《4》
「……何だ、今日はあの子来ないのか? どうして?」
「知らねえ、もう飽きたんじゃねえの」
休日の土曜日、遅い朝食を前に箸を取ると、向かいの父がしつこく理由を尋ねた。
佑真がもう来ないと再び適当に答えると、父は渋々残念そうな息を吐いた。
「こないだまで毎週来てたのにな。もう高校生だし仕方ないか……」
2年以上も毎週必ず家を訪れた息子の友人を諦めた父が、今度は隣のあいつに視線を向けた。
「遥希、アルバイトはもう慣れたか?」
「うん、もう1カ月経ったもん」
「あんまり無理はするなよ。高校も遠いんだから」
「土日だけだから大したことないよ。お父さんは心配しないで」
高校生になっても今だあいつの心配をやめない父に、あいつは今日も笑顔で安心させる。
馬鹿馬鹿しいやりとりを耳だけで嫌々捉えながら、目の前の朝食にさっさと箸を伸ばした。
「佑真、今日の朝飯は遥希が作ってくれたんだ。初めてなのにお父さんよりよっぽど上手だろ?」
父はすでに卵焼きに箸をつけた佑真に向かって嬉しそうに報告した。
「お父さん、そんなこと言わなくていいよ」
あいつが慌てて父を止めると、佑真は食べかけの卵焼きをそのまま皿に戻した。
「出掛けてくる」
「佑真、まだ途中だろ」
咎める父の声を無視して立ち上がると、当てもない家の外へ出掛け始めた。
休日の暇な時間を潰すため適当な道をダラダラ歩き続けていると、小さな商店街を偶然通り掛かる。
右側に並ぶ古ぼけたケーキ屋を目に入れてしまい、ようやく後悔した佑真は舌打ちした。
すぐさま逆戻りし再び歩き始めると、商店街の入り口に偶然あいつが佇んでいた。
偶然目も合わせてしまい、あからさまに自分の失敗を顔に滲ませる。
さっさと脇を通り抜けることにすると、固まっていたあいつが今日も小さく震えた。
「佑真は相変わらずか」
授業終了後すでに帰り支度を済ませた友人に尋ねられ、記入済みの入部届を見せる。
「さっそく今日からだってよ」
「バスケ部は帰りが遅いらしいよな…………お父さんも心配するだろ」
中学の部活動より練習時間が増すため帰宅も遅くなる佑真に、今日も彼は父の心配も忘れない。
「相変わらず子供らしくねえよなぁ」
「もう高校生だろ、普通だよ」
「お前は入んねえの? 部活」
「ああ」
あっさりと肯定した彼は、昨年まで3年間続けたバレーにはすでに未練がないらしい。
中学ではキャプテンまで務め上げた実力者だし、長身でもある。
周りから散々惜しまれても、彼の意志は結局変わらなかった。
「また来週な、部活頑張れよ」
「玄、お前さ……」
佑真が忙しいだろうと背を向ける彼を、とっさに引き止める。
「何だ?」
「……何でもねえ、来週な」
結局続きを濁してしまうと、彼は再び短い挨拶を残し佑真の前から去った。
「…………現金な奴。あいつがいなきゃ用無しかよ」
残された佑真は彼への文句を1人愚痴りながら、再び手にある入部届を見つめた。
今日から新たに高校で始めるバスケは佑真にとって大切で、どんな形であれ生涯辞めるつもりはない。
あっさりとバレーを手離した彼とはわけが違う。
そして変わらずこの中高一貫校で進級し、幸いまたこれから2年間クラスメイトになれた彼の存在も同じだ。
佑真は生涯彼の友人である事をやめない。
けれど、再び佑真に背を向け始めた彼はどうだろう。
果たして自分と同じ気持ちだろうか。
バレーをあっさり手離したように、彼はすでに用がなくなった自分からいつか去るつもりだろうか。
佑真は知っている。
ついこの前まで彼が毎週必死で佑真だけを勉強に誘った理由も、佑真の家にこだわり、毎週必ず佑真の部屋に入りたがった理由も、とっくの昔に最初から気付いている。
そして、彼がすでに佑真の家を訪れるつもりがない理由もだ。
だったら今もなお佑真と友人関係を続ける彼は、ただいつかを期待しているのだろうか。
佑真を通じていつか出会えるだろうと、今はひたすら心待ちにしているのだろうか。
そんなことは有り得ないと否定してしまえば、彼はその時佑真から去るつもりだろうか。
佑真はもっと知っている。
彼が好きであったはずのバレーにとっくに興味を失くしたのは、比べられないものを見つけたからだ。
周りに散々惜しまれながらも頑なに続けようとしないのは、ひたすらチャンスを待っているからだ。
いつか出会えてもいいように、いつか出会えるために、ただそれだけのために彼はあっさり他を失う。
くだらない、出会えるはずなどないのに。
学校も違う、家も遠い、佑真の家の縁側からもすでに姿がなくなった。
それでも彼は待ち望んでいる。遠くから探し求める。
いつも遠くから縁側を見つめたように、彼はまたそれを繰り返そうとしている。
どうしたら止められる。
自分がもう言ってやろうか。
お前は無理だ、一生叶うはずがない。
何でだかわかるか?
自分がいるからだ。
友人として自分が傍にいる限り、お前は絶対に受け入れてもらえない。
佑真が正直に言ってしまえばどうなる。
彼は諦めるだろうか。
佑真はすでにわかっている。
彼があっさりと自分に背を向け、友人をやめることを。
口さえ聞かず、耳さえ貸さず、他人のフリすら平気でしてみせるだろう。
彼がいつも遠くから縁側を見つめた時、背後の自分に一切気付かなかったように、自分の存在すら記憶から失くしてしまうのだろう。
じゃあ佑真はどうする。
答えはすでにわかっている。
何もしないのだ。
見て見ぬふりをすればいい。
生涯彼の友人であるために、彼を失くさないために、彼の想いなど見過ごしてしまえばいいのだ。