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住宅建築家の最後に見た夢

作者: 月岡 昶

 1

 大正十四年一月二十二日付の新聞を、楠瀬拓郎は机の上で広げた。日本初の住宅専門建築会社、あめりかんホームの技師長室だった。十七日に、星新三の建築に対して拓郎が載せた批判に対して、星が反論してきたのだ。拓郎は、椅子に深く身体を沈め、星の文章を反芻した。星の文章の激しさによって、拓郎の魂は打ちのめされた。

 建築界において、星の名前はすでに鳴り響いていた。星は大学卒業論文で建築界の大ボスをこき下ろしたことでまず名前を売ったが、最近では、大建築家、フランクロイドライトの弟子としてますます名前を馳せていた。二人のコンビは、日比谷に帝国ホテルを、目白には自由学園を、と次々と傑作を世に送り出している。その自由学園のクリスマスパーティーに、従兄の忠臣と出かけたことが、そもそもの発端だった。

 早稲田大学理学部の重鎮である忠臣は、娘の啓子を自由学園に通わせていたのだ。

 自由学園は、拓郎と忠臣が通う、麹町区の富士見町教会の長老、羽仁夫妻の設立した学校だった。実は星も同じ教会の信徒であり、羽仁夫妻は星を通じてライトに学園の設計を依頼したのだった。

 忠臣と並んで学園の前に立ち、建築と初めて向きあうと、拓郎の口からは、自然とため息が漏れた。正面の講堂から、前庭を抱きかかえるようにして、コの字型に両翼部分が伸びている。建物の向こうには、雪雲の合間に青空が広がっていて、まるで、この場所にだけ、周囲の日本家屋とは別世界の外国が広がっているように見えた。大谷石を多く使った建物のデザインは、帝国ホテルによく似ていた。悔しかったが、これほど完成された一つの世界を築き上げている建築を、拓郎は今まで見たことがなかった。

 講堂に入ると、さらに拓郎は目を見張った。天井に届くほどの高い窓が並び、幾何学的な美しいデザインで内部が見事に統一されている。窓を背にしてステージが作られていて、いましも生徒達が合唱を始めるところだった。拓郎は、ステージの反対側の、赤々と燃える暖炉の前に忠臣と並んで立った。

 忠臣が啓子の姿を見つけ、誇らしげな笑みを顔に浮かべた。すぐに、指揮者役の生徒があらわれ、厳かに讃美歌の合唱が始まった。

 拓郎は振り返り、暖炉の上部の、奥まったところにある食堂を仰ぎ見た。そこで啓子達は、いつも昼食を取るらしい。しかし……、拓郎の心にふと疑問が浮かんだ。しかし、この厳かな空間で取る食事は、本当に美味しいのだろうか。ホテルのように、ナイフとフォークが供されての食事と聞いていたが、啓子達は、それを本当に楽しんでいるのだろうか。

 拓郎は、忠臣に会釈をすると、早々に講堂の外に出た。振り返ると、うっすらと雪の積もった緑色の屋根が見えた。その屋根の下、拓郎の周りじゅうが全て、ライトと星のデザインで埋めつくされた世界だった。ただ雪だけが、自然の力によって偶然できた景色を、この場に加えている。もし雪がなければ、窮屈なほど統一された世界が身の回りに広がっているわけで、それを想像すると拓郎は寒々とした心持になった。

 拓郎は、自分の疑問を広く世間に投げかけることを目的に、朝日新聞に、「建築と宿命 星新三氏とライト氏の建築をみて」と題する感想を寄せることとした。

 一月十七日に、拓郎の感想は新聞に載った。拙郎は、星とライトの建築について、「名刀の切れ味を思わせるような、自由無碍なその平面の組み立てから、特異な構造、明快な意匠まで、そこに全然新しい型を完成している……。さらに家具その他建築全体にわたってぬきさしの出来ない見事な統一を形作っている」と、まずは率直に認めた。そして、そのあとで自分の疑問をぶつけた。「しかし、氏らの建築は隅々まであまりに氏らの理知と享楽が行きわたっている……。市井の家具屋で非常に愛すべき一個の卓子を発見しても、氏らの建築には、それを置くことは許されない。私は建築に於いてはそれが住む人によって次第に成長させられ、完成されて行くものであるということを信ずる……。統一された氏らの建築はそれ等のものに対して全然適応性を持たない……。そこに氏らの確信があろう。けれどもそれは、自由を愛する人の心にとって、あまりに残酷ではあるまいか」と批判したのだった。

 十九日は日曜だったので、いつものように拓郎は、忠臣家族と富士見町教会に赴いた。

 礼拝堂の最前列に、羽仁夫妻と並んで星の姿が見えた。星のトレードマークの、櫛も通していないような長髪と皮の上着姿だった。

 南牧師の説教が始まったが、しだいに説教が上の空になり、拓郎は自分の考えに浸りはじめた。今回の自分の行動を省みて、後ろめたいことは何もない。しかし……、いつもは表立ったことを嫌う自分が、なぜ今度だけは、世間を騒がすようなことをしたのだろう……。それは自分でも不思議だった。いつもだったら、自分の気にいらぬものは、ただ無視するだけだった。今度は、なぜか一言言わずにはいられなくなったのだ。

 相手が星だからかもしれなかった。同じ教会だからというだけでなく、なぜか気になる存在だった。同じように、建築界の中心には背を向けるような立場を取っている。しかし、中庸な建築を丹念に造り続けることを良しとする自分と違って、星は建築界を揺るがすような新奇な建築を次々と生みだし続けている。  

 嫉妬? ふと拙郎は、自分でも認めたくない考えに思い至った。目立たないように生きてきた自分も、実は心のどこかで、人から脚光を浴びたいという欲が、心の奥底にあるのかもしれなかった。

