《6》
「遥希、どうして?」
「ごめんなさい」
テスト勉強を中断し遅くなった夕食を摂るため1階へ降りていくと、茶の間にいる父とあいつがめずらしく揉めていた。
普段は気にも掛けない佑真が今日に限って入口に佇み、2人の様子を窺う。
「ごちそうさま」
目敏く気付いたあいつがただ見ていただけの佑真に大袈裟に震え、茶の間から慌てて逃げていく。
初めてあいつの背中を見送ると、今度は茶の間の父に近寄った。
「ねえ、何かあった?」
「大したことじゃないよ」
あいつと何かあったのか初めて気にしてやったのに、父が答えを渋った。
「いいから、何?」
再び強引に尋ねると、ようやく諦めた父が手に持っていた電車の定期券をテーブルに置いた。
「友達と喧嘩したらしい」
取って付けたような父の気まずげな言い訳に、思わず可笑しくなり吹き出した。
「んなわけねえじゃん、理由なんて言うはずないだろ。俺が家にいるのに」
「佑真」
「あいつ、やっぱり今日俺のこと見つけたんだ。偶然同じ車両に乗ってたんだ。こんな簡単に排除できるなら、さっさと見つかっておけばよかった」
偶然帰宅の電車が一度重なっただけで、臆病なあいつはさっさと逃げ出してしまった。
あいつとばったり遭遇しないために3カ月も慎重になってしまった自分を、今さら馬鹿馬鹿しく笑う。
「佑真!」
あいつに逃げられたのは自分だというのに、それを喜ぶ佑真にとうとう父は叫び声を上げた。
厳しい表情を滲ませ、とうとう傷ついた父の目が佑真の目を捕らえた。
「親父が悪いんだよ」
父はすでにこんなにも傷ついたのだ。
父を傷つけることだけはいつだってギリギリで避け続けてきたのだ。
とうとう傷ついた父の目に佑真は箍が外れ、更に傷つけることを決心してしまった。
「親父が悪いんだ。俺が何を言った? あいつと別れてくれなんて小さい俺が頼んだのか? 俺は耐えられたんだ。あいつが傍にいたって全然平気だったんだ。それなのにどうして親父があいつを離すんだ。俺のため? おかしいだろ。俺は望んでない。あいつに無視されたって、俺はいつだってちゃんと我慢できたんだ」
父が自分だけを連れ最初暮らした家を離れた理由など元からわかっていた佑真は、自分のせいにするなと初めて父を責めた。
「俺のせいであいつは勝手に死んじまったのか? 違うだろ、あいつは寂しかったんだ。どんなに俺が嫌いだって、親父が傍にいればあいつは平気だったんだ。それなのに勘違いした親父があいつに残したのは、親父そっくりな俺の片割れだよ。残念、笑えるよな。結局役立たずだったあいつは母親にあっさり置き去りにされて、この家に流れ着いた。そんな屑のあいつとこれから仲良くしろ? ちゃんと可愛がれ? 冗談じゃねえよ、それこそ親父の勝手な都合じゃねえか」
そんなつもりはさらさらないと行動でも見せつけるために、テーブルに置かれた定期券をさっそく拾い上げる。
父の見ている前で真っ二つに裂いてやろうとすると、父が弱々しく止めた。
「それは遥希のだ」
今傷つけていいのはあいつじゃないと、父は息子に責められた直後でもあいつを庇った。
あいつがさっき捨てた中途半端な定期券さえ佑真から守った。
「結局親父もかよ」
最後は自分でなく自分の片割れを選んだ父に、身勝手な絶望の言葉を捨て台詞で吐き残す。
自分と片割れを隔ててくれるアコーディオンカーテンさえ吐き気がする佑真は、とうとう居場所なく家の外を彷徨い始めた。
「……寂しい奴。結局あいつしかいねえじゃん」
鳴りもしない携帯1つ身に付けた佑真は適当に行きついた知らない公園のベンチに座り、夜空に向かい呆れ返る。
父とたった1人の友人以外なにもない着信履歴を再び見下ろした。
友情も行動も彼しか必要としなかった結果がこの様だ。
彼から最後に連絡があったのは3日前、佑真は今もしっかり覚えている。
テスト範囲を確認され、その後はダラダラと適当に笑って喋った。
ここ最近特に楽しそうだった彼の声は、帰りに挨拶1つだけ残し教室に置いていく佑真への罪滅ぼしだったに違いない。
いつだって彼の行動はあいつに振り回されている。
そんな彼にまんまと騙され嬉しく笑っていた自分も、結局はあいつに振り回されていた。
「馬鹿みてぇ…………もういいや」
あいつに振り回されたお蔭で、今日とうとう自分は彼に突き離された。
もう掛かってくることはない彼の着信履歴を、最後に削除することにする。
佑真が最後に押したのは通話ボタンだった。
最後の最後に彼を捨てられなかった佑真は、一縷の望みだけで再び繋がることを耳元で待った。
いつもの彼のことだ、決して佑真を捨てることはしない。
あいつの前で平気で他人のフリはできても、たったそれだけだ。
あいつの片割れである自分を本気で捨てることなど、彼にはできない。
自分があいつの片割れである限り、彼はいつか必ず訪れるチャンスを絶対に捨てられない。
「馬鹿みてぇ…………結局俺もあいつかよ」
いつまでも繋がらない携帯に向かって、佑真は1人呟いた。
家に残した父親でも、勝手に死んだあいつの母親でもない。
今誰よりもあいつを必要としているのは自分であることに、ようやく気が付いた。
彼に繋がらない携帯を耳に当て、頭の中にこびりつくあいつを初めて振り払えなかった。