《16》
「くそ、やってらんねぇ。いきなり暑くなりやがって」
ようやく梅雨が過ぎるや否や容赦なく訪れた炎天下の真夏日、今日も地道に田んぼ道を歩きながらギラギラの太陽を睨みつける。
いくら額を拭っても滲み出る汗に辟易すると、とうとう自分をこんな身の上に置いた会社ごと恨み始めた。
元から愛想がない佑真は外回りなどまったく希望していなかったのだ。
それなのに無事就職できた地元の中小企業に入社した矢先、突然営業に回された。
自分の女顔は顧客受けが良いと納得いかない理由をこじつけられ、仕方なく毎日こうして外を歩かされる。
結局愛想のない佑真がそれでも顧客に結構気に入られているのは、ひとえにやはり女顔な見てくれのお陰か。
就職してすでに2年経つが営業成績も悪くなく、今さら特に会社を辞める理由も見つからない。
今日も相変わらず文句だけ垂れながら次の顧客に会いに行くため、ひたすら田んぼ道を歩き続けた。
「あれぇ? もしかして佑真か? お――い、佑真――!」
それでなくともこんなに暑くて振り返ることすら面倒なのに、どうやら知り合いらしき暑苦しい男の声に背後から呼ばれしかたなく立ち止まる。
「佑真は相変わらず愛想ねえなぁ……俺だよ俺。久しぶり」
「……お前、何でここにいるの?」
結局振り返ることなく知り合いらしき男をただ待つと、走って近付いてきたのは高校時代の仲間だった。
まさかこんな田んぼ道での偶然な再会に、目の前に佇んだ仲間の姿を訝しげに見つめる。
「何言ってんだよ、俺の家すぐそこじゃん。ほら、あそこのハウス畑」
「……あ、そうだっけ」
そういえば1人息子の仲間は地元の大学を卒業後、そのまま親の家業を継いだのだった。
同じ大学でもあった仲間とほぼ2年振りの再会になったが、よく見ればすっかり日焼けし農家の男に様変わりしている。
「お前、ずいぶん変わったなぁ……」
「佑真こそ、ますます細くなったんじゃね?」
仕事は違うが毎日外で動く者同士であっても佑真は以前よりさらに華奢になったのに対し、仲間はガッチリ骨太になっている。
「佑真、最近バスケやってんの?」
「忙しいんだよ」
「だからだよ。体力がないから、そんなにヒョロヒョロで汗ばかりかくんだ」
「汗は関係ねえだろ」
結局大学まで続けたバスケは、今はやる機会もなくした。
毎日外回りでへばり気味の佑真をちゃんと見抜いた仲間は、さっそく説教を始める。
「……お前は何かしてんの?」
「俺? ちょうど良かった。はいこれ」
しばらく会わない内に変貌した仲間のガッチリ体型をさりげなく気にすると、仲間はすぐにジーンズから折り畳んだ紙を取り出し佑真に手渡した。
「何これ?」
「知らねえの? 1年前駅の傍にできたんだよ。スポーツジム」
「ジム? お前ここ通ってんの?」
「うん、まあ時々だけど」
「ふーん……」
ジムのパンフレットをざっと眺めた佑真は、最近スポーツジムで汗を流しているらしい仲間の姿に改めて視線を向ける。
以前は自分とそれほど体型も変わらなかったのに、時々筋トレするくらいでここまで変われるものなのだろうか。
佑真がめずらしく興味を示すと、すぐさま見抜いた仲間が突然はりきり始めた。
「実は俺のイトコがさ、去年ここで働き始めたんだ。最初は無理やり通わされたんだけど、3か月経った今じゃこの通り俺の肉体もムキムキだ。ひょろっこいモヤシのお前だって、イトコの指導にかかればあっという間だぞ」
「あっという間にムキムキ……いや、俺忙しいし」
「実はさ、イトコが友達勧誘してこいって厳しくて……俺、あの人には絶対逆らえねえんだ」
「いや、俺お前とは久々だし」
「佑真頼む! まずは一日体験! いや、見学だけでいいから!」
よほどイトコに頭が上がらないらしい仲間はジムのパンフレットを肌身離さず持ち歩いている程だから、おそらくノルマが課せられているのだろう。
農家の息子がまったく畑違いの勧誘までさせられる情けない姿に、営業職の佑真もしかたなく同情を滲ませる。
「しゃあねえ……見学だけだぞ」
「佑真!」
感謝感激した仲間の暑苦しい手でギュウギュウ握りしめられ、すぐさま振り払いながらため息を漏らした。