 説教が終わったらしかった。星の長靴の音が床に響く。咄嗟に拓郎は身がまえた。拓郎も土佐の男だった。ここで論争が始まるとしても、それを受けて立つ気構えはあった。

 しかし、星は、見事なまでに拓郎を無視し、通りすぎていった。拓郎は呆気に取られたが、その一方で自分のことを一顧だにしない態度に、怒りと落胆を覚えた。

 しかし、星は、二十日から猛然と反撃をしかけてきたのだった。拓郎が載せたのと同じ朝日新聞に、二十日、二十一日、二十二日の三日間に渡って反論を展開した。

 まず星は、拓郎の述べた「住み手の自由を奪っている」という主張に対して、「私が自然と人間に立脚してつくった建築が自由を奪っているというが、人は漫然と物を見、漫然と物を買っておるのだ。その人達に、私が建築によってそれだけでも目を開き得たということを、即ち建築の力であり、建築の手柄でなくて何だろうか」と反論してきた。

 さらに星の攻撃は拓郎の勤めるあめりかんホームにも向けられた。

「何でも持ちこめる建築、自然を浅く見、人生を軽くみて、何のプリンシプルもなく、何の見識もなく造られたる建築、君のあめりかんホームの仕事こそ、自然と、その中なる生活とに対して、憎むべき冒涜である」とまで批判したのだった。


「分かっていないな、星さんは」

 拓郎は、瞑っていた目を開くと、自分の机の周りに集まる、憤慨した表情の技師達を見回した。洋風住宅の会社だけあり、皆、趣味の良いシャツとネクタイを身につけている。拓郎は、何か説明してやらなくてはならないと思って、椅子に座ったまま、自分の意見を語り始めた。

「星さんの設計の姿勢は、まず自分自身の独自の思想を展開し、その思想の証として建築全体にわたる一貫したデザインを追求する。星さんは自分を生かした建築家と言えるかもしれない。しかし、その半面、創ることを尊重するあまり住み手を軽んじているようにも見える……」

 多くの所員は頷いた。高島四朗だけは気まずそうな顔をしている。高島は、あめりかんホームでは珍しい、ライトや星の信望者なのだ。髪まで星をまねて長髪にしている。拓郎は話を続けた。

「それに対して、私は違う。私の姿勢は、自分自身の主義主張を抑えつつ、住み手の個性を解読してあくまでも『住みやすさ』を求めて設計を行おうとするものだ。ある意味、私は自分を殺した建築家と言えるかもしれない。あるいは、住む人を尊重するあまり創ることを軽んじているように見えるのかもしれないね……。しかし、どちらが良いということも言えない。ただお互いに立つ位置が違いすぎて、相手が全く理解できないだけだ。まあ、お互い、自分が信ずる道を歩み続けるしかないね……」

 最後に、拓郎は、目の合った高島に声をかけた。

「別に、ライト式でも良いんだ。それを否定するわけではない。しかしデザインのためのデザインではいけないよ。あくまでも、施主の希望に沿って、施主の住みやすさを第一に考えるのがあめりかんホームの住宅だ。それさえ守っていれば、その住宅は、あめりかんホームの住宅と言えるんだ。俺はお前のことを信頼している」

 拓郎は立ち上がり、高島の肩を優しく掴んだ。高島は無言で頷く。拓郎は、

「橋下社主の部屋に行ってくる」

 と、技師達に言って、技師長室を出た。あめりかんホームを面と向かって批判されたからには、事の顛末を社主に説明しないわけにはいかなかった。このところ、健康を害して休みがちの橋下も、今日は会社に来ていると聞いていた。拓郎は、廊下を歩きながら、身体の弱った社主の気持ちを刺激しないように説明するにはどう言ったらいいか、あれこれと考えを巡らせた。


 橋下社主に説明を終えると、拓郎は、その日は早引きすることとして、高田町千登勢町の自宅に帰った。

 拓郎は、自宅のサンルームで、籐椅子に腰かけながら、庭を眺めた。まだ薄日が射している。数日前の雪がまだそこかしこに残っていた。ここでコーヒーを飲みながら蓮を眺めるのが夏の楽しみなのだが、その池にも、氷が張っている。

 この家は、「日本初めての住宅建築家になる」と思い定めていた拓郎が、矢も楯もたまらず建てた自邸だった。自分でも良い家だと思っている。形だけ西洋式の建築をまねたのではなかった。例えばサンルームの窓も、全て、日本式の引き戸だった。西洋式の上げ下げ窓では、結局はいつも窓の半分は開いていない訳で、蒸し暑い日本では合理的ではなかった。開けるときには全て開放することができる引き戸が良いに決まっている。

 拓郎は立ち上がった。サンルームの奥には暖炉のあるリビングルームが続き、そのまた奥には食堂が見えている。拓郎自らが選んだ気に入りの家具が並び、居心地の良い空間を形作っている。寒くなってきたので、暖炉に火を起こそうと思ったのだ。

 ほとんどの部屋が、椅子式の生活に便利な洋風の設えだった。拓郎は、何気なく、自慢の壁を触った。西洋風の部屋にも関わらず、柱を塗りこんだ「大壁」でなく、和風住宅のように柱を表に出した「真壁」だった。これも拓郎の工夫だった。日本のように湿度が高い風土においては、柱を壁に塗りこんでしまうと、湿気のせいで柱が腐ってしまうのだ。

 暖炉のマントルピースの上に飾られている額が自然に目に入った。

 大正十年、自邸が建った時の、東京日日新聞の記事だった。震災の年までいた女中のキヨが、額に入れてくれたのだ。自然に目が文章を追い始める。

「……、この現今の状況に鑑みて、日本の材料を用い在来の日本式建築方法に依って住居改善の実を上げんものと、早稲田大学工学士建築技師長楠瀬拓郎氏は苦心の結果新しい構造の家を実験的に自己の住居として、高田町千登勢町一番地へ建てつい此の程落成した」

