《15》
「……何それ、カタログ?」
「暇な時に見ておいてくれ…………まあお前はいつも暇か」
せっかく無事地元の大学に合格したばかりの息子を、さっそく父は暇扱いし始める。
確かに入学式までひたすら家でだらけるつもりの佑真は、今日も日曜日と言い訳し昼近くになってようやく茶の間に降りてきた。
父がテーブルで眺めていた分厚いカタログをさっそく佑真の前に広げる。
「壁紙? 何で? リフォームでもすんの?」
「2階だけだよ。今のうちに壁も作る」
「壁……」
2階の子供部屋を改装するという父は今のアコーディオンカーテンを取り外し、元々1部屋だった空間を完全に2つに分けるつもりらしい。
今までその気もなかったのに突然思い立った父を訝しがりながら、どうせならもっと早く行動してほしかったと不満気に壁紙サンプルのカタログを眺め始める。
「今日から遥希がいないから…………お前もしばらくは下の部屋を使ってくれ」
結局父の反対を押し切り就職したあいつは、今朝この家を出たという。
あいつがいなくなった途端リフォームを始めると言う父は、おそらく娘がいつ帰省しても不自由しないように思いやっての行動なのだろう。
結局この父はそうとう娘に甘いのだ。
当然娘を甘やかす一番の原因は息子である自分なので、今さら遅いリフォームに文句はつけられない。
しばらく真剣にカタログと向き合っていると、めずらしくテーブルに置いた携帯が鳴った。
着信表示を確認し、すぐさま耳元に当てる。
『佑真、見送りには来てくれないのか』
友人の彼に最後望まれた佑真はようやくカタログから離れた。
「今日だったのかよ」
「ああ、悪い。伝えるのが遅かった」
わざわざ佑真の家の最寄駅で一度下車した彼は、改札近くで佇み待っていた。
「最初から新幹線使えよ」
「大袈裟だから」
最後まで電車を選んだ彼は、それほどの距離ではないと言い訳する。
「佑真、ちゃんと合格したか?」
「うん」
「そうか…………お父さんも喜んだだろ」
「相変わらず子供らしくねえよなぁ……」
「もう大学だ。子供じゃないよ」
どうして別れの前なのに、自分と彼は昔と同じように会話できるのだろう。
おそらく今日、目の前の彼が昔と同じように笑っているからだ。
「そんなに嬉しいか」
「ああ」
またすぐあいつと同じ場所にいられると、彼は素直に笑ってしまった。
「俺は知らねえよ」
「ああ」
「もう他人のフリはしねえのか? 見つかるかもしんねえぞ」
あいつに見つかる前に友人をやめないのかと尋ねる。
もうあいつがこの場所にいないことをちゃんとわかっている彼は、ただ苦笑した。
「またそのうち必ずする………………佑真、そのうち必ず遊びに来いよ」
「都合良すぎねえか? 俺はそんな安くねえぞ」
これからも平然と他人のフリをすると開き直った彼は、それでも自分の友人をやめないつもりらしい。
さすがに呆れてしまった佑真は、それでも彼の友人をやめるつもりはない。
彼がまだ懲りずに友人を続けると言うのなら、自分はまた見て見ぬふりの始まりだ。
今朝、電車で離れたあいつを追いかけるように、彼は再び電車に乗り佑真の元から去った。
「おい親父! 何してんだよ! 勝手に人の部屋入んな!」
「お前が物を溜めすぎなんだ! この際いい加減要らないものは処分しろ!」
「やめろよ親父! それは全部俺の宝物だぞ!」
どう見ても宝物には見えない佑真の溜めに溜め込んだ漫画やバスケ関係の古雑誌を、父が勝手に紐で縛り始めた。
慌てた佑真は部屋から無理やり父を追い出す。
「くそ……埃くせえ」
掃除もろくにせず部屋中いたる所に積み重なった一応宝物を、しかたなく綺麗に纏め始めた。
「おい親父! どういうことだよ! これじゃ俺が寝れねえじゃねえか!」
「お前が結局捨てないからこうなるんだ。仕方ないからお父さんの部屋で寝なさい」
「冗談じゃねえぞ! 俺はもう大学生だ! 何を好き好んで親父と一緒に寝なきゃいけねえんだよ!」
「嫌なら宝物は諦めて捨ててくればいいじゃないか」
結局父の正論にグッと言葉を詰まらせた佑真は客室に埋め尽くされた家具と宝物のせいで、しばらく父と一緒に寝ることになった。
明日から2階の子供部屋を改装することになったため、今日のうちに物をすべて1階の客間へ一時移動した。
「佑真、最後に自分の部屋を掃除してきなさい」
最後にあいつの部屋を掃除し終えた父が、一度洗った雑巾を佑真に手渡した。
最後は素直に受け取ると、再び自分の部屋に行くため階段を上る。
佑真が部屋に入ると、すでにアコーディオンカーテンはなくなっていた。
数年前父が突然作った薄い壁は、今日父が自ら取り外した。
今度は本当に厚い壁ができるまで、少しのあいだ元の大きさに戻った自分の部屋を見つめる。
突然何もなくなった12畳の空間に自分だけが1人佇んだ。
さっきまであった薄い壁の向こう側を久しぶりにちゃんと見つめる。
絶対に開くことのなかった薄い壁の向こう側に、あいつはもういなかった。
突然なくなったアコーディオンカーテンを、父は一体どこにしまったのだろうか。
一瞬行方を気にした佑真は急いで首を振った。
今はない薄い壁に背を向けると、半分の床を綺麗に拭き始めた。