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《13》


「めずらしい……佑真が入ってない」

「うるせえ、本番勝負だ」

 廊下の壁に張られた今年最後の白紙を眺めた隣の仲間が、意外そうに驚いた。

 上位者50名から初めて漏れた佑真も同じく白紙を眺め、仏頂面で粋がる。


 所詮地元の大学を目指す佑真は案の定、先月行われたテストは散々な結果で終わった。

 すっかり気が緩み勉強を疎かにした自業自得である。

 受験まですでに残り3か月を切り、今更だが遅い本腰を入れるしかない。

 あれだけ父に地元に残るとはっきり宣言したのだ。

 万が一地元のそこそこレベルな大学すら全滅なんて虚しい結果に終われば、それこそ父に呆れられてしまう。


「お前も似たようなもんじゃん」

 いまだ白紙を眺め、隣の仲間も自分と同等だと悔し紛れで言い返す。


「俺はいいの。どうせここから出れねえし」

「……ふーん、なんで?」

「親が駄目だってさ。俺1人息子だから…………ったく、勝手だよなぁ」

 最初から地元の大学を志望しているこの仲間は親に引き止められ諦めながらも、今だ不満そうな表情で白紙を眺める。

 正直、引き止められるだけ仲間が羨ましい。遠くの息子を喜ぶ自分の父とは大違いだ。


「佑真も地元だろ? 何で?」

「いいんだよ俺は。バスケできればどこだって」

「ふーん……もったいねえ」

 佑真の気持ちなどまったく理解できない1人息子の仲間は不思議そうに呟き、再び白紙を眺めた。


「すげえよなぁ、あいつ……1回どん底落ちたのにとうとう頂点君臨だよ」

 佑真の通う中高一貫校は県内随一の進学校であり、それこそ今の時期なんて生徒は皆しのぎを削る思いだ。

 昨年最下位に転落した友人の彼が、今では白紙の一番上位に名を載せている。

 当たり前だ、この1年自堕落で過ごした自分とはわけが違う。

 ひたすら勉強だけに費やした彼の努力がこの結果だ。

 彼の名前を久しぶりに見つめた佑真はようやく白紙から離れ、隣に振り向いた。


「先教室帰ってて」

「何で?」

「こっちに寄るとこある」

 今いる別校舎に用事があると一緒に来た仲間とその場で別れ、廊下を駆け始めた。



「玄」

 理系クラスの教室を覗き込むと席に座り1人勉強している彼が見えたので、そのまま声を掛ける。


「佑真」

 顔を上げた彼は、目の前に佇んだ笑顔の佑真に気付いた。


「お前、相変わらず真面目だよなぁ。休み時間くらいちゃんと息抜きしろよ、本番前にバテるぞ」

「ああ……俺は大丈夫だ。こっちに用事か?」

「なんだよ、用事がなきゃ来ちゃいけねえの?」

「そんなことないよ」

 佑真がただ会いに来たとわかると、彼もようやく手に握るシャープペンを離した。


「まあ、本当はそこの白紙目当てだったんだけど。お前の教室が近いこと思い出して、ついでに寄ってみた」

「白紙?……ああ」

「まだ見てねえの?」

 めずらしく別校舎を訪れた佑真の用事がテスト順位の白紙だとわかり納得したらしいが、彼本人はまだ確認していないらしい。

  

「お前1番だったけど……すげえな、おめでと」

「そうだったか? ありがとう」

「ちょっとは結果にも興味持てよ。澄ましやがって」

 順位には特にこだわっていない彼に笑って突っ込むと、彼もちゃんと頷いてくれた。


 彼とこうして話ができるのは一体いつぶりだろう。

 2年の始め頃までは、いつだって佑真と彼は教室で一緒に笑っていた。

 今の彼はまだ笑ってくれないが、そのぶん今は佑真が笑えばいい。


「なあ玄、お前はここから離れるの? 大学」

「ああ」

「………まあ、しょうがねえよな。お前じゃここはもったいねえし」

「佑真は地元か?」

「親父がいるし、俺が家離れるわけにはいかねえからさ」 

「そうか……佑真も受験頑張れよ」

「おう、じゃあまたな」

 互いに進路を確認し合い佑真が最後あっさりと引くと、彼は最後もちゃんと頷いてくれた。



 思った通りだ。

 やはり自分の考え過ぎだった。

 久しぶりに再会した彼は、もうとっくにあいつのことなど忘れたらしい。

 まるで眼中にないとばかりに、あいつを気にする素振りは一切見せなかった。

 大変優秀な彼はあいつのいる地元から離れ進学することも、さも当たり前のような口ぶりで佑真に肯定した。

 佑真が地元に残ると肯定しても、すでに未練のない彼はあいつのことは一切聞こうと躊躇わなかった。

 最後はあっさりと佑真を解放した。

 どうしても最後に確証が欲しくて今日初めて彼の教室を訪ねたが、佑真の目論見は無事成功に終わった。

 それどころか、久しぶりに会った彼とあんなにも自然に会話できたじゃないか。

 確かに彼はまだ完全に心を開いてくれないが、おそらく時が経てば彼も変わる。

 あいつをすでに忘れてしまったように、自分にもそのうちまた笑顔を見せてくれる。

 後は待つだけだ。

 自分はただひたすら彼を待てばいい。

 いつか彼もわかってくれる。

 待っている自分に必ず応えてくれる時が来る。

 どんなに離れても、自分と彼はこれからも生涯友人であり続ける。

 


