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《19》


 マットの上で最初のストレッチを始めると、さっそくインストラクターの女が傍に近寄ってきた。


「めずらしいね、最近は3日に1度必ず来てくれるモヤシ君が2日連続なんて。そんなに理沙さんに会いたくて、我慢できなくなっちゃった?」

「…………」

「否定しない……モヤシ君、今日はとっても元気ないね」

 佑真がムキになり勘違いを訂正しないだけでまたしても勘違いする女は、当然頼んでもいないのに隣に寄り添い始めた。

 ピッタリ寄り添う女が邪魔でストレッチを継続できなくなった佑真は、仕方なくやめた。


「……なあ、会いたくない奴に会わない為にはどうすればいい」

「初めてモヤシ君から質問されちゃった……きっとモヤシ君の会いたくない人は、今日お家にいるんだね」

「……何で決めつけんだよ」

「モヤシ君が会いたくないほど嫌いな人、会いたくないほど邪魔な人、会いたくないほど苦手な人……モヤシ君、その人が怖いんだね」

「だから決めつけんなよ! そんなんじゃねえ」

 また勝手な女の勘違いにムキになって言い返すと、どこまでも勝手な女が佑真の手を取った。


「何触ってんだよ……」

「モヤシ君、勇気が出るおまじない」

「は?」

「会いたくない人にそれでも会わなきゃいけない時は、その前に会いたい人に会いに行けばいい。その人からちゃんと勇気をもらえばいい」

「………」

「モヤシ君、私に会いたいと思ったんだよね?」

 佑真の手を握りしめる女が、最後は嬉しそうにニッコリ笑った。

 うぬぼれ女の勘違いにとうとう呆然とあきれてしまった佑真は、思わず手を離すことも忘れてしまった。


「よおし! これで充電完了だぁ! モヤシ君もう大丈夫、理沙さんがいっぱい勇気を注いだからね?」

「別に俺は……」

「そうだね、モヤシ君はその人が怖いわけじゃない。本当に怖いのは自分の心。でも今日だけは他からもらった勇気が満ち溢れている。また足りなくなったら、明日も他からもらってしまえばいい」

「…………」

「モヤシ君、理沙さんはいつでもここにいるよ?」

 女からようやく離された佑真は、勝手に勇気を注がれた自分の手を見下ろした。

 しばらく経ってようやく我に返ると、急いで体勢を整え直す。


「すっかり途中になっちまった……おい、背中押してくれ」

「やったね! ついでに元気も漲った。レッツ ストレッチ!」

「おい! いてえよ! 全体重かけんな!」

 女の尻に背中を押されながらストレッチを再開した佑真は、さっそくいつものように文句を飛ばし始めた。




「おかえり」

 すでに家に帰っていたあいつは、たった今帰ってきたばかりの佑真に笑って声を掛けた。

 玄関前で待っていたあいつと目を合わせた自分は、すぐに目をそらした。


「……ただいま」



 いつの間にか交わされるようになった帰宅の挨拶は、自分とあいつにとって唯一の会話。

 あいつは半年に1度、必ず笑顔で自分の帰りを待っている。

 

 半年に1度、必ず家に入る直前で逃げ出したい衝動に駆られる。

 そんな自分は今日も変わらず同じだった。


 半年に1度必ず笑顔のあいつと目を合わせ、半年後悔の念を残す。

 今日も変わらず目をそらした自分は、今日はなぜか後悔を残さなかった。 



 今日も佑真の帰りが遅かったにもかかわらず、茶の間のテーブルには今日も3人分の食事が待っていた。 

 今日はあいつが帰って来たというのに、今日も佑真の好物ばかりが揃っている。


「遥希が帰って早々作ってくれたんだ」

「お父さん、そんなこと言わなくていいから」

 今日も父が嬉しそうに佑真に伝えると、今日もあいつは慌てて父を止める。

 佑真はいつのまにか自分の好物を知っていたあいつの作る夕食を、いつも黙ったまま口に運ぶ。

 今日も黙って食べ始めた佑真は、すぐに向かいの父に視線を向けた。


「明日は焼肉食いてえ」

「焼き肉?……そういえば肉は買い忘れた」

「明日俺が買ってくる」

「……まあ、たまにはいいか。遥希もいいか?」

「うん、食べたい」

「親父、庭の野菜だけは絶対鉄板に乗せんなよ」

「肉だけじゃ栄養が偏るだろ。遥希、お父さんの作った野菜も食べたいよな?」

「うん」

「ほら、肉は鉄板に半分だ」

「しゃあねえなぁ……じゃあ奮発しろよ。いい肉買ってくる」


 今日、父を通して初めてあいつと会話した。




 ベットの上で暗い天井を見上げる佑真は、今日も会ったインストラクターの女を思い出す。


 彼女は自分に教えた。

 あいつが怖いのだと。

 あいつを怖がる自分が怖いのだと、自分の心を教えた。

 

 自分は怖かったのだろうか。

 いつのまにかあいつが怖くなったのだろうか。

 いつからあいつを怖くなったのだろうか。


 半年過ぎる度必ず帰ってくるあいつが壁の向こう側で寝ていると、すぐに寝つけなくなった頃だろうか。

 翌日もまだ家にいるあいつを考えると、初めて一睡もできなくなった夜だろうか。

 半年に一度の必ず眠れない一夜は、あいつを怖がる心のせいだったのか。


 じゃあなぜ怖がった。

 なぜ一瞬も眠れないほどあいつを怖がる。


 自分にはわからない。

 それだけはどうしてもわからない。

 わからないのにあいつを怖がる自分は、やはり今夜も眠れないのだろうか。

 そんな自分を怖れるあまり天井から目を瞑り、彼女の手を思い出す。


 今夜だけ彼女からもらった勇気に縋ってしまいたいと望んだ佑真は、彼女に握られた手を無意識に握りしめた。




「じゃあ佑真、今日は遅くなるから留守番よろしくな」

 盆休みのため昼間から茶の間に寝そべる佑真に、玄関先から父の声が掛かった。

 適当に返事を返しながら、暇つぶしの漫画を読み続ける。

 父が玄関から去っていく音が佑真の耳にもわずかに届いた。


 毎年夏、父は帰省を終えるあいつと共に半日出掛けていく。

 あいつの母親の墓参りを済ませ、途中の電車であいつと別れ、最後は父1人で家に帰ってくる。

 今日も佑真は見送りなどせず茶の間で返事をし、父が玄関から去っていく音だけを耳に漫画を読み続けた。


 いつからだろう。 

 この時間ようやく1人となった自分が、安堵の息を吐き出せなくなったのは。

 安堵を忘れた自分が、読み続ける漫画から目をそらしそうになったのは。

 とっさに漫画を離した自分が、すでに去った父の姿を縁側からのぞいたのは。

 

 そして今日、とうとう佑真は居ても立ってもいられず縁側から離れ、本当に父の姿を追いかけた。

 


 父と共に歩くあいつがいた。

 父の隣にいるあいつの背中を見つけた。

 遠く離れた背後から、あいつの背中だけを見つめた。


 佑真は今日、気付いてしまった。

 怖れる心はあいつの背中だったのだと、とうとう初めて気が付いてしまった。


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