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6品目

「……金額が大きすぎて、物の値段が全く解らん」

 家から車で30分程度の魚市場にある仲卸売場――そこに並ぶ魚を見ながら、ヒロが言う。


 昨夜、ヒロは5千円という金額にものすっごく驚いていた。


『俺の日当が、家の建つ程の大金になるか!』

 とは、昨日のヒロの返事だ。


 この後、あたしとヒロがまた言い合いそうなったので、出口先生が『親父やお爺さんに聞いた話しだからあやふやなところがあるけど』と前置きし、ヒロが生活していた昭和初期の金銭感覚と、現代の金銭感覚を比較して説明してくれた。


 ヒロがいた時代と現代では、お米の値段で千倍、自転車の値段で百倍ほど違うらしく、工業製品がとても高かったらしい。ちなみに、卵は50倍と比較的単価変動が少ないようだけど……これって、昔は卵の値段が高かったってことだよね?


『……と、いう訳で、ヒロ君には少々辛いけど、今の金銭感覚に慣れてもらわないといけないね。迷ったら、現在の金額を千で割れば、ヒロ君の金銭感覚に近くなると思うよ』

『物の値段が千倍になったという事ですか……考えただけで目が回りそうです』

 ため息をつき、ヒロはがっくりと肩を落とした。


「ほら、そういう時は千で割ってみろって先生が言ってたじゃない」

「それでもだ。何でイワシなんぞにあんな……」

 発泡スチロールに入れられた魚を前に、ヒロはブツブツと文句(?)を言っている。


 お父さんが仕入れる魚を見ている間に、あたしとヒロも魚を見て回っている。あたしはたまにしか来れないけど、仕入には魚の良し悪し、価格の変動、仲卸への顔つなぎなど、お店に居ただけじゃ出来ない仕事が含まれており、あたしが“藤華”を継ぐには重要な事になる。

 まあ、昨日の事が無ければ、今日は買い物をしないつもりだったんだけど……ヒロの腕前の確認とか、親方がヒロへのレクチャーとかに食材を結構使っちゃったんだよね。


「小夜子、俺は決まったぞ。お前はどうする?」

 親方の顔になったお父さんが、あたしを試すように聞いてくる。


「はい。昨日、サバを多く使ったので、その補充と、刺身の追加注文があった時に備えて、タチウオをと考えてます」

 仲卸人達の手前、小声で親方に伝える。

 親方は特に表情を変えず、あたしの要望を聞いていた。


「なあ、タチウオよりイサキの方が良くないか? 値段は良く分からんが、物はイサキの方が良いぞ」

 肘をつつきながらヒロが耳打ちしてくる。


 ふふーん。昨日、魚料理は負けたけど、目利きはあたしの方が上らしい。氷に埋まっているとはいえ、タチの顔付を見れば上物だと解るだろうに。

 やっぱり、料理人として調理場に篭もりきりで、仕入れには同行してなかったのかな? 昔見た漫画の様に、あたしは自分の鼻が高くなるのを感じていた。

 もっとも、……この高くなったあたしの鼻は、親方から見事にへし折られるのだけれど。


 親方は突如ヒロに顔を向け、ニヤリと口の端を釣り上げて見せたのだ。

 あれは、親方が用意した課題に応えた時にする顔だ。


「タイとヒラマサ、イサキとエビ、小イワシ……あと、タチウオを2匹だけくれ」

 完全にハズレた。タチウオ、たったの2匹しか買わないの!? 何で!?

 半ばパニックになるあたしの目の前に、その答えが姿を現す。


 いかめしく大きな顔をしたタチウオ。だが、その身は中腹付近から急激に細くなっており、長さもタチウオにしては短かった。

 何か悔しい……何で、料理も目利きもヒロに勝てないの? あたしってそんなに腕も目も悪い料理人だったのかな……。

 落ち込んで下を向いていると、ヒロが再び肘をつついてくる。


「親方が買い終えたようだ。魚を受け取りに行こう」

「そうね」

 あたしは沈んだ声で、弱々しく返事をした。


 ヒロは発泡スチロールを見た事が無かったらしく、目を丸くして『何だこれは!?』と驚いて、親方から『昔は木箱だったんだが、この箱の方が氷を入れれば冷たく保てるから、今はこの発泡スチロールが魚を入れる箱の主流だな』と説明を受けるというやり取りがあったのだが、あたしは心ここに在らずの状態まで落ち込んでいて、ロクに反応できていなかった。


