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《7》





「どうしたんだよ玄、ずいぶん顔色悪いぞ」

 最終科目のテストが無事終了すると、さすがに友人が心配になった佑真はようやく彼の前まで近寄った。

 案の定、偶然電車で帰宅を共にした一昨日以降、彼の顔色はどんどん悪化する一方だ。


「本当に何かあったのか? お前、昨日から全然俺と目も合わせようとしねえし…………俺、何かした?」

 いつの間にか気に障ることをしてしまったらしい、突然佑真を避け始めた彼にとうとう理由を尋ねた。

 彼は顔色悪いままに、今日もまた懲りずに帰り支度を急ぎ始めた。


「何だよ、無視かよ。お前って意外にガキくせえよなぁ」

 こんなに自分の行いを傍で心配しているというのに、それでも彼は視線さえ向けない。

 最後は佑真も呆れた息を吐いた。


「いい加減機嫌直せよな………………あ、もしかしてお前、この前のこと怒ってるわけ?」

 ようやくここ最近の出来事を思い出した佑真が尋ねると、目の前の彼もようやく急ぐ手を一度止めてくれた。


「……やっぱりそうか。ごめんな玄、別に悪気はなかったんだよ。ただお前もずっと隣を気にしてたからさ、知りたいかと思って………………でも気分悪かったよな。姉と不仲なんて」

