11話目
不意に横から聞こえてきた声に驚いて、シャルロットはそちらの方向を向く。そこにはいつの間にいたのか、一人の女性が立っていた。見たこともない服装のとてもきれいな女性である。彼女はまたもシャルロットが見たこともない服を着ていた。しかしそれはクレハが着ているような物とは違うものであった。
(誰よこの人……いつの間に横に? それにさっき、何て言ったの?)
「ちょっと、どちら様ですか?」
不信感をあらわに、シャルロットは女性へ声をかけた。少し棘を含む声色になっていたのも仕方ないだろう。
しかしその女性はシャルロットの態度に一切の不快感も示さず、シャルロットの方へ向き直ると腰を直角に曲げる最敬礼の態度で挨拶を述べ始めた。
「紹介が遅れまして申し訳ありません。私、アオバと申す者です。以後、お見知りおきを。」
「あっそ、私はシャルロットよ。ここら辺は危ないから早くどっか行った方がいいわよ。」
女性の丁寧な態度も意に介さず、シャルロットは暗に立ち去れと言うつっけんどんな姿勢を崩さない。目の前の女性が怪しいから関わり合いになりたくないというのが彼女の心の大半を占めているのだが、本当にその女性を案じる気持ちもあった。
しかし、女性はその真意を読み取れないのか読み取らないのか、同じく意にも介さない様子でその場にとどまっていた。ニコニコと笑みを浮かべるばかりである。そしてその笑みの形の口から驚くべき言葉を発するのだった。
「大丈夫ですよ。まだそんな場面ではありませんから。あなただってわかっているのでしょう? ねぇ、『赤ずきん』さん?」
「――ッ!?」
ズザッという大きな音を立てて、シャルロットは慌てて女性から距離を取った。油断ない眼差しで女性を睨みつける。女性の発した言葉はそれほどまでに警戒を促すものだった。
「……あなた、何者? なんで私の事知っているの? それに『物語』って……一体何を知っているって言うの?」
「あら? クレハから聞いていないのですか? しょうがないですね、あの子は。赤ずきんさん、私、『センサー』と言う組織に所属しております。」
アオバが語った驚愕の言葉。彼女はセンサーに所属する者だと言う。その言葉にシャルロットの記憶が刺激された。
「あなた……! ルディを連れ去った連中ね!? あの子を何処へやったの!? 答えなさいよ!」
シャルロットが激しい剣幕で問い詰めた。突如消え去ったルディ、そしてクレハの推測。ルディを連れ去ったのはセンサーではないかと言う推測。証拠もなく、あくまで推測である。だが、シャルロットの中で既にそれは確定事項だった。
シャルロットの問い詰めにアオバはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべるだけで何も答えない。その笑みがシャルロットの神経を逆なでするのだった。
「……ッ! 何か、答えなさいよッ!」
「おぉ、怖い怖い。そうですねぇ……では、あなたが『狼のバケモノ』と呼ぶ物の正体、なんていかがですか?」
「あんなバケモノに興味なんてないわ。」
即座にそう斬り捨てるシャルロット。視線はアオバから外さない。シャルロットにとって、かつて街を襲い、今自分たちの邪魔をするものの存在などはどうでも良いのだ。
だが、その感情はすぐに変貌することになる。
「あらあら、ひどい言い草ですね。仮にも幼馴染なんでしょう? あのルディって子は。」
「ど……どういう事よ……? なんでここであの子の名前が出てくる訳……?」
アオバの言葉にシャルロットの頭は混乱に満たされた。自分の言葉とアオバの返答が噛み合わない。いや、噛み合わないと思い込んでいる。自分の中の何かが囁くのだ。あのバケモノの正体を。
(……嫌。信じられない、信じたくない! なんでこんなこと考えるの? ありえないわ、そんなはずない。嘘よ……なんで――)
「――なんで、あのバケモノの事、ルディだって思うのよ……」
「あらぁ? 分かっているじゃあありませんか。」