※ ※
「あなたがお友達? ふーん……ずいぶんなモヤシっ子見つけてきたね」
「でしょ? 鍛え甲斐ばっちり。やったね! 姉ちゃん」
「おい、どういうことだよ! 女だなんて聞いてねえぞ!」
見学のみ了承したのになぜか無理やりジャージに着替えさせられ1日体験することになった佑真は、まんまと仲間に裏切られたらしい。
さっそく筋トレマシンが揃うジム内に連れて来られ佑真の前に仲間のイトコであるインストラクターが現れると、すぐさま仲間に抗議する。
頭の上がらない仲間のイトコはてっきり男だと思い込んでいたが、正真正銘どうみても女だ。
「……ん? どういうこと? モヤシ君、インストラクターが女じゃだめって言いたいの? 失礼ねえ」
「は……モヤシ君? さっきから俺をモヤシ扱いするあんたの方がよっぽど失礼だろうが」
仲間のイトコがこれまた失礼な女だったのでカチンと頭に来た佑真が突っかかると、仲間が慌てて2人の間に割り込む。
「まあまあ2人とも、さっそく喧嘩しないで。これから長い付き合いになるんだからさ」
「……長い付き合い? おい! どういうことだよ! 俺は今日だけ渋々1日体験だぞ!」
「あっ! 大変だ! そろそろ俺は帰らなきゃ親父に怒られる! 農家の朝はとっても早いんだった。じゃあ姉ちゃん、今日からこいつのことよろしくねぇ」
「おい! ちょっと待てよお前、逃げんな……あ」
シムに佑真を置き去りにしあっという間に逃げ去った仲間を、虚しく手で追いかける。
「はい、残ねーん。モヤシ君、今日からよろしくね。私のことは気軽に理沙さんって呼んでね?」
「冗談じゃない。俺は入会するなんて一言も言ってねえぞ」
「……ん? モヤシ君、もう入会済みだけど」
「はあ!?」
インストラクターの女がわざわざ目の前で広げてくれた入会届には、しっかり佑真の名前と詳細が記入済みだった。
またしても抜け目ない仲間の裏切り行為でまんまとジムに入会させられていた佑真は、あんぐりと口を開ける。
「はい、また残ね―ん。じゃあさっそく理沙さんが筋トレマシンを順に説明するね? レッツゴ―!」
あんぐり放心している隙に女のペースに嵌められ、グイグイ手を引っ張られるまま後に付いていかされた。
「どう? 一通りコツは掴んだかな?」
説明と言いながらあれよあれよと一通り全部の筋トレマシンを体験させられた佑真は、グッタリと床に体育座りした。
「……言っとくけど、俺は絶対入会しねえぞ」
「ふーん……モヤシ君って見た目通りとってもしつこいんだね」
「……はあ!? それを言うなら見かけによらず意外としぶといだろ!?」
「えらいえらい、その意気だ。元気も出たみたいだから次行ってみよう! レッツ サイクリング!」
思わずムキになって女の言葉を訂正するあまり勢いよく立ち上がってしまうと、今度はまんまとサイクリングマシンに乗せられる。
体力不足の身体をゼイゼイ言わせながら、20分間ひたすら自転車を漕がされた。
「今日はお疲れ様。はいどうぞ」
最後はとうとうマットに転がりバテてしまった佑真は女に水を手渡され、なんとか受け取る。
再び座り直し朦朧としながら飲み始めると、女も隣に腰を降ろした。
「……言っとくけど、俺は女は嫌いなんだ」
「ふーん……モヤシ君、もしかしてトラウマかな?」
「……は?」
「女は嫌い、女は寄せ付けない、女は苦手……つまり女が怖いんだね」
何を言ってるんだ、この女は。
再びあんぐりと口を開けた佑真は、真顔で納得する隣の女に呆然と視線を向ける。
「モヤシ君やったね! トラウマちょびっと克服だぁ!」
「…………」
「ほら、初めて自分から目を合わせられたじゃない」
確かに自分から女の目を見つめてしまった佑真はようやく我に返り、すぐさま顔をそらした。
「あーあ……モヤシ君が10秒でそっぽ向いちゃった。よ―し、明日は20秒維持だ」
「……言っとくけど、明日なんてねえから」
「ふーん……じゃあモヤシ君、また1週間後ね」
勝手に次回の日程を決めてしまった女は佑真をその場に残し、あっさりとどこかへ行ってしまった。




