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《8》





 彼の様子がまた明らかにおかしい。

 先週、確かに佑真は不安がる彼を安心させたはずだ。

 突然友達と喧嘩したあいつはすぐに仲直りして、また電車に乗り始める。

 弟の自分とも近いうち仲直りしてくれるかもしれない。

 佑真が2つも希望を与えると、彼はとても喜び顔色もすぐに戻した。


 今週に入った途端、彼はまたひどく落ち込み始めた。

 不安に押し潰されそうな様子で、休み時間になるといつも机に顔を伏せてしまう。

 自分がちゃんと安心させたというのに、彼はまだ完全に信じていないのだろうか。




「玄、みんな心配してるぞ」

 何もせずとも周囲に心配してもらえる彼がここ最近不安定なので、クラスメイトはなかなか近付くこともできない。

 友人代表として傍に近付くと、机に伏せていた彼が佑真の声にはすぐに反応した。


「佑真、聞きたい事がある。来てくれ」

「どこに? もう授業始まるぞ」

 優等生の彼が次の授業をサボろうとするので、とっさに引き止める。

 佑真の声が届かなかった彼はすでに教室を後にしてしまった。

 自分の都合で友人を巻き込む彼に呆れながら、仕方なく付いて行くことにする。





 すでに生徒が教室へ去った階段の踊り場で待っていた彼に、後から遅れて辿り着く。

 ようやく佑真と向かい合った彼は緊迫した表情を滲ませ、すぐに口を開いた。


「佑真、教えてくれないか」

「は? 何を?」

「お姉さんのこと」

 彼は今日とうとう不安になるあまり、初めてあいつのことを自ら切り出した。


「……お姉さん?」

 佑真が訝しがると、彼は突然佑真の両腕に掴みかかった。


「教えてくれ佑真、お姉さんだ。双子のお姉さん、いるだろ? 佑真もこないだ心配してたじゃないか」

「姉はいるけど…………何で?」

 彼が必死に姉を思い出させると、ようやく気付いた佑真もなぜ姉を尋ねるのかと再び訝しがる。

 けれど今の彼には自分の疑念などまったくお構いなしだ。


「お姉さん、まだ電車に乗らないのか? 友達とは? 仲直りしたのか?」

「……そういえばまだみたいだな。意外に喧嘩が長引いてんのかな」

「それだけじゃないんだ佑真。いないんだ」

「いない? 何が?」

「お姉さん、いないんだ。もう一昨日からケーキ屋にいないんだ」

 確かに彼の必死な訴え通り、一昨日の土曜日あいつはずっと家の縁側に座っていた。

 けれど佑真にとって問題はそこではない。


「……玄、お前なんでそんなこと知ってんの?」

 なぜ彼があいつのアルバイトまで知っているのか、逆に尋ねる。

 けれど相変わらずお構いなしの彼は、佑真の声さえとうとう聞こえなくなったらしい。


「いたはずなんだ、あのケーキ屋に毎週必ずいたんだ。佑真そうだろ? お姉さん、家の近くの商店街で働いてたよな? 今はどこにいる? どうしてケーキ屋を辞めたんだ? なあ佑真、ちゃんと教えてくれ」

