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41品目

「さてと、どこから話をしたものか」

 とぼけた調子で言いながら、内心に湧き上がる苛つきを俺は抑え、目の前の女の顔を見る。顔色は青白く、不安を抱え込んでいると言わんばかりの瞳が俺を見つめていた。

 俺や同僚の為にと一生懸命に頑張ってきた芯の強い女、だが、彼女はそれだけ多くの事に耐え、折れそうな心を必死に繋いで乗り越えてきただけであって、中身は歳相応の少女なのだ。

 改めてそう思えばこそ、俺は人の夢に土足で上がりこんで自分の事を神だなどと戯れ言を宣ったいけ好かない奴への、苛つき……どころか怒りと同じ感情を覚えつつも、それを押さえて口を開いていた。


「小夜子。お前が夢を見たように、俺も夢を見たのだ。お前が見たと言った夢と同じものと……もう一つ。そのもう一つの方を話そうと思う」

 小夜子の目つきが仕事中のそれへと変わるのを見て取った俺は、彼女に負担をかけまいとできるだけ短時間で終わるように意識しながら、はらわたが煮えくり返る話を始めたのだった。



 ――昭和20年8月某日早朝。



「……本当に戻って来れるとはな」

「ここで間違い無い?」

 ああ。と短く肯定した俺は、見慣れたはずの門構えに不思議と懐かしさを覚えていた。


 小夜子の父である未来の親方には申し訳ないが、彼らの目を盗みつつ逢瀬を重ねた俺達は、次の年の夏――正しく言い直すと俺が来てから丁度一年後、夢に出てきたいけ好かない奴の予言通りに夜子を連れて俺は自分の時代へと戻ってきていた。


「だったら急ごう」

 肯定を確認した小夜子は、口早に言ってさっさと引き戸を開けようとする。俺は待てと言って手を握り止めようとするのだが、余程の事なのか逆に引かれてしまう程の力が込められていた。

 小夜子が言った“これから起こること”については、当初は俺も半信半疑だったが、未来で資料館という建物に展示されていた簡単な資料を見せられ、説明を聞いていく内に事の重大さを理解していた。

 あと数時間後、この街で数万人とも十万人とも言われる人間が死に、その中には俺の親方一家も含まれるという事に疑いを持たなくなった程には。

 彼女の事は信用しているし、なによりここまで連れて来てしまった責任を取るのが男だと思ってはいるが……相手はあの親方だ、せめてもの心の準備に深呼吸くらいはしたかった。それが偽りのない本心なのだが、確かに今は僅かの時間も惜しい。

 俺は腹にグッと力を込めることで心の準備に代え、引き戸に手をかけた小夜子を見守った。 


「へい、いらっしゃい!」

 人が入ってくれば挨拶をする。親方は人に口酸っぱく言う――主に拳骨で――だけあり、開店前にも関わらず威勢の良い銅鑼声が飛んだ。

 そして、声と同時に現れた俺を確認したのか、親方のこめかみに青筋が浮かんだ。


「おい、朝っぱらから女連れとはどういう事だ!」

 手の平を返したような怒声が響いたところで、俺は反射的に身を固くしていた。



「まったく、何も女の子の前で殴りつける事はないじゃないか」

 ちゃぶ台を挟んで親方の前に正座した俺と小夜子に女将さんが茶を出しながら言う。

 相変わらず手が早い親方から、怒声と同時に一発貰った俺の頬は痛みを訴えているが、それ自体はいつもの事なので小夜子以外は俺も含めて気にも止めていない。女将さんが気にしているのは、良い格好したかったであろう俺の立場と、嫁候補であろう小夜子――弟子が若い女子おなごを連れて現れたとなればそう解釈される――の心情だ。


