8品目
ヒロが改めて協力してくれると言ってくれて、下拵えパート2――三枚おろしと皮引き――はあっという間に終わった。
タイは3枚におろしてもらい、今は塩〆モドキにしている最中だ。
加えて、今日はお昼のランチがお休みな事もあり、昼食もヒロの腕試しに使ったアジを転用する事で無事に終わったのだけれど……昼食が終わった卓袱台の前では、ヒロが頭を抱えていた。
「生はこの、生ビールの事で、冷と言われたら冷酒の事、サワーは炭酸で割る酒のこと……」
昼食が終わって、お店の飲み放題のメニューを渡し、その中で言われるであろう略称やヒロの時代には無かった酒類を説明した。
飲食店である以上、対応マニュアルを片手に注文取りなんて出来るわけが無い。お店で出してる飲み物全ては無理でも、飲み放題のメニューの中で、代表的なものくらいは覚えてないと格好が付かない。
だから、今のヒロは、それらの飲み物の名前や略称を暗記している最中だったりする。
あたしはお昼で使った器や道具を洗いながら、ヒロの小言や悪態を聞いていた。
「ビールの生と瓶でどう違うんだ? ビールは瓶に入っているものだろう」
とか、
「梅酒の炭酸割りと梅サワーは同じじゃあないのか」
などなど。頭を掻き、ブツブツうるさいけれど、メニューと一生懸命格闘しているヒロは、なんだか……えーと……しっかり者の隙を見つけれたみたいでちょっとだけ可愛かった…………かな。
「そんなに難しく考えなくていいわよ」
洗い物をさっさと済ませたあたしは、保冷ポットからお茶を注いでヒロの前へと出した。
ヒロは「おう」と横柄に受け取り、コップに口を付ける。
……前言撤回。ぜんっぜんっ可愛く無い! なによ、その横柄な態度は!
「よく冷えて美味いな。しかし、大丈夫なのか? これだけ冷やそうと思えば、氷代も馬鹿にはならんだろう」
相変わらず表情には出てないけど、ヒロは何事かの心配をしてきた。
「そんなの、出口先生に聞いたんじゃなかったの?」
「いや、聞いていないが」
イライラしながら言ったあたしに、ヒロは淡々と返事をする。
……そうでしたよ、この人は顔や声に感情を出さない人でしたよ。
あたしは自分のイライラを何とか沈めて話を続けた。
「今はね、冷蔵庫っていう便利なモノがあるの。だから氷は水を入れておけば簡単に作れるし、お茶も沸かしたら、冷蔵庫に入れておけば冷たくなるの」
「冷蔵庫なら昔からある。俺が言っているのは、冷蔵庫用の氷だ。これだけ冷やそうと思えば、使う氷の量も多かろう」
あれ? 氷は冷凍庫で作るし、冷蔵庫に氷なんて入れれば溶けてしまう。ヒロは何言ってるんだろう?
ま、モノを見せてしまえば早いか。と思い、ヒロに言ってみる。
「今の冷蔵庫、見てみる? お酒も入れてるから、メニューを持って来たら実際のモノも見れるわよ」
「ほう。未来の冷蔵庫と酒か、見てみよう」
あたしはヒロを連れ、お店のお酒を収納しているガラス扉の業務用冷蔵庫を見せる。
「これがお酒を入れてる冷蔵庫。一番下段が背の高い一升瓶を入れている棚で、その上がワイン、更に上に行くと果実酒やカクテルの原液、割る用の水やジュースがあるの。あと、これが飲み放題で出せる日本酒ね」
あたしは並んだお酒の種類を説明し、最後に佐賀の純米酒を指差した。
「日本酒ではない酒が多いな。しかし、これだけの物を冷やそうと思えば、大量の氷が必要になるはずだ。氷入れは何処だ?」
「氷? こっちの製氷機にあるけど」
全てを真剣な顔でジロジロと見ていたヒロは、唐突に氷の所在を聞いてきた。あたしは当然とばかりに、隣りに置いてある製氷機を開いて見せる。
大量の氷を前にしたヒロは目を大きく見開き、氷を見た後、あたしの顔をまじまじと見て言った。
「この店は、氷屋も兼業しているのか?」
「そんなワケ無いでしょ!」
「これだけ大量の氷……売れば結構な金額になるぞ」