 買った魚の入った発泡スチロールの箱を持ち、あたし達は駐車場へ向かう。

 ヒロが黙ってあたしの分の箱も持ってくれたので、今のあたしの手には途中で買ったモズクが入った袋だけという状態だ。

 落ち込んだ時に気を遣われるのはありがたいけど、大丈夫かな? 魚の入った発泡スチロールって、氷も入っているから結構重いんだよね。


「ヒロ、そんなに持って重くない? あたし持つよ?」

「女の細腕なんかに持たせられるか」 

「じゃあ、しっかり持って。落とさないでよね!」

 ヒロの言い方にイラッときて、あたしは強い口調で言い、ヒロを置いて早足で車に向かったんだけど、

「少しは調子が戻ったな」

 背中からそんな小声が聞こえた気がした。


 車には先にお父さんが戻っており、エアコンをかけて発泡スチロールを並べるスペースを空けていた。

 横に並び、ヒロが持っている箱をどんどん並べていくあたし。何のかんの言ってもこれだけの荷物を持ってくれたんだなーとヒロには感心してしまう。

 ちゃんとお礼を言おうと思って横を向くと、発泡スチロールを入れ終わったヒロは子供のような表情で何か別の物を見ていた。

 視線を追った先には……アニメから飛び出してきたような車――厳つい真っ黒なスポーツカーが停まっている。


「小夜子、あれは海軍の戦闘機なのか?」

 車を指差し、ヒロはあたしに聞いてくる。ヒロの目が、好奇心に輝いているように見えるのは絶対に気のせいじゃ無い!

 男が機械大好きなのは、時代に関係無いらしい。


「違うわよ。ただの車」

「しかし、折畳んだ主翼も垂直尾翼もあるぞ。何より、旭日旗もいろどられているが?」

「……」

 確かに、ドアが斜め上に開いて――何とかドアって名前があるんだっけ?――翼を畳んでいる様に見えなくもないし、トランクの上には飛行機の尾翼に似たものも付いてる。でも、ただの車だ。街でだって見た事がある。なのに、何で旭日旗のステッカーまで貼っているのよ……これ、本物の軍事オタクの車じゃない!