「それならそうと、事前に話ってものをだな――」

「こんなご時勢でこれだけの別嬪べっぴんさんなんだから、色々と事情があるんだよ」

 小夜子が別嬪なのは認める――本人は否定しているが、女将さんの評価からも俺の認識は間違っていない――が、聞いて貰いたい話はそれではない。

 その話もあるが、大事な話はもう一つあると言い、俺は自分が未来に行きこれから恐ろしい事が起こるという事をかいつまんで話した。

 つもりだったのだが――。


「荒唐無稽な話が信じられるか!」

 親方の怒声と再び飛んだ拳骨に一蹴される。

 流石に俺も頭にきたので言い返そうと息を吸ったところで、小夜子に止められた。


「これを見て下さい」

 彼女が言って取り出したもの――確か、すまあと何とかと言っていた――には俺と小夜子が観覧車とやらに乗った時の写真が写し出されていた。


「これ、写真かい? 色が付いて何枚も……」

 真っ先に機械嫌いの親方が固まり、反対に女将さんは興味津々といった風に質問を重ねた。

 小夜子は写真を何枚かと、ニュースドウガとか言う映画を流して見せ、未来の事とこれからの事をこれまで見たこともないような思いつめた顔で語り出した。


「良く解らないけれど、この娘が真剣にものを言っているのは解った。でもねヒロ、あんたはどうなんだい?」

 女将さんは俺を叱る時のような厳しい表情で問う。


「この石頭のことだから、テコでも避難しないなんて言いかねないよ。その時はどうするんだい?」

 親方を一瞥した厳しい顔が再び向けられる。

 だが、聞かれた内容……それだけについては、俺の腹は既に決まっている。


「担いででも避難してもらいますが、それも無理な時は俺はこの――小夜子を逃がす事を優先します」

 これまで育ててもらった二人への、裏切りにも等しい内容。それを今の俺は口からあっさりと言ってのけた。ここに戻ってくるまでに散々に悩んで決めたこともあるが、自分でも驚くほどすんなりと、いや、ハッキリと言えた。

 躊躇ためらいも躊躇ちゅうちょもなく言えたからか、女将さんは拍子抜けする程あっさりと俺の言葉に偽りが無いと判断してくれた。


「……解ったよ。ほら、あんた、呆けている場合じゃあないよ! あたしは子供たち起こしてくるから、準備準備」

「いや、しかし店をだな――」

「店と家族の命とどっちが大事なんだい!」

 夫婦喧嘩の時と同じように、女将さんがまくし立て、親方が尻に敷かれてくれたので、無事に避難するという方向へ話はまとまった。


「親方、準備手伝います」

 言うが早いか、女将さんは手伝いを申し出た小夜子を連れてさっさと避難の支度をしに行ってしまったので、俺は親方の手伝いを買って出る事にした。


「お前……あの娘の話を信じるのか?」

 持って出る小物と、床下に掘ったむろへ避難させる道具を手際良く――気が急いてきたのか手早くなってきた――分けていると親方が小声で言った。


「はい」

 親方に余計な説明をするよりも、どれだけ迷いなく真剣に返事できるのかが大切だと知っている俺は静かに即答した。

 いくら口数が少ない親方といえども、もう少し説明を求められると思ったのだが、妙に納得した顔をされ(・・・・・・・・・・)てそれ以上は何も聞いて来なかった。

 もっとも、説明を求められても俺は上手に話して聞かせる事は難しいので、追加で話せる内容は山内さんに見せてもらった写真や書物の内容なのだが。

 戦闘員ではない女子供が鬼畜米英の新兵器によって虐殺された惨状を記録した写真は……思い出しただけでも怒りと怖気がこみ上げてくるのだが、今はそれを堪えて作業を進める。


