《1》
父にとって1人息子である佑真の部屋は広い。
元々は祖母が気ままに昼間過ごしていた、2階に1つだけの空間だった。
一昨年祖母が他界した後もしばらくそのままの状態だったが、1階の部屋を父と一緒に使っていた佑真が中学入学を機に譲り受けた。
当然他にきょうだいのいない1人占めな12畳の部屋に、佑真はすでに宝物を置き始めている。
中学から本格的に始めたバスケットは、佑真にとって唯一無二の特別な宝物だ。
広い部屋のあちこちに置かれたバスケットボールはもちろん軽いシュート練習さえ望むと、父は息子の我儘にも嬉しそうにバスケットゴールを取り付けてくれた。
どんなにボールを床に響かせても絶対に怒らない1階の父に甘え、今日もベットの上から何度も壁に向かって放り込む。
築年数の古い日本家屋の父の実家は佑真にとって元々好きな居場所だが、宝物がある自分の部屋はやはり特別だ。
先週は学校の友人がわざわざ電車に乗り、遠い佑真の家まで遊びに来てくれた。
佑真の広い部屋に驚き、兄と一緒の自分の部屋とは大違いだと感心さえしてくれた。
またいつでも遊びに来ればいいと誘うと、彼は壁のバスケットゴールに触れながら笑って頷いた。
その日もう1つ、佑真の部屋に宝物が増えた。
ある日突然、宝物のバスケットゴールがなくなった。
佑真の部屋から取り外したのは、半年前嬉しそうに取り付けてくれた父だった。
とっさに佑真が抵抗しても今度は庭で遊べばいいと、いつも優しい父が今回だけ譲ってくれなかった。
さっそく家の広い庭にもっと大きなバスケットゴールを用意してくれた父は、以前の小さな宝物はどこかに閉まってしまった。
ようやく庭でバスケを始めた佑真の姿を縁側から父は笑って眺めると、再び2階へ上がってしまった。
すぐに気付いた佑真は父の後を追いかけようとボールを放り投げ、一気に階段を駆け上がった。
佑真の部屋に入った父がさっき取り外した宝物の代りに、今度は薄い壁を作り始めた。
12畳の空間を真ん中で仕切る、アコーディオンカーテン。
父が嬉しそうに取り付けてくれたお蔭で、佑真の部屋が突然半分になった。
3日後、佑真の宝物がすっかりなくなったアコーディオンカーテンの向こう側に、突然小さな足音が響いた。
あまりにも静かで不気味な足音が隣のベットにいる佑真の耳にもしっかり届き、すぐさま部屋から飛び出した。
1階の父に駆け寄り必死で訴えると、そのうち慣れると笑われてしまう。
父が頼りにならないと諦めた佑真は仕方なく再び自分の部屋に戻ると、その夜はひたすらベットで耳を塞ぎ我慢することにした。
やはり次の日も小さな足音が響き、佑真は必死で誤魔化すためにこの前テレビで夢中になった海外バスケの試合をとっさに思い出した。
大好きなバスケ選手がリズミカルにボールを弾ませる音に意識を集中させる。
また次の日も小さな足音が響いた時、今度は学校のカバンを広げ、唯一苦手とする数学の教科書を取り出した。
あえて複雑な公式を見つけると、何度も頭の中に繰り返し叩き込む。
そして今日もアコーディオンカーテンの向こう側から小さな足音が響いた。
すでに誤魔化すことすら煩わしくなった佑真は、とうとう知らないフリをすることに決めた。
最初からそうすればよかったのだ。
佑真は何も知らないのだから、もう気になることはない。
久しぶりにベットへ思い切りダイブすると、そのまま天井を見上げた。
突然暇になったお蔭で、この前家まで遊びに来た友人のことを不意に思い出す。
佑真の部屋に入った瞬間広いと驚き、壁のバスケットゴールを気に入ってくれた彼は、今度遊びに来ればどんな反応をするのだろう。
突然小さくなった佑真の部屋に入るとバスケットゴールまで消えてしまい、とてもがっかりするだろうか。
それなら彼はわざわざ電車に乗り、佑真の家へ来ることもなくなるだろうか。
今度は無性に腹立たしくなり、天井を見上げたベットから跳ね上がる。
佑真は目の前のアコーディオンカーテンを思い切り睨みつけた。
無意識に舌打ちが出た直後、また小さな足音が響く。
当然何も知らない佑真にだけ聞こえるはずもなかった。