 拓郎はサンルームの丸テーブルの上からコーヒーカップを持ってくると、続きの文章を読み始めた。

「設計建築者楠瀬拓郎氏は語る……。建築界の趨勢は次第に洋式建築に赴いて行くが、金を惜しまない人には純洋風も結構だが、中流生活者にとっては、第一に費用が問題になるし、また従前純日本式家屋にいたのが急に純洋式に変更するには、微細な点には不自由を感じないとも限らない。私が最も苦心をしたのはなるべく安価にというのであって、そうするためには日本の材料及び日本の工事方法を捨てないで効果を得るようにと意を用いた。つまり最小の費用で最大の効果を得るようにというのである……」

 しだいに拓郎は、新聞に記事が出たことを自分のことのように喜び、また誇らしげにしていたキヨのことを思いだしていた。顔の広い忠臣のつてで、北陸の金沢から来た、色の真っ白な黒目がちな少女だった。

 拓郎は、自分が新聞に載った日、少女に向かって、大人げないほど熱を持って語ったことまで思い出した。

「見ていなさい、キヨ。俺はこの形式の住宅を、日本中に広めて見せる。橋下社主の理想とは意見が異なる。橋下社主は、西洋館をそのまま日本に導入しようとしている。でも、それはもう古い。今は、俺があめりかんホームの技師長だ。これから、この方式を、あめりかんホーム式住宅として、大々的に売り出してやる……」

「フッ」 

 ここで、拓郎は現実に戻って、ため息をついた。実際は、自分が技師長になったからといっても、全てのあめりかんホームの設計を、自分の思うどおりにするわけにいかなかったのだ。現実に、今でも会社のカタログに載っている通り、上級中級の建築は、概ね従来の西洋式の住宅だった。自分が発案した「あめりかんホーム式住宅」は、あめりかんホームでも最も廉価な等級の住宅でしかなかったし、なおかつ、あまり売れ行きが良いとは言えなかったのだ。

 2

 翌大正十五年、拓郎のもとに、大連の浜田家から貴子が嫁いできた。昨年の、建築界でも「拓新論争」と有名になったほどの事件は、拓郎の心身両面をひどく疲弊させた。その後の気持ちの晴れない拓郎の姿を見かねたのか、忠臣が奔走して話を纏めてくれたのだった。

 式はもちろん、富士見町教会で行われた。南牧師のもとで、厳粛に式は執り行われ、無事に終わった。

 拓郎は、忠臣と共に、貴子を車に乗せ、高田町千登世町の我が家へと向かった。教会の前の道を通って、外堀に掛る橋に差し掛かる時、突然、貴子が声を出した。

「まあ、きれい!」

 ここで視界が急に開け、外堀の桜が目の前に広がるのだった。拓郎は車を止めさせ、貴子に満足のいくまで桜を見させた。

「大連にも桜はありますが、やはり何と言っても、桜は日本で見るのが一番ですね」

 弾んだ声で、貴子が話しかけてきた。拓郎が口を開こうとした時、突然、忠臣が口を挟んだ。

「ちょっと降りてみないか、拓ちゃん」

 どこか思わせぶりな表情をして、忠臣が先に立ってタクシーを降りた。

「私は大連に行ったことはないけれど、立派な建築が立ち並んでいるとか……」

 忠臣は、白いドレス姿の貴子に訊ねた。

「ええ、それはもう。街の立派さは、東京より大連の方が勝っていると思います」

 貴子は、外堀の向こうの神楽坂の街並みを見ながら答えた。

「大広場の周りに大きな建築の建ち並ぶ様は、お二人にもお見せしたいです。レンガ造りの大連警察署、その隣は英国領事館、そしてヤマトホテル……、横浜正金銀行の建物も頭に丸屋根を載せたタイル張りの素敵な建物で……」

 忠臣は、笑顔で頷いていたが、急に拓郎に話を振ってきた。

「ところで拓ちゃん、この場所をどう思う?」

 拓郎はわけが分からず、周りを見回した。昔、牛込御門があった場所だった。目の前には宮内庁が所有している空き地があり、その向こうにはヨーロッパ風の美しい塔を持つ逓信博物館が建っている。「どうって……、いつもお御堂に行くたびに往復する場所ですから、なんとも……」

 拓郎が答えると忠臣は口元に笑みを浮かべ、

「いずれ、この場所が、拓ちゃんに取ってかけがえのない場所になるかもしれん。今は何も言えないがな……」

 とだけ言って、ただ辺りを見回している。

 やがて、忠臣は貴子に言った。

「いずれ、拓郎は、大連の建築にも負けない物を作りますよ」

 忠臣は、また唐突に拓郎達二人を車に乗りこませた。車は外堀を渡ると市電と並行して走り、面影橋から坂を上った。金上院の門前を通った辺りで、拓郎は車を止めさせた。午後の陽ざしを浴びて、拓郎の家の赤い瓦の急勾配の屋根が輝いていた。

 車を先に降りた忠臣は気を効かせたつもりか、そそくさと、地続きの自分の家へと帰って行った。

 ゆっくりと車を降りた貴子は、真剣なまなざしで家を見つめている。やがて、ブーケを持った手を後手に組み、静かに貴子は歩き出した。垣根にそって、一回りし始めたのだ。拓郎も、その後についていった。車は静かに走り去った。

 貴子は、坂を少し上って、家全体が見渡せる場所で立ち止まった。

「これが、私達の暮らす家ですね」

 貴子は、振り返って拓郎を見た。

「そうだよ。君と僕とが暮らす家だ。どうだい?」

 拓郎は、少し不安に思った。大連の豪壮な建築に比べて、自分の設計した家がつまらないものに見えるのだろうか。

「素敵です。その……、可愛らしい家ですわ。この家を第一歩に、私が盛りたててまいりますので、どんどん立派な家にしてゆきましょう……」

 貴子は、そう答えると、笑みを顔に浮かべた。

「そして、いつか、レンガの家に住みましょう。大連の警察署くらいの大きな家に」

 貴子は、そのまま拓郎の手を取った。拓郎は一瞬複雑な思いが頭によぎったが、その手を握り返した。

 拓郎には「大きな家」という言葉には、ある思い出があったのだ。


「まあ、コーヒーでもどうだ?」

 拓郎設計の忠臣邸で、カーディガン姿の忠臣が電気コーヒー器を操作し始めた。昭和二年秋のある日のことだった。電気学会の重鎮、忠臣は、自邸に様々な電気器具を入れ、人からは、「電気の館」と言われているほどだった。