 料理に使う道具や食器の類を可能な限り室に運び入れ、包丁や小鍋、配給切符などをぎはぎの布でこしらえた鞄に詰め込むと、俺たちは国民服に着替えてその鞄を肩から掛けた。


「そろそろ出ないと間に合わなくなるわ」

 店の奥――親方一家や俺達弟子が住んでいた部屋――から同じように鞄を下げた小夜子――服はモンペなどの目立たないものへ着替えたようだ――が出てきて告げる。


「そう――」

 だなと続けようとした所で、けたたましい警戒警報の音(サイレン)が響き渡った。


「な、何で!」

 自分が告げた時間より大分早いからだろう、小夜子が驚いて叫ぶ。

 だが、俺はこの警報が誤報である事を思い出して(・・・・・)いた。


「これは誤報だ。一時間程で解除される! 皆が避難で慌てる事になるから、今が絶好の機会だ」

 警報に負けないように、小夜子に怒鳴る。


「じゃ、じゃあ、今のうちに行きましょう! 場所は、あたしの学校がある所」

 強い口調だったからなのか、若干驚いたように見えたが直ぐに気を取り直したようで怒鳴り返してきた。


 俺と親方は帽子を、女子供は防空頭巾を被り店を飛び出す。

 店の前の通りは避難する人々で溢れていたが、頻繁に鳴る警報に慣れてしまっているのか、慌てていても人の流れを乱すような者はおらず、見知った顔を見れば少々の雑談――情報交換も兼ねる――も交えてそれぞれの避難場所へと走って行く。

 近所の連中は通りの東側にある崖に掘られた共同の防空壕への道を行くのだが、俺達は途中で道筋を北に変え、いつも避難していた防空壕――先代の親方が酒や根野菜を保管していた室を改造したもの。こちらの方が共同の防空壕より近い――に向かう振りをして分岐している川の支流沿いに登って行く。


 途中で他の知り合いに会った時のために用意していた“小夜子の親元に挨拶に行く途中だから、向こうで避難させてもらう”という嘘をつかずに済んだのは幸いだった。


 川沿いに遡上しつつ小山の脇を迂回し、山間の集落へ向かう頃には空襲警報も解除され、今度は山道へと入って行くことになる。砂利すら敷かれていない、雑草が茂る山間の小道といった風情なのだが、この道が小夜子の時代には黒く舗装され、多数の自動車が行き交う立派なものへと変わるのだから、時代の流れとやらは凄いものだと思う。今、あの造りの道であれば歩くのも楽なのだが。と余計な事を考えていた。


「この道……青葉の山にでも行くつもりなのかい?」

 末の子供を背負った女将さんが小夜子へと聞いていた。


「はい。と言っても青葉町とのさかいにある山までなんですけれど」

「何かゆかりがある所なのかい?」

「今は何も無いんですけど、将来、あたしが通っていた学校が建つ土地なんです。確か被害大きい街中から移転してきたって聞いた事があるので、そこまで行けば安全だと思いまして」

「あんた、その歳で学校に行かせてもらってたのかい?」

「ええ、まあ、商業高校なのであまり頭に自信は無いんですけど……」

「商業学校なんて男しか居ないと思っていたけれど、女で通うなんてよっぽど優秀――俺の時代は大商店の倅や余程優秀な男子しか入学できない学校だったのだが、小夜子の時代は女子の比率が多いとかなり違いがある――なんだね。縁談なんかも引く手数多だったろうに、よくうちのヒロを選んでくれたもんだねぇ」

「い、いえ、縁談とか、そんな早いですから! あ、そろそろ交代します。ほら、今度はお姉ちゃんがおんぶしてあげるからね〜」

 何となく女将さんと小夜子は馬が合うのではないかと思っていたが、俺の予想は当たったようで道中はひっきりなしに雑談に興じていた。だが、俺を会話のだしにするのはやめてくれ。たたでさえ大荷物を背負ってむずむずする背中が、もっとむずむずしてしまう。

 彼女達は道中、人目がなくなると未来の話やこちらの話を聞いたり聞かれたりしつつ楽しそうに歩いていた。途中、一度も休まずに歩き続けたにも関わらず、大したものだと思ったのは、予想した時間より少し早く目的地に到着したあとでだったのは言うまでもない。