「さっきから言いたい放題言いやがって………………いい加減にしろよ。お前、いつまで俺を無視するつもりだよ」

 自分勝手にここまで佑真を連れ出し、佑真の疑問にはまったく耳を貸さず、自分の欲だけ強引に押し付けてくる。

 そんななりふり構わない彼に対し、佑真はとうとう怒りを向けた。

 腕に掴まれた彼の手を大袈裟に振り払うと、彼もようやく佑真の怒りに気付いた。


「……悪い佑真、そんなつもりはなかったんだ。つい興奮しただけだ。ちゃんと落ち着くから」

 気が逸るあまりようやく自分の失敗に気付いた彼は、今度は怒る佑真を急いで宥め始めた。

 確かに怒っていた佑真だがあまりにも滑稽で、思わず笑ってしまいそうになる。


 気が付いた。

 彼はもうとうとう自分しか頼る術がないのだ。

 これ以上決して無下にできない。

 ようやく機嫌を戻すことにすると、彼に向けた怒りを和らげる。


「もういいよ、玄」

「佑真……」

「心配すんな、ちゃんと答えてやるって…………でもその前にお前が答えろよ。俺の姉のことずいぶん知ってるんだな」

 今まで姉の顔も知らないと思っていた友人が、いつのまにか姉のアルバイトにまで詳しくなっていたのだ。

 当然驚いた佑真がまず理由を尋ねると、彼はすぐに気まずげな表情を浮かべた。


 仕方ない、恋は盲目なのだろう。

 昔佑真の部屋に入る度あれだけ見え見えのわかりやすい行動をとっておきながら、彼は露ほども疑わなかったらしい。

 佑真は何も気付いていないと、今も純粋に信じていた。



「……偶然、帰りに見かけたんだ」

「俺ん家からの帰り? 電車に乗るのに? あの商店街はずっと遠回りだろ」

 佑真がすぐさま突っ込むと、彼は黙ってしまった。


「それにお前が俺の家に通ってたのって1年以上も前じゃん。お前、その時からあいつがケーキ屋にいたこと知ってたの?」

 佑真がさらに突っ込むと、彼は引き続き黙った。


 要するに彼は1年以上前、突然佑真の家の縁側からいなくなってしまったあいつを、すぐにまた必死で探し出したのだ。

 そして1年以上、佑真には内緒であいつがケーキ屋で働く姿をずっと見つめていた。

 

 そういえば、昔から彼は遠くを見つめることが何よりも得意だった。

 毎週必ず縁側に座るあいつを遠くから見つめても、1度だってあいつに気付かれることはなかった。

 昔そのお蔭で自信をつけた彼は、すでに縁側でなくても良いことに気付いたのだ。

 あいつが縁側からいなくなった代わりに平日は電車、休日はケーキ屋にいるあいつをすぐさま探し出し、また遠くからあいつを見つめ始めた。

 贅沢にも今度は毎日あいつを見つめた彼は、おそらく欲張り過ぎてしまったのだ。

 罰が当たり、先週1週間ですべてを失くしてしまった。

  


「……全然気付かなかったけど、お前あいつに気があんの?」

 自分の姉のせいでここまで動揺する彼の態度からようやく気付き始めた佑真が、率直に尋ねた。

 それでも彼はまだ沈黙を続けようとする。

 とうとう佑真に気付かれてしまった彼は、今さら答えを出し渋るつもりらしい。

 何も答えないのだから肯定してるも同然なのに、まだ佑真にしぶとく知られたくないようだ。

 さっきまであんなにあいつのことを問い詰めておいて、突然興味を失くしたふりをする。

 彼は本当に馬鹿なのだろうか。

 恋とは優等生の彼をこんなにも愚かにしてしまうものか。

 