 拓郎は、少し身がまえた。忠臣が自らコーヒーを入れてくれる時は、何か重大がことを話したがっている時なのだ。

「拓ちゃんは、俺達のお御堂をどう思う? 少しみすぼらしいと思わんか?」

 忠臣は、カップにコーヒーを注ぎながら話しはじめた。

「それはそうですが……、しかたありません。震災後、急ごしらえで作られた建築ですから」

 忠臣は静かにカップに口を付けながら頷く。

「ところで拓ちゃん、結婚式の日に桜を見た、あの場所、あそこをどう思う」

 また唐突に忠臣は話題を変えてきた。

「良い場所ですね。見晴らしも良く、お濠を見渡せます。春には桜が綺麗だ。日当たりも良い」

 拓郎は、結婚式の日を思い起こしながらコーヒーを口に含んだ。次の瞬間、忠臣が重々しい口調で言った。

「あそこに、俺達のお御堂を作る。設計は、拓ちゃんだ」

 思わず、拓郎は、口の中に残っていたコーヒーを吐きだした。

「私がですか?」

「そうだ、拓ちゃんだ。どうだ。自信がないか? 実はな、以前から教会の長老達は建て直すことを考えていて、あの土地に目をつけていたんだ。南牧師の後任に来ていただいた三吉牧師も本格的な礼拝堂を建てたいと希望されてね。建設計画にあたる長老として、鵜沢さんと、俺が選ばれたんだ。羽仁さん達でなくて良かった。羽仁さん達が選ばれたら贔屓にしている星さんに仕事を頼むことになっただろう。設計を任せる建築家を選ぶのは俺に任された。さあ、どうだ、俺は拓ちゃんにやってもらいたい」

 忠臣は、いつもの柔和な眼差しとは違う、厳しい目で、じっと拓郎を見つめた。

 さすがに、拓郎は即答しかねた。もちろんやってみたいのは山々だった。自分の教会を設計できるとは光栄だし、それに、貴子も望む「大きな建築」、それは実は前々から造ってみたかったのだ。緊張で声が出にくかったが、拓郎は訊ねてみた。

「木造で良いのでしょうか?」

 忠臣は、なおも拓郎の顔を見つめ続けたが、やがてゆっくりと首を横に振った。

「いや、だめだ。コンクリートだ。それは俺がもう決定した。震災で皆分かっているはずだ、木造では燃える、レンガでは崩れる。結局は、地震の多い日本にはコンクリートが一番良いんだ。」

「おっしゃるのはもっともです……、しかし私はコンクリートはやったことがありませんし……」

 拓郎はそう言わざるを得なかった。これまで住宅一筋でやってきた拓郎だった。木造以外の工法の経験は乏しい。忠臣は軽く鼻を鳴らして、拓郎の言葉を遮った。

「しかしな、拓ちゃん。それは皆同じだろう。帝大でも、高等工業学校でも、我が早稲田でも、コンクリート造の講義は、始まってまだ間がないそうじゃないか。それに、あの星さんだって、コンクリートは、まだあまりやっていない。お前がそれを成し遂げれば、一歩先んじることができ」

 その一言は、拓郎の心に刺さった。自分の心の奥底を探れば、星の鼻をあかしたいという願望が、暗い情念となって渦巻いている。拓郎の口は、勝手に動いていた。

「私でよければ……、やらせていただきます……、いや、ぜひやらしてください。一世一代の仕事としてやりとげたいです」

「良く言った、拓ちゃん。ここらで拓ちゃんも男にならんといかん」

 忠臣は、大きな手で、強い力を込めて拓郎の肩をたたいた。


 しだいに秋が深まり、寒さが増していく季節だったから、拓郎は応接間の暖炉に火を入れて暖を取った。

 今日も拓郎は、あめりかんホームの若手ドラフトマンの岡田と中西とを、会社帰りに自宅に連れてきていた。二人は、あめりかんホームから運び込まれた製図台の前に、すぐさま腰を下ろした。拓郎ももちろん、ネクタイも取らず、自分の製図台についた。自分の製図台ごしに、二人の頼もしい背中が見える。二人とも上着は脱いでいて、シャツの上にズボン吊りを付けていた。二人は、あめりかんホームに一時期籍を置いていた実力派の技術者に直接教えを受けていた。もちろんコンクリート造も習得しているはずだった。その経験を見込んで、拓郎が橋下に頼みこみ、退社後に仕事を手伝わせることにしたのだ。

 二人は、嫌な顔一つせずに、熱心に働いてくれていた。岡田の製図台の上には、教会の西北立面の図面が載せられている。この教会の特徴の一つである、ゴシック様式の尖頭アーチの窓が連なっていた。中西の製図台の上には、もう一つのこの教会の特徴の、トンガリ屋根を載せた塔屋の図面があった。拓郎自身の製図台には、大礼拝堂につり下げられるシャンデリアの図面が載っている。これまで拓郎は、なるべく金のかからない建築を目指していたから、豪華なシャンデリアなどデザインしたことはなかった。しかし、始めてみると、中世風の趣を漂わせた重厚な照明をデザインするのは意外なほど面白かった。