 最後に藪を分け入る事になりマムシを心配したが、俺と親方で地面を道中で拾った棒きれで叩きながら歩いたお陰か、遭遇することはなく、今はその棒で叩いて草を倒した場所へ座りこんでいる。


「良く歩いたな。お前と子供は大丈夫か」

 息を切らせながらも親方は女将さんと話をしていた。確かに、ここまで二時間を超える時間歩き通しだったため子供はもとより小夜子や女将さん、親方まで例外無く息を切らせ、汗を滴らせている。


「はい、水筒」

 荷物を肩から下ろし、地べたに腰を落ち着けると、水筒が差し出された。短く礼を言って受け取り、木で出来た栓を抜いて少しづつ喉へと流しこむ。すっかりぬるくなった水だからか、喉を潤す程度と決めていたにも関わらず、結構な量を飲んでしまった。

 水筒を差し出した本人が住んでいた時代であれば、真夏の盛である今の時期でも冷たい水を飲む事ができたのだろうがと贅沢な事を思った矢先、ゴウゴウと空気が唸る音が耳に飛び込んで来た。


「皆、伏せろ!」

 もはや条件反射と言っても過言ではない程、小夜子を除く全員が目立たないように草むらで見を屈める。もちろん、一拍遅れただけで小夜子も同じようにしていたが。


「あれは……B29か。一機だけなら心配ねえな」

 屈んだまま上空を伺っていた親方が、一機だけだと安心して立ち上がる。遠くに一機見えるだけであれば、空襲されることが殆ど無いうえに、この場所から離れて行くように飛んでいればと安心して俺も立ち上がる。

 それを見た女将さんや子供達も続いて立ち上がり、皆が安堵の溜息を付いた時だった。


 ――強烈な閃光が街のほうから走り、直後に巨大な雲が浮かび上がった。


「「な――」」

 驚いた親方と女将さんの声を遮るようにして、

 ズウウウウウウン!

 という腹の底に響き渡るような爆音が閃光から遅れて響いた。


 巨大雲は遠くの雷雲のようにあちらこちらを光らせたかと思えば、強風まで吹かせたのかここら一帯の草や藪を騒がせた。

 


「何だありゃ!」

 女将さんと子供をかばうように風上に立った親方が怒鳴る。


「あれが、小夜子が言った恐ろしい事です!」

 負けじと怒鳴り返した俺は、あの光と雲の下で数万とも十万とも言われる人間の命が奪われたのだと聞かされた事を思い出していた。


「何だと!? こうしちゃあ居られねえ、直ぐに帰るぞ!」

「ちょっと待ちな! 小夜子ちゃん、もう、戻っても危険は無いんだね?」

 恐らく近所や店の事を心配しての事だろう、帰ると怒鳴る親方を女将さんが窘める。そう、第二波、三波の空襲が無いのか小夜子に確認してからではないと、危険極まりない。


「これ以上、空襲は無かったと思います。でも、今から爆心地付近では黒い雨が降ってくるから、それに当たると病気だったか何かになったって聞いた事が……。ごめんなさい、あまり詳しい事までは覚えて無いです」

「空襲がねえのが解れば良い。俺だけでも先に戻るぞ」

 言うが早いか、親方はこれまでの疲れを嘘だと言わんばかりの急ぎようで走り出した。


 結局皆、親方を追いかけ、途中で休憩を挟みながら来た道を戻っていると、小山の上から燃えている街が見えた。

 この辺りの者なのか、何人かが俺たちと同じように街を眺めているのだが、その炎から逃れるように、焼け出された人々がこちらへ向かって来ているのも見えた。


 斜面に沿った坂道を降りていけば、こちらへ向かって来ていた人々とかち合い、親方や女将さんが何人か捕まえて状況を聞き出していたが、聞こえてくる内容は、

「兵器工場が爆発した」

「街が光に飲まれたと思うと燃えていた」

「気がついたら吹き飛ばされていて、命からがら逃げて来た」

「街は地獄になった」

 などという詳細不明のろくでも無いもので、女将さんや親方ですら内容に唖然としていた。


 親方達と同じように話を聞いて回っていると、国民学校の先生と自称する国民服姿の男が「一先ず学校に向かってみます」と言い出した。避難してきた人々からは止められていたりしたが、意志は固いようで、一人だけでもと道を下りだしたので、俺達は彼に乗じて街へ――いや、店へと戻る事にした。