三日月のようないやらしい笑みを浮かべて、アオバは笑った。シャルロットはストンと座り込むと、顔を俯かせて呆然としている。しかし、アオバはそんなシャルロットに構わず、自身の組織が得た情報を話し続けていくのだった。
ルディ・ヴォルフガングは、実は人間ではなかった。彼女は「人狼」と呼ばれる異形の一族だった。だが、彼女自身そのことは両親から知らされていなかったのだ。一族の慣例として、15を迎えた初めての満月の日にその事実を知らされることになっていたからだ。
そして運命のあの日、街に現れたあのバケモノの正体はルディの父親だったのだ。彼は何らかの要因で自らの中の人狼を抑えきれなくなり暴走した。一番近くにいた妻を食い殺すと、さらなる得物を求めて街へと繰りだしたのだ。それがあの日の真実。知らない方が良い事もあると言うのに、無慈悲にも突きつけられた真実はシャルロットの心を切り刻む。
「昼間、ルディさんを攫ったのは私です。あの子を気絶させて、人狼として覚醒させてあげました。」
「なんで!? なんでそんなことするのよ!! 私に、何の恨みがあるの……?」
シャルロットが崩れ落ちるような声で問いかけた。シャルロット自身、「センサー」と呼ばれる組織とは何のかかわりもない。数時間前にその言葉を聞くまでその存在すら知らなかったのだ。
その問いかけを受けて、アオバは理解できないと言わんばかりの表情で言葉を返した。
「え? 恨みなんてありませんよ。私たちの目的はただ一つ、物語の正常な進行です。」
「そのためなら人の幼馴染を、バケモノに変えるって言うの!? この、人でなし……あなたの方がよっぽどバケモノだわ!」
両目から涙を流して叫ぶシャルロット。その叫びを聞いたアオバはどこか悲し気な瞳をしながらも、変わらない笑みで答えるのだった。
「仰る通り……私は、ひどい鬼ですから。正しき物語を望む、『センサー』の一員。『藍鬼・落涙童子・青葉』と申します。」
その時、シャルロットの背後の森から轟音と共に何かが飛んできた。その音に驚いたシャルロットが振り向くと、花畑を深く抉って地面に狼のバケモノが倒れ伏していた。右腕があらぬ方向へ折れ曲がっている。体中満身創痍の様相で、もはや虫の息だろう。
「ルディ!!」
「あーあー、本当に容赦がない……さすがは『血涙童子』と言った所ですかね。」
シャルロットは倒れ伏す狼のバケモノ、ルディの下へ駆け寄ろうと立ち上がった。ふらつく足で動く。だが、その歩みを止める者がいた。
クレハだ。森から走ってきたクレハは狼のバケモノに近寄ろうとするのを見て、大慌てでシャルロットを止める。
「お、おいおい! 何やってんだ、危ないだろ!」
「離して! あの子の下へ行かせて!」
「あの子って、どういう事だ……? 落ち着けって!」
クレハの必死の言葉にシャルロットは抵抗を止めた。そして限界だと言わんばかりに、大きな声で泣き出してしまったのだ。
クレハが何かを悟ったように、ハッとしたような表情になった。そして花畑の中でこちらを見て微笑む人影に気が付くと、煮えたぎる怒りを隠そうとせず怒りの声を上げた。
「てめぇ……青葉ァッ!!」
「……久しぶりですね、紅葉。」
「てめぇがここにいるって事は、あの狼、お前らの手先か!?」
「手先ではないですね。強いて言うなら協力者って言うところですか。」
拉致の開かない問答に、クレハが苛立ちを如実に態度で表した。すると、泣き止んだシャルロットが涙声でクレハに話しかける。
「あの狼……あれは、ルディなのよ……」
「ど、どういう事だ……?」
「ルディは、人間じゃなかったのよ……あの人が言うには、『人狼』だって……昼間にルディを攫って、それで、それで……!」
「もういい。休んでろ。」
クレハはシャルロットを座らせると、改めてアオバに向き直った。明らかに因縁がある様子である。クレハは怒りの表情を、アオバは変わらない笑みをお互い向けあっていた。
「おい、説明しろよ。一体何をしやがった、あぁ?」
「んー、相変わらず怖いですねぇ、紅葉は。そんなんだから村の人たちに怖がられてたんですよ?」
「黙れッ!! いったいあの狼……シャルロットの幼馴染に何をしやがったんだ!?」
――続く