 そう思った所で、中から人が降りてくる。


「ヒロ。あんまし見ちゃダメ」

「ん? そうだな。ジロジロ見てスパイ容疑でもかけられたら最悪だ」

 小声でヒソヒソと話し合い、顔を背けたのだが……。


「すみません」

 見事に絡まれ(?)てしまった。


 ぐぎぎっと音がしそうなほどぎこちなく、あたしは声のした方へ首を回す。

 ――若い男だった。

 ――他にも2人いる。

 ――小太りの男がいる。

 ――メガネをかけてる男もいる。

 ――チェックのシャツを着ている男もいる。

 ……取り敢えず大丈夫そうなので、返事してみることにした。

 顔も、その辺にいる男子大学生といった感じだったし。


「は、はい?」

 ま、声が上擦ってしまったのはご愛嬌だと思ってもらいたい。

 決して、スポーツカーに乗ってる人が、キレ易いアブナイ人だとか、オタクで怖いとか、女と見れば見境無しのキケン人だとかの偏見で警戒していた訳では無い。


「あの、ちょっと道を聞きたくて」

 話しかけてきているのは爽やか系の男だった。出口先生ほどではないけれど。


「はあ……」

「この当たりに、市場の魚を食べさせてくれる所があるって聞いたんですけど……ご存知無いですか?」

 どうやら、この人達は隣の通りにある魚市食堂を探しているようだ。漁港に近いだけあって、新鮮な魚食べさせてくれるしね。


「えっと、この駐車場の隣の通りにありますね。車で行かれるのでしたら、一度、駐車場を出て頂いて左手の方に。歩いて行かれるなら、北側の、あの建物になります」

「……混み具合を考えたら、もしかして歩いて行く方が早いですか?」

「そうですね。今の時間帯だと、飲食店の人の仕入が終わって、朝食の時間帯ですから……駐車場は混んでいると思います」

「そうですか……ありがとうございます」

 男は食堂の建物を見て少し考えた後、頭を下げて去っていく。

 ……最近のオタクは礼儀正しいのね。あたしはちょっと感心してしまった。


「あれは、どう見ても軍人じゃあないのは解かるが……何だったのだ?」

「あー。うん。ただのオタク――軍事物が好きな一般人だと思う」

「……日本も変わったものだ」

 なんだかお爺ちゃんのような目をして、ヒロはボソリと言った。


「お〜い。二人共、帰るよ?」

 運転席からお父さんの声が響く。

 っと、そうだった。折角エアコン入れてるのにリアハッチ、開けたままだった。

 あたしは慌てて閉めると助手席へ向かい、ドアを開けた。


「小夜子、頼みがあるんだが……」

 ドアを開けたところで、同じように後部座席のドアを開けたヒロが、気まずそうに言ってきた。


「何?」

「俺も、助手席というのに座ってみたいのだが……良いか?」

「へ? 別に良いけど……」

 何を言い出すのかと警戒してたけど、別に運転させろとかじゃなかったし、気軽にOKした。


「親方、俺では助手にならないと思いますが、隣に失礼します」

 ヒロはお父さんに頭を下げるようにして助手席に座る。

 お父さんがすっっごく悲しそうな顔であたしを見てくるが、無視してヒロにシートベルトをするように言った。


「シートベルト?」

「左の肩の所に金具が下がってるでしょう? それを引っ張って……」

「ああ。……おおっ!?」

 ヒロは恐る恐るといった感じでシートベルトの金具を摘み、引っ張ると伸びてきたベルトに驚きの声を上げた。

 助手席に座った時から感じたんだけど、ヒロの目がかなーりキラキラしてる。さっきのスポーツカーを見てた時と同じ目だ。


「それで、金具を腰の右側にある、これ。この隙間に入れて」

「おう」

 カチッ。

 音を立ててシートベルトが締まる。


「……じゃあ、出発するよ」

 シートベルトが締まった事を確認したお父さんが、ゆっくりとアクセルを踏んだ。


 それから家に帰るまでの30分間、ヒロの感嘆の声がBGMになった。『おおー!』とか『ほう!』とか。

 家に着いて車から降りた後、魚を運んでいる最中にもヒロは、電車より早かったとか、計器の動きが格好良かったとか、子供のようにはしゃいでいた。……ホント、男って機械好きよねぇ。

 荷物を持ってもらったりした事もあって、あたしはヒロの話に適当な相槌を打っていてたんだけど、お腹一杯ってほど聞かされて疲れたよ。





 家に着き、荷物を降ろすと朝食なんだけど、あたしが用意をしている間に、お父さんとヒロは買ってきた魚の下拵えパート1をしていた。

 パート1はウロコ、エラ、内蔵を取る事。魚屋さんは、お客さんに売るまで鮮度を保つ必要がるのでウロコは残したままにするらしいけど、うちは料理屋で、今日中に仕込みをするためにウロコはしっかり取ってしまうし、魚の種類によっては頭も落とす。