 途中までの道が一緒だった事もあり、件の先生と一緒に歩いていたのだが、川沿いの道に差し掛かったあたりで、燃え盛る街が発する熱気が流れて来て、夏の暑さも相まって汗が止まらなくなった。

 それでも国民学校まではと行ってみたのだが、校舎は半壊して大きな炎に包まれていた。


「――先生!」

 轟々と燃える炎の音にかき消されつつも、横にいた先生に向けた声が飛んできた。声の主は中年を過ぎたくらいの男だった。身体のあちこちに火傷を負っているようで、露出している肌が所々赤かった。

 大人二人は短く言葉を交わすと、倒れたり、動けない者を引っ張って炎から遠ざけ、そして生き残りを探してか校舎の中へと入っていった。


「ねえ、あんた。ここから先はどの道進めそうもないし、ここを手伝わないかい?」

「そりゃあ、ここの連中も助けてやりてえが……隣組の連中も助けてやりてえ。おめえたちはここに残って良いが、俺は行ってくる」

 この惨状を見て、更に近所の心配が増したのか、親方は先に進もうとこの場を後にした。流石に一人で行かせるわけにもいかず、皆で付いて行ったのだが……結論から言えば、それより先には進めなかった。街を飲み込む巨大な火柱もそうだが、道そのものが焼けてしまい、足が熱くて進めないのだ。

 止む無く俺達は半壊した国民学校まで戻り、救助作業を手伝って他の避難民と一緒に小山の上まで戻ってきた――怪我人を手当する上では川沿いが良いが、川の付近には隠れれる場所が無く空襲があると爆弾や機銃掃射で殺られるため、防空壕が近くにある小山まで戻ってきた――。

 そして、日が暮れる前に付近の農家に食料を分けてくれるよう頼んだ――配給切符やなけなしの衣類と交換と言われる事もあった――り、食える野草を採集したりして、親方一家や付近の住民、そして小夜子と共に消化に良いものを作って避難してきた人達に振る舞った。


 この時の惨状と経験は将来も忘れる事はない大事なものであり、俺が料理で人のためにできた誇らしい事であるのだが、俺はこれより十年の後に、今日の行動を後悔する事になる。あの時、親方を止めて街に戻らなければ、いや、そもそも……と。



 ――昭和30年頃。



 戦争が終わって十年程度経った。

 大きな混乱と全てが不足している世の中は急激な復興を見せ、今では戦前よりも栄えているのではないかと思える程だ。まあ、その分、この十年は兎にも角にも大変だったのだが。


 あの大惨事の後、一先ず無事を伝えてこいと親方に言われて一度里に戻る事になり、俺は急いで実家の敷居を跨いだのだが……小夜子を伴った事で、良くも悪くも蜂の巣をつついたかのような大騒ぎになってしまった。

 流石の小夜子も居心地が悪かったのだろう、借りてきた猫のように大人しくなってしまい、俺達は早々に親方達の元へと戻る事になったのは色々と残念な思いもあったが。


 しかし、街に戻ってきてはみても全てが燃え尽きており、店はおろか住む場所にすら事欠く有様だった。

 何とか燃え残った電柱材――だと思われる――やトタン片をかき集めてきて掘っ立て小屋を建てて雨露を防ぎつつ、日雇いの仕事と露店の料理屋を切り盛りして食い繋いだのだが、露店で出していた料理――小夜子が教えてくれた未来の調理法で作ったもの――が人気を呼んだこともあり、焼け野原だった街では比較的早くに店を構える事ができたのは俺達にとって幸いだった。