「氷なんて、普通に家の冷凍庫でも作れるんだから、売れるわけ無いって!」
と、口やかましくやってればまあ……病院から戻ってきて豚バラ肉を煮込んでいる親方が近くにいる訳で……はい。
「うるさいぞ! 調理場で喧嘩するな!」
ですよねー。
ええ、仕事の邪魔をしてまでワケの解らない事言ってたヒロのせいです。
「親方! 氷、氷ですよ! 夏に!」
ヒロは氷に余程興奮していたのか、お父さんに単語をぶつけていた。
「氷がどうかしたのか?」
ヒロの様子に親方も手を止め、こちらにやって来た。
……結局、親方が現代の電気による冷蔵・冷凍システムを長々と説明してヒロは納得したようだった。しきりに、「電気とはこんなに便利になっているのか」などと言って、冷蔵庫を前に目を輝かせていたのは言うまでも無い。
なんでも、大昔の冷蔵庫は上部に大きな氷を入れて物を冷やしていたらしく、今のクーラーボックスのようなものだったらしい。
しかも、その氷は氷屋さんから買っており、夏などは良い値段を取られていたそうで、冷蔵用の氷をこっそりとかんなで削って少量の砂糖を掛けて食べたりしたと、ヒロが言い出し、親方も「俺の親方も同じような事を言ってたな。懐かしい」とか言っていた。
そんな話題で盛り上がったからか、親方が「折角だ、メニューを覚えてる間に、かき氷を食べさせてあげろ」と言ったので、あたしは子供の頃から愛用しているペンギンのかき氷機でヒロに渋々かき氷を作って上げた。
我が家にかき氷シロップは無いけど、シャーベット用の抹茶――抹茶とグラニュー糖を混合したもの――を常備しているので、それを溶いて作った抹茶シロップと、練乳をたっぷりと掛けてあげた。
……家庭版、抹茶ミルクのかき氷になるわけだけど、まあ、ヒロの食つきっぷりは凄かった。
最初はチョコチョコと、そして、味を確認すると一気にザクザクと口に掻き込み、頭を手で抑えながらも氷の欠片を口に放り込み続けた。
いや、別に、目をキラキラさせてかき氷に夢中になってるヒロが可愛いとか、口の端に練乳が付いて白くなってるのが子供っぽくて可愛いとか……決して思ってない。ついつい3杯も作ってしまったのは、そう、食べっぷり! 食べっぷりが良かったから! 食べっぷりが良いと作り甲斐があるし。うん、そういう事だ。
3杯のかき氷を食べきったヒロは冷蔵庫と冷たいお酒に興味が湧いたらしく、真剣にメニューと冷蔵庫のお酒を見比べ、飲み放題のメニューを夕方までに覚えきった。人間、興味があるものは覚えが早いって本当なんだと実感した瞬間だったよ。
――――――――――――――――――――
夕方、開店まであと1時間と迫った頃、あたしは早めに夕食を用意して、親方とヒロと3人で今日の段取りの最終確認をしていた。
今日の献立は、前菜――というかお通し――として餡掛け豆腐から始まり、イワシの酢の物、タイの姿造りの盛合せ、鶏ムネ肉の塩焼き、豚の角煮、天麩羅、ご飯とお吸い物と進む。最後にデザートとして、スイカが出る。順番はデタラメだけど、一応は会席としての料理内容なんだよね。
「えーと、座席は用意したし、豆腐も小鉢に入れた、酢の物も用意出来てる、姿造りも後は切って盛り付けるだけにしたし、お肉も焼くだけ、角煮は準備OK、天麩羅は……お父さん、本当に手大丈夫?」
今日の内容をメモ紙に書いて確認し、あたしは1つづつチェックを入れていく。
そして天麩羅、これが今日の課題だ。なんと言ってもお父さんの手のことがあるので、あたしは最終確認も含めて、お茶を飲んでいるお父さんに聞いた。
「野菜は大丈夫だよ。エビはちょっと心配だけど……」
「エビだけあたしが揚げようか?」
「ダメ。小夜子の火傷が心配だから」
お父さんの痛めた手を心配しての提案だったけど、即刻、拒否されてしまった。
でもさ、そんな事言ってたらあたし、エビの天麩羅が上達しないんだけど?