 ※ ※




「絶対駄目だ」

「もう決めたから」

「遥希」


 めずらしい。いや、初めてだ。

 あいつが初めて父に反抗しやがった。

 茶の間に父を残したあいつはそのまま2階へ逃げていく。

 たった今玄関に入ったばかりの佑真にもまったく気付かず、階段を駆け上がった。

 いつもなら目敏く見つけビクビク脅えるくせに、今日は完全に無視された佑真は思わず拍子抜けした。


「ああ、お帰り」

 茶の間のテーブル前に呆然と座っていた父が、帰宅した息子の姿に慌てて我に返った。

 向かいに腰を降ろした息子から誤魔化すように立ち上がり、そそくさと隣の台所に向かってしまう。

 よほど精神的に取り乱しているのだろう、父は大切な証拠さえテーブルに残したままだ。

 おそらく息子には見せたくないだろう父の忘れ物を、さっそく手に取ることなく眺めた。 


(縫製…………就職?)

 どうやら父と娘の喧嘩は突然の進路変更が原因だったらしい。

 佑真が遠目だけで確認する大きな茶色い封筒には、しっかりあいつの名前と会社名が印字されている。

 父の希望もあり近くの短大を受験すると思っていたが、いつの間にか勝手に気が変わったらしい。 

 しかも父にまで内緒で面接試験を受けに行き、すでに内定も貰ったようだ。

 臆病なあいつのめずらしく大胆な行動に自分も内心驚いているくらいだ、父の動揺は相当なものだろう。

 突然大人しい娘に反抗されショックな気持ちは十分理解できる。

 ただなぜ父は娘の就職にさっきあそこまで反対していたのか。


 今一腑に落ちず改めてじっくり封筒を眺め始めた佑真は、どうやらすっかり見落としていたらしい。

 大きな会社名ばかり気にしたせいで、その脇に小さく印字されている住所に初めて気が付いた。



「親父、あいつ離れんの?」

「友達に誘われただけだ。まだ何も決まってない」

 台所の父に駆け寄りすぐさま確認すると、鍋だけを見つめる父はそっけなく否定した。

 すでに内定も決まった娘の意志はあれほど頑ななのに、父はそれでもまだ認めたくないらしい。

 息子には遠くに行かせたがったくせに、やはり娘は傍から離すと心配ということか。

 当然家から離れる理由など娘に問いただす必要もない父はまた懲りずに友人を言い訳にし、自分と目を合わせられない。


 余計な気を遣いやがって、あいつが勝手に動き始めた。

 おそらくこの父は、すでに頑なな娘を最後まで引き止めることは出来ないだろう。

 結局、あいつは高校卒業後この家から出ていくはずだ。


 父のいる台所からようやく離れ、そのまま階段を上り始める。

 自分の部屋に入った佑真は、めずらしくアコーディオンカーテンを自ら見つめた。


 あいつがここからいなくなる。

 じゃあ彼はどうする。

 あいつがこの家から離れることを知れば、彼は気にするだろうか。

 自らあいつのいる場所を離れても、あいつがここから離れることには動揺するだろうか。


 そんなことはない、すでに彼にとって終わったことだ。

 今日、自分の目で確かめたばかりじゃないか。

 彼はすでにあいつが何処にいようと関係ない。


 じゃあなぜ自分が気にする。

 なぜ動揺する。

 彼はあいつなどどうでもいいのに、どうして自分はここまで彼を気にする。

 あいつの行動1つで、どうしてこんなにも彼に動揺する。

 あいつがまた振り回そうとするお蔭で、どうして彼を通してこんなにも自分が振り回される。


「お前のせいだ」

 佑真は初めて呟いた。

 アコーディオンカーテンを見つめ、初めて呟いた。

 今日初めて薄い壁の向こう側にいるあいつに声を掛けた。


 あいつは答えなかった。

 アコーディオンカーテンに遮られたあいつの耳に、佑真の声は届かなかった。

 今だけ逃げ出さなかったあいつの小さな足音は、佑真の耳には届かなかった。

 薄い壁の向こう側で今だけ耳を塞ぎ小さく震えているあいつだけが、佑真の目にはちゃんとわかった。


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