チョコの味
「結城。傘」
雪が降ってきた。昨日の夜の天気予報でも、朝の天気予報でも、降ると言っていた。だから、私は鞄の中に折りたたみ傘を入れていた。
自分で使うためではない。
もちろん。
「え、貸してくれるの? 」
結城に貸すため。
「ん。風邪引く」
こんなにも寒い。その上濡れてしまったら、より風邪を引きやすくなってしまう。雪も強くなってきた。
「佐々木はどうするのさ? 佐々木も風邪引くよ? 」
「私はどうでもいい」
結城の左手を取って、無理矢理握らせる。
「佐々木……………………」
風邪を引かれたら困る。結城が勉強を頑張ると決めたあの日、クリスマスイブのあの日から、私は結城の勉強を見てきた。先生の代わりに教えたりもした。
「私と同じ大学、受けるんでしょ? 」
「うん。頑張るよー。あたしは」
「なら、風邪引いたら駄目。勉強出来なくなる」
何故だか知らないが、結城は私と同じ大学を受けると言う。それは、かなりの無茶でだった。だけど、結城が頑張ると言うから、そうなったら私自身も嬉しいから、頑張って教える。風邪を引いて、貴重な勉強時間がなくなってしまうのは厳しい。今のままの結城では足りないから。
「でも」
逆接の言葉がくる。何に対してだろう。
「でも? 」
「佐々木も風邪引くよ? そうしたらあたしも困るなぁ。だからさ、こうしようよっ! 」
「ちょっ………………っ!? 結城……っっ!!? 」
腕を引っ張られ、結城の方にもたれてしまう形になってしまう。
「相合傘しよ? 」
「……………………」
結城からの突然の提案。一つしかない傘を二人で使うとなると、これが手っ取り早い。手っ取り早いのは分かっているんだけれど。
「むぅ………………」
「いいでしょ? 佐々木? 」
「……………………分かった」
「ありがとっ」
結城の、私の腕を持つ力が緩められる。逃げようと思えば逃げられる。でも、そんなことはしない。温かいし、離れたくない。
「歩きにくい」
学校まではあと少し。だけど、時間がかかりそうだ。
「んー? 慣れたら大丈夫だよ。慣れたら」
「慣れるまでに着いちゃう」
「それはそれでいいんじゃない? 」
「……………………もぅ」
諦める。相手が結城でなかったら断っていたが、結城だからいい。結城だから許せる。
「寒い寒い寒い!! 」
教室に入った結城は、すぐに窓際に設置されているヒーターの方に暖を取りにいってしまう。
「はぁ………………」
いつもの結城。結城らしい結城がそこにいる。
コートを脱いで、自分の席にかける。左肩の部分が、雪によって濡れている。大きめの傘を持ってきたらよかったのだろうが、折りたたみ傘しか持ってきてなかったから、仕方ない。この寒さでもコートを着ていなかった結城。結城の制服の右肩のあたりが、自分のコートのように濡れている。あれじゃ、風邪を引いてしまうかもしれない。風邪を引かないようにするために渡したのに。
教室には私達しかいない。二人だけでしかいない。受験シーズン。三年生は自主登校になっている。それなのに学校に足を運ぶのは、補習があるから、国公立大学を受ける人は、学校に来る。それが普通。結城のために学校にくる。
クリスマスイブの補習の時同様、今の時間は八時。開始まで一時間ある。こんなに早くくるのは、私達しかいない。
「………………っしょ……」
鞄の中からノートと問題集を取り出す。数学。今日の補習は数学からだ。鞄は濡れてない。
「にししし」
「どうしたの? 」
「今日なんの日か知ってる? 」
問題を解こうとすると、目の前の席に座っている結城がこっちを向いて、にまーっと笑っている。何かをやろうとしている時の笑みだ。
「今日は煮干しの日」
「二月十四日だもんねぇ。……………………って、そうじゃなくてっ!! 」
とぼけてみたら、ノリツッコミが返ってきた。面白い。
「バレンタインデーでしょ? 今日は」
「そうだけど、私には関係ない」
「なんで? 」
きょとん、と不思議そうな顔をする結城。理由が分かっていないようだ。
「だって、好きな男の子いないし、渡す相手いない」
「それだったらあたしにもいないよ? 」
「じゃ、どうして、そんなに盛り上がってるの? 」
「あたしはねぇ、佐々木のためにチョコを作ってきたのだーっ」
「私のために? 」
「そそ。友チョコだよ? 友チョコ。別に男の子にあげないといけないわけじゃない。友達にあげてもいいんだよ」
「…………………………。だから、私に? 」
「友達でしょ? あたし達」
当たり前だ。友達。この関係を辞めるわけがない。友達より一歩先の関係を望む。
「………………親友」
「え? 何? 」
「……………………親友っ! 私と結城は」
私は珍しく声を大きく出した。結城のせいだ。いつもなら、こんなに大きな声は出さない。
「嬉しいこと言ってくれるねぇ。佐々木は」
「ほ、本当のことだもん…………っ」
結城だから、親友でいたいと思える。ずっと、これからも。同じ大学。それはそのための布石でしかない。
「ほれほれー、あたしの手作りチョコだよぉ? 」
綺麗に包まれた袋から一粒チョコを取り出した結城は、それを、私の目の前まで持ってくる。
「甘い匂い」
「頑張って作ったんだよ? 佐々木のために」
「ありがと。結城」
「いえいえ。どういたしまして。あたしは何でもするからね。佐々木のためなら」
「ほんとに……? 」
「あたしが嘘つくと思う? 」
「思わない」
即答する。結城に嘘をつかれた記憶がないから。
「ほら、佐々木。口開けて」
「ん……………………」
目を閉じる。なんとなく。結城の行動を待つ。
「入れるよ? はい」
……美味しい……。
口に入れてもらったその瞬間。少しずつ、チョコが溶けてくる。チョコの甘さが口の中いっぱいに広がる。
「美味しいでしょ? 」
そう言いながら、結城も食べている。結城の口の中も、今の私と一緒のことが起きているだろう。
「うん」
「本当は、もっと沢山作ろうと思ったんだけどねぇ。あたし、苦手だからさぁ」
「十分だよ。私は作れないから。すごいと思う。結城は」
「照れるなぁ……」
苦手なのに作ってくれた。
「ありがと。結城」
自分のために頑張ってくれた。それだけのことが嬉しかった。
お返し。お返しをしないと。何で返すのか。それは、もう、決まっている。一つしかない。