「エビの天麩羅を小夜子にさせるくらいなら、お父さんの心の安定のためにも、天麩羅は野菜だけにする」
「……それって、プロとしてどうなのよ」
「えー。プロの前にお父さんだし。小夜子が手を火傷したら、お父さんは後悔で死んでしまうしー」
心配してくれるのはありがたい。ありがたいけど、何で拗ねた子供みたいに寝転んで頬っぺた膨らませてるのよ! しかも、転がって近付いて来るな!
あたしは、畳をゴロゴロと転がってくるお父さんに向け、脇に置いていたお盆を立てる。
「あ痛ぁ!」
お盆の面に鼻っ柱をクリーンヒットさせ、お父さんが文字通り痛みに転げまわる。
あたしはそれを無視して、今度はヒロへと水を向けた。
「ヒロ、お吸い物は大丈夫?」
「ああ。夕飯前に浅葱と出汁を準備しておいた。あとはカワハギを蒸すだけだ」
「じゃあ、大丈夫ね。ご飯は予約を入れたし、スイカも切ったし……よし! 大丈夫!」
メモとペンを置き、あたしは元気に言い切った。
開店の時間と予約の時間が一緒のため、あたしは座席の最終チェックをした後で、早めに暖簾と“本日貸切”の看板を表に出す。
程なくして、本日第1号のお客様が見えられた。
「こんばんわー」
30歳を過ぎたくらいと、20歳くらいの男性が1名づつ入って来た。
挨拶してくれたのは30過ぎの男性の方で、若い方の男性は軽く会釈をした。
「いらっしゃいませ〜」
「……よ、予約している、に、西川ですが」
緊張しているのか、若い男性が恐々とした声で言う。
うわ……初幹事ってとこかな〜。
「ありがとうございます。お座敷のお席をご用意させて頂いてます」
あたしは件の和服姿で頭を下げ、予約席へと案内する。
「ほら、席に行ってクジを用意しないと!」
30過ぎの男が若い男に言った。
この2人、お父さんに聞いた情報が正しければ近所の大学のOBと現役のはずだ。30過ぎがOBで、若い方が現役だろう。
今日の席は、普段は衝立で仕切っている和室を繋げて大広間とし、机を並べているのだけど、その机の上に、二人が番号の書いた紙を置いていく。
紙を置き終わった二人は入口に近い席を陣取って座ると、持ってきた手提げの中から大きい封筒を取り出した。
「すみません。幹事の西川様は……」
「ああ。俺です」
二人の作業がひと段落ついたところで、本日の料理とシステムの説明をするべく、幹事の確認をすると、OBの方が手を挙げた。
あたしは若い男の方だろうとアタリを付けていたのだが……見事にハズレた。こういう時もあるから確認は大事なのよ。
「お料理のご説明をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、頼みます」
「ご来店頂き、誠にありがとうございます」
あたしは幹事の男の前に正座し、三つ指をついて頭を下げる。
「本日は、全8品のお料理と、こちらに記載されているお飲み物の飲み放題となっております。お時間は乾杯から2時間で、ラストオーダーは20分前にお伺い致します」
あたしは飲み放題のドリンクメニューを手に、定型句を並べ立てる。このあたりは普通の居酒屋さんと大差無いのがちょっと悲しいところ。ま、飲み放題っていうシステムを入れちゃうとどうしてもね。
「解りました。よろしくお願いします」
「はい。精一杯努めさせて頂きます」
あたしは再度手をついて頭を下げると、座敷から調理場へと下がった。
それから5分、10分と経つにつれて予約のお客様が集まって来る。
残りの座席が5つになった時、入ってきたお客様にあたしは驚いた。
「いらっしゃいま……せ」
「えーと、西川で予約し……あれ?」
「は、はい。こちらのお座敷になります」
なんだか向こうも感づいたっぽいけど、取り敢えずあたしは気付かないフリをして宴席へと案内した。
現れたお客様は、チェックのシャツを着た男と、小太りの男、メガネの男の3人だった。
そう、朝に市場で道を聞かれた3人組だ。
うぅ……あんまりお近づきになりたくないと思ってしまった人物だけに、笑顔が引きつらないか不安だ。
「山内、遅かったじゃないか」
「ああ、家まで車だからと思って研究室で阿部さんを待ってたんだ。けど、遅れるから先に始めてくれって言われたから先に来た」
「マジか! じゃあ、あとはOBの竹山さんだけだな……」