「玄、ちゃんと言わなきゃわかんねえよ。そんなんじゃ俺もあいつのことは教えれねえ」

 見え透いた彼がいつまでも答えを出し渋るので、佑真も元から教える気がないあいつの情報を出し渋る。

 姉の所在と佑真の存在、とっさに天秤に掛ける必要もない彼はようやく重い口を開いた。


「…………お姉さんが好きなんだ」

 とても切ない告白の相手は姉でなくその弟だなんて、おそらく彼自身が一番ショックに違いない。

 このままではあまりにも彼が可哀想で浮かばれないじゃないか。

 告白を受けた佑真も思わず同情してしまった。

 だったら少しくらい自分は協力してやってもいい。


「わかったよ玄、お前の気持ちはちゃんとわかった。姉のことも教えてやる」

「佑真、ありがとう…………それで? お姉さんはどこにいるんだ? 今どうしてる?」

「相変わらず大袈裟だよなぁ、お前は。別に遠くに行ったわけでもあるまいし…………あいつは今日も朝からちゃんと学校に行ったし、帰ればずっと家にいるよ」

 ようやく佑真にも許され再び必死にあいつを探し始めた彼に、笑いながら安否を教える。

 彼もひとまず深く安堵してくれたが、またすぐに緊張を滲ませた。


「……なあ佑真、知ってるか? お姉さん、どうしてケーキ屋を辞めたんだろう」

 遠くから見つめ放題だったあいつのアルバイトによほど未練があるらしい、電車の時よりも慎重で深刻な彼が恐るおそる理由を尋ねた。


「あいつ親父には飽きたって言ってたけど、どうかな………………もしかしたら徹底的に避け始めたのかもしれない」

 あいつがアルバイトを辞めた本当の原因は、あいつが怖がる自分だと曖昧に伝える。


 なぜか突然彼はあいつと同じく、目の前の佑真を怖がり始めた。

 さっきは佑真を天秤にも掛けないほど軽く見ていたのに、とっさに佑真から離れようと後退る。


 どうやら彼も自覚はあったらしい。

 1年以上も毎週必ずケーキ屋の傍に現れ、遠くから働くあいつを見つめていたのだ。

 とうとう鈍感なあいつにも自分の存在を気付かれたのかと、とっさに危惧したのだろう。

 そこまで一瞬で思いつくなら何故今まで自分の迷惑行動を一度でも振り返れなかったのか、本当に恋とは愚かすぎる。


「そんなに心配すんなって。別にお前が避けられたわけじゃないんだからさ…………それに俺の考え過ぎかもしれない。ほら、俺あいつに嫌われてるだろ? つい疑心暗鬼になっちまった」

 あいつが避ける相手は彼ではなく自分であると、すぐにちゃんと教えてあげる。

 ついさっき佑真を怖がった彼が、今度は寂しそうな佑真を見つめようやく安堵してくれた。

 

「……佑真、きっと勘違いだ」

 姉に嫌われている佑真に同情し慰めてくれた彼が、心の中ではとても喜んでいる。

 もはや自分さえ嫌われなければ、佑真があいつに嫌われようとどうでも良いらしい。

 

「うん、俺もそう思えてきた。だってあいつ家ではけっこう元気なんだ。まあ友達とは喧嘩したまんまみたいだけど、最近は親父とも明るく喋ってるし………………あいつ、笑うとけっこう可愛いしな」

「……なあ佑真、俺もお姉さんに会えないだろうか。どこかで」

 あいつの可愛い笑顔が恋しくて仕方ないのだろう、家以外であいつが笑っている場所を必死で探ろうとしてくる。

 自分もできることなら教えてあげたいが、あいにく残念な息を吐くしかない。

 

「あいつ、バイトも辞めちまったしな。学校以外はずっと家にいるし………………また来る?」

「……いや、それはいい」

 彼の反応に驚かされる。

 試しに再び家に誘ってみれば、まだちゃんと理性は残っていたらしい。

 彼は佑真の友人というリスクだけは、まだ徹底的に避けようとしている。

 どんなにあいつが恋しくても、あいつに嫌われる方がよほど怖いことに気付いたらしい。


「だったらさ、もうこの際あいつを待ち伏せしてみれば?」

「……待ち伏せ?」

「うん、学校の帰り道。家の近くとか」

「帰り道…………そうか」

 彼の反応に再び驚かされる。 

 学校帰りだったら必ず会えるだろうと勧めてみれば、ようやく今さら気付いたらしい。

 彼はとうとうあいつがケーキ屋にもいなくなって混乱するあまり、こんな単純で確実な手段さえすっかり抜け落ちていた。

 あれだけ会いたいと佑真に訴えながら、本人は会える方法を考える余裕すら失くしてしまったのだ。

 

「佑真ありがとう。助かった」

「まあいいけどさ、あんまり焦んなよ。あいつは臆病だから」

 ようやく明るい希望が生まれ最後はなんとか落ち着きを取り戻した彼に、笑顔で忠告を残す。

 彼も微かに笑ってくれたので、佑真も増々笑みを深めた。

 


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