13話目
鬼達が狂乱の宴を刀で交わし合うすぐそばで、シャルロットはひとり座り込んで呆然としていた。何処を見るとでもなく、ただ虚空を力ない瞳で見つめている。
考えているのはこれまでの事だ。何故こうなった、どうして自分がこんな目に? 非日常を願ったわけではない。むしろ、あの懐かしい日常が続く事を切に願っていた。ただそれだけなのに。
隣を見ると、非日常の権化たちが凄絶な笑い声で殺しあいをしている。なんとも現実味のないその光景は、もはや命の危機だとかを感じられないほどに日常を突き抜けたものだった。まるで、ベッドで目覚めたら窓の外が戦場だったかのような、静けさと騒がしさのミスマッチ。
シャルロットは考え始めた。私は、一体これからどうすべきなのだろうかと。不意に思い出すのはクレハの見せてくれた一冊の本。そこに記されていたとある少女の物語だ。
「……そっか。私は、『赤ずきん』、なのよね……」
誰に言うともなく、ポソリとそう呟いた。しかし、そのつぶやきを聞いたのかどうかは分からないが、シャルロットから少し離れた場所で倒れ伏している狼のバケモノ、ルディが微かにうめき声を上げた。苦しそうな、漏れ出たようなうめき声だった。
そのうめき声につられてシャルロットはそちらの方向を注視した。視線の先にいるのは、もはやいろいろな意味で見る影もなくなったルディだ。そして唐突にある考えが去来する。
(あぁ……狼があそこにいるじゃない。行かなくちゃ……)
ゆっくりとした動きでシャルロットが立ち上がる。力の入らない膝に、無理やり力を入れて立ち上がった。思わずふらりとよろけたものの、何とか両足で堪える。そのまま力のない動きでシャルロットはルディの下へ歩き出した。一歩、一歩。また一歩。徐々にその距離は縮まっていく。先ほどまでは遠くて聞こえなかったが、ルディはどうやら苦し気な呼吸を続けていたようだ。
それを見たシャルロットはおもむろに首の後ろの赤いフードを頭に掛けた。これで正真正銘の「赤ずきん」である。そしてうつむいた表情をそのままに、シャルロットは小さく口を開いたのだった。
「……ねぇ、ルディ?」
*
クレハはアオバと戦っていた。思いがけない対等の敵が現れ、久々に心躍る戦いを楽しんでいた。彼女は元来戦いを好む性格だった。全身の赤の紋様と燃えるような紅蓮の長髪。そしてその怪力無比な戦いから付いた名前が「血涙童子」だった。
しかし、こうして一度一つの事に取り組むと周りが見えなくなってしまう事が彼女の欠点であった。現に今も目の前の戦いに集中しきっていたのだから。
だからだろう。クレハはシャルロットが倒れ伏す狼のバケモノ、ルディのすぐそばまで近づいていたことに、今この瞬間まで気づかなかったのだ。
「――! シャ、シャルロット!? 待て、そいつに近寄っちゃダメだ!!」
クレハが声を大にして叫ぶ。ここから見えるシャルロットの姿は赤いフードを被った、まさに「赤ずきん」そのものの姿だった。
(マズイ、覚醒か!? この局面で……!? クソッ、早く止めないと!)
急いでシャルロットの下へ向かおうとするクレハ。しかし、目の前に立ちはだかる影があった。アオバだ。彼女は不敵な笑みを浮かべると、今までの攻撃とは比較にならないほどの猛攻をクレハに仕掛けてきた。
「退きやがれ、畜生が!!」
「フフフ! そう言われて退くと思いますか!? ここが私の正念場です! さぁ、一人の少女が己の運命を遂げるその姿、大人しく見守りましょう!」
「ふざけんじゃねぇ! クソ、退けよ!」
しかしアオバの猛攻は苛烈極まりなく、さしものクレハも防戦一方だった。そしてそうこうする内にシャルロットがぽつぽつと口を開いて話し始めるのだった。
――物語を進めてしまう、その言葉を。
「ねぇ、ルディ? どうしてあなたの手はそんなに大きいのかしら?」
シャルロットは一歩ルディに近づいてそう言った。折れた右腕、傷だらけの左手はもはや力なく動こうとしない。
「ねぇ、ルディ? どうしてあなたの足はそんなに大きいのかしら?」
もう一歩近づいてそう語る。ルディはまだ反応しない。ルディの足は今や太く強靭で、シャルロットが同性ながら憧れていたスラリとしたあの面影は皆無である。
「ねぇ、ルディ? どうしてあなたの耳はそんなに大きいのかしら?」
「止めろ、シャルロット!! それ以上はダメだ!!」
遠くからクレハがそう叫んだ。しかし、声は届くものの身体は向かえない。アオバの捨て身の猛攻を抜くことができずにいるのだ。
クレハの叫びにシャルロットの歩みが一瞬ピタッと止まった。しかし、シャルロットは決して歩みを止めようとはしなかった。彼女は先ほど見てしまったのだ。自身の呼びかけに対し、ルディの耳がピクリと反応したのを。だからシャルロットは、赤ずきんは言葉を止めない。
また一歩、シャルロットはルディに近づいた。二人の距離はすでに数メートルほどにまで縮まっている。すると、満身創痍の狼のバケモノ、ルディが地面に肘をついて上体を持ち上げた。左腕と腹筋のみで持ち上げられた状態はフラフラと安定せず、その体中の傷と相まって今にも倒れてしまいそうである。
シャルロットはその間にもどんどんルディの下へ近づいていった。すでに両者の距離は一メートルもなく、手を伸ばせば触れられそうな、まるでベッドのそばで語り合っているかのような距離だった。
「ねぇ、ルディ? どうしてあなたの目はそんなに大きいのかしら?」
(あぁ……もうダメだ……)
クレハは心の中であきらめの言葉を口にした。いくらあの狼のバケモノ、ルディはクレハ自身が瀕死の状態に追いやったとしても、あの距離でシャルロット相手ならば容易に命を奪えるだろう。それに、シャルロット自身もはや物語の登場人物そのものである。ならば、待ち受ける運命はただ一つ。
――悪いオオカミに食べられて、おしまい。
「――ッ! シャルロット!!」
クレハは万感の思いを込めて叫びをあげた。自分は、また救えなかったのか。こうなる運命を事前に知りながら、またも一人の人間の命すら守れなかったのか。運命に抗う事が、出来なかったのか。無念と後悔と、そして諦めきれない激情を言葉に乗せてクレハは叫びをあげたのだ。
しかし、その叫びはシャルロットに届いたのかどうか。彼女はルディの横に膝をつくと、その醜いバケモノの顔を正面に見据え、静かに口を開いた。
「……ねぇ、ルディ? どうして……どうしてあなたは、泣いているのよ……!?」
「……え?」
クレハが拍子抜けしたような疑問の声を上げた。シャルロットの言葉につられてルディの瞳を見ると、確かにその青い瞳からは涙が流れているのだった。
シャルロットが口にした言葉は、その場にある二冊の魔導書には記されていないシナリオ外れの言葉だった。本当なら赤ずきんは狼のその口の大きさを指摘するはずであり、それに答えた狼が赤ずきんを食べてしまう。それで物語が終わるはずだった。
しかし、シャルロットは狼の流す涙に疑問し、あろう事かそのまま狼の身体をかき抱いた。オオカミの流す血に自分の服が染まるのを厭わず、そして狼が抱きしめられる痛みに呻くのも気にせずに、ただただ強く強く抱きしめていた。
――続く