最初に来店した若い男とチェックのシャツを着た例の男――山内さんというらしい――がやり取りをする。会話だけ聞いていると、全くもって普通なのに……あの車がなければねぇ。
「あと竹山だけなのか? あいつの事だからどうせパチ屋で時間食ってるだけだろう。もう始めてしまおうぜ」
二人のやり取りを聞いていたのであろう、幹事の西川さんが言って「生以外の人ー!」と飲み物を注文する前振りをする。
あたしはオーダー表とペンを手に、慌てて座敷へ向かうのだった。
「お飲み物のご注文を頂きました。生8、梅酒の水割り3、ソーダ割り1、レモンサワー2、ハイボール2、カシスソーダ1、焼酎のロック1です」
注文を聞いて調理場に戻ると、あたしはオーダー表を見ながら、お父さんとヒロに聞こえる程度の音量で注文を復唱する。
最近は注文内容のように、乾杯も生以外が多いのだが、乾杯から焼酎――しかもロック――というのは中々珍しい。しかも、頼んだのは例の大学生らしき三人組の一人、小太りの男だった。
「あと、ヒロはお盆に冷蔵庫の酢の物を並べてもらっていい?」
あたしは、焼酎の瓶を片手に、ヒロに冷蔵庫に入れてる酢の物の用意をお願いし、お盆の上に並べたグラス郡に、焼酎、梅酒、カシス、ウィスキー、レモンサワーの原液を注ぎ、水や炭酸水を片っ端から注いでいく。最後は生ビールなんだけど、うちは注ぎ口が2つあるサーバーを使っているため、片手に2つづつジョッキを持って2つ同時に注ぎ、一杯になるともう2つのジョッキへと切り替えていく。こうすることで、8つのジョッキもふた手間で用意することができる。
ここをモタついてしまうと、お客様に与えるお店のイメージがガラリと悪くなるし、今日みたいに暑い夏日は喉を乾かせてる人が多いだろうから、最初はできるだけ早く飲み物を出してあげたいという個人的な想いもある。
お盆の上に並んだ種々のお酒たち……あたしは目で数を確認すると、お盆を両手で抱え、座敷へと向かった。
今日は貸切という事もあり、座敷の戸は開け放たれている。
現在の総数18名の男女がワイワイとお喋りに夢中になっている中、あたしは大きなお盆を座敷の側にある机に置き、声を張り上げる。
「お待たせしました。生のお客様ー!」
すっと8名の手が上がる。
あたしは片手に4つづつジョッキを持ち、生ビールのお客様が固まっている所からジョッキを配っていく。本来は上座に座った人から順に給仕するのだが、今回のようにクジで座席が決められているなどで、順不同となっている場合は効率を優先させてもらっている。
「ハイボールのお客様ー!」
と言った感じで、全てのお客様に飲み物を行き渡らせると、西川さんのテンプレート口上と、幹事だと勘違いした大学生の乾杯の音頭で宴が始まった。
ここからが、あたしたちの仕事の本番だ。
「ヒロ、酢の物持っていくから姿造りの用意をお願い!」
と叫んでみれば、ヒロはとっくにタイの片身を松皮造りにしてくれていた。
出来る男って素晴らしい! と思いつつ、あたしはお盆を手に座敷へと急ぐ。
「イワシとキュウリとワカメの酢の物です」
あたしは手早く酢の物を入れた小鉢を席に置いていく。もちろん、お客様が食べたり飲んだりする動作を邪魔しないように、後ろから「失礼します」と声を掛けてだ。
「あ、お姉さん、生お代わり!」
「俺も!」
「あたし柚子サワー!」
と、酢の物を配り終わると、容赦無く飲み物のお代わり注文が飛んで来る。
「はい!」
と元気良く返事をして、腰に差していたオーダー表を取り出して書いていく。
お代わりは、生が5つと柚子サワーが2つ、ハイボールが2つと焼酎のロックが1つだった。
この僅かの時間でジョッキやグラスを空けた人が10人……先付けとして出していた餡掛け豆腐も殆どが空いていたし、若い人が多い分、飲食のペースがかなり早い。これは急がなくっちゃ。
「親方、もう鶏の塩焼きに入って下さい。今日のお客様は、かなり食べるペースが早いです」
飲み物のオーダーを復唱しながら調理場に戻ったあたしは、親方に自分が思った事を伝える。
続いて、お酒の用意……ではなく、タイの姿造りに取り掛かる。
「小夜子。焼酎とはいぼうるは俺でも用意ができそうだ」
あたしが刺身包丁を手にした時、ヒロが焼酎グラスを片手に言ってきた。
まさか、あたしが用意するのを一回見ただけで覚えたの!?