 もちろん、良い事ばかりではなく、小夜子に粉をかけようとしてくる輩が店に現れたり、食材の仕入れの時には露骨に小夜子の身体を要求する不届きな輩と喧嘩する羽目になったりと相応に悪い事もあった。


「小夜子」

 ついつい昔の事を思い出してしまっていたが、目の前のカーテンを開けるとそれらは即座に消え去り、自然と呼び慣れた名前が口から出た。


 白い病室のベッドに横たわっていた小夜子の顔がゆっくりとこちらを向く。

 今まで眠っていたのか、瞼が下がり気味に見えた。


「寝ていたのか。起こしてしまって悪かった」

 先ほど無神経に声をかけてしまった事へ僅かに罪悪を感じるが、起こさなければ起こさないで拗ねられてしまうので、最近はそこまで気にしてはいない。だが、

「あ、あなた」

 と言って、慌てて体を起こそうとするのは、流石の俺でも止める。


「ほら、横になっていろ」

 そんな事だから過労で倒れる事になるんだ――という文句を飲み込み、肩を押さえていた手を退ける。


「そ、その、ずっと寝てると腰が痛くなっちゃうから」

 手を退けると同時に小夜子は上半身を起こし、言い訳だと解る事を言う。こういう時は目が泳ぐから直ぐに解るのだが、解らない振りをする事も必要かと思い、俺はそれ以上何も言わなかった。


「それよりも、あなた……その、お店は大丈夫?」

 ここへ来るのは店を閉めている時間であり、片付けも先代の女将さんである大女将おおおかみに頼んできているから大丈夫なのだが、心配性は相変わらずだ。


「ああ。あとは片付けだけだったからな。大女将おかみさん――役職はおおおかみだが、癖で俺も小夜子もこう呼んでいる――に任せてきた……と言うより、後はやっておくから早くお行きと叩きだされた」

 気を揉まないように努めて軽く伝えるのだが、下がった眉尻は戻らず、

「ごめんなさい、忙しい時にこんな事になっちゃって。大女将おかみさんも親方のお店が忙しくて大変なのに……それに早く退院しないと入院費だって――」

 と、毎度の謝罪文句を本当に申し訳無さそうな顔で言われてしまう。

 ……なあカミさんさんよ、俺はお前に謝らせるために一緒になったのではなく、もっと笑っていてもらうためにここまで連れてきたのだ。実際、二人揃って一緒になると親方と女将さんに報告し終えた時、小夜子は焼け野原が花畑になったかのような笑顔を見せてくれ、俺はその顔を終生忘れんと誓ったものだが……今のお前の顔は俺の精神衛生上よろしくない。

 人間誰しも調子が悪い時はあるのだからいい加減、自分が全て悪いと思いつめた顔はやめてもらいたい。


「会う度にそれだな。気に病めば病気が長引くぞ。今は何も心配せず、治す事に集中してくれ」

 俺にできる事は、毎回似たような思いを抱きつつ小夜子の言葉を遮り、同じような事を繰り返し伝えるくらいの事しかできない。その度に彼女の頭を撫でるのはほんの愛嬌だ。


 事の発端は、俺達が所帯をもって七、八年が過ぎた頃だった。

 元来の働き者で、付き合いも小器用にこなしていた小夜子は、店構えて切り盛りし出すとその本領を発揮した。

 皆が必要とする料理や流行る料理を未来の知識から引っ張り出して献立に据えたのだが、それらの料理がお客の口伝てで広がり、店の評判が瞬く間に上がっていったのだ。そして景気が良くなる頃には街で知らぬ者が居ない程の店へとなっており、お客は更に増え、そのお客が知り合いを連れてきてお客が増えるという、料理屋冥利に尽きるほど順風満帆な経営状態だった。

