3話目
おはようございます。今朝の分です。
「えっと……あの、間違いです。私は『赤ずきんちゃん』ではないです。」
怪しすぎるその問いかけに、ついつい否定してしまうシャルロット。目の前の女性は、見た目だけはとても美しくこの世離れした雰囲気をまとう人だ。しかし、ここはシャルロットが日常を生きる街の中である。非日常存在はお呼びではない。
(それに間違いじゃないし。私はシャルロット・デュヴァラ。確かに「赤ずきん」って呼ばれることはあるけど、それはあだ名だし。うん、嘘はついていない。)
シャルロットは心の中でそう弁明した。そして目の前の女性はシャルロットの言葉に面食らったようだ。明らかに困惑した様子でシャルロットに対し「え、えと……あの……」と何かを言おうと試みている。
しかし、これ以上の面倒は結構だとばかりにシャルロットは言葉を突きつけるのだった。
「すいませんが、私は用事があるのでこれで失礼します。」
「あっ……!」
まだ何か言いたそうな様子の女性であったが、シャルロットはその様子に頓着せずに立ち去ってしまった。広場には呆気にとられた女性が一人残ってしまっている。
『あっれー、おっかしいなぁ。確かにあの子が「赤ずきん」で間違いないはずなんだけどなぁ……』
女性が呟いたその言葉はシャルロットたちの話す言葉とは別のものだった。ずいぶんと印象が違う。ふと懐から取り出した本を開く。その本はこのあたりの書籍とは装丁から異なる奇妙なものだった。背表紙はなく、糸と紙だけで綴じられた簡素なものである。表紙には大きな文字でこう書かれていた。
――『異本・御伽草子』と。
『うーん、薬は全部飲んだんだけどなぁ。なんで上手く会話できなかったんだ?』
異国の言葉で悩み続ける女性。すると、空から一羽の小鳥がせわしなく羽ばたきをしながら広場の方へつぅっと飛んできた。スズメだ。この街にいる鳥類の多くはハトかカラスなので珍しいだろう。
飛来した一羽のスズメは地面へ降りることなく、そのまま広場でうんうん唸る女性の頭へ着地、いや着頭した。女性はそのスズメに気づくも、別段何もすることはなくなされるがままになっていた。
頭へ着地したスズメは、よく見ると普通のスズメとは違う点があった。首元にきんちゃく袋のような物をぶら下げているのだ。女性は巾着をスズメの首から外すと、袋の口を開いて中からとある物を取り出した。
それは一枚の紙だった。比較的堅そうに見える紙質のその紙片の表面には、びっしりと文字とも模様ともつかない書き込みがなされていた。女性は表面の書き込みを指でなぞると、なんと紙片を耳元へ近づけて話し出したのだ。
『はい、もしもし。タケヒメ? うん、うん。いやぁ、それっぽい子を見つけたんだけど上手く会話できなくてさぁ。え? うん。いや、薬はちゃんと飲んださ。え? はぁ!? 渡し忘れ!? 発声変換が完璧じゃないって……道理で。あ、巾着に入ってるの? りょーかい、もう一回接近してみる。』
そこまで話した女性は紙を耳元から離し、同じように紙の表面を指でなぞった、紙を懐にしまい、もう一度巾着の中身を探る。中から取り出した薬包紙を開いて中身をそのまま口へ流し込んだ。
「ゲホッ、ゲホッ! あー、クソ。水がないときついなぁ。でもこのあたりの水あんまり美味しくないし……」
驚くことに、女性の言葉が変わっていた。それまでの異国の言葉ではなくシャルロットたちの言葉である。先ほど服用した薬が何らかの作用をもたらしたのだろう。女性は頭にスズメを乗せたまま、再び周囲を見回した。
「さぁて、『赤ずきんちゃん』を探しに行きますか。」
* * * * * * * * * *