「そう言えば……」

 拙郎が、ふと嬉しい知らせを二人に伝えたくて、手を止めずに声をかけた。

「何でしょう」

 二人も手を止めずに、訊ねてきた。

「悩みの種だった、大礼拝堂の音響効果については、佐藤功一教授にお願いできることになった」

 拓郎が恩師との交渉の成果を告げると、岡田も中西も振り返った。

「それは良かった。ホッとしました」

「本当に。そればっかりは、あめりかんホームの中では、分かる者はいませんからね」

「うん、そうだね……」

 拓郎も心底嬉しかった。

「佐藤先生なら、帝国ホテルの演芸場に負けないものにする工夫を教えてくれるだろう」

 拓郎がそう言うと、岡田が強い口調で言った。

「負けませんよ、僕達は。帝国ホテルより立派な建築を作ります」

「もちろんです。星なんかに負けません」

 中西も力強く相槌を打った。拓郎も、うすうす気づいていたが、あめりかんホームの技師達は皆、以前、新聞上で大っぴらに会社を批判されたことに傷つき、憤慨しているのだった。二人の若い技師も、ただ上司の言いつけにしたがっているのではなく、星に一矢報いるという気概を持って手伝ってくれている。拓郎は、それを嬉しく感じて目頭が熱くなった。

「よし、がんばろう。コンクリート造の教会を造って、一歩先んじよう」

 拓郎が二人に語りかけると、二人とも力強く頷いた。

 その時、ちょうど新しい女中のサチが、お茶を出しに来た。貴子は、初めての子供を妊娠中であったから、早く休ませる必要があったのだ。拓郎は、ちょうど、教会堂の落成と同じ頃に生まれるはずの我が子に思いをはせた。落成式に、赤子を抱いた妻が列席する様を脳裏に思い描くと、拓郎はサチの運んできた茶碗に手を伸ばした。

 3

 翌昭和三年になると、しだいに、岡田と中西を帰らせた後も、拓郎はただ一人で、夜更まで仕事をすることが増えた。悩ましい問題がいくつも拓郎を襲ったのだ。

 拓郎は、製図台の上の、教会入り口の大階段の図面を前に、腕を組んでいた。新しい教会は、前庭から階段を上って塔屋の基部の入り口に到達する計画だったが、その段数が、どう設計しなおしても、十三段になってしまうのだった。拓郎の心情として、年配の者も多い信者にとって上りやすい階段にしたかった。しかし、キリスト教徒にとって不吉な数とされる十三段にするのも気が引けた。

 迷った時の常で、拓郎は製図台を離れ、部屋の隅のソファーに腰を下ろした。目の前のテーブルには、書類の入った茶封筒と、大学ノートが載っている。

 二月一六日に社主の橋下が急死した。

 橋下の後を継いで、拓郎はあめりかんホームの社主になっていたのだ。

 拓郎は、封筒から明日の会議の資料を取り出す気になれなかった。経営に関する資料を見ても気が沈むばかりだったからだ。数年前から、あめりかんホームは、東京では伸び悩んでいた。一方関西では比較的好調で、西村が率いる「あめりかんホーム大阪店」や山本が開設した「あめりかんホーム京都店」は売り上げを伸ばしていた。明日の会議には西村や山本も出席することになっていて、羽振りをきかせるだろう。その姿を見るのも不快だった。

 会議の資料の代わりに、大学ノートを拓郎は手に取った。今年になって、佐藤功一教授から、女子高等師範学校の講義を任されたのだ。

 ふと拓郎は、母親のことを思い出した。非常勤の講師とはいえ、学校の教壇に立つ拓郎を、母は初めて認めてくれるかもしれない。思えば母親には、幻滅を与えどおしだった。忠臣の通った一高の受験に失敗して三高に入ったのが皮切りだった。早稲田に入った時も、「三高を出た人間がなぜ、帝大でも京都帝大でもなく、私学に入る」と腰を抜かさんばかりに驚かれた。早稲田を出た後の就職先も、当時は海の物とも山の物ともしれない会社に入ってしまった。学校の教壇に立ち、本でも書けば、少しは自分のことを見直すかもしれなかった。

 講義の予習を一通りしたが、それでも寝室に寝に行こうという気にはならなかった。拓郎はこのところ寝ることを恐れていた。毎夜のように悪夢を見るのだ。

 いつも同じだった。教会堂の竣工式の日、教会が崩れ落ちるのだ。

 晴れがましい場に、信者達も集まってきている。妻も生れたばかりの赤ん坊を胸に抱いている。いざ三吉牧師の説教が始まろうとするまさにその時、教会の床が抜けるのだ。絶叫と共に、信者達も妻子も穴に落ちて行く……。

 拓郎は、しばしば大声をあげて貴子を目覚めさせ、ひどい動悸と共に全身汗みどろで覚醒してしまうのだった。

 拓郎は、ソファーに座ったまま頭をたれ、その頭を両手で抱えた。この夢を見ると、どうしても、あの光景を思い出してしまうのだ。

 大正十二年九月一日だった。拓郎は、帝国ホテルの開業記念パーティーを見に、芝のあめりかんホームの社屋を早引きし、歩いて日比谷に向かったのだ。さわやかな初秋の青空が広がる、風の強い日だった。突然、どこからともなく異様な音響が起こった。かと思うと、たちまち大地が揺れた。周りじゅうの建物の壁が崩れ、屋根が落ち塀が倒れた。そこら中の電柱が倒れ、電線が道路の上に垂れている。二度目の強震がきたときには、辺りのほとんどの建物からすでに多くの人が外に出ていた。逃げ遅れた者が悲鳴を上げていた。突然、火の手が上がった。道には所々地割れができ、逃げまどう群衆が、地割れを避けながら、右往左往している。

 拓郎はなんとか高田町の自邸に戻ろうと考えて歩き始めた。折からの強風に煽られて、火の手は拡がって警視庁、総監官舎、帝劇へと燃え移った。東京の街全体に回り始めているようだった。ようやく左手に、日比谷公園の森が見え始めた。火の手から逃げようとする人々が、次々と公園へと逃げ込み始めている。