 だが、それはある日突然に途切れる事になる。そう、小夜子が何の前触れもなく突然倒れたのだ。


 最初こそ気合だけで乗り切っていたのだろう、何でもないと言って生活していた彼女だが、夜になると辛そうな顔をする時が多くなり、俺は心配のあまりに町医者――店によく来てくれる常連さんの一人だ――へ診察を頼んだのだった。


 診察結果は原因不明。

 だが、その医者は最近似たような症状をよく見ると言って、大きい病院で診てもらえるようにと紹介状を書き、大学病院に勤めているという知り合いに連絡を取ってくれ、小夜子は細かい検査を受ける事になった。

 そして、検査の結果も不明点が多いという説明だけがなされ、そのまま入院することになったのだ。


 そもそも構えた店が軌道に乗り繁盛し出したのは、小夜子のお陰なのだから、調子が悪い時くらいゆっくり休養してくれたら良いのだ。

 ……というような軽い気持ちでいた俺だが、思いの外長引いており、最近は心配になってきたこともあって手土産を持参するようになっていた。


「昔からお前は無茶をしすぎなんだ。調子が悪い時くらい観念してゆっくり休め」

 相部屋内の他の入院患者に気付かれないように労いの言葉を掛けつつ、俺は小夜子の手に温かい芋饅頭――小豆餡の代わりに芋餡を入れたもの。店で出すものより甘く作ってある――を握らせた。


 すると彼女は、目を見開き、そして嬉しそうに微笑んで

「ね、ちょっとこっちに顔寄せて」

 と言ってきた。

 何だ、何事だとと言いながら顔を近づけると、頬に温かく柔らかな感触が触れた。

 これくらいしかできなくてごめんねと恥じらいが浮いた顔で言われると、小夜子が入院して以来我慢している色々なタガが外れてしまいそうである。

 復興が進み、毎日風呂に入れるようになってからは、それこそ未来の知識(・・・・・)で夜毎よろしくやっていたのだからな。だが、今は我慢、忍の一字だと自分に言い聞かせる。


「無茶をするな」

 耐えながら俺は何とかぶっきらぼうに言うのだが、ついつい彼女の頭を撫でてしまったのは……まあ愛嬌だ。


「コホン。おあつい(・・・・)ところすみませんが、松永さん、検温の時間ですよ」

 後ろから掛けられた冷たい声に、俺の背中には更に冷たい汗が浮かび、即座に滴った。


「なっ、み、見てた……?」

 情けなくも驚きから悲鳴を上げて上げてしまいそうになった俺に代わり、小夜子が頓狂な声を上げた。

 小夜子曰く、最も仲が良い看護婦――彼女のいた未来では看護士と言うらしいが――らしい彼女に対して、小夜子の口調から遠慮が消える。最も、二人揃ってしょっちゅう看守長――もとい、婦長にどやしつけられているそうで、旦那の俺も婦長からは『嫁を甘やかす男は大成しませんよ!』と小言を頂いたこともあるので、同じ轍を踏まないように俺はまた来ると小夜子に言い残して病室を去った。


 長引いてはいるものの容体も悪くなく、和気あいあいとした雰囲気の病室。暫く入院することで不安はあっても働き詰めだった小夜子の休息になってくれれば良いと思っていた気持ちに偽りはないのだが、それは突然終わりを告げた。


 翌日の夕方、先ほど見舞いを終えて店に戻ってきた俺宛に、店の電話が鳴ったのだ。小夜子の容態が急変した……と。


 夜の下拵したごしらえも放り出し、俺は病院への道を全力で走った。こんな時、山内さんが乗っていたような力強い速さの自動車があれば、もっと速く、もっと早くに彼女の元に着けるのにと思ってしまうのは未来を知ったが故の甘えだろうか……。


 息を切らせて病室に辿り着いた――と言っても入院していた病室とは別の部屋だったが――俺を待っていたのは小夜子のベッドに群がる医者の先生や看護婦達だった。


 矢継ぎ早に出される医者の指示を受けて看護婦達が走り回っているのだが、肝心の小夜子は目を閉じたまま微動だにしない。医者が聴診器を当てては操作していた機械からは横一文字が書かれた紙が排出される。