「本当、何だったのかしら、あの人? 何か私をじろじろ見てたけど……」
祖母へのお見舞いの材料を買った帰り道、シャルロットは街を少し歩いていた。買い物袋を両手に下げて街の外れ、自宅のある方とは逆側の外れへ向かう。森はなく、しかして家屋の少ないこのあたり。まばらな建造物がうら寂しさを感じさせる中、存在感を放つ一棟の建造物が目に入る。
それは、すこし寂れた教会だった。廃屋と言う訳ではないが、周りの建造物よりも手入れは行き届いていない。シャルロットは教会の敷地を囲う柵に沿って回り、一か所だけ設けられた入口から敷地内に入る。教会の脇にはバラバラに墓石が点在していた。お世辞にも綺麗とは言えない状態の物が多い。シャルロットは周囲の墓石には目もくれずズンズンと奥へ進んでいった。すると、そこには周囲の墓石とは明らかに状態の違う綺麗な墓石が二つ、仲良く隣同士並んでいた。
シャルロットは途中の花屋で購入した花束を墓石の前にそれぞれ並べると、そっと瞳を閉じて手を合わせた。
(おじさん、おばさん。お久しぶりです。シャルロットです。あなた達が死んでから、もう十年も経ちました。)
そう、この墓石は、十年前に死んだルディの両親の物だったのだ。二人とも十年前にこの街を謎の狼のバケモノが襲った際の被害者である。母親は自宅で噛み千切られた痕のある死体が、父親は死体こそ見つからなかったものの、別室に大量の血痕が見つかった。
すぐそばに住んでいたシャルロット達だが、当日は偶然にもルディと共に街へ出かけていたのだ。街で買い物を楽しんでいると、遠くで悲鳴が聞こえる。不審に思ったシャルロットの父親が様子を伺いに行くと、明らかに尋常の存在ではないモノがいたのだ。
面食らったシャルロットの父親だったが、すぐに近くのガンショップへ入ると銃を手にバケモノと対峙したのだ。心臓があるらしき場所へ狙いをつけて背後から発砲。バケモノは体に大きな風穴を開けながらも街から退散した。バケモノが去っていった方向、そちらはシャルロットたちの家がある方向だ。慌てた彼は急いで後を追った。シャルロット達もその後を追う。
そして、数分後。自宅へ着いたシャルロット達は父親が家にいないことを知る。必然的に行く先は絞られた。すぐそばにある、ルディの家だ。母親はシャルロットとルディを自宅へ残し様子を伺いに行った。大人しく待つように言われた二人だが、幼い好奇心には勝てなかったようだ。そのころお転婆だったシャルロットもルディに怖気虫と思われたくなかったのだろう。不自然なほど静まり返ったルディの自宅、玄関扉が軋みを上げて開かれた。そぉっと様子を伺う二人。どうやらあのバケモノはいないようだと中へ入る。それが間違いだとは知らないまま。
室内へ入った二人は二階で音が聞こえたのに気が付く。恐る恐る階段を上った先、そこには地獄が広がっていた。一面に飛び散った血の跡、むせ返るほどの死臭。怯えながらも好奇心には抗えず、二人はとうとう扉に手をかけて、そのまま、ノブを、ひねり――――
「――ハッ!」
あの日の様子を思い出していたシャルロットは、無意識に握りしめていた両手を離し、額に浮き出ていた脂汗を拭った。あの日の光景はいまだにシャルロットを苦しめる。直接の被害を受けていないシャルロットですら、だ。
(……あれは、もう、終わった事、でしょ……)
もう一度軽く手を合わせたシャルロットは、荷物を手に取り墓場を後にした。いや、後にしようとして立ち止まった。後にしようと振り返った視線の先、そこに先ほど見たばかりの赤色がいたからだ。
「え……」
「さぁて、今度こそは言い逃れはさせねぇよ。『赤ずきん』こと、シャルロット・デュヴァラ?」
墓場に寒々しい風が吹き抜ける。
――続く