 偶然彼と電車に乗った一昨日、彼は途中の無人駅で降りてしまったほど気分を害してしまったのだ。

 自分が姉に嫌われている事実を思わず彼に愚痴ってしまった事を、今更後悔する。

 目の前の彼もわずかだが機嫌を戻してくれたらしい、落ち込んだ佑真の姿を渋々視界に入れ始めた。


「俺もあの後すぐ反省してさ…………せめてまたあいつと仲直りできないかと思って、家に帰ってから試したんだ」

 彼はあっという間に目の前の佑真に夢中になった。

 すでに佑真の目をそらすことなく見つめ、佑真の話に興味深々と耳を傾け始める。

 彼の豹変ぶりにさすがに驚いた佑真は、思わず一度口を止めてしまった。



「……佑真、それで?」

 話が中途半端になり余計気になったのだろうか、とうとう彼が一昨日ぶりに佑真に口を開いた。


「また逃げられちまった…………しかもあいつ、あの日親父に定期を返したんだ。もう電車には乗りたくないって」

 結局仲直りは叶わず、佑真は残念そうにあの日の出来事を報告する。

 さっきまで話の続きをあれほど期待していた彼もすっかり同情してくれたらしい、今度は表情を固く強張らせた。

 まるで自分のことのように親身になってくれた彼を、ひとまず安心させることにする。


「確かにあいつは俺のことまだ怖がってるけどさ、別に電車を嫌がったのは俺が原因じゃねえよ。あいつ友達と喧嘩したんだって。親父が言ってた」

 確かに父はあの日の夜、佑真にそう言ってくれた。

 佑真はありのままの事実を彼に伝えた。


「…………友達?」

「うん、友達」

「お姉さんが友達と?」

「うん、あいつが友達と」

「喧嘩? 佑真、本当に?」

 藁にも縋る思いとはこの様だろうか。

 本当に確信が欲しい彼は、佑真の両腕に縋り付いていることにさえまったく気付いていない。


「玄、安心しろって。喧嘩って言っても些細なもんだろ。すぐ仲直りして、また電車に乗り始めるんじゃねえか?」

「そうか…………そうだよな、また」

 またなど永遠に訪れないことを1人知っている佑真は思わず同情するあまり、彼を異様なほど安心させてしまった。

 罪滅ぼしとして、増々安心させてあげることにする。


「……あいつって小さい頃からけっこう忘れっぽくてさ、俺と大喧嘩しても次の日にはケロッとしてたりすんだよ。もしかしたら俺とも近いうち、口利いてくれるかもしれない」

「佑真、早く仲直りできるといいな…………お姉さんと」

 佑真にも微かな希望が生まれると、彼はもうすっかりその気だ。

 佑真を必死に後押ししてくれる。


「ありがとな玄。あいつとうまくいったら一番最初にお前に教える」

 とても親身に話を聞いてくれた彼に、一生することない報告を笑顔で約束した。

 無事あいつのお蔭で彼との仲直りに成功したようだ。










「親父、こないだは悪かった」

 台所で背中を見せる父に向かって思い切り頭を下げる。

 勢い余る佑真の謝罪にも反応がないので、再び父の背中を見つめた。


「傷つけたのはわかってる…………ごめん、全部嘘だから」

 一昨日の夜、佑真は父に散々傷つける言葉を投げつけてしまった。

 ようやく頭が冷めた今日、こうして謝ることができた。

 めずらしく反省を続ける息子に、背中しか見せない父もようやく振り返った。


「佑真、本心か」

「俺だって親父を騙そうなんて思ってねえよ」

 父に疑われ、謝る気持ちは嘘ではないとむきになる。

 本当に父を傷つけたくなんかなかった。


「そうじゃない佑真。お父さんに言ったことは全部嘘だったのか」

「嘘だよ」

 謝罪ではなく、あの日父にぶつけた言葉は本当に偽りかと疑われ、再び否定する。


「嘘じゃない、本当だ」

「嘘だよ」

「お父さんがわかってる」

 佑真の言葉はすべて間違っていないと、父は認めてしまった。


「嘘だよ、ごめん。全部嘘だ…………ごめん」

 佑真は否定と謝罪をただ繰り返した。



「佑真、お父さんに謝る必要はない。ただ必要だと訂正しなさい」

 父から謝罪を拒否された佑真が、今度は父の言葉を訝しがった。


「あの子は必要な子だ。お父さんにもあの子のお母さんにも、そしてお前にもだ」

「……………………」

「佑真、それだけでいいんだ」

 最後は父にお願いされた。

 屑で役立たずのあいつをそうじゃないと認めてくれと、父はただそれだけを佑真に願った。




「あいつは違う」

 あいつは必要ない。あいつは役に立たない。あいつはこの家にいてはいけない。



「あいつは屑じゃない」

 屑のあいつが大嫌いな自分はまた父を傷つけないために、また嘘を吐いた。










「遥希、ちゃんとお父さんには話してくれ」

 縁側に近寄った父がまたあいつの心配を始めた。

 突然電車に乗ることをやめたあいつが、今度はアルバイトまでやめたからだ。

 1年以上続けたのにどうしてやめる必要があったのだと、父は縁側に座るあいつに尋ねた。

 飽きただけ、客入りが悪くて暇を持て余したのだと、あいつは笑って父に答えた。


 諦めた父がようやく傍から離れても、あいつはまだ縁側に居座り続けた。

 せっかくもういなくなったと思ったのに、あいつはお気に入りだった縁側をまた思い出してしまった。

 また縁側に近付けなくなった佑真はさりげなく茶の間のテーブルから腰を上げ、自分の部屋に戻る。

 しばらくベットに沈み込むと、ようやく天井を見上げ考えた。



 彼が知ったらどうするだろうか。

 佑真が彼の隣でそれとなく呟いたら、彼はまた必死になり始めるだろうか。

 毎週佑真の家へ訪れる用事をあからさまに思いついて、佑真の部屋に入りアコーディオンカーテンの向こう側にわざとらしく声を掛けるだろうか。

 佑真に嘘を吐いて1階へ降りていき、また遠くから縁側を見つめ始めるだろうか。


 当然、彼は懲りずに同じことを繰り返す。

 突然電車に乗らなくなったあいつが見つかる場所など、もうここしか残されていないのだ。

 あいつを再び見つめるために、彼はもう我慢なんて出来ない。

 多少のリスクなど気にする余裕すら、すでに失くしてしまった。



「余計な事しやがって」

 臆病なあいつは、自分がいるかもしれない電車だけをやめればよかったのだ。

 それなのにとても臆病なあいつは、自分が行くはずもないアルバイトまで念を入れ辞めてしまった。

 あいつが勝手に余計な事を増やせば、彼にはまたチャンスが生まれる。

 そんなこと絶対自分が見過ごさない。

 また縁側に座り始めたあいつなど、自分が教えない限り彼は知る術がないのだ。

 たとえ彼がまた望んでも、自分はもうこの部屋に彼を入れるつもりはない。


 だったら彼は、また遠くからチャンスを見つけるだろうか。

 電車であいつを見つけ出したように、あいつが現れる場所をひたすら探し始めるのだろうか。



「なんだ、役に立ったんじゃん」

 初めてあいつを褒めてやる。  

 よく考えれば逆に好都合ではないか。

 電車に乗ることをやめたあいつは、自らアルバイトまで辞めてしまった。

 学校と家以外の居場所をすべて失くしたあいつに、彼はもう近づけない。

 出会えるチャンスはどこにも残されていない。

 だったら自分がすることはただ1つ、毎週彼をこの家に入れなければいいだけだ。



 結論に至った佑真はようやく安堵の息を吐いた。

 これ以上自分の口は彼を苦しめたいわけではない。

 彼はただ恋をしてしまっただけなのだ。

 恋をするあまり周りが見えず、とても簡単に騙されてしまう。

 佑真の口車に見事操られ絶望と喜びを交差させる彼など、本当はとても可哀想で見たくもないのだ。

 せめてこれ以上彼が苦しまないように、自分はこれから監視をしなければならない。

 あいつが彼に与えるチャンスを見つけないように、家の中であいつの気配だけ逃してはいけないのだ。


 


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