「朝ご飯、できましたよー」

 控え室の卓袱台に、ご飯、小松菜と油揚げとワカメのお味噌汁、アジの塩焼きを並べ、調理場に行って二人を呼ぶ。

 調理場では、タイ、ヒラマサ、イサキの処理(パート1)が終わり、小イワシの途中だった。


「では、冷める前に飯にしよう。ヒロ君も手を洗って奥に入ってくれ」

「はい」

 親方とヒロはそれぞれ手を洗うと、朝食を取る。


 ――昨晩、親方が復活した後、出口先生も交えてヒロの状況を説明した。

 一度ベロンベロンに酔ったとはいえ、ヒロにもう一度作ってもらったお吸い物とお刺身を前にした親方は、ヒロの腕前と状況を理解したらしく、真剣な表情で

『手伝って貰るのはありがたい。よろしくお願いします』

 とヒロに頭を下げた。


 この時は、逆にヒロの方が恐縮してしまって、それまであまり感情を出してなかったヒロが慌てる様は、見ていてちょっと面白かった。


 ヒロはヒロで、お父さんの事は“親方”と呼ぶようにしたようで、お父さんもあたしが使っている呼称“ヒロ”をそのまま君付けで使う事にしたようだ。


 続いて、ヒロがあたしを呼ぶのに、

『親方のお嬢さんになるわけですから、今からは“小夜子お嬢さん”とお呼びいたします』

 などと気持ち悪い事を言ってきたので、

『止めてよキモチ悪い! 今まで通り呼び捨てでいいわよ。あ、お父さんからのクレームは受け付けないからね』

 と言うと、シュンとしてしまったお父さんを前に、ヒロはかなり気まずそうに、

『お言葉に甘えて……』

 と言った。


 だから、あたしもヒロも、お互い呼び捨てだ。

 昨夜、寝るまではヒロがあたしを呼び捨てにすると、微妙な表情をしていたお父さんも、朝には気にしなくなっていたようだった。


「もう、美味い朝飯を食べられる事はないと思っていたが……美味い」

 ボソボソと小声でひとち、ヒロは味噌汁を啜る。その目はどこか、あたしの知らない場所見ているのか、寂しそうだった。


「朝から、辛気臭い事言わないでよね。せっかく作ったご飯が不味くなるわ」

「……そうだな。悪かった」

 妙に素直なヒロ。


「ほら、お代わりは? ご飯も沢山炊いたから、しっかり食べてよ」

「いや、銀シャリばかりだと悪――」

「白米しか無いんだから、雑穀が食べたいとか、贅沢言わないでよね!」

 ヒロは白米のお米だと遠慮が出る。昨晩も、おかゆにし直そうとしたので、あたしが止め、出口先生が『今、白米は余るほど流通してるから大丈夫』と説得してお代わりもさせた。


「昨日、先生に聞いたでしょう? 今はお米が余って、雑穀の方が高いくらいなんだから」

 ヒロの茶碗にお代わり――大盛り――をよそって渡す。


「ありがとう」

 チラチラとお父さんの様子を伺いながら、ヒロは茶碗を受け取った。気にしなくていいのに。


「小夜子、お父さんもお代わり欲しい」

「はいはい。二杯目は少なめ? 半分?」

「茶碗3分の1で」

 お父さんのお代わりもよそうと、あたしは自分の食事を再開した。流石に性別の差なのか、年頃とは言え、あたしの食べる量は二人よりは少ないので、残りはそんなに多くない。


「二人とも、食べながら聞いて貰いたいんだけど、俺はご飯食べたら野菜を直売所に仕入に行って来るから、その間に小イワシの下拵えの続きをやっといてもらえるかい? 直ぐに(・・・)、帰って来るから、二人で全部終わらせようとはしなくていいから」

 お父さんは何故かヒロの顔を凝視しながら、早く帰ってくる事をアピールした。


「でしたら親方、俺も野菜の仕入に同行させて頂きたいのですが……構いませんか?」

「本当に? ついてきてくれる?」

「是非!」

 傍から見れば真剣な顔で仕入れへの同行を願い出るヒロ。お父さんから見れば、さも仕入れを気にかける真面目な料理人に映った事だろう。

 でも、あたしの眼を誤魔化せると思うなぁぁっ!

 ヒロの嬉々とした表情、あれは絶対に車目当てだ! 接客で磨かれた眼で見れば解かる!


「ヒロ君が荷物持ちを手伝ってくれたら、仕入れも早く終わるし、怪我へのダメージも少なくて済む。そうしよう! 小夜子は一人に(・・・)なるけど、いいね」

 もはや確認ではなく決定といった感じでお父さんは言い切った。そりゃあ、いつもは一人だしいいけどさ……何でこんなにトントンと話が決まるのよ。あたし抜きで。


「はいはい。二人でいってらっしゃい。あたしは一人で大人しく片付けでもしてますよーだ」

 わざとため息をついて言ってやる。


 食後にお茶を飲むと、あたしは三人分の食器を持って流しに、お父さんとヒロは仕入に向かった。

 あたしはさっさと食器を洗い、お父さんとヒロが途中までやってた小イワシの下拵えを続ける。

 お父さんの話では、この小イワシを使って酢の物を作るとのことだったので、小イワシの頭を落として内蔵を取り除き、指で3枚におろす。おっと、腹骨も取るのを忘れてはいけない。


 そんな、ちまちまとした作業をあたしは繰り返し、小イワシの処理が終わる頃に帰ってきたお父さんとヒロを迎えるのだった。

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