《17》
「筋肉痛が治まんねえ。マジムカつく、あの女」
「こないだから女女女って、3日連続だぞ……………めずらしいな、とうとう彼女か」
3日経っても長引く筋肉痛にインストラクターの女を今夜も夕食を食べながら恨むと、そんな息子に向かいの父は興味津々と尋ねる。
「誰があんな女。俺はすっかり騙されたんだ」
「…………ふーん、ひねくれ者のお前を手懐けるなんて、その彼女は相当賢いな」
「だから彼女じゃねえって…………これだよ、これ」
父が完全に期待する前にさっさとテーブルにパンフレットを放り投げると、さっそく父も拾い上げる。
「スポーツジム?」
「義理で仕方なく入ってやったんだよ。そしたら指導の女がとにかく生意気でさ」
「…………ふーん、なるほどな。その彼女、とっても素直で明るい子じゃないか」
「おい親父、さっきから俺の話ちゃんと聞いてんのかよ…………ったく、もういい」
要するに息子とは正反対の彼女だと勝手に判断した父に、話し損だったと佑真も結局諦める。
「ジム、今度はいつ行くんだ?」
「知らねえよ…………今日から出張だから」
「お前は相変わらず突然だな。いつまで?」
「明日」
「あの子か。ちゃんとお土産も買っていけ」
1泊で出張だと言えばいつも決めつけてしまう父に特に反論せず、ジムのパンフレットをすばやく取り返した。
「いらっしゃい」
「はい」
「いつもありがとな」
友人の彼が玄関ドアを開けた途端地元のお土産を差し出すと、彼もすぐに受け取った。
そのまま彼の部屋に上げてもらった佑真は、いつものように窓際のソファをさっそく占領する。
「今日も出張帰りか? お疲れ」
「うん」
別に出張ではなくただの会社帰りにまっすぐ訪れただけなのに、いつも誤解したままの彼に労われそのまま受け取る。
「佑真、飯は?」
「さっき駅弁食った」
「なんだ、せっかく沢山作ったのに」
「じゃあ明日食う」
「助かる、そうしてくれ」
突然行くと連絡一本寄越し泊まるのは当たり前の佑真を、今夜も彼は大らかに受け入れてくれる。
こうして突然彼の部屋を訪ねるのも、すでに数えきれないほど重ねた。
出張と偽り毎月のように彼に会うため、100km以上離れたこの町までやって来る。
彼は一度としてそんな自分に迷惑な顔をしたことはない。
それをいいことに、自分は一度として躊躇することなく彼に会いに来続ける。
「佑真、酒飲むか?」
「うん」
ソファでビール缶を受け取ると、そのままテーブル前に座り直す。
彼が自分で作った夕食をしかたなく1人で食べ始めた。
1人ビールを飲み始めた佑真は、目の前の彼にさり気なく視線を向ける。
彼の表情は特に先月と変わった様子はない。
「営業の仕事は順調か?」
「そうでもねえけど、そんな悪くもねえ」
「問題なさそうだな…………お父さんもようやく安心しただろ」
「相変わらずジジくせえな、お前は」
「もう大人だから、ちょうどいいよ」
昔と変わらず自分の父を気遣う彼に今日も指摘すると、ようやく年齢が追いついたと彼はおかしそうに笑う。
「お前はどうなの?」
「……何が?」
「最近、変わったことあった?」
いつものように反応を確かめるため、ついでを装い彼にそれとなく尋ねる。
「変わったこと…………うん、あったよ」
「ふーん、何?」
内心ドキリと胸を鳴らした佑真がさりげなく追及すると、彼は鮮明に思い出したのか含み笑いを滲ませた。
「大学の後輩が今年入社した」
「後輩……? ああ、あの懐かれてる後輩ね。お前の会社に?」
「ああ」
「……お前の後追って?」
「そうみたいだ」
「ふーん…………その後輩、ちょっとヤベえかもな」
「……何が?」
「いいから、お前は気付かれずそっと離れとけ」
「……どうして?」
過剰な後輩の行動にもまったく危機感のない彼に、からかい混じりで忠告する。
最近起こった彼の変化に佑真はおかしく笑いながら、今夜最初の安堵の息を吐いた。
「佑真、風呂沸いたぞ」
「俺はまだいいや、先入って」
再びソファで寛ぎテレビを眺めていると、風呂の用意をしてくれた彼に先を勧める。
彼が素直に再び浴室へ戻っていくと、佑真も再びテレビを眺めた。
少しするとシャワーの音が自分の耳まで届き始め、ようやくテレビから視線を外す。
今度は浴室のドアを見つめソファから立ち上がった佑真は視線をそのままに、隣の部屋へ音なく足を踏み入れた。
彼の机に置かれたスマホを勝手に操作する。
今月始めからの発信履歴と着信履歴、電話帳、メール、すべて細かくチェックしていく。
先月と特に大きな変化はないことを素早く確認し、今夜2度目となる安堵の息を吐く。
すぐにスマホを戻すと、今度は机の引き出しに仕舞われた日付が今月の手紙のみをチェックする。
これも先月と変わらず新たな宛名がないことをしっかり確認すると、今日最後となる安堵の息を吐き出した。
「佑真はまたそこか……」
風呂から上がり髪を乾かしながら近寄った彼は、すでにソファで眠っている佑真を見下ろした。
起きる様子がないとわかると隣の部屋から薄いタオルケットを持ち出し、佑真の腹だけに掛ける。
すでに11時を過ぎ、そのまま佑真をソファで寝かせ明かりを小さくした彼は隣の部屋に籠った。
毎回こうしてソファで眠ってしまう佑真に今夜も疑問を抱かない彼を確認し、ようやくソファで薄く目を開く。
佑真は薄暗い天井を見上げながら、今夜も初めて1人考え始めた。
自分は一体何をしている。
自分は一体何を考えている。
毎月必ず彼の家を訪れ、彼の変化を探っていく。
彼の表情を気付かれぬようさりげなく観察し、彼の目を盗んで彼のプライバシーを事細かに監視する。
どう考えても異常だ。
ただの友人として有り得ない行動だ。
それでも自分は一度たりとも途中で躊躇したことはない。
毎月必ず衝動に駆られるまま彼の家を訪れ、彼に変化がないことに何度も安堵の息を吐く。
すべて終えると眠ったフリをし、最後まで彼の目を誤魔化す。
彼が隣に籠った後、こうして再び目を開き天井を見つめ、ようやく自分を振り返り始める。
自分の行動に今夜初めておぞましさを感じ、今夜初めて躊躇する。
心の中でもうしないとまるで子供のように反省し、最後に後悔の念を溢れさせる。
それなのに明日また彼と顔を合わせればすぐに反省も後悔も、そして躊躇も忘れてしまう。
そんな明日の自分も、今夜天井を見つめる自分がすでにわかっている。
いつもその繰り返しだ。
もう一体どれだけ彼への異常な干渉を繰り返した。
彼のいない今だけはこんなにも悔み苦しむ。
それでもやめられない。
自分はまた来月、躊躇なく彼の家を訪れる。
異常と後悔をまた繰り返す。
これからもずっと繰り返す。
どうしてもやめられない。
彼からあいつの気配を見つけられない安堵だけは、どうしても止めることができない。