 右手に目を移すと、濛々と立ち込める埃の中に浮かび上がる塊があり、一瞬の、埃の切れた間に、それが大谷石からなる帝国ホテルのファサードと分かった。周囲のほとんど全ての周囲の建築がなぎ倒されている中で、ただ一つ、帝国ホテルだけが、神々しいまでの厳かな姿を屹立させていた……。

 この日の光景が強烈に脳裏に残っていて、こんな悪夢を見るのだろう。拓郎は、どうせ眠れないならと、また製図台へと戻った。最近は、ベッドにつくことを恐れ、なるだけ夜通し仕事をすることに努めていた。知らず知らずのうちに製図台に突っ伏して寝てしまうこともしばしばだった。

 製図台でうたた寝をすると、不思議と悪夢でなく、幻影のようなものを見るのだった。たいていは、キヨとの思い出だった。

 特に、繰り返し、大正十一年の平和記念博覧会に連れて行った時のことが目の前に浮かび上がった。たいていは、水上飛行機の場面だった。自分は白い麻の背広を着て、キヨは紺の浴衣を着ている。自分が、カンカン帽を押さえながらキヨに話しかけるところから始まるのだ。

「どうだ、キヨ、面白い物に乗せてやろう」

 先に立って歩き、拓郎はキヨを不忍池のほとりまで連れて行く。

 池の水の上に、不思議な物が浮かんでいた。複葉の飛行機が、羽の下に大きなフロートを二つつけて、水の上に浮いているのだ。

「水上飛行機でございますね!」

 キヨが大声を上げた。

「何だキヨは知っていたか。そうさ、これが水上飛行機だよ。本当に飛ぶんだよ」

「本当でございますか?」

 キヨはわざとらしく驚いた真似をする。拓郎は頷くと、列の後ろにキヨと一緒に並んだ。

 しばらく待つと、拓郎達の順番になった。池に落ちないようにして機上に乗りこむと二人はベルトを締めた。機体の前に着いたエンジンが轟音を上げて、プロペラが回り始める。

 急に機体は前に進み始め、拓郎の帽子が飛ばされそうになる。キヨが大声で歓声を上げる。てっきり怖がるかと思っていたが、キヨはしっかりと目を開いて、後ろに流れ去る周囲の風景を見つめている。

 水上飛行機は、派手に水を跳ねあげながら、池を一周した。精養軒や、森永のココアホールが見えた……。

 ここで一瞬、目が醒めかけたが、楽しい思い出にもう少し浸っていたくて、また拓郎は眼を閉じた。

 ココアを飲んで、隣の精養軒でハヤシライスを食べてから、拓郎はキヨを案内し、博覧会の一隅に連れて行った。

 喧騒に満ちていた他の場所に比べると、その辺りはめっきりと人が少なくなっている。

「なんですか、旦那様、この辺りは、まるでお屋敷街でございますね」

 キヨは怪訝そうな顔をしてついて来た。やがて、持ち前の好奇心を発揮して、退屈した顔を見せず、立て看板のあるところまで行き、文章を読んでいる。

「建築学会主催、中流住宅実物展示会……、お家をそのまま展示してあるのでございますか?」

「そうなんだ、キヨ。俺が設計した物もあるんだよ」

 拓郎は、キヨについてくるよう来るよう手招きをすると歩きはじめた。キヨは歩きながら目についた看板の文字を次々と読み上げて行く。

「一間の家、番号一番、価格一九八〇円……。吉永京蔵氏出品作品、番号第二番、価格4千円……。日本セメント工業出品住宅、番号三番、価格六三四二円……」

 六番の家の前で、拓郎は立ちどまった。キヨが、そこに立てられた看板を読む。

「あめりかんホーム出品住宅。番号六番。価格五四〇〇円。建坪二十七坪間数四間。これでございますね、ご主人さまが作ったのは。素敵なお家ですね」

 キヨが、拓郎の顔と、目の前の住宅とを見比べた。奇をてらったところがないように作った、単純な平屋だった。しかし、隅々まで住みよさには気を使ったつもりだった。家の一つの隅には、屋根の下に、壁で覆われないベランダを造り、そこだけ壁や手すりを白いペンキで塗りあげてある。

 拓郎は、キヨを連れて、ベランダの中の白いベンチに腰を下ろした。キヨは黙って、周りの住宅街のような景色を心地良さげに眺め続けている。かと思うと、急にキヨの目が輝いた。

「旦那様、ほら、あそこ……、あそこにも!」

 キヨが指さす先を見ると、薄闇の中、ぼんやりと青白く光る物が、スッと流れては消えて行く。

「蛍だね」

 キヨの顔に、何かを懐かしむような表情が浮かんだ。

「キヨの故郷の犀川では、毎年たくさん蛍が飛んでいました」

「そうか、金沢では町中に蛍が飛ぶのか……。東京ではさすがに町中では蛍はいない。確か今日は博覧会が、客寄せのためにやった催し物の、蛍狩りの日だ。蛍も喧騒の中は嫌いと見えて、池を離れてここまで飛んできたのだろう」

 拓郎は、博覧会のチラシに載っていた予定を思い出した。遠くから、多くの人の歓声が聞こえてきていたが、ここ辺りは静かだった。美しい初夏の宵だった。拓郎は、キヨと長い間、蛍の光を見て過ごした。

 4

 設計が完成するのを待たず、敷地の整備は行われはじめていた。

 ある日、拓郎が現場を見周りに行くと、歓声があがっているのが聞こえた。敷地内から、多くの石が出てきているのだった。掘削が困難になり、作業が遅れることが心配になった拓郎が駆けつけると、石はすべて、きちんとした細工がされている。拓郎の横に、白髪頭の棟梁が来て、しわがれ声で説明した。

「江戸時代のもんですよ、先生。ここいらは牛込見付があったってぇとこです。その石垣にでも使われたもんでしょう。見事な細工がされているし、でぃいち、すこぶる良い石ですよ。どうします、捨てちまうには惜しい」