どんな頭の構造をしているのか、聞いてみたい衝動を抑えつつ、
「じゃあ、お願い! ハイボールはお酒2に炭酸水8の割合で、レモンは冷蔵庫に入ってるから、八等分のくし切りにして!」
と、大きめの声で早口気味にあたしはヒロに言った。
あたしは目の前に並べられた、タイ――松皮造りにされたものと、皮を剥いだもの――、ヒラマサ、マグロの刺身に取り掛かる。
まずは本日のメインであるタイからだ。松皮造りの背身を平作りに二切れ切ったところで、お酒をお盆に並べたヒロが口を挟んできた。
「待った。その切り方じゃあ、尾の身が切れっ端になってしまう」
「へ? 筋の多い尾の身は使わないのが基本じゃない」
タイに限らず、筋が集中する尾の身の部分は場合にもよるが、大抵の場合は捨てるか、たたいてつみれにするかくらいしか使い道が無いんだけど……。
それをヒロは別の方法があるというのか、待ったをかけてきたのだ。
「松皮は平作りでいいのだろう? ちょっと替わってくれ」
「あー、うん。でも、急いでね」
ヒロはあたしから刺身包丁を受け取ると、無言でまな板の前に立ち、ちらりとあたしを見て刺身を切り始める。ヒロは手元を隠す事なく、その技を披露してくれた。
これが、ヒロと出会ってからあたしが始めてじかに目にする彼の技になった。
彼はあたしが切りかけていたタイの背身を、裏返すと、尾の身の部分に数箇所の切り込みを入れ、表に戻して若干斜めに向け、平作りに切り出した。
出来上がりを見て、あたしは大いに驚いた。全ての刺身が均一の大きさになり、パッと見ではどちらが頭だったのか、尻尾だったのか解らないほどの出来栄えだ。
そして、良く見れたから解った事だが、ヒロは背身を一般的な三角形と見るのでは無く、平行四辺形と見ていたのだ。だから刺身の形も平行四辺形になっているが、盛り付けの時に斜めに盛れば、切り方を見てないお客様が気付くことは無いだろう。
更に、全ての刺身の大きさが揃っているという事は、盛り付けの幅も広がる。しかも量も増えるとあって、なんとも良い事づくめの切り方だ。
「今日は時間が無いだろうから、松皮とヒラマサの平作りは俺がする。小夜子は盛り付けと他を頼む」
「ありがと。お願いするね」
事前に、ヒロと魚の切り方を話し合っていたことが功を奏し、平作りに切る二種はスムーズにヒロが対応してくれる事になった。
あたしは、タイのもう片身をそぎ作りにし、マグロを角作りにすると、ダイコンのけんの上に置いたタイのアラに、松皮作りにしたタイを斜めに角度を付けて並べ、そぎ作りにしたタイを頭や尾の近辺に扇形にして盛り付ける。ヒラマサは平作りのまま2つの山に見立てて盛り、マグロの角切りは2ヶ所に3つづつ配置した。今回はお客様用なので、言うまでもなく海藻や大葉、小菊などの褄もふんだんに使っての盛り付けだ。
同じ姿造りを合計4つ作り終えると、あたしはヒロに次の指示をするべく顔を上げたのだけど……彼の手には半分以上が泡になったジョッキが握られていた。
「……気を使ってくれてありがとう。でも、そっちはあたしがするから、山葵をおろしてもらっていい?」
「……分かった」
極力優しく言ったつもりだったんだけど、ヒロは少しだけ声を低くして答えた。
きっと、生ビールを上手く注げなかったのが悔しいんだろうな……刺身のお礼に後で教えてあげなきゃ。
あたしはそんな事を思いながら、生ビールを注いだ。