 その紙を見た医者から、病室の慌ただしい空気に飲まれてしまっていた俺に決定的な一言が告げられた。


 ――お亡くなりになりました。


 と。


 ははは……嘘だ。俺は今、医者に初めて騙されようとしている。

 先生も人が悪い。大方、小夜子に頼まれて冗談を言っているのだろう。そう思うが否や、俺は医者や看護婦をかき分けながらベッドに仰向けに寝かされている小夜子の肩を握る。


「冗談は程々にしてくれ。俺はもう十分驚かされた」

 言いながら小夜子の肩を揺する。


「いい加減起きてくれ」

 今度は強く揺すり、頬も軽く叩いてみる。

 ベッドから力なく紫の痣がいくつも浮いた腕が落ちた。


「なあ、おい!」

 気がついたら俺は縋るように彼女の肩を抱きしめ、その体勢のまま医者と看護婦に止められていた。

 小夜子と仲が良かった看護婦が必死に何を俺にわめき、医者は俺に何かを伝えようとして首を横に振る。

 急激に視界がボヤけ、俺は身体から力が抜け落ちていくのが解った。膝を折り小夜子の胸に顔を埋める俺の頭には、たった一つ、これだけは絶対に思うまいと決めていた思いが、どす黒く満ちていた。


『――こんな事なら、連れてくるべきでは無かった』



 ――――――――――――――――――――



「……良かった。ヒロは無事なんだ」

 話し終えた俺に向かって、彼女は大きく息を吐きながら言った。

 今、思い出しただけでも泣いてしまいそうな気持ちなのだ、良いわけなど全く無い。

 その言葉を飲み込み、俺は本題を切り出した。


「だからな。俺はお前がここに残ってくれる方が良い」

「あたしは絶対に嫌」

 ……即答されてしまった。

 だが、ここで引いては意味が無い。


「大体にして俺はここに居る筈がない人間なのだから――」

「でも、居るでしょ。それに――」

 用意していた反論を抑えこむように強い口調で小夜子は言い出し、そして、その頬を一粒の涙が零れ落ちた。


「ヒロが死ぬのは絶対に嫌!」

 本調子では無いというのに、力強くしっかりとした声で言い切られる。本当は俺の方が泣いてしまいたいのだが、これでは男の俺が我慢するしかないじゃあないか。


「だって、あたしが一緒に行けば少なくとも十年くらいは一緒に居られるじゃない。行かなかったらあんたは、ヒロは……」

 感情が高ぶったのだろう、やや早口で言いつつも今度はボロボロと大粒の涙が止めどなく溢れてきていた。


 ああ、先ほど無理はさせまいと誓ったばかりだというのにな。

 彼女が取り乱しているからか、妙に、いや俺らしくないほど落ち着いた気持ちでゆっくりと口を開く。


一先ひとまず、今日はここまでにしよう。体調が戻ったらまたいつでも続きは話せる」

 落ち着かせるのが先だと思い、頭を撫でながらこう言ってはみるのだが……真っ赤な目で上目遣いに睨まれてしまう。それだけ彼女は色々と心配してくれているのだろうと思うと、少々罪悪感を感じるが、俺は早々に休息を取ってもらいたいからな。


「本当に?」

「ああ。約束するから、今日はもう休め」

 これ以上何も言わせないように、俺は全ての心情を抑えこみ、短く、それだけ言う。


「解った。あんたを信じる。ううん、信じてる」

 涙で赤くなった目尻を下げた、優しい笑顔が言った。

 俺はその顔を瞼に焼き付けつつ、和室を後にした。

半年以上開けてしまい、申し訳ありません。予定では後二回ほどの投稿で完結できるのではと思っております。この遅筆に最後までお付き合い頂けましたら幸いです。

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