「何かに使えませんかね……」

「割栗石に使わせてもらったらどうでしょう?」

 拓郎の後ろにいた、作業服姿の岡田が声を掛けてきた。

「堅牢そうな石です。技師長の教会をしっかりと支えてくれるでしょう」

 拓郎は、その考えにすぐに賛成した。昨夜も拓郎は、教会が崩れ去る悪夢を見続けているのだ。教会を少しでも強くしてくれるものなら、何にでもすがりたい気がした。


 その夜も、拓郎は、また製図台の前で長い時間を過ごした。目の前の図面の十三段の大階段を眺めていると、なぜか、拓郎は、三高時代に自分が洗礼を受けた教会のことを思い出した。京都のその教会も、入り口の前に階段があった。自分が、初めてその階段を上った時のことは今でも覚えている。

 名に聞こえた土佐の地主の拓郎の家はもちろん代々仏教徒だった。今思えば、キリスト教に近づいたことも、親への腹いせからしたのかもしれなかった。初めて教会の階段を上った時の自分の心持は、信仰への憧れといったものとは程遠く、むしろ、なぜか道を踏み外し、世を捨てていくことのように感じていたことを憶えている。

 とはいえ、拓郎には、それ以前から、捨てていくのが惜しいような親密な世界があったわけでもなかった。実家は大家族で、母は、拓郎の従兄である忠臣を引き取ると、実子と分け隔てなく育てた。いやむしろ優秀な忠臣を溺愛していたようにさえ見えた。家の中ではいつも忠臣が太陽のような存在で、拓郎は月だった。

 拓郎は、物悲しくなった時のいつもの癖で、暖炉の上に掛けてある、自邸が載った新聞が飾られている額の前に立った。手を伸ばして額を壁から外すと裏返し、裏ぶたを取り外した。中には、手紙とチケットが入っている。

 チケットには大正十二年十一月十二日という日付と、大きくハイフェッツ、そして日比谷公園という文字が書かれていた。震災後、実家からしきりと帰ってくるようにと催促されていたキヨを、最後に連れて行ってやった場所だった。

 拓郎は、ソファーに沈み込み、思い出にふけった。

 震災のための義援金作りのためにハイフェッツ自らの意思で開いたコンサートだった。あいにくの雨模様で、拓論は車でキヨを野外音楽堂まで連れて行った。開演が近付くと、幸いに雨が上がった。舞台の前には、粗末な椅子が並べられている。

 舞台には、ピアノだけがあり、やがて、ピアニストとハイフェッツが連れだって壇上に登った。ハイフェッツは、一瞬も滞ることなく、シューベルトのアヴェ・マリアや、ショパンのノクターン、などを弾き切った。

 チャイコフスキーのメロディーになると、キヨは感動のあまり涙を流し始めた。拓郎もなぜか、泣きたくなる思いだった。

 その時、全ての演目を終えた、壇上のハイフェッツは、突然「君が代」を奏で始めた。最初驚いた聴衆は、次第に席を立ち、ハイフェッツの気持ちに応えようとした。演奏が終わると、どこからとなく万歳の声が湧きあがった。すぐに、聴衆全員が呼応して、ハイフェッツに対する万歳三唱が嵐のように巻き起こった。

 ハイフェッツは、初めて戸惑いを見せたが、やがて、口を「サヨナラ」と動かすと、舞台から降りた。

 拓郎は、隣でまだ目に涙を浮かべているキヨを即して、帰路についた。

「キヨは、今日のことは忘れません」そういって、キヨは拓郎の手に手紙を手渡した。

 拓郎は、苦労して車をみつけると、キヨを先にして乗り込んだ。キヨの向こうの窓の外に、燦然と灯りを灯す帝国ホテルが見えた。

 その次の日、キヨは金沢へと発って行った。

 それ以来何度も読み返した手紙を、また拓郎は開いた。女性らしい端正な文字で、キヨが拓郎の家が大好きだということ、そして、その良さを多くの人が味わえるように、誰でもが入れる大きな建物をいつか作ってほしいということ、さらには、そういう建物ができる日をこれからずっと金沢で待っているし、建物が完成する日には必ず東京に帰ってくる、と書かれていた。

 拓郎は、手紙を握りしめ、ソファーからゆっくりと立ち上がった。

 製図台の前に立つ。

 拓郎は、結局は、大階段をそのまま十三段とすることにした。考えてみれば、ローマのヴァチカンと同じ段数だった。ルーテルが、いったんは宗教裁判に参加して堂々と論陣を張ろうとして登り始め、しかし途中で、自身の主張は入れられないだろうと考え直した階段だ。ルーテルは結局は階段を逆戻りし、その後も改革者としての意見を変えず、純な宗教改革への志を固めたという云われのある階段だった。

 自分の造る教会では、この階段を上る時に、信者が、この故事を思いうかべるだろう。そして、自分自身にとっての信仰の意味を、思い起こさせることになるだろう。信者達にその都度、重い気持ちを抱かせるかもしれないが、信仰というのは、そういうものだ。軽々しく教会堂に入るのではなく、これから主の身体に入ろうとするのだという心の備えをするために、この階段は重要な役割を担うことになるだろう。

 拓郎は、今夜は徹夜で、この大階段の図面をし上げようと決め、鉛筆とT字定規を手に取った。


 また同じ夢を見た。三吉牧師の説教が始まろうとするまさにその瞬間、教会の床が抜けて信者達も妻子も穴に落ちて行く。次には柱が一本ずつ倒れて行く、と同時に屋根が所々で崩れ落ち、やがて大音響とともに、教会堂全てが倒壊していく……。

