。先ほどの記憶を引きずるシャルロットにとって、とてもじゃないが無視できるものではなかった。
「どういう、こと……ですか?」
恐る恐ると言った様子で問いかけるシャルロット。その反応に安心したのか、謎の女性は懐から一冊の本を取り出して、それを開いてシャルロットに渡した。
「まずはこの本を読んでくれ。そこまで長くない。頼む、最後までだ。」
身長に様子を伺いながら女性に近づくシャルロット。恐々と受け取った見たこともない装丁の本を受け取り、そこに書かれた文字を目で追っていく。
「――『赤ずきん』?」
*
時を同じくして、黒い森の中。シャルロットの父親を先に帰し、一人罠の様子を伺うルディもまた未知との遭遇を果たすのだった。
それはルディがとある罠を遠くから観察している時だった。常人なら視認すら難しいであろう距離から、ルディは罠に獲物がかかっているかを確認していた。この驚異的な身体能力はルディの猟師としての力量に大きな影響を与えているのである。草むらに身を潜め静かに猟銃に弾を込める。街へ行けばもっと最新式の物は手に入るだろうが、ルディはシャルロットの父親から譲り受けた猟銃を愛用していた。射程距離も長くないマスケットであるが、ルディはその天賦の才の為す業か、獲物の警戒範囲を何となく知ることができた。この位置からならもっと近づける、この距離なら警戒していない。理屈ではない部分でそう感じるのだ。
(この感覚がシャルルにも適用されたら怒られなくても良いんだけど……シャルルもある意味じゃあ得物で間違いないのに。)
少しのよそ事を頭に浮かべて緊張をほぐす。じつは彼女、こうして得物仕留める際には毎回手元が震えてしまう癖がある。ルディ自身それは過去のトラウマが起因するものだろうとは考えていた。しかし、それも過去の事だ。引きずるべきではない。そう自身に言い聞かせて震えを押し込んでいく。ぴたりと照準が一致するような感覚の後、微動だにしない体の中で微かに引き金に掛けた人差し指が折り曲げられた。
引き金に連動し銃口から弾が放たれた。放たれたバックアンドボール弾は空中で分解し、散弾となって得物へ向かう。仕掛けられた餌に向かっていたのは、大きく成長した野ウサギだった。音速を超えて忍び寄る死の弾丸に寸前まで気づく事のない野ウサギは、身の危険を感じ取った瞬間にはその身に芳醇な死を受け入れていた。
短い断末魔を上げて倒れた野ウサギの姿を確認した後、ルディは立ち上がって野ウサギに近寄った。すでに遠目で絶命は確認している。急いで血抜きを始めようとしたその時、今まで感じなかった突然の気配を背後に感じた。急いだ警戒の動きで背後へ振り向くと、そこにはおよそ山中の格好とは思えない不可思議な格好の女性が立っていた。
その女性はとても不思議な雰囲気をまとう女性だった。それは異国風の格好からだけではない。どこかふわふわした印象を抱かせるのに、近づくと切って捨てられそうな危うさをも感じさせる。青みを帯びた黒髪は森の黒々さに溶け込むかのようだ。
謎の女性はふんわりとしたとても魅力的な笑みを浮かべると、深々と腰を折って挨拶をしてきた。
「お初にお目にかかります。私は、アオバと申す者。どうぞ、良しなに。」
木々がはびこるこの黒い森の山中で、何とも異様としか形容できない光景だった。もはや人によっては笑い出しかねない程滑稽である。しかし、ルディはどうしても笑うことができなかった。むしろ冷や汗が止まらない。一刻も早くこの女性から離れろと本能が叫ぶ。
ルディは努めて平静を装った声で返事する。
「……ご丁寧なごあいさつ、ありがとう。それで、貴女のような美しい方がこんな森に何の御用ですか?」
ルディの言葉に女性はコロコロと笑った。その笑いもどこか空寒さを感じさせる空虚なものだ。いよいよ不味いとルディは何とか会話を終わらそうとする。
「えぇっと……美しい人との会話は非常に魅力的なんだけど、申し訳ないが仕事の途中なんだ。後で、街で話したいな。」
「あら、すげないお返事ですこと。でも、確かにお仕事ですねぇ。さっきから見てましたけど、見事なお点前ですわ。さすがオオカミさんなだけはありますね。」
「……はぁ?」
いまいち会話にならない会話に業を煮やし始めるルディ。先ほど感じた恐ろしさなど忘れて女性に背中を見せる。
――それが、如何に愚かな事かも知らないで。
女性に背を向けて先ほどの野ウサギへ足を一歩進ませた瞬間、不意に背中に柔らかな感触と暖かな体温、そして吐き出しそうなほどの怖気を感じた。と同時に、首元にチクッとした鋭い痛みを感じる。まるで針のような痛みだ。
「何をする!」そう声を荒げて憤慨しようとしたルディだったが、その意思が声帯を震わせることはなかった。力が抜けるように膝から崩れ落ち、背後の女性に抱きかかえられる。女性は腕の中に崩れ落ちてきたルディを愛おしそうに抱きしめると、自分よりも大きいルディを軽々と抱え上げた。
「さて、『赤ずきん』ちゃんの方は問題ないでしょう。この子をちゃんとした登場人物にしてあげなくちゃ。」
暗い笑みを浮かべた女性。次の瞬間にはその姿は消えていた。死んだ野ウサギだけが、ただただ孤独に沈黙を語っていた。
*
また場面は変わり街の中。外では何だからと教会の中へ入り、手渡された本を読んでいたシャルロットはただただ黙々とそれを読み進めていた。そこに記されていたのはとある物語だった。『赤ずきん』と記された、とても短い物語。シャルロットはその物語を何度も読み返した。途中、隣に座る女性が話しかけてきたがそれも話半分に聞きながら読み進める。
そして、十回は読み返しただろう。シャルロットはとうとう満足だとばかりに本を閉じて隣に座る女性、クレハに本を返した。疲れたのか、はたまた別の理由か。眉間を揉みこむように顔を俯かせると、ポツリと口を開いた。
「……で、クレハさん、だったわね? この話を私に読ませてどうしようって言う訳?」
「え? 聞いてなかったのか?」
「ごめんなさい。この話を読むのに夢中で……確かにこの話の少女は私によく似てるわ。でも、だから何だというの? これが貴女の創作だって私が割り切ればそれで終わりでしょ? 何故私にこの話を読ませたの?」
詰め寄る表情でクレハに問うシャルロット。クレハはその問いに頷きを一つ返すと、説明を始めた。驚くべき内容を。シャルロットの人生を変える運命の言葉を。
「その本は……その物語は、アンタの未来を表すんだ。『赤ずきん』、シャルロット・デュヴァラを主人公とした物語なんだ。」
「……何ですって?」
――続く