 汗まみれになって目覚めた拓郎は、柱に掛けられたカレンダーの日付を見た。昭和四年九月二十二日。完成した教会の献堂式の日だった。「何もこんな日にまで同じ夢を見なくても……」拓郎は震えながら着替えをした。不安になった時の常で、最近ではいつも机の上に置いておいたキヨの手紙を握りしめた。そして、手紙を折りたたむとモーニングの胸ポケットへと押し込んだ。

 教会につくと拓郎はまず三吉牧師に挨拶をしたが、その時も、不吉な夢を思い出して脇から汗が止まらなかった。礼拝堂に入ると、小菅の刑務所で塗らせた渋い色の座席が部屋いっぱいに並んでいる。拓郎は一瞬、キヨが来ていないかと座席を見渡した。しかし、もちろん、そんなことは起こらなかった。

 拓郎は、生れたばかりの長男春也を抱く着物姿の貴子と並んで席についたが、汗は止まらず、その上、小刻みに身体まで震えだした。貴子が怪訝そうな顔で拓郎を見る。

「私は、今日、この教会の献堂式を挙げることのできましたのを衷心より感謝しております……」

 やがて、三吉牧師のよく通る声が、礼拝堂内に響き渡った。

「……。この会堂は単純そのものの中に、一種犯すべからざるジグニティを備えている。この礼拝堂の出来栄えだけでも、明らかに富士見町教会の伝統的精神を表徴するとともに……」

 自分へのお褒めの言葉が出ても、拓郎の震えは止まらず、むしろ大きくなった。堪らなくなって、急に拓郎は腰を浮かした。

「心配だから、上を見てくる」と貴子に耳打ちし、逃げ出すように講堂を出た。動悸がして、心臓が飛び出しそうだった。言い訳に使った塔屋に、しかたなく上ることにした。そこには信者の一人が、袖まくりをして、大きな機械の間で悪戦苦闘していた。忠臣が、チャイムのないこの教会で、代わりにレコードのチャイムの音を響き渡らせたいと切望したので、至急機械を組み立てているのだった。拓郎も手伝って組み立てが終わったのと、階段を駆け上がってくる足音が聞こえるのが同時だった。

 「講話が終わりました、お願いします!」

 信者の誰かが、下から大声を出す。さっそく拓郎は、忠臣から預かったウェストミンスター大聖堂のチャイムのレコードを掛けることにした。けれども手が震えて、なかなか針をレコードに下ろせない。見かねたのか隣の信者が代わってくれた。

 次の瞬間、塔から地上へと、大音量で鐘の音が響き渡った。拓郎は、その場にしゃがみ込んでしまった。そのまま手を伸ばして床にそっと触れる。講話が終わっても、しっかりと教会は建っている。崩れ落ちもせずに。拓郎は、力が抜けて自分の頬を伝う涙を拭うこともできなかった。やがてさっきの信者が優しく拓郎の肩を叩き、助け起こしてくれた。

 並んで塔の窓から見下ろすと、教会の周りには、逓信博物館のヨーロッパ風の塔以外には大きな建物もなく、はるか遠くまで見渡せた。高田町の自分の家まで見えそうだった。信者は、拓郎に目配せをすると、下に降りていき、拓郎を一人にしてくれた。

 拓郎は、胸ポケット上からキヨの手紙に触れた。何度この手紙に救われたことか……。

 拓郎は、なぜだか分からないが、キヨの手紙を、この場所に置いておきたくなった。この教会に命を吹き込んでくくれるように思えたのだ。これまで自分を支えてくれたように、これからは、自分の分身でもあるこの教会を支えて欲しい……。拓郎は壁に隙間を見つけ、手紙をそっと差し入れた。手紙が十分奥に入ったことを見極めると、拓郎は階段を下りた。 

 礼拝堂に戻ると、出ていく信者達が皆、口々に拓郎の建築を褒めた。

「あの大シャンデリアが素敵ですわ」

「チョコレートみたいな外壁の色がいい」

「壁の塗り方がいい。手で塗りたくったみたいで、凹凸が合って陰影があります」

「塔のトンガリ帽子の屋根が可愛い」

 拓郎は、それらの声の一つ一つに答えながら、皆とは逆に、貴子達がいる席に向かった。貴子の隣までいくと、拓郎は跪き、頭を垂れると誰もいない講壇に向かって祈りを捧げた。自分でも、この建築が無事建っていることが奇跡に思えた。優秀な助手がいたとはいえ、何から何まで自分にとって初めてのことの連続だった。

 その時、聞き覚えのある靴音が聞こえてきた。顔をあげなくとも、誰かは分かる。もう、星との勝負など、どうでも良かった。足音は、拓郎の横で、一瞬速さを緩めたようにも思えたが、結局はそのまま、立ち止まりもせずに去って行った。

 エピローグ

 昭和六年、拓郎は、あめりかんホームの経営が悪化する一方であることの責任を取って、社主を辞任した。その後、昭和十一年に、単身満州に渡った。長春で満州電業の社宅を建てる仕事を請け負ったからだった。満州では星が設計した建築をさんざん見させられ、「ぜひ、これに見劣りしないものを」と注文を付けられた。その夜の歓迎会の席上、拓郎は、しだいに不機嫌になり、突然素裸になって、「下にィー、下にィー」と座敷をのし歩き、場にいる全員の度肝を抜いた。

 その頃、忠臣からの手紙で、キヨの葬儀が富士見町教会で取り行われたことを知った。

 拓郎は、社宅を三千棟仕上げ、帰国の荷物を東京に送った直後、脳溢血で倒れ急逝した。五三歳だった。

                                            完


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― 新着の感想 ―
[一言]  月頭にレビューを執筆しましたが、残念ながらのびがいまいちですね……。今からでも、ジャンルを「歴史」ではなく「ヒューマンドラマ」にしたほうが良いのではないでしょうか。
[良い点]  精密な描写・土地勘・時代考証がもたらすリアリティが凄いと思いました。実在の人物ではなかろうかと、思わず主人公の名前をググってしまったほどです。 [気になる点]  惜しむらくは、